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博士論文審査要旨

論文題目:民間の不登校支援グループに関する社会学的分析 ― フリースクール運動を事例に ―
著者:佐川 佳之 (SAGAWA, Yoshiyuki)
論文審査委員:久冨 善之、関 啓子、木村 元、安川 一

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1、論文の構成

 本論文は、不登校支援実践について、それが「受容と共感」という関わり方を強調するために、支援者をその関わりに固定された存在のように捉えて来た先行研究批判に立って、支援者自身の抱える問題の複雑さや困難さを捉える際の枠組みを検討するとともに、「居場所」の一つとしてのあるフリースクールでのボランティア活動とそのエスノグラフィックな記述を通して、支援実践が展開する中に、どのような固定的でない複雑さ・多面性・多様な対処・知恵が働いているのかを具体的に浮かび上がらせている。論文の構成は以下の通りである。

序章:本稿の課題―「居場所」の不登校支援の社会学に向けて
 1、本稿の課題―不登校問題と「居場所」の支援者
 2、「居場所」の支援とは何か―その基本的特性の紹介
 3、方法論と分析対象―「居場所」における感情文化のエスノグラフィー
 4、本稿の調査概要と調査対象の紹介
 5、各章の概要
第1章:不登校児の「居場所」研究の再考察―「居場所」の支援経験の社会学的分析に向けて
 1、問題の所在
 2、「受容と共感」という支援者像―先行研究の検討と本稿の位置
 3、支援経験とは何か―感情労働と社会運動の接点
 4、社会問題状況の中の集合行為フレームと感情ワーク
 5、結語
第2章:「居場所」の支援言説と感情性の形成過程―フリースクール運動における集合行為フレームの分析
 1、本章の課題
 2、不登校の言説分析の検討
 3、管理される不登校と子ども―治療と矯正の不登校支援と管理教育
 4、不登校問題における精神医学領域と子どもの人権擁護論の展開
 5、フリースクール運動におけるフレーム化とアイデンティティの再構築
 6、フリースクール運動の拡大と教育政策に与えた影響
7、不登校問題における進路問題言説と発達障害カテゴリーの流通―「居場所」支援における個への傾斜とネットワーク化
 8、考察
第3章:不登校支援における「秘密」―「受容と共感」の感情ワークに関する考察
 1、本章の問題意識
 2、分析の焦点
 3、「居場所」の支援における「受容と共感」の感情ワーク
4、不登校経験について「語らないこと」と「語ること」―「秘密」が媒介する「居場所」の現実
 5、考察
第4章:不登校支援の困難をめぐるコミュニケーション―「居場所」の感情規則の多様化過程
 1、問題の所在
 2、支援者と不登校児の親密な関係性の特質―「分裂生成」としての不登校支援
 3、不登校児と関わるということ―コミュニケーションの展開に伴う感情規則の多様化
 4、考察
終章:本稿の成果と課題
 1、本稿の成果
 2、今後の課題


