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博士論文審査要旨

論文題目:近現代アイヌ思想史研究―佐々木昌雄の叙述を中心に
著者:マーク ウィンチェスター (WINCHESTER, Mark)
論文審査委員:伊豫谷 登士翁、田崎 宣義、落合 一泰、多田 治

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一、 論文の構成
 本論文は、思想史という方法からアイヌを研究することの意味を問いなおし、最近の地域研究や歴史学などにおける新しい理論潮流によって提起された課題を批判的に摂取し、アイヌ思想史の可能性を明らかにしようとしたものである。これまでのアイヌ研究は、日本研究の周辺におかれ、北海道旧土人保護法からアイヌ文化振興法へと至る日本政府のアイヌ政策と結びついて展開してきた。この過程で、アイヌと呼ばれる存在は、つねに「ならざるものnot yet」と認識され、客体化され、保護/管理される対象であった。本論文は、1960年代後半から70年代初めに活動したアイヌの思想家である佐々木昌雄の思想の再検討を通じて、アイヌを観察される側に置くことによって成立してきたアイヌ研究とそれに基づくアイヌ政策の系譜を跡づけ、近代の産物としての「状況としてのアイヌ」を克服する方法的な前提を明らかにすることによって、いわゆるマイノリティ研究や差別研究など近代という時代に周辺化されてきた人びとを対象とする研究が抱える陥穽を明らかにした、意欲的な論文である。

本論文の構成は以下の通りである。

序章  歴史が意識に目覚めるとき ― アイヌ思想史が目指すもの
      孤独の「アイヌ体験」―戦後日本思想史の中の「アイヌ」
      「現在における過去」とともに―戦後アイヌ史研究の展開
      「文化」の物質的な力―ポストコロニアルの/という問題 
      歴史が意識に目覚めるとき―佐々木昌雄の位相
      本稿の構成とその個人的次元

第一章 近代、同化、破局 ― 戦時に己を引き裂く力に出会う
      はじめに
      近代アイヌ史研究における「同化」と「乖離」
      夢の「発洋地」としての近代北海道
      戦時に「切れ目」を前にして

第二章 この〈日本〉に〈異族〉として在ること ― 佐々木昌雄論
      はじめに
      「アイヌ」は呪う―詩作時代の跡から
      「アイヌ」の「アイヌ」なる所以―歴史上の断絶を基礎に
      「意識の侵略史」を記述する―「アイヌ」なる状況とその時代
      「自主性を与える」という感性―アイヌ学知と「シャモ」に触れて
      「アイヌ」は固有名ではない―「断筆」後

第三章 「アイヌ文化振興」という名の救済の後で
       反復を拒否する力
「形容句のない私から始まらねばならなかったはずの私」を求めて
       アイヌ文化振興法の系譜学にむけて
「アイヌ」の旧・旧土人化
       結語

終章  純然たる操作として ― 「先住民族」時代へ
       主権概念と国際法の「西洋」
       先住民族の政治と国家の勝利
       再びアイヌ思想史
       
       参考文献
       


二  論文の概要
 序章と終章を含めて、本稿は五章から成り立っている。序章では、論文全体の問題構制が、これまでのアイヌ研究(「アイヌ学知」)や戦後のアイヌ史研究あるいは新しい理論潮流を踏まえて論じられ、「アイヌ思想史」という研究領域の課題と可能性が示される。第一章ではアイヌ思想を論じる際の背景が日本の近代化や国民国家形成との関わりから分析され、北海道の「開拓」から百年以上にわたるアイヌにとっての近代としての同化過程において、日本におけるアイヌへの眼差しがどのような学知を生み出し、そうした学知がいかにアイヌ政策と共犯関係を切り結んできたのかが跡づけられる。第二章では、アイヌにかかわる言説やアイヌ学知への全体的な批判を展開した思想家として、アイヌの思想家である佐々木昌雄が取り上げられ、彼の仕事を丹念に追うことによって、現代的なそして現在的なアイヌに関わる議論の問題の核心が示される。第三章は、現在のアイヌが直面する課題であるアイヌ文化振興法ならびにその成立過程に関わる日本知識人の抱える問題点を、北海道旧土人保護法に遡って析出し、アイヌ政策が文化政策として対象化される過程を明らかにしている。終章では、これまでの議論を踏まえて、国際先住民年などを通じて世界的に関心があつまるアイヌに関わる諸課題に対して、近代の国際法の形成が周辺地域に引き起こした近代化を参照系としながら、アイヌ政策の根底にある近代主義的観点の批判とその克服の方途が示される。

