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博士論文審査要旨

論文題目:ある「ココア共和国」の近代 ――コートディヴォワールにおける統治的結社と統合的革命――
著者:佐藤 章 (SATO, Akira)
論文審査委員:伊豫谷 登士翁、児玉谷 史朗、内藤 正典、石井 美保

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一、 論文の構成
 本論文は、コートディヴォワールにおける近代国家の政治的な展開過程を、政治結社を基盤とする政党支配の推移に焦点を当てて分析したものである。コートディヴォワールは、フランスから独立以降、ウフエ大統領による個人支配とコートディヴォワール民主党(PDCI)の一党支配体制のもとで高い経済成長率を維持し、安定的な政治体制を築いてきたが、1990年代以降、「民主化」と呼ばれる複数政党制を経て、内戦状態に陥った。本論文が注目したのは、政治的な変化過程の根底にある原初的集団を基盤としつつ構成されてきた政治結社であり、コートディヴォワール経済の根幹をなすココア栽培に動員された移民労働者の流入による多元的社会の形成であった。本論文では、ココア生産による多元的社会形成とこれに対応する国家の一体性維持という二つの「長期的持続」が織りなしてきた国家の形成ならびに展開過程が、政治的結社を焦点に詳細に論じられた。本論文は、著者がこれまで地域研究者として書きためてきた諸論文を大幅に加筆訂正するとともに、アフリカ研究が社会科学にとっていかなる意義を有するかを考察した章を加えた意欲作である。

構成は以下のとおりである。




序論
はじめに
第1節 近代、同時代性、アフリカ
第2節 ココア共和国
第3節 結社史という方法論
第4節 本研究の構成

第1章 胚胎した統治的結社――「プランター主導」組織SAAの実像――
はじめに
第1節 SAAの政治的役割と社会経済的背景――先行研究の整理
第2節 SAAの登場――植民地という文脈における意義
第3節 SAAの組織面での特質
結論

第2章 統治的結社の誕生と「脱プランター化」
      ――植民地期後期におけるPDCIの組織化の実態――
はじめに
第1節 植民地期の社会経済変容の中のPDCI
第2節 植民地期の選挙におけるPDCIの支持率の分析
第3節 地域独自の政治的組織化の背景――2地域の事例から
第4節 植民地の農業政策とPDCIの「脱プランター化」
むすび

第3章 個人支配の補完装置としての統治的結社
     ―一党制期のウフエ支配とPDCI――
はじめに
第1節 個人支配体制としてのウフエ支配
第2節 ウフエの統治を支えた条件
第3節 一党制下におけるPDCIの特質
第4節 ウフエと統合的革命
むすびに代えて――翳りゆく一党支配

第4章 「イヴォワール人性」の播種――1990年代の新たな状況――
はじめに
第1節 民主化とウフエ後継争いの激化
第2節 ポスト・ウフエ時代――後継争いから与野党対立へ
第3節 過剰代表による一党優位制の確立――PDCIの「圧勝」の実態
第4節 「恵まれた階層内でのゲーム」――野党の両義性
むすび

第5章 「イヴォワール人性」の継承――軍事政権と新たな局面転換――
はじめに
第1節 「軍服のサンタクロース」のクーデタ
第2節 軍の変質――1990年代に進行した変化の底流
第3節 軍事政権がもたらした局面転換
第4節 多極的な対立構図の到来――民政移管選挙の分析
むすび

第6章 歴史の写し画としての和平プロセス――内戦期政治における連続性――
はじめに
第1節 内戦とマルクーシ合意
第2節 憲法と和平合意のはざま
第3節 抵抗戦術の手段と資源
第4節 再選可能性をかけた抵抗
第5節 3者鼎立状態
結論と展望

第7章 統治的結社とイデオロギー
      ――結社史から俯瞰するコートディヴォワール国家――
はじめに
第1節 コートディヴォワールにおける差別的排除的実践
第2節 コートディヴォワール史における中間集団
第3節 メタ・ナショナリズム
結論

結論
結論にあたって
第1節 アフリカ政治研究としての本研究の意義
第2節 コートディヴォワールにおける「近代」とは何か
第3節 本研究の意義とアフリカ研究の未来――結びとして

参考文献


二、 論文の概要
 本論文は、序論において、問題の枠組みとその理論的な意義が述べられ、第1章から第6章においては、植民地独立から現在の内戦までを具体的な政治過程に即して分析され、つづく第7章において、これらを踏まえたコートディヴォワールの政治体制あるいは統治構造の特質とその理論的な含意が論じられ、結論では、本論文全体の総括と展望が行われている。
 