2、論文の概要

 「序章」では、本論文の背景としての「居場所」における不登校支援の基本的特性を整理しつつ、著者の立場と方法・対象が紹介されている。
 著者によれば、日本において不登校が社会問題化して久しいが、依然として深刻な状況の中にあるという。その中で、不登校児の「居場所」とは、不登校問題を背景に、単なる物理的な空間の意味を越えて、不登校問題の様々な言説と関わり合いながら、一つの社会運動組織として不登校支援の領域で大きな力を持っている。そうした背景の中にあって、「居場所」には特有の意味づけがなされている。つまり、
 ①学校的価値や管理教育が深く社会に浸透した状況においては、不登校児は逸脱者や問題児として認識され、肯定感を持ちにくい立場にあることを理解する場であること。
 ②そこで「居場所」には、「自分のありのままを受け入れてくれるところ、安心して過ごせるところ」という意味が付与されていること。
 ③「居場所」のフリースクール運動は、不登校の原因を子ども個人ではなく、学校教育や社会に求めると同時に、たとえば「学校に行かない生き方」を積極的に主張し、彼らに学校的価値に囚われることなく、安心して過ごせる居心地のよい場所を提供すること。
 こうしたコンテクストにおいて、「居場所」は不登校児の「個性の尊重」や「受容と共感」という関わり方によって、彼らを支援する場として広く認識されるに至ったと言える。しかし著者によれば、「居場所」の支援は「受容と共感」という理念的、あるいは道徳的な実践として理解されることによってかえって、支援者が当事者と日常的にどのように関わっているのかという問題や、またその関わりから生まれる支援者側の困難などの経験の具体的な実態については、これまで充分に報告されてこなかったとされる。
 本論の中心課題は、支援者の不登校児との関わり方やその困難に、不登校支援の多様な言説と支援組織に特有の社会的・文化的状況とが深く関与している点に注目し、支援者の現実の対処における複雑な特徴を解読することである。つまり本論は、「居場所」の支援者の経験に関して、「受容と共感」という単一的な役割に従属させる視点を批判しつつ、不登校支援をめぐる変動的な社会的・文化的状況の中で、自らの理念や役割を問い、修正し、再構成するといった試行錯誤の過程として捉え直すことを試みているのである。
 そうした課題を考える上で、著者は、一方では「不登校言説」が不登校支援を枠づけている点に注目して、「不登校言説の社会的展開」そのものを対象化して追究して行こうとする。また、他方では「居場所」での不登校支援の現実に自らボランティアとして参加し、その支援実践を体験しつつエスノグラフィックに記述するという方法をとって、支援実践の複雑さを描き出そうとしている。序章の末尾では、著者が参加したその居場所・「フリースクールA」(仮名)の概要が紹介され、その中での調査者の位置が説明されている。
 
