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博士論文審査要旨

論文題目:「日系ブラジル人」の子どもを取り巻く「実践の星座」の生成
著者:郡司 英美 (GUNJI, Terumi)
論文審査委員:久冨 善之、関 啓子、木村 元、宮地 尚子

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1、論文の構成

 本論文は、日系ブラジル人の子どもたちの日本語教育やその他の面での支援にボランティアとして長く参加して来た著者が、その活動の中で生じていることがらを、一つのエスノグラフィーとして記述したものである。この記述に当たって、著者は「教育のエスノグラフィー」が直面する特有の課題の自覚に立って、実践者としての自分を積極的にエスノグラフィーに登場させ、それを調査者として意味づけるという手法をとり、また、その地域のいくつかの場で行われている活動の全体を「実践の星座」として把握する視角をもって、そこで行われている諸活動を記述しつつ、それらの全体の中での意味づけを行った論文である。
 その構成は以下のようになっている。

<はじめに>

<第1部> 先行研究間の関係を読み解く
第1章「日系ブラジル人」の子どもの教育における支配的な物語とそれを支える研究
 1 先行研究をとらえる視点
 2 太田(2000)の研究に見られる「問題」の捉えられ方
 3 「日系ブラジル人」の子どもを取り巻く研究の3つのパースペクティブ
 4 研究のストーリーの支流から見える「問題」の重層性
 5 「問題」の重層性を描くために

<第Ⅱ部>「日系ブラジル人」の子どもを取り巻く研究における
                 「困難」を捉えるための概念装置
第2章 教育のエスノグラフィーのねじれについて
           ~オーバーラポールとしての教育をどう描くか
1 「日系ブラジル人」の子どもの教育に関する研究における新しい「困難」
2 物語としてのエスノグラフィー
3 「日系ブラジル人」の子どもを取り巻く研究における
         記述のスタイル・ストーリー・物語の筋(プロット)
 4 調査者の登場するエスノグラフィー
5 教育のエスノグラフィーという問題系
 6 「異文化理解」の規範の重層性を身体化した主体の実践記述に向けて

第3章 「実践の星座」と連携の論理~「実践コミュニティ」概念を再考する
 1 ふじだな地区に浮かび上がる「日系ブラジル人」のこどもを取り巻く空間
 2 新たな「困難」を捉える枠組みとしての実践コミュニティ論
 3 ウェンガーのエスノグラフィーから見える実践コミュニティと「実践の星座」
4 連携の論理としての実践コミュニティ論

<第Ⅲ部> 「日系ブラジル人」集住地域における実践コミュニティと「実践の星座」
                        ~ふじだな地区を事例として
第4章 進路選択時における「諦める」ことと「うそ」の共同構築
1 喫緊の課題としての進路問題
2 「諦める」ということ
 3 対象の概要
 4 「諦める」ことの状況地図
 5 教育実践のなかにあらわれてくる<ウソ>
 6 「日系ブラジル人」として子どもたちを尊重するということ

第5章 にほんご教室における子どもたちの実践とそれを支える実践構造
 1 日本語指導教室における実践
2 <会話の時間>とそこから立ち上がるコミュニケーション
3 にほんご教室におけるコミュニケーションのかたち
 4 子どもの参加を支える実践構造

第6章 「日系ブラジル人」実践コミュニティにおけるアイデンティフィケーション
 1 母語教育型支援グループの現在
 2 セルフヘルプ・グループとしての<シランダ>
 3 実践の語り方とその中身の変容・拡張
 4 セルフヘルプ・グループによる国際交流実践

第7章 にほんご教室と学級、<シランダ>の境界上の実践
 1 学校現場における連携と日本語教室の「周辺性」
 2 「連絡ノート」を介したコミュニケーション
 3 にほんご教室によるひろがる・つながる・つなげる実践
 4 開きつつ閉じるにほんご教室