 序論において、本論文の主要なテーマとして、「1990年代以降顕在化してきた、民族や出身国に基づく差別的排除的実践とそれと不可分に結び付いた政治の不安定化を、単に民族と宗教の多様性や移民の存在といったものから本質主義的に説明するのではなく、特有の社会経済的条件のもとで国家形成を行わねばならなかったポスト植民地国家に内在する、絶えざる再編のダイナミズムの表れとして再構成しようとするもの」と指摘される。植民地から独立を達成したコートディヴォワールの固有の条件とは、国家財政と対外バランスのココアへの依存、ならびにココア生産を担った移民労働力の包摂と排除の、ふたつであり、国家の形成過程およびその統治において、国家の一体性と人口の多元性の間の潜在的な緊張を調停することが要求され、それを実現してきたものとして政治結社(「統治的結社」)がある、とされる。こうした政治過程は、欧米の研究者によって、しばしば遅れた、あるいは失敗した近代といわれてきたが、本論文を貫くのは、同時代としてアフリカを描くことにあり、現在の状況を踏まえた歴史認識あるいはアフリカ像を再検討する姿勢である。
 第1章では、アフリカ人による政治運動が本格的に始まった第二次大戦直後にあたる1940年代後半を対象として、第二次世界大戦後の国際的な政治的再編のもとで、植民地下の社会経済構造を基盤として、ココア生産者によって構成されたアフリカ人農業組合(SAA)を創設母体として、コートディヴォワール民主党(PDCI)が、どのように主導的政党となってきたのかが分析される。SAAは高学歴植民地官僚出身者が中心となり、商人層を巻き込んだ運動であり、従来のコーヒー・ココア生産農民を階級的母体とする運動によってコートディヴォワールが独立を実現したという、これまでのコートディヴォワール研究における通説的な理解(「プランター史観」)が批判される。
 第2章では、独立直前の1950年代におけるPDCIの組織化戦略が、植民地当局とほかの政党との関係も考慮に入れつつ分析される。植民地期の選挙結果の詳細な分析を通して、PDCIの権力支配が、ココア生産の南部プランターだけでなく、商人層を含んだ広範な層を基盤とし、さらに北部後進地域をも巻き込むものであったことが示される。さらに、この時期のPDCIの一党化が本質的にエリート・レベルでの統合と旧宗主国からの政治的支持に依拠したものであり、それゆえに政治的独立が地域対立やナショナルな統合理念を抜きにしたまま達成され、そのことがその後の対立や紛争の萌芽となった、と分析される。
 第3章は、1960年の独立から1993年の死去に至るまでの33年間にわたって存続した、F・ウフエ=ボワニ初代大統領の個人支配体制の権力構造の変化が取り上げられる。年七%という高度成長に支えられた政権は、ココアの輸出による収益をインフラ整備や北部後進地帯の開発に流用することによって安定的な統治を達成した。現実の政治機構を維持したのは、PDCIが果たしていた統治的結社としての位置付けと役割にあり、行政機構の末端にまで張り巡らされたパトロネージのネットワークであった点が詳細に跡づけられる。また、「統合的革命」の課題に関するウフエの見解と対応が分析され、そこに「ナショナリスト」としての性格を見ることができると指摘される。
 第4章は1990年の民主化から1999年12月の軍事クーデタ直前までの時期であり、ウフエ死去というコートディヴォワール政治史上の大きな転換がその後の政治情勢を規定し、ナショナルな統合の課題として「イヴォワール人性」の問題が浮上したことが詳細に分析される。複数政党制への移行、PDCI内部での権力闘争、ウフエの死去と後継のH・K・ベディエ体制の発足、ベディエ体制下の与野党対立と「イヴォワール人性」問題の登場など、国家の正当性があらためて問題化する中で、PDCIと野党の対立構造が分析される。
 第5章は、軍事クーデタから民政移管までの時期に焦点をあて、軍と政党との多極的な対立構図が構築されてきた経過が丹念に跡づけられる。この期は、「民主化」後のコートディヴォワールの政党制が、政党代表による複数の権力者の「少数者のゲーム」とも言うべき性格を顕著に見せた時期である。さらにこの期は、ウフエ期の支配体制を支えた条件の一つであった軍事的秩序が弛緩、崩壊する過程であり、軍事クーデタはコートディヴォワールにおける中期的な変化の産物であると位置づけられる。
 第6章では、独立以来長らく、アフリカにおける政治的安定の代表的な事例と称賛されてきたこの国の政治がなぜ1990年代半ば以降、不安定化の一途をたどったのかという問題意識から、2002年9月に勃発した内戦での和平プロセスにおけるバボ大統領の姿勢が分析される。和平プロセスにおいて統治的結社のイヴォワール人民戦線(FPI)がどのような性格を持つに至り、政党制が全体としていかなる構造を取ったかが解明され、和平プロセスの進展が、軍事政権期の局面転換の産物として出現した多極的な対立構図に強く支配されたことが明らかにされる。
 第7章は、前章までの分析を踏まえ、コートディヴォワール植民地においてアフリカ人の政治活動が開始された1940年代から今日に至る70年近くの時期を包括的に捉え、結社史の観点からコートディヴォワール国家が総括される。「国家-中間集団-個人」という問題枠組みに依拠し、中間集団としての統治的結社によるイデオロギーの構築という現象に着目して、1990年代以降の差別的排除的実践が持つ歴史的位相と特質が指摘される。さらに、本研究の射程は、植民地から独立を遂げた地域におけるポスト植民地国家の近代国家形成の事例であり、それは、同時代としての近代の非欧米地域における国民形成の事例であり、こうした観点からの政治史研究は、欧米の事例を中心とした社会科学に貢献するものであることが論じられる。
 