以下は各章についての概要である。
 
 序章「歴史が意識に目覚めるとき ― アイヌ思想史が目指すもの」では、アイヌ思想史を研究する意義が、次のように指摘される。「しばしば戦後日本の縮図として描かれ、体制の命運を左右する位置にあるものとして捉えられてきた「沖縄」とは違って、「アイヌ思想」や「アイヌ思想史」なるものは現れることなかった。さらに言えば、これらの「アイヌ体験」における「日本国家への根底からの批判」の動機や「日本を書く」ための素材、または戦後アイヌ史研究とも共通する「アイヌの視点」や国家間政治に翻弄される辺境からの眺めなどという視座に立つことは、ある意味では安易な作業であった。周辺からの相対化という作業は、それほど難しくないはずである。だが、かかる視座の間を飛び移る以前の問題があった。つまり、そうした「視座に立つ」こと自体がいかなるものを自分から要請しているか、または自分自身がそこでいかに組み立てられているのか、ということを模索することである。この問題はまた、「アイヌ」を主題とした思想史の中心的な課題にほかならない。」
 本論文において取り上げられるアイヌとは、佐々木昌雄の言う「状況としての『アイヌ』」あるいは「『アイヌ』なる状況」である。アイヌにかかわる戦後日本思想の中での言説が個人的体験に留まり、アイヌとは、つねに「現在における過去」、チャクラバルティの言う「ならざるもの not yet」として、否定形でしか認識されてこなかった。そして研究対象としては、しばしば、日本研究の補完や起源を探る装置として、あるいは国民国家日本の批判や多様性を保証する道具として利用されてきた。しかし、本論文が問題とするのは、同化と異化あるいは主体と客体といった二分法によって論じられてきたアイヌ認識そのものであり、そうした二項対立的認識をどのようにすれば転回可能であるかを問い直す、方法的な問題提起であった。すなわち、同化か異化か、あるいは主体か客体か、という問いにおいては、アイヌはつねに問われる側にあり、問う側がそのような問いを投げかけられることはない。それゆえ問題は、そういった問いが投げかけられる前に何があるのかを明らかにする作業があるのであり、こういった問いを繰り返してきた歴史主義に対する批判を踏まえたアイヌ問題の視座の必要性が主張される。

 第一章「近代、同化、破局――戦時に己を引き裂く力に出会う―」では、アイヌと呼ばれてきた人たちにとって、近代とは何かがもっとも厳しく問われた時期として、戦時体制期がある。近代の歴史における同化政策は、搾取や収奪以上に、アイヌなる者にとって、さまざまな情動や期待を招致する回路となった。同化とそれに伴う「アイヌとして自覚」は、近年のアイヌ史研究においてしばしば論じられるテーマであるが、その同化と期待が典型的に現れる局面として、アイヌ兵の戦場への動員がある、と位置づけられる。アイヌの中での「内なる日本」がもっとも先鋭に現れたのは、このアイヌ兵の問題である。本章では、「アイヌ」の戦時体験を記した文献を通して、軍に徴用されたアイヌ兵たちの「平等」への期待や意志と近代の合理性を追求した総動員体制とのズレが取り上げられ、そこには、戦後の「同化対民族性の復権」の物語には回収できない論点が現れていることが示される。
 戦後のアイヌ(史)研究においては、アイヌ兵は、差別を受けながら絶対主義国家の兵隊として他国の兵士と戦うという二重の苦しみを負わされた者、として論じられてきた。他方、最近のアイヌ(史)研究では、国家によってアイヌを徴用する戦略と徴兵された彼らとの乖離が指摘され、アイヌなる者にとっての徴兵が、自らが「改良」可能な集団存在として呈示されている欲求の投影として取り上げられている。ここには、アイヌが日本の政策に一方的に組み込まれてきた客体ではなく、彼らの主体性を評価する、研究の転換を見いだすことができる。すなわち、「非同時的な同時代性」として、アイヌなる者は道徳的主体としての自己を組立て、近代を内面化していった、と評価されるのである。しかし、アイヌなるものにとっての「平等」への夢は、北海道の近代史のより広い文脈の中において捉えられるべきであり、佐々木昌雄が「『アイヌ』の内に潜む〈日本〉」と呼んだものに他ならない、と主張される。すなわち、アイヌを客体から主体へと転化させた研究上の転換とは、結局、同化の延長上にあって、主客の二分法から免れていないことを意味するのであり、これまでのアイヌに関する研究で欠落しているのは、客体から主体への転化が課題となるのは、アイヌだけでなく「シャモ」も同じである、という点にこそある、と指摘される。
 
