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博士論文審査要旨

論文題目:韓国の農村開発とジェンダー(1960年代~1970年代)-国家、女性運動、農村女性の関わりをめぐる考察-
著者:権 慈玉 (KWON, Jaok)
論文審査委員:児玉谷 史朗、浅見 靖仁、糟谷 憲一、町村 敬志

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一 本論文の構成
 本論文は、1960年代と1970年代の韓国を対象とし、政府による農村開発事業、非政府の農民運動組織と女性運動組織の活動、およびこれらに対する農村女性の対応を詳細に跡づけることで、農村開発事業が農村部におけるジェンダー関係に与えた影響を考察した論文である。

目次は以下の通りである。

第1章 論文の課題と研究方法
 第1節 問題意識
 第2節 先行研究の整理と本研究の位置づけ
 第3節 資料および調査方法

第2章 「祖国近代化」としての開発と農村女性-朴正熙政権の開発主義と女性-
 第1節 朴正熙政権の開発主義―「祖国近代化」
 第2節 「祖国近代化」としての農村開発
 第3節 農村開発と女性
 第4節 女性労働力の活用と「女性の周縁化」
 第5節 「国連婦人の10年」と官製女性運動
 小括―「祖国近代化」における農村女性

第3章 農民運動と女性運動の狭間で―カトリック農民会とカトリック農村女性会を中心に―
 第1節 カトリック農民会の成長と知識人の働きかけ
 第2節 民主化運動としての農民運動と女性
 第3節 農村女性運動としてのカトリック農村女性会
 第4節 「農村女性の地位向上」に絡み合う諸要素
 小括―対抗イデオロギーにおける農村女性

第4章 農村女性の主体的関与―セマウル婦女会とカトリック農村女性会の農村女性―
 第1節 1960年代の農村社会における家父長制の「形」
 第2節 「祖国近代化」と女性にとっての農村開発の意味
 第3節 カトリック農村女性会と農村女性
 第4節 農村開発に対する女性の主体的な関与
 小括―農村女性の主体的な関与