三、 成果と問題点
 本論文は、フランスの植民地から独立を遂げたコートディヴォワールの国家の形成ならびに展開過程を、民族や出身地域に基づく差別的排除的実践とそれと不可分に結び付いた政治の不安定化ならびに特有の社会経済的条件のもとで国家形成を行わねばならなかったポスト植民地国家に内在する絶えざる再編のダイナミズムの表れ、として再構成したものである。これまでの欧米諸国における研究史を丹念に検討するとともに選挙分析など政治学の手法を用いて、国家運営の担い手の地位に就いた統治的結社に焦点を据え、政治史の再構成を行ったものである。
 本論文の第一の意義は、何よりもまず、コートディヴォワールの通史的な政治史を論じた点にあり、従来の欧米諸国の地域研究から出されてきた地域研究としてのコートディヴォワール研究の通説的な理解に対して、政治結社に焦点を当てることによって、複雑な権力構造ならびにそれを支えた社会経済的条件を明らかにし、1990年代以降のいわゆる民主化や内戦状況などの政情の不安定化の根底に働く要因を植民地期以来の歴史の中から分析したことにある。論文の題が示すように、コートディヴォワールの政治を一貫して特徴づけてきたのは、ココアへの過度の依存であり、その生産に必要とされる労働力を他の地域からの流入によって調達し、その人々の統合と排除によって、国家形成を行う緊張した政治構造にあった。ナショナルな統合体が所与として存在するのではなく、冷戦を含む第二次世界大戦後の固有の条件が20年間にわたる安定的な権力支配を可能にしたのであり、そうした条件が崩壊した1990年代以降、国家形成が抱えてきた課題が噴出し、内戦へと至る経緯が永続的な課題として抽出される。植民地支配の中で胚胎されてきた権力構造と原初的集団との緊張関係が国家形成のさまざまな過程で噴出し、こうした課題こそは、植民地から独立を遂げた国家が抱える共通の課題であることが示される。そしてそれは、国民国家理解における構築主義と本質主義との二項対立的解釈に対して、アフリカ国家の解釈においてはその両者を踏まえたポスト植民地国家の政治構造を分析するツールともなりうることを本論文は示している。
 こうした分析視角は、本論文では「イヴォワール性」として問題化されたナショナリズムが地域的な利害対立を孕んで現れ、ある特定の状況のなかで維持されるものであることが示される。したがって、本論文に示された事例のように、旧宗主国であるフランスの介入に変化があれば、ナショナルなものそれ自体をめぐる対立が露わになるのであり、近代国家形成と一括される国民国家形成が、たえず植民地状況に規定されてきたこと、ならびにそうした観点から捉えるならば、コートディヴォワールの歴史における時代区分も、異なったものにならざるをえない点が指摘される。
 第二には、遅れてきた近代という評価に対して、コートディヴォワールが生きてきた時代の特徴を俯瞰的に総括し、立ち現れつつある新しい時代の特徴を明らかにすることによって、同時代としての近代として描き出したことである。ポストコロニアル研究が提起した課題は、欧米諸国の国民国家形成と植民地形成がいわば車の両輪として位置づけられる点を明らかにしたことであったが、本研究は、そうした視点をコートディヴォワールというポストコロニアルな場所から照射しようとしたことにある。植民地独立を遂げた国々は、たんに植民地遺制といった語で片付けられる社会経済基盤の上にあるだけではなく、同時代としての近代という時代に規定されてきたのであり、政治的結社として現れる政治的統治の機構はそのことを端的に示している。
 第三には、本研究が、たんにコートディヴォワールの近代国民国家形成を丹念に跡づけることによって、アフリカ研究に資するということだけではなく、また地域研究に留まるものではなく、アフリカ以外の地域研究あるいは社会科学に対して、アフリカ研究が貢献しうるものは何かを、テーマとした点に求めることができる。植民地から独立を遂げた国家の多くは、資本主義の拡大、植民地化、近代国家の成立といった近代世界そのものを形作る核心的な構成要素と不可分である。本論文では、C.ギアツの「統合的革命」の概念によりながら、独立後の近代化過程の中で、さまざまな異なる本源的集団を一つの主権国家のもとにまとめておくことが、アジア、アフリカの新興独立国にとって最も重要な課題であり、民族・エスニシティ・宗教・コミュニティといったいわゆる本源的な属性に関連する対立や紛争は、独立直後の課題であるばかりでなく、社会経済的条件やさまざまな状況のもとで常に再活性化される可能性があるという点を明らかにした。
つまり、ポスト植民地諸国にとって、政治的に独立した近代国家としての歩みが未完の統合的革命を生きる過程そのものであり、ポスト植民地国家における近代とは何かという問いに対する回答でもある。