<おわりに>


2、論文の概要

 「はじめに」では、著者にとっての本論文を貫く「問い(課題)」と、論文全体の構成が、簡潔に述べられている。
 著者によれば、1908年にブラジルへ移住する日本人が、神戸港から笠戸丸で出発して2008年は、ブラジル移民100周年にあたるわけだが、1990年の出入国管理及び難民認定法(入管法)改正を機に、「日系ブラジル人」の「デカセギ」が急増し、現在は30万人もの「日系ブラジル人」が日本各地で生活しているという状況がある。したがってまた日本の公立の小学校や中学校にも彼ら/彼女らが流入し、それぞれの地域において、支援や対応の歴史もすでに10年を越えて積み重なって、「日系ブラジル人」の子どもを取り巻く調査や研究の蓄積がある。
 ここで著者は、「日系ブラジル人」の子どもを取り巻く世界のこれまでの描かれ方に、ある共通の志向性があることに着目する。そこでイメージされる子ども像は、子どもの受動性を強調するもの、それとは逆に主体性を強調する研究もある。しかしこれら複数の描かれ方が、奇妙にも一つの点では画一的な筋となっていると著者は指摘している。つまり、そこでの「困難」を子どもが抱えるものとして描き、その打開のために「関わる者」の方は、もっぱら意識変容やその属する「文化」の変革が迫られるという傾向である。そこでは、「問題」や「困難」を構成する状況に関わり、迷いを含みながらも実践を行っている、子どもに「関わる者」が当事者として想定されていないのである。
 本論文での著者の追究の焦点は、そのような「研究成果」を含んで「関わり方の規範化」を迫られている実践者たちも、実は当事者であり、その実践をめぐって抱える「問題」や「困難」を、規範性で縛り付けて切り捨てるのではなく、それをこそ正面から対象化し、リアルに記述すること、そのための視角と方法の検討と、それを通じた「記述」の産出、そして実践者の直面する状況・困難・課題の新しい意味づけである、と言えるだろう。
 論文の構成は、第Ⅰ部(1章だけ)は先行研究の検討、第Ⅱ部(2・3章)は記述のための方法と理論枠組みの検討、第Ⅲ部(4~7章)は著者自身が関わる実践のエスノグラフィー、となっている。
 
 「第1章」は、「はじめに」でも述べた支配的な傾向を指摘するだけでなく、先行研究それぞれについてより詳細な紹介・検討を行い、それらの間の関係を探って、そこから引き継ぐもの、乗り越えるべきものを整理している。
 著者によれば、先行研究は一見すると、子どものアイデンティティの描き方におよそ3群の分化、つまり「一方的に自らの文化を奪われ主体」を強調する研究、「さまざまな折衝を通して、自らの位置を選び取っている主体」を強調する研究、そして「流動的な文化化環境の下で成長する主体を積極的に捉える」研究がある。またそれらの間の争点があって、互いの研究群は激しい対立か相互不干渉の構図を見せて来たが、それら研究群の間には、断絶とともに重なりも見られるという。著者はそれらの研究過程で浮かび上がった子どもたちが起こす「不適応」の文化的背景についての考察に関してはその成果を継承しつつ、それが「関わる者」の側の「問題」・「困難」を無視して規範化する傾向を批判的に指摘する。
 ただし著者の読み取りでは、先行研究が子ども自身の「問題」として取り上げられた事例においても、じつはそれが「関わる者」の「問題」でもあることが記述に見ることができるとされている。つまり、子どもたちと「関わる者」たちの双方に、このように「問題」が重層的に構成されている、それを全体として把握し描けるような研究志向の可能性が、先行研究を踏まえて著者が開こうとする研究であるとされている。

 <第Ⅱ部>は、研究の方法と理論枠組みの検討部分である。
 「第2章」では、この調査研究において、著者独自のエスノグラフィーの記述方法を用いる根拠を明らかにしている。
 日系ブラジル人の子どもたちをめぐる調査研究では、ヴァン・マーネン流に言うと、客観性を重視した「写実主義的な物語」の傾向をもった研究群が圧倒的に多い中で、調査者自身が登場するエスノグラフィーとして、志水宏吉の研究がある。著者は、志水のエスノグラフィーをとり上げて、これと対話することで、そこに「異文化理解」の文脈を身体化した主体が、単なる調査者ではなく、どうしても困難を抱えたその子どもたちに「関わる者」という性格をそこに負ってしまい、そのような実践的な関わりがそこに表れていることを読み取っている。とりわけ、志水のある子どもへの対応関係の一場面の中に、これまでの客観的エスノグラフィーでは否定的に捉えられて来た「オーバー・ラポール」というファクターが典型的に示されていることを明確に指摘している。
 そして、子どもたちを相手にして大人として相互関係を持つ者は、上の例に限らずその子ども(たち)に「関わる者」としての位置を受け取り、そこでその子どもが抱える困難を理解する者は、あるオーバー・ラポール要素を免れない点を著者は指摘する。つまりオーバー・ラポールという要素は真っ当な教育実践には必ずつきまとうものであるということになる。それは、いわゆる文化人類学の流れを汲むエスノグラフィックな関わり方の規範と矛盾するものであるが、「教育のエスノグラフィー」は必ず持たざるを得ないこの要素を隠してしまうのではなく、徹底的に捉えながら、実践の質を考えて行く、そのようなエスノグラフィーこそ方向性として目指されてよいというのが、著者の立場である。
 こうして著者は、<「異文化理解」の規範の重層性を身体化した主体の実践記述>として、実践者である自らのそのような姿をエスノグラフィーに積極的に登場させ、そこに日系ブラジル人の子どもたちをめぐる活動のリアルな姿を描き出す、かなり個性的なエスノグラフィー記述法を本論文で採用することを明示することになる。