 第二章「この〈日本〉に〈異族〉として在ること―佐々木昌雄論―」では、アイヌ思想家としての佐々木昌雄の生立ちからその思想形成をたどり、彼が執筆活動をつづけた時代との間の緊張関係から、その思考論理を明らかにしている。佐々木が活発な執筆活動をおこなった1960年代後半から70年代前半という時代は、高度経済成長期であり、北海道百年記念祝典が華々しく行われた。他方では、都市問題や公害・環境問題などが大きな社会問題となり、ベトナム反戦運動や住民運動、学園闘争が激化した時代である。アイヌに関しては、北海道ウタリ協会を中心として、生活格差の縮小が主張されたが、他方では、道庁爆破事件などアイヌをめぐる運動において、「アイヌモシリ独立万歳」、「アイヌ解放」などが掲げられた時期であった。
 佐々木は、東北大学大学院に在学中から詩作に取り掛かり、同人誌に文学批評を書き始めた。それら作品には、直接的にアイヌを取り上げた時評もあり、その後の論理の原形が見られる。さらに、本格的にアイヌを論じた時評においては、「アイヌ」と呼ばれるものの歴史における断絶への認識が論じられている。そこには、佐々木が「アイヌ文化」なるものを「形骸」なり、「埋もれた死体」なり、といった表現で言い表し、もはや「アイヌ」なる者の「アイヌ」なる所以は、「状況としての『アイヌ』」として、すなわち、現在における関係性の中でしか存在しない、と主張するのである。
 佐々木が執筆の主たる活動の場としたのは、タブロイド新聞の『アヌタリアイヌ われら人間』であり、彼はその初代編集責任者であった。この頃佐々木が書いた時評は、アイヌ学知を基づく動機と方法論、北海道旧土人保護法の改廃論争、活動家の姿勢、または文学における「アイヌ」の表象という問題までにおよんでいる。佐々木の認識は、アイヌ学知のなかにおいて、つねに、アイヌが近代に基づく「いまだnot yet」と捉えられてきたことに向けられてきたのであり、こうした論考から導かれた佐々木の結論は、「人が「いまだ」なる「アイヌ」に対し「シャモ」として在る者だと自ら意識する限りにおいて、自分は「アイヌ」よりも気楽な存在であり、そこから始まった人の感性は、「保護」でしか具現されない」、ということにあり、アイヌ学知やそれに基づく政策に対する根底的な批判の立場であった。アイヌ学知や政策に対する佐々木の批判は、アイヌの運動や言論に対しても向けられ、そうした立場こそが「形容句のない私」であり、佐々木の「断筆」という行為であった、と評価される。
 
 第三章「「アイヌ文化振興」という名の救済の後で」は、佐々木昌雄の議論を踏まえて、1997年制定のアイヌ文化振興法に至る政治的な展開過程を思想的に捉え直したものである。アイヌ文化振興法がでてきたのは、戦後政治の転換点である村山内閣から橋本内閣の「ポスト戦後政治」の時期であり、諮問機関に参加した知識人たちは、日本の伝統や起源を探る技法として確立されたアイヌ学知を援用し、アイヌを多文化共生の一つのモチーフ、あるいは日本の多様かつ貴重な文化遺産の持ち主として再形象化していった。それゆえ、アイヌ文化振興法が振興する文化は、アイヌのアイデンティティの基盤を成すものと規定され、強いられた自発性をアイヌに付与することになる。
 アイヌ文化振興法によって、何が変化したのか。「アイヌ民族の誇りが尊重される社会の実現」という政策の基本理念が表しているのは、そして、そうした社会を実現できるのは、「シャモ」であり、アイヌなる者は貢献者に過ぎない。すなわち、アイヌ文化振興においては、かつて克服すべき、「恥ずべき」だった「アイヌ」なるものが、今度は「尊重される誇り」として引き受けるように求められるようになった、に過ぎないと評価される。それゆえ、現在という時代に「アイヌ」として在るように勧められている者は、ある種の「旧・旧土人」になったと言えるのではないだろうか、と評される。つまり、それは、現在における「アイヌ」なる状況とは、人は、もともと「旧土人」として見られてきた者という名目に移し換えられてきただけなのである、と結論づけられる。