 「第1章」では「居場所」の支援に関する先行研究の捉え方の問題点を明らかにした上で、著者自身がことがらを捉えるに当たっての理論的方法枠組みが議論されている。
 著者によれば、「居場所」での支援の先行研究は大きく二つのアプローチに区分される。一つは、主にナラティブ・セラピーの観点から不登校児の自己物語の再構築に焦点を当てるアプローチである。そこでは、支援者が共感的理解の態度をとる「重要な他者」として記述される。これは、「居場所」での支援のあり方を積極的に評価する研究である。それとは異なりもう一つは、不登校児の「受容と共感」という姿勢、あるいは不登校に対する肯定的な認識に内在する権力性や問題点を浮き彫りにする研究である。それは、「居場所」のドミナントストーリーが、事実上不登校児の語りを支配するという批判的研究である。
 しかし著者によれば、これらの研究の方向性は対立的であるものの、両者とも「受容と共感」というイメージを前提として不登校児の支援者を記述している点では共通である。これらの研究は子どもにとっての「居場所」の支援に注目したものでありながら、支援者の不登校児との関わりに伴う困難などの経験については、実は検討されてこなかった。そこから著者は、先行研究では、支援者の「受容と共感」という単一的な役割が前提とされているため、支援者はその役割に従属する者というイメージで固定的に記述されているという問題点を明示的に浮かび上がらせているのである。
 そのような「居場所」先行研究の問題点を踏まえ、著者は支援者の現実に注目するという立場と課題を明確にした上で、それを捉える枠組みとして2つの理論をこの章で検討している。
 ①まず、「居場所」に起こっていることがらの経験の複雑な特徴を社会学的に明らかにする上で、ホックシールド「感情労働論」における感情規則と感情ワークの概念から、「居場所」の支援実践を捉えている。「感情規則」とは、感情と状況の一致と不一致を評定するところの、相互行為場面における個々人の感情経験のガイドラインであり、「感情ワーク」とはそうしたガイドラインに合わせて感情を形成したり、抑圧したりする試みを意味する。著者は、この議論に依拠する支援の感情労働論の諸研究から、支援に関するそれぞれの研究領域での組織と支援者の感情経験の捉え方を検討している。この検討から、「居場所」の支援が感情ワークとして捉えられるものの、「居場所」の組織の感情規則は、感情労働論が対象とする組織に見られるような高度な技術や知識に支えられているのではなく、ある種の社会運動組織のように理念的価値や道徳性に依拠している点を見出した。
 ②もう一つは、不登校支援の「居場所」という存在がそのように一つの社会運動であり、またそこで感情経験の独特の展開もある点から、それに見合うスノーらの「社会運動論」に着目する。その集合行為フレームの理論は、「フレーム提携」という概念のもとに、ある利害や信念・価値や行動、そしてそこに伴う感情が、社会内でどれだけの影響力を持ちながら、あるいは何とつながりながら、結合し展開するのかという運動のフレーム展開に、一つの見取り図を与える理論であった。
 著者によればしかし、感情労働論と社会運動論の感情分析は、両者とも組織の感情規則をやや固定的なものとして捉え、また支援経験を組織の規範に規定されるように描いているなど、そこでは多様に編成される経験に関する関心が弱かったのではないか、という問題点が指摘される。そこで著者は、「受容と共感」や安心感の喚起といった感情的なコミュニケーションが重視される「居場所」の支援を、感情レベルに及ぶ支援者の経験が、社会的・文化的文脈との交渉関係の中での「適応」という姿をとるものとより柔軟に捉えつつ、そこにゴルドンの「感情文化」という概念も援用している。感情文化とは、感情を文化的シンボルとして捉えようとして示された着想であり、人々が感情に関わる知識や感情に対する態度を伝達、  維持、発達させるのに用いる、シンボル表現される意味パターンを指し、様々な感情の現われや性質に説明を与えるとされる。この概念からすれば、不登校支援のあり方は、支援者個人の本質的特性に起因するものではなく、また組織の「感情規則」に規定されるだけのものではなくて、文脈との対話の中で、状況に自己の感情を合わせる「適応」実践においてこそ成立すると考えられる。
 著者は、一連の方法論上の問題に対して、感情労働論の「感情規則・感情ワーク」と、社会運動のフレーム理論を再考しつつ、支援のあり方が特定の規範に従属しているのではなく、支援をめぐる様々な観念=言説と、メンバーの生活世界における経験という二つの社会的・文化的コンテクストと連動的に編成されるものとして認識している。その上で、支援経験を変動する社会への「適応」実践=感情ワークとして広義に捉え、支援者の経験が状況に応じた形で多様に編成されていく可能性を提示した。
 これらの先行研究批判と理論的引き取りを通じて、以下の「不登校言説」展開分析と、支援実践の現実分析とがなされることになる。
 
 「第2章」では、第1章であげた「居場所」の支援をめぐる観念=言説のコンテクストについての関心から、①「居場所」の支援の感情規則の道徳性や理念が所与としてあるのではなく、社会空間において優位性をもって流通する観念=言説との接合による社会的産物であることを、具体的な言説の過程の検討を通じて解明し、また②近年の「居場所」の感情規則の正当性を裏づける観念的・言説的基盤の今日的特徴を浮き彫りにすることが試みられている。
 1970年代から1980年代においては、行政や精神医学者をはじめとして、不登校の原因を家族や子どもの性格に還元する言説が支配的であった。こうした認識に対して、フリースクール・東京シューレが運動の先頭になって、管理教育批判や不登校の医療化批判を精力的に展開し、それに伴って同時に、子ども中心に考え「受容と共感」の姿勢で不登校児に関わることの価値を主張した。本論文では、そうした支配的言説をめぐる対立・抗争関係が詳しく追跡されて、1990年を前後する時期にどのような「不登校の支配的言説における交替」が、いかにして起こり得たのかが、社会運動の「フレーム理論」によって記述されている。
 民間側が立ち上げた言説が、次第に有力になり、そして「交替」にまで至る過程では、その「受容と共感」の関わり方、すなわち感情規則が、当時の管理教育批判や子ども人権擁護、欧米のフリースクール思想など、1980年代の教育領域において相対的な優位性を持ちつつあった観念=言説との関連によって、その時期の道徳性と正当性を獲得して行った点が、詳しく追跡されている。そこに社会運動論のフレーム分析が巧みに生かされている。こうして支配化した言説は、今日もなお、「居場所」社会運動をバックとする不登校支援実践にとって、一定の社会的・文化的そして道徳的な文脈となっていることを否定できない。
 しかし著者はさらに、近年における「居場所」をめぐる言説状況についても考察している。不登校の脱医療化(「不登校は病気ではない」)の認識に基づいた、「受容と共感」の関わりを特徴としていた「居場所」の支援が、特に2000年代においてAD/HDやLDなどの「発達障害の言説」と結びつきつつある。つまり、近年ではその支援が管理/反管理、あるいは医療化/脱医療化といった対立的な規範においてなされるのではなく、むしろ対立的でさえある多様な観念=言説が「居場所」の支援と関連しており、支援をめぐる規範性が相対的に弱まりつつある点を確認した。また「ひきこもり」問題の浮上とも関わりつつ、不登校者の「進路」問題も改めて浮上してきて、それが官制レベルの言説だけでなく、「居場所」での支援をめぐっても及んで来ていることが示されている。このような今日的状況は、不登校言説におけるある種の「多様化」であると、著者は特徴づけている。
 