第5章 国家、女性運動、農村女性の関わりとジェンダー
 第1節 「開発とジェンダー」をめぐって
 第2節 朴正熙政権における「開発とジェンダー」

参考文献
付録―インタビュー対象者のリスト

二 論文の概要
 本論文は5章で構成される。第1章で論文の課題と研究方法が提示され、第2章で朴正熙政権の開発政策と農村女性の関係が論じられ、第3章で農民運動と女性運動の活動の実態と特徴が示され、第4章で農村女性の対応が分析される。すなわち第2章で国家、第3章で非政府の運動組織、第4章で農村女性が取り上げられ、これらの異なるアクターが提示する近代化像、近代的な農村女性像の比較検討とこれらが相互に影響しつつ形成されていくジェンダー関係の探究が意図されている。第5章は4章までの議論を整理した結論的な章である。
 「第1章論文の課題と研究方法」では、著者の問題意識が明らかにされ、論文の課題と研究方法が説明される。本論文は、開発途上国から先進国へと移行した韓国の開発経験を研究することで開発研究(開発学)に貢献しようとする問題意識から、韓国で近代化を軸とした開発が国家政策の枢軸をなした1960年代、70年代の朴正熙政権時代に焦点をあて、国家、農民運動・女性運動、農村女性の三者の関連において農村開発とジェンダー関係を論じるものである。本論文の課題に関連する先行研究として、開発研究における農村開発論と「開発とジェンダー」論、政治学、開発研究における開発体制・開発主義、韓国現代史研究、女性研究が幅広く回顧、整理される。主に農村開発論と「開発とジェンダー」論から、農村開発をさまざまな主体や諸要因が多面的もしくは複数の「近代化」を生み出す一連の過程と捉え、開発過程においてジェンダー関係が各主体の利害やイデオロギー等によって影響を与え合い、再編成されていく過程に注目するという本論文の視点が導かれる。本論文はまた、開発独裁、「開発主義」の研究から、開発の概念や成長イデオロギーが国民に受容されていく過程を研究することを新たな研究課題として導き出す。このような先行研究の展開を踏まえ、農村開発においてさまざまな主体のかかわりによってジェンダー関係が重層的に形成され、再編成されていく過程を実証的に研究することが、本論文の課題として提示される。
 「第2章 「祖国近代化」としての開発と農村女性―朴正熙政権の開発主義と女性―」では、朴正熙政権の「祖国近代化」政策における農村開発および女性の位置づけと、朴政権が描いた「近代的な農村女性像」の特質が明らかにされる。「祖国近代化」政策は、冷戦体制下における近代化、経済開発政策として、自立経済、国民国家、反共・安保イデオロギーを柱としていた。農村開発事業として展開されたセマウル運動は、生産基盤事業と生活環境改善事業によって開発の成果を可視化し、自立経済を支える基盤として農業生産性の向上を図り、上からのナショナリズム形成の一環として「近代的な農民像」を注入するという役割を果たし、「祖国近代化」政策を支えると共に、農民を「近代化プロジェクト」に動員するものであった。
 朴政権は開発体制構築の一環として、農村改良計画と家族計画事業推進のため農村女性の組織化を進めた。セマウル運動初期においては政府は女性を「台所の近代化」の担い手、すなわち再生産領域の担当者として位置づけていたが、しだいに女性の役割をマウル(村)の生活全体の管理者(地域社会の管理者)へと拡大していった。また工業化・都市化が進展するなかで農村の労働力が不足したため、性別分業が変化し、女性の農業労働への進出が進んだが、生産における女性の役割は補助的なものであった。朴政権は、農村女性の労働力を積極的に活用し、セマウル婦女会を通じて生活改善等を実施したが、同時にそれが女性の公式の場への進出や地位向上につながることを警戒し、「男は外、女は内」というジェンダー役割の図式を維持するべく努めた。著者はこのような状態を「女性の周縁化」と呼んでいる。このように「祖国近代化」における「近代的な農村女性像」は、女性の役割を積極的に評価し、開発体制に農村女性を動員する役割を果たすとともに、既存のジェンダー秩序を維持しようとする二面性を持っていた。
 「第3章 農民運動と女性運動の狭間で―カトリック農民会とカトリック農村女性会を中心に―」では、朴政権の「祖国近代化」政策に対抗して出現したカトリック農民会とカトリック農村女性会という非政府の農民運動組織と農村女性組織が取り上げられ、農民運動と女性運動における農村女性の地位向上をめぐる活動と議論が分析される。