 終章「純然たる操作として―「先住民族」時代へ―」は、これまでの議論を総括する形を取りながら、2007年に国連総会で採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」をアイヌに適応する動きに対して、国際法という近代世界形成の政治から問題が提起される。国際法が近代世界をいかに創りあげてきたのかは、ポストコロニアル研究においても中心的な論点のひとつであり、本論文では、アイヌを通して、近代という時代がたえず「いまだnot yet」を再版してきた構図が明らかにされる。
 国際的な人権体制の主体は国連加盟国政府であり、先住民族をめぐる運動も、国家暴力に対する国家の自己反省として現れてきた。本章では、国際法に内在している実証主義と承認主義の問題を触れながら、先住民族に対する実現可能な政策は、管理のポリティクスにならざるをえない点が主張される。国家は、「いまだ」という診断に基づき、アイヌを政策対象として措定し、新たな福祉制度機関の導入によって、国民並みではない国民として再び「いまだ」との診断を繰り返すのである。それを内側から越えていく思想は、佐々木昌雄のような思想実践を再開し、読み直すことであり、佐々木の出した課題は、アイヌをめぐる言論が担っていくべき大きな課題を示すことが、改めて主張されるのである。
 
 
二、 成果と問題点
 本論文は、これまでの「アイヌ学知」を根底から批判し、思想史という方法によりながら、アイヌ研究の転換を企図した意欲的な作品である。近年のアイヌを対象として行われてきた研究(アイヌ学知)は、明治以降のアイヌ研究を批判する形で、日本研究の新しい流れの中にあって、世界的な新しい理論潮流の影響を受けながら、国民国家としての日本の批判や辺境からの視座といった観点から捉え返されてきた。しかし本論文が明らかにしたことは、戦後のアイヌ研究を含めて、近代的な知の構図である二分法から免れたものではなく、その前提としてきたポジションの問題を問われることはなかった、ということにある。すなわち、アイヌはつねに客体であり、保護あるいは管理の対象であり、観察される側にあって、周辺化されてきた。世界的な先住民運動の高揚の過程でアイヌ文化振興法などのアイヌ政策が打ち出され、それに対する賛否の議論が展開されてきたが、政策対象としてのアイヌに関する基本認識が転換したのか否かは、アイヌ研究においても問題とされることはなかった。
 本論文の最大の成果は、そういったアイヌ研究が抱えてきた近代のなかのアイヌという論点を明らかにした思想家として、佐々木昌雄を取り上げ、これまでのアイヌに関する研究ならびに眼差しに対する批判を全体として論じたことにある。博士論文執筆後に佐々木昌雄の著作を集めた本(『幻視する<アイヌ>』)が出版されたが、著者は同書に漏れている著作をも網羅して、佐々木の思想に迫っている。しかし本論文が企図したことは、たんに思想家としての佐々木昌雄論を展開することにあったのではなく、戦後日本という時代状況の中から生まれてきた佐々木の論考を検討することによって、これまで周辺にしか位置してこなかったアイヌ思想を、日本思想史の要として論じようとしたことにある。 
 第二は、ポストコロニアル研究やカルチュラル・スタディーズといった近年の新しい思想潮流が提起してきた課題を受け止めながらも、沖縄研究を含めた日本思想史研究の流れを踏まえて、アイヌと名指されてきた人びとの状況を、思想研究として摘出したことが挙げられる。近年の新しい思想潮流は、日本研究にも大きな影響を与えるとともに、日本研究が日本人研究者の特権ではないことを示してきた。しかしながら、そうした影響をうけながらも、たとえば、ポストコロニアル研究は理論として紹介されるにとどまり、日本の中でのポストコロニアル研究としての具体的な研究成果を生み出すことに成功したとは言い難い。本論文は、日本における新しい理論潮流の受け止め方に対する厳しい批判を展開しながらも、その問題提起を受け止めて、日本における国民形成こそがアイヌなる存在を生み出した過程を思想的に明らかにしたことによって、日本におけるポストコロニアル研究のひとつの成果を生み出すことに成功したと考えられる。
 第三には、国連における先住民条約、そしてそれに促されてきた日本政府のアイヌ文化振興保護法ならびに先住民としてのアイヌを認める国会決議など、マイノリティとしての「先住民」に関する諸政策の近年の変化がいかなる課題を抱えるものであるのかを明らかにした点である。すなわち、近年の政策変更の是非あるいは欠点を明らかにするのではなく、何を前提としてこのような政策変更がなされたのかを、前提に遡って明らかにしたことである。北海道旧土人保護法以降のさまざまなアイヌ政策が根底において、管理すべき対象として観察者の観点からのアイヌへの眼差しに根ざしたものであり、文化という名による遅れたものへの閉じ込めとして機能してきた、と捉えられ、近年の政策において主張されるような、自主性を付与するということが保護と同列の発想であることが示され、そうした観点がアイヌ文化振興法によっても繰り返されてきたことを明らかにしている。