 「第3章」は、第1章であげた二つのコンテクストのうち、支援者の生活世界のコンテクストの基本的特性に注目するものである。とりわけこの章は、第2章で検討した管理教育批判や子どもの人権擁護論など様々な観念=言説と結びついているところの、道徳性を帯びたフリースクール運動特有の「受容と共感」の感情規則に規制されながら、「居場所」のローカルな文化との関連において、支援者が、その感情ワークをどのように構成して行くのかという問題について、フリースクールAにおけるフィールドワークで得られた資料を基に検討している。
 「居場所」の支援の先行研究では、自己物語の再構築を促す自助グループとしての機能が強調されていたが、著者は、「居場所」の支援を精緻な形で捉えてみると、そこで行われているのは、語りを通じた相談やカウンセリングだけではなく、おしゃべりや遊びなどの日常的な行為とそれに関わる実践の方がずっと多く、それらを含めた分析が不可欠であるとする。これを踏まえ、本章では、不登校児の安心感を生み出すために、日常場面において学校的なるもの(整然とした環境や規則的な時間の構成を特徴とする)を忌避し排除する傾向が強く、またこのフリースクールAでは、不登校に関する話題が日常的コミュニケーションから排除されている。さらに、不登校児の自由・きままな活動と不快にならないような雰囲気づくりについて、そこに様々の経験と工夫があり、それが感情ワークを規制している実情が浮かび上がっている。
 しかし著者はその一方で、私的な相談場面などでは(日常場面で語られることが避けられていた)不登校経験の語りが行われ、また促されるという場合があることにも注目し、そこには両義的な方向性をもった感情ワークがなされていることも指摘している。
 ここで著者は「秘密」のコンテクストの存在と、その働きに注目する。この考察で浮かび上がっているのは、「学校・不登校経験の話題を排除する日常における支援」と「相談などの秘密性を持った関係における語り」という二つの性格を持った支援が、このフリースクール内にある「秘密のコンテクスト」を間にして、そのコンテクストの内側と外側とでなされている点であった。ここでいう「秘密」とは、ある特定の情報内容そのものだけのことではなく、情報内容とは独立した特有の関係的特性(ジンメルの言う「装身具的特性」)、つまりメタ情報としての秘密でもある。こうした「秘密」のコンテクストが持つメタな働きとして、著者は、フリースクールAの「日常的なコミュニケーション」と「相談場面におけるコミュニケーション」との双方が、それによって枠づけられていると意味づける。つまり日常のコミュニケーションにおける学校・不登校経験の話題の排除とは、そこに「秘密」のコンテクストが存在することを前提になされる。その一方で、不登校経験も含めた悩みの語りが、支援者と不登校児の二者間における守秘の了解のもとに促される。さらにそのように形成される守秘的相談場面は、日常的なコミュニケーションの積み重ねから生じる信頼関係を前提としてもいる。したがって、この二つの関係性とコミュニケーション型とは相互補完的である。このように、フリースクールAでは、「受容と共感」という支援のあり方、あるいはそのコミュニケーションが、「秘密」という「居場所」のローカルな文化的コンテクストに規制され、多層的に構成されている点が、この箇所では明らかにされているのである。
 