 1966年に発足したカトリック農村青年会を前身とするカトリック農民会は、農民の権利擁護、社会正義の実現を掲げて1970年代に米生産費調査、農協民主化活動を初めとする活動を行った。カトリック農民会は朴政権の上からのナショナリズムを批判する民主化運動の色彩をしだいに強めていったが、カトリック農民会が目指した農村近代化や理想的な農民像は、農民に近代的な知識を身につけさせ、「近代化に遅れている農村」を発展させようとした点では朴政権の目指した近代化政策と共通する部分も多かった。またカトリック農民会の提示した「理想的な農民」は男性農民が想定され、女性は再生産領域から男性農民あるいは男性中心の民主化運動を支える補助的な役割が与えられていた。
 1977年に発足したカトリック農村女性会は、女性の教育、農村女性の実態把握の調査事業等の活動を行った。カトリック農村女性会が目指していた農村女性像は、家父長制に対抗する女性、生産者としての女性農民、学習する農村女性、合理的な考え方にもとづいた再生産者であった。カトリック農村女性会が目指していた農村近代化は、朴政権の近代化の方向性を全面的に否定するものではなかったが、家父長制への対抗を事業目標の一つとして取り上げ、農村女性を「一人の人間」として認めるべきことを常に強調する等、「良妻賢母」とは異なる「近代的な女性像」の創出に力を入れていた。
 カトリック農民会とカトリック農村女性会においては農民運動と女性運動の関係をめぐって対立が見られた。当時の農民運動は女性の権利獲得よりも民主化運動が先行すべきであるという認識が強く、農村女性の地位改善を前面に掲げたカトリック農村女性会のような女性独自の組織や運動に対しては批判や反対が多かったという。このように農村女性運動は、朴政権の上からのナショナリズム、反共・安保イデオロギーによる抑圧に加えて、農民運動、女性運動自体の優先事項や限界によっても制約されていた。
 「第4章 農村女性の主体的関与―セマウル婦女会とカトリック農村女性会の農村女性―」では、国家や女性運動組織の働きかけを農村女性がどのように捉え、受け取っていたのかが究明される。農村女性は朴政権の豊かさの言説に反応し、政府の家族計画や農村開発事業を自分たちの経済力をつける機会と捉えた。当初セマウル運動の女性リーダーやセマウル婦女会の活動は伝統的な男女間の秩序を乱すものとして夫やマウルの年長者から批判されたが、女性たちはこれらを「国家の仕事」として正当化し、マウル内での認知を得た。同時に農村女性たちは夫や年長者に対して「よき母、よき妻、よき嫁」という旧来の女性の役割を忠実に果たすことを強調することで、女性組織をマウル内で認知させた。女性の地位向上や家父長制への対抗を掲げていたカトリック農村女性会の活動において農村女性はまず家電製品の購入活動を行う等、カトリック農村女性会の意図とは異なる反応を示したり、カトリック農村女性会やカトリック農民会の活動家が都市出身の教育程度の高い女性であったために、農村女性との間にギャップがあったことが示される。
 第4章における考察から著者は、農村女性が、農村開発を「よりよい生活」に代表される「近代化」をもたらすものと捉え、国家や農民運動組織、女性運動組織が提示する政策や事業を「よりよい生活」を実現するための手段として利用したと主張する。
 「第5章 国家、女性運動、農村女性の関わりとジェンダー」は、4章までの議論を整理し結論的に提示している。朴政権は、「祖国近代化」という開発体制のなかで、セマウル運動や家族計画事業を通じて農村社会のジェンダー秩序の再編成に深く関わっていた。国家の働きかけに対し、農村女性は、自分たちが理想として描いていた「近代化」を実現するために、国家の提供する事業を積極的に自分の生活の場に取り入れようと試みた。農村女性は、国家が提示するジェンダー秩序に順応することで、「女性の周縁化」を再生産することになった。しかし同時に、開発過程における農村女性の主体的な関与によって、本来国家が意図しなかった結果を生み出し、国家が規定するジェンダー秩序を乗り越える可能性が生まれたとも著者は指摘する。国家の進める「祖国近代化」に対抗して民主化運動を展開した社会運動であったが、社会運動内においても「男は外、女は内」という従来のジェンダー関係が再生産された。カトリック農村女性会が唱えた「農村女性の地位向上」の議論は、「反共・安保イデオロギー」を軸としていた朴政権から弾圧を受けただけでなく、当時の農民運動・女性運動が「下からのナショナリズム」に基づいていたため、民主化より後回しにされ、欧米から輸入された外来の思想であると攻撃された。このような限界はあったが、女性運動は女性の地位向上や社会変革のための「政治的空間」創出の必要性を農村女性に訴え、あらたなジェンダー関係の可能性を開いたと評価される。