 しかしながら、統治的政治結社に焦点を当てた政治史であることから、今後に残された課題もある。その理由のひとつとして、アフリカ研究が全体として必ずしも十分な研究が蓄積されてきたとは言い難く、また政治的に不安定になって以降、現地での調査を行えないという状況があることも、考慮されるべきであろう。さらに、アフリカ研究あるいは「アフリカ」という空間が提起する課題、さらに地域研究としてのアフリカ研究が社会科学にいかなる貢献を行いうるのかは、筆者自身が述べているように、未完の仕事である。最後にその他のいくつかの課題を付け加えておきたい。
 第一に指摘されるのは、統治的結社を支えてきた社会集団の基盤に対する分析が十分ではなく、政治結社の意味が不明確であることである。論文全体が、統治的結社を分析枠組みとして解き明かすことに力点が置かれたがために、統治的結社を支えてきた原初的集団といわれるものの変化を捉え切れていないのではないか、ということである。
 第二は、西欧中心的な分析に対する批判がなされながらも、欧米の知的な分析ツールに共約可能な分析が中心となっており、共約可能性から排除されてきたものが見えなくなっているのではないか、という疑問が残る。それはまた、そもそも近代国家形成を扱うことによって、コートディヴォワールの領域性を与件としてしまい、領域内の多様性が南北経済格差に還元されてしまっており、ココア栽培が始まる前の植民地化前における両者の間の交流などが、あらかじめ分析から落ちてしまっていないか。言い換えるならば、植民地期を含めた領域性がどのように形成されてきたのか、さらには近代という限定された時期区分に囚われてきたのではないか、という疑問が残る。
 第三には、現代の紛争という時点からの、新たな時期区分を考えるのであれば、そしてそれをアフリカ研究に対する貢献と考えるのであれば、二つの世界大戦時の植民地における戦時動員が及ぼした社会経済的あるいは文化的な影響、第二次大戦後の冷戦がアフリカにおいてどのような形で現れてきたのか、アメリカをはじめとする欧米諸国の開発戦略の転換とその後のネオリベラリズムの浸透など、ポストコロニアルな時代を規定してきた要因が権力支配といかに結びつき、そして「民主化」という紛争と対立を生み出したのかなど、考察すべきではなかったか。
 しかしながら、こうした批判は、佐藤氏自身も十分に自覚的であり、アフリカを研究対象にすることから資料が限られる中で、現在のアフリカ研究の水準を踏まえ、最新の政治史研究の手法である定量的な分析をも駆使し、結社という一貫した観点から通史を書き上げた点は高く評価できる。社会科学や歴史学の中で改めてアフリカ研究が見直されつつあるなかで、これらの残された課題は本論文の意義を減ずるものではなく、博士論文(社会学)として十分に評価できると審査委員一同は評価した。

四、 結論

 審査員一同は、上記の評価と、1月8日の口述試験の結果に基づき、本論文が当該分野の研究に寄与するところ大なるものと判断し、本論が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2009年2月18日

 2009年1月8日、学位論文提出者佐藤章氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「ある「ココア共和国」の近代――コートディヴォワールにおける統治的結社と統合的革命―― 」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、佐藤章氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は佐藤章氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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