 しかしながら、本論文において残された課題もある。その理由の一つは、本論文がしばしば言及する沖縄研究などと較べたときに、アイヌ研究そのものはつねに周辺的な位置におかれてきており、研究蓄積や史資料にかんして、困難な状況にあることが挙げられる。また前提そのものを問う作業は、筆者が言うように「不自由な言葉」で語らざるを得ないがゆえに、他の研究領域や理論との共約可能性に配慮せざるを得ないのである。最後にその他のいくつかの課題を付け加えておきたい。
 第一には、佐々木昌雄の思想形成に関しての掘り下げが、十分ではないのではないか、という疑問である。彼が「伝説」の思想家であり、ある意味で神話化されるともに、現存していることから、評価が困難であることにもよる。しかし、本論文で取り上げられた佐々木の立論が、いかなる「日本」の思想状況のなかから生み出されてきたのか、という点は、アイヌ思想を日本思想との関わりの中で研究するためには不可欠と思われる。アイヌ学知やアイヌ史研究あるいは最近のアイヌ研究に対して、本論文は綿密に検討している。金田一以降のアイヌ研究、知里などの仕事、またアイヌ体験といわれる武田泰淳や花崎皋平等についても言及されているが、そうした研究と佐々木との関わりは十分に明らかにされているとは言い難い。これは佐々木の議論が、神話化されながらも、大きな影響を及ぼし得なかったことの証左であるかもしれないが、そのことを含めた議論の展開が必要ではないかと考えられる。
 第二には、筆者がこれまでも数多くのアイヌの運動に関わり、また日常的に接してきたにもかかわらず、論文においては、エスノグラファーとしての叙述が禁欲的にしか表現されていないことが指摘できる。その理由は、本論文がアイヌ思想史研究という新しい分野を立ち上げようとしていることにもよるが、従来の学問の手続きを踏みながらも、新しい問題枠組みを組み立てる方向が示されても良かったのではないか。著者の言うアイヌ思想史の研究の方法は、著者自身の立場とは別に、もうひとつのアイヌ研究(アイヌ学知)に加えられる可能性は否定できず、これまで繰り返されてきた否定の否定としてしか評されないことにもなりうる。それゆえに、たとえば、著者の豊富な聞き書きなどから新しい言葉を編み出す試みも可能だったのではないか。

 しかしながら、こうした批判は、マーク・ウィンチェスター氏自身も十分に自覚的であり、その一因は沖縄研究に比して研究が進んでいないアイヌを研究対象にすることからくるものであり、最近の世界的な思想潮流ならびに日本思想史研究の水準を踏まえ、佐々木昌雄という思想家の再評価という一貫した観点からアイヌ思想史研究を書き上げた点は高く評価できる。これらの残された課題は本論文の意義を減ずるものではなく、博士論文(社会学)として十分に評価できると審査委員一同は評価した。


三、 結論

 審査員一同は、上記の評価と、1月24日の口述試験の結果に基づき、本論文が当該分野の研究に寄与するところ大なるものと判断し、本論が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2009年2月18日

 審査員一同は、上記の評価と、1月24日の口述試験の結果に基づき、本論文が当該分野の研究に寄与するところ大なるものと判断し、本論が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

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