 「第3章」は、著者が関わり続けているふじだな地区(仮名)を念頭に置き、「異文化理解」の規範の重層性の文脈を身体化した、複数の主体の志向が折り重なった、いくつかの場が相互に関係しながら実践が展開する、その実践とコミュニケーションの展開を捉えるために、著者はここでウェンガーの「実践コミュ二ティ」論と「実践の星座」論を、一つの理論枠組みとして検討している。著者はウェンガーのドクター論文を読みこなすことで、「実践コミュニティ」、「実践の星座」、「バウンダリー・オブジェクト」、「ブローカリング」といった重要概念の現実の働きを、ウェンガーの保険会社エスノグラフィーの中に読み取っている。
 「実践コミュニティ」論は、複数の主体の志向が絡み合いながらも、そこが一つの実践的場として展開するのを捉える枠組みである。また「実践の星座」は、複数の「実践コミュ二ティ」が場として相互につながりながら、現実の活動が展開していく姿を捉える枠組みである。「バウンダリー・オブジェクト」は、ある実践コミュニティの境界線上にあって、片方ではその場の独自性を守る防壁として情報や関係を遮る働きを持つと同時に、他方ではその実践コミュニティを他のコミュニティにつなぐ情報・関係の回路にもなるものである。「ブローカリング」とは調整者による調整機能を指しており、現在の各コミュニティ間の相互関係では、全体がうまく働かないか、どこかに難しい問題が生じる場合に、その回路関係を調整することを通じて、ある修復を図ろうとする働きである。それらの総体が「実践の星座」ということになる。
 著者は、ウェンガーの一連の理論の理解に立って、この地域における「にほんご教室」、「子どもの在籍する学級」、「子どもの家庭」、「母語教育型支援グループ<シランダ>(仮名)」というそれぞれの場で、その場の構成者による実践が立ち上がると共に、それらの場相互が連携する形で「問題」を解決したり、同時に、新たな「困難」が生成されている様子を捉えるに当たって、この「実践コミュニティ」と「実践の星座」との関係にその可能性を見出している。
 その際、ウェンガーの博士論文での元来のエスノグラフィーを追うことで、従来の「実践コミュニティ論」に対しては、それが「確固たる一つのコミュニティが想定されてしまっているのではないか」という批判があるが、ウェンガーにはもっと柔軟にことがらを捉える理論装置があることを浮かび上がらせ、本論文では、今までの実践コミュニティ論では見えにくかった「実践コミュニティ間の連携」の動的な論理を読みとる理論枠組みとして、ウェンガー論を活用する著者の読み取りと立場が明らかにされている。
 
 <第Ⅲ部>の4つの章は、2章・3章で得た「日系ブラジル人」の子どもを取り巻く実践と研究における「困難」を捉えるための方法と概念装置を携えて、エスノグラフィーを事例的に展開した部分である。
 「第4章」は、中学校3年次の進路選択の場面でのコミュニケーションにもっぱら光をあてている。そこには7人の中学生たちが登場することになる。そこでは、「関わる者」が、子どもたちの「(高校進学を)諦める」という状況を可能な方向に開いたり、その状況さえも共有できなかったり、あるいは、「関わる者」の意図を過剰に汲み取り、子どもや「関わる者」を含む状況そのものが、身動きの取れないようになるコミュニケーションが展開されている。
 それらは「異文化理解」の規範だけで対応できる領域ではない、実践コミュニティや星座の外への進路問題なのである。そのような直面する事態の中では、「諦め」をとりあえず正当化するために、両者の間では<ウソ>というバウンダリー・オブジェクトが共同構築され、それを媒介にやり取りされているという解釈が、著者によってなされている。つまりそこでは、相手が発した一つのことば(たとえば「ブラジルに帰る」)を辞書的な意味としては共有しながらも、同時にズレも生み出し、それがコミュニケーションを阻んだり、逆にそれが動きが取れない状況からの脱出とコミュニケーション活性化につながったりしている事例が細かく記述・分析されている。著者はそこから、こうしたコミュニケーションは、いわゆる「うそ」/本当の対立軸で捉えられるものではなく、お互いに境界を際立たせつつも、つながっていく手段となっているのではないだろうかという、実践者集団と家族との関係のダイナミズムを浮かび上がらせている。
 