 「第4章」では、フリースクールAを事例に、主に支援者と不登校児とのコミュニケーションの展開に伴う、支援者が抱え込む困難とそれへの対処・克服過程が事例に即して検討される。
 まず、ベイトソンの「分裂生成」の議論を参考にしつつ、フリースクールAの「秘密」の文化的コンテクストに規定される「受容と共感」の感情規則が、支援者と不登校児の親密な関係性を条件づけ、さらにそれを強化するという側面が指摘されている。こうした特性を持つ感情規則は、道徳性を備えているが故に、支援者は対処が困難な振る舞いをする生徒に対しても、しばしばそれを何とか受け止めようとする姿勢での対処を繰り返し、関係性の過剰という困難を経験してしまう。たとえば、支援者が経験不足のボランティアであった場合、そのような関係性過剰の中で自らがバーンアウトを経験するという事例も紹介されている。
 この「問題」に対して、熟練した支援者は、不登校の言説空間で近年流通する発達障害カテゴリーを、対処の難しいその生徒の行動に当てはめることで、生徒を差異化しているという。そのカテゴリーに基づいて、「受容と共感」の感情規則が複数の感情規則に修復・更新され、また同時にそれらに応じた感情ワークも規定されてくることで、この転換は、ある距離を取った対処を可能にしている。
 しかしもう一方では、こうした障害カテゴリーに基づくコミュニケーション一辺倒になってしまう支援のあり方では、支援者と不登校生徒との距離を過剰にするという逆の方向への行き過ぎを起こしてしまう。そうなると、当該の生徒との関わり方の方法が限定され、硬直化するなどの新たな問題があらわれてくる。こうした場合には、熟練した支援者は「ノーマライゼーション」というもう一つのカテゴリーを提起するようになる。これによって、障害カテゴリーに基づいたその子どもとの関わりが抑制され、その時々のコミュニケーション状況に基づいた柔軟な関わり方へと転換していく。この「ノーマライゼーション」とはこの場合、障害者をめぐる社会運動に見られるようなイデオロギーの表明というより、不登校児との関わり方の方向性という極めて限定された意味で用いられており、そのフリースクールAというローカルな場で再文脈化された概念であると著者は読み取っている。
 この章の一連の考察から明らかになっていることは、「居場所」の支援者が、不登校支援をめぐる言説空間において流通するカテゴリーを接合、あるいは再文脈化し、「受容と共感」の感情規則を複数の感情規則へと再編成し、また状況判断に応じて更なる再構成をして行く点である。つまり、特定の感情規則によって支援のあり方がすっかり規定されているのではなく、コミュニケーションの展開に準拠する形で感情規則の再編成がなされ、状況に適切と思われる、より柔軟なやり方が支援の維持に結びついている点である。そのような重層化し再編・再構成によって柔軟性を増した感情規則と感情ワークとは、ある意味では、困難な支援実践の日々の積み重ねを通して、その適切化を追求する支援者に蓄積された「実践的知恵」というような姿を見せるものである。その中には、様々の専門的や運動的な言説が反映しているが、それらはローカルな文脈の中での経験的知恵の中に再文脈化されているのである。