三 本論文の成果と問題点
 本論文の意義は、農村開発論、「開発とジェンダー」論、開発体制の研究、韓国の女性研究といった幅広い分野にわたって、韓国、日本、欧米の先行研究を踏まえ、朴政権時代の韓国における農村開発と農村女性の関係を、冷戦体制下における開発主義の特質を踏まえ、多面的、総合的に、そして詳細に明らかにしたところにある。開発論との関連で韓国の経験に関する研究を振り返ると、朴政権時代を含む韓国については、政治学等による開発独裁・権威主義体制の研究、開発経済学による経済開発政策や経済運営についての研究、女性学による女性史研究等がある。農村開発の研究においては、セマウル運動は成功した農村開発事業として有名であるが、女性やジェンダーとの関わりで論じた研究は少ない。このようにそれぞれの分野で先行研究の蓄積があるが、これらを総合的に考察したものは少なく、農村の女性やジェンダーに関する研究も限られている。
 本論文の第一の成果は、従来取り上げられることの少なかった1960年代、70年代の韓国における農村女性に焦点をあて、国家の農村開発事業との関連、非政府の農民運動、女性運動との関連の中で、近代化過程における農村女性の主体的な関与を明らかにしたことである。従来のこの時代の農村開発の研究では女性が対象とされることが少なく、女性研究においても都市部の女性に関する研究が中心であった。これに対して本論文は、国家と農民運動、女性運動組織の双方について、それぞれが提示した「近代的な農村女性像」、農村開発事業あるいは運動組織による活動が農村女性に与えた影響を丹念に跡付け、さらにインタビューや手記を活用しながら、これらに対する農村女性の対応、反応を詳細に描いている。この作業により、農村女性が独自の「近代化」観を持っていたことや、国家の開発事業に受動的に巻き込まれるだけでなく、国家の事業であることを理由に地域社会における女性の活動を認知させるといった積極的利用をはかっていたことなど、近代化過程への農村女性の主体的関与を浮かび上がらせている。また国家の提示した「近代的な農村女性像」のもつ二面性や農村女性が活動範囲を拡大するために国家の権威を利用したり、既存のジェンダー役割を強調するといった点を明らかにすることで、本論文は国家の政策・事業と農村女性、農村のジェンダー関係の複雑な関連を明らかにしている。
 第二に、従来ほとんど注目されてこなかった1960年代、70年代韓国における非政府の農民運動組織と女性運動組織による農村開発および農村女性に対する活動の実態を詳細に明らかにしたことである。本論文はこれら運動組織の機関紙から、当時関係者が記録した手書きの会議録やメモに至るまで幅広く資料を利用し、さらに当時の組織の指導者や農民教育を担当した活動家へのインタビューに基づいて、非政府の運動と農村女性との関わりを描き出している。これらの資料は近年ようやく収集、公開されるようになったものが多く、それを利用して研究した先駆的な意義は大きい。
 第三に、国家の開発事業および農村開発事業に関しては、セマウル運動は成功した農村開発事業として有名であるが、権威主義体制の下で実施されたため、国家によるトップダウンの開発事業で、農村女性は強制的に動員されるか、抑圧されていたというイメージが強い。これに対して、著者はこのような従来のイメージとは異なるセマウル運動の隠れた側面に光を当て、場合によっては農民や農村女性が積極的にこれを受け入れ、あるいは利用していた側面を明らかにし、権威主義体制下の農村開発事業と農民、農村女性の関係をより多面的で陰影に富んだものとして描いている。
 以上の成果に関わらず、本論文にはいくつかの不十分な点、課題が残っている。
 第一に、いくつかの用語や概念が厳密さに欠けるため著者の主張の説得性が弱くなっている点が見られる。著者はセマウル運動において農村女性の「周縁化」が進んだと主張するが、「周縁化」の定義、規定が明確でなく、著者の主張するようにセマウル運動によって女性の周縁化が進んだと言えるか疑問が残る。また農村女性がセマウル運動等の国家の事業や農民運動組織の活動に主体的に対応したという主張についても、具体的な事例は挙げられているものの、主体的であることの基準、根拠が必ずしも統一的に説明されていない。また男性と女性を比較した場合や主体的であるように国家や運動組織が誘導した可能性の検討も十分とは言えない。
 第二に、国家の農村開発事業と非政府の農民運動組織、女性運動組織については、著者自身が収集、あるいは実施した多くの資料、インタビュー等に基づいて詳細に明らかにされているのに比べると、農村女性の反応については、著者自身の調査に基づく証拠の提示がやや手薄で、先行研究等に依拠して根拠としているところが見られる。
 第三に、二点目とも関連するが、農村の地域差、階級・階層に基づく対応の違いに関する分析や考察が十分でないため、ジェンダーの観点だけからのやや平面的な分析にとどまっているのが惜しまれる。本論文では都市と農村の差異は強調されるが、農村内での地域差に関してはまとまった説明が欠けている。農業の性別分業を含む農業生産の状況、セマウル運動の浸透、農民運動組織と女性運動組織の活動等においてかなりの地域差があったことが想定されるだけに、この点からの分析がほしかった。同様に本論文においては「農村女性」として一括りにされて説明されているが、階層等に基づく対応の違いにも考慮がほしかったところである。
 だが、これらの問題点は、本論文の基本的な成果と意義を損なうものではなく、著者自身、これらの問題点を自覚している。
 以上のように審査員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したことを認め、権慈玉氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2009年2月18日

 2009年1月21日、学位論文提出者権慈玉(クォンジャオク)氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「韓国の農村開発とジェンダー(1960年代~1970年代)―国家、女性運動、農村女性の関わりをめぐる考察―」に関する疑問点について審査員から逐一説明を求めたのに対して、権慈玉氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査員一同は権慈玉氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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