 「終章」は、以上の各章を通しての成果をまとめつつ、今後の課題に触れている。著者が、各章での到達をそれぞれまとめて上で、それらを通した追究から明らかになったとする中心的な点は次のことである。
 つまり、「居場所」では、その先行研究がイメージするように支援者が「受容と共感」という単一的な感情規則に従属して実践しているのではなく、不登校児とのコミュニケーションの展開に応じて、試行錯誤をしながら、不登校支援の意味づけと感情規則を再編成して行くという側面がある。むしろ単一的な感情規則への没入が、支援者にとって大きなリスクとなることが確認できたとされる。これらの再編成の可能性は不登校支援をめぐって流通する諸言説=信念システムのコンテクストと支援者の生活世界のコンテクストによって制限されている一方で、そうしたコンテクストとその変化が、支援の感情規則の再編成の契機ともなり、支援者の感情経験を多様に変容させて行くのである。著者は、規範に規制された支援者の感情経験は、現実には多層的な社会的・文化的コンテクストとの関わりの中で、多様に編成されて行くものであるというその可能性を、この終章で改めて強調している。
 残された課題としては、①支援者側の感情経験だけを問題にして来たが、「居場所」には不登校児たちの感情経験が存在する。その把握が課題となる。②「支援」の実践は、不登校に限らず現代社会に広がっている。そのような多様な場(たとえば「自助グループ」)の性格や感情規則はどのようなものか、それとの比較において不登校支援の特性と意味は何か、そのような視野も必要とされている。


3、成果と問題点

 本論文の主たる成果は、以下の諸点として整理することができよう。
(1)不登校支援の先行研究が、もっぱら不登校児の捉え直しを焦点化するために、支援者の方は「受容と共感」をもって不登校児を受け止める、という理念・イメージに固定化して来たこと、不登校支援論の肯定派と批判派との別なくそうであったことを、的確に浮かび上がらせた点。それによって、本論文が追究する「支援者の側が抱える困難や問題の現実」というテーマの新鮮さと重要さを押し出せたこと。
(2)不登校支援の活動が、社会的な言説というコンテクストに規制されることに着目し、日本の1970・80年代~1990年代の「支配的な不登校言説」動向を、社会運動論のフレーム展開を分析視点としながら詳細に描き出し、1990年前後において「受容と共感」言説がどのように支配的言説へとそのフレームを充実・拡大したのかのいくつかのポイントを明らかにしたこと。またその後2000年代になって「不登校言説の多様化」と言えるような状況が、どのように生じてきたかも明らかにして、一つの新しい「不登校言説史」を記述したこと。
(3)「居場所」における不登校支援の現場では、感情労働論の言う「感情規則」の働きが確認されるが、それは「受容と共感」で単層的に把握されるようなものではなく、そこに「秘密」コンテクスト形成を通じたコミュニケーションの多層化や、支援者と不登校児との具体的コミュニケーションを通しての感情規則・感情ワークの柔軟化と再編とがあり、そこにまた専門的・運動的な諸言説の再文脈化もあることを、一つのフリースクールのエスノグラフィックな記述を通して浮かび上がらせたこと。
 しかし、このような重要な成果をあげたものの、なお残された課題として次の諸点をあげることができる。
 まず第一に、全編を貫いて「文化」と「感情文化」という概念が使用されているが、その定義にやや不明確な面も残っており、そのために、後半のエスノグラフィックな記述をより説得力の高いものにする点で、若干の課題を残したと言わなければならない。
 また第二に、社会運動論に内在する「感情」の問題が、著者においてももっぱら「受容と共感」によって説明されている。運動が組織し結集する「感情」の諸様相は「単相」でなく複雑なものであるだろうから、それを「受容と共感」が規制する文脈としてだけ描いて十分なのか(この面では、批判された先行研究と同じ「固定化」に流れていないか)という課題が残るように思える。この点もまた、「居場所」のエスノグラフィーをより豊かなものにする点につながる課題であろう。
 第三には、「終章」で著者があまり触れていない点として、この「フリースクールA」という場の、不登校支援一般から見た場合の「典型性」問題である。その点は、論文中の「居場所」全国調査データによって補われているとも言えるが、なおこの一つの「居場所」の特有性は否定できず、その点での比較研究もまた残された課題と言えるだろう。

 しかし、これらの課題は著者も自覚するところであり、今後これらの問題についても持続的に追究を続けて一層の解明と改善の努力が払われることを期待したい。
 以上、審査委員会は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2009年2月18日

2009年2月2日、学位論文提出者佐川佳之氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「民間の不登校支援グループに関する社会学的分析 ― フリースクール運動を事例に ―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、佐川氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は佐川佳之氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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