 「第5章」は、つばき小学校(仮名)の「にほんご教室」を対象にしたエスノグラフィーである。
 ここで著者は、にほんご教室の正規の教師やボランティアだけでなく、その場に集まってくる子どもも「実践コミュニティ」の構成者と捉えて、にほんご教室における「おしゃべりの時間」に行われる、コミュニケーションに焦点を当てている。つまり、そこには「関わる者」は著者を含めて登場するが、子どもたち自身が「おしゃべり」の実践を行うことで、その場の会話が二者間に止まらない三者、さらに子どもたちの多くを巻き込みながら、そこに彼ら/彼女らが「子ども集団」を一つの実践体として立ち上げている、そのようなコミュニケーション展開を詳細に追跡して、意味づけているのである。
 著者はその際、子どもたちのおしゃべりの実践が「関わる者」によって正統性を与えられて認められながらも、「関わる者」の実践の意図を超えていく点にとりわけ注目し、その様子をエスノグラフィックに描く。そこでは、「関わる者」の側からその実践を眺めたとき、「関わる者」の側の意図した実践とぶつかることも起こり、逆に「関わる者」も、子どもの意図を超え出るような環境を用意したりしている実践となって産出されているとされる。著者はそこに、構成員による重層的な実践コミュニティ構築を見出して意味づけている。

 「第6章」では、「母語教育型支援グループ<シランダ>」が、「日系ブラジル人」たちによる、「母語教育型のセルフヘルプ的グループ」として生まれ、展開し機能して行く姿が描かれる。
 元来は母語教育支援のグループとして生まれたわけだが、著者の観察を通して、外部との接触や新しい家族や、学校、そして地域社会とつながることで、その役割や様相を一言では表現できない「多様な要望と実践志向が重なる」ある種の雑多なグループに変容してきたことが明らかにされる。そのような変貌の背景には、もちろん地域在住の「日系ブラジル人」の中に、多様なライフスタイルや多様な将来展望による要望や実践志向の細分化があり、その多様性への対応を、そこに参加するボランタリーなスタッフ側も行ってきた側面がある。
 また著者によれば、こうした性格変化は、セルフヘルプ的グループが、地域での「国際」交流という役割を引き受けたり、さらに必ずしも「日系ブラジル人」であるということによらないつながり(たとえば同じ学校の日本人の友達というつながりや、「広報を見て、ポルトガル語を学びたい」という日本人の要望、など)が持ち込まれ、それらにも「関わる者」が真摯に対応してきた結果でもあるといえる。
 ここで著者が特に注目しているのは、小学校の「にほんご教室」が拡張したような「にほんご学習」の場が、母語学習のグループとは別に生み出されたことである。それは、シランダに参加する子どもたちの中に、ポルトガル語グループとにほんごグループが生まれ、その間をさまよう子どもによって、<ウソ>(にほんごグループに入りたいために「ポルトガル語の学習教材を忘れた」という<ウソ>など)を生み出す状況をつくることになり、どのように対応するかをめぐり、新たな「問題」と、「関わる者」の中にもそれに対応する実践や価値観をめぐるずれや再調整を生み出して、このシランダという場が展開しているという点である。実践コミュニティは、このようにその内部構成者間にも志向の違いがあって、それが現実のコミュニケーションを生み出しているが、その場に、外の場の諸要素も侵入し、あるいははみ出してきて、その場の性格を変えながら、そこで絶えざる再調整が展開する場であるというのが、この章での著者の観察と意味づけである。

 「第7章」では、「にほんご教室」を中心としながら、それがつながっている「シランダ」、「子どもの在籍学級」、「子どもの家族」といった複数の実践コミュニティ間の境界上の実践に焦点をあてている。この章において、論文の主題である「実践の星座」が本格的に対象に据えられたとも言えるだろう。
 著者によれば、「にほんご教室」は、「日系ブラジル人」の子どもと共に、あるいくつかの場・空間で様々の連携の型を生み出しているという。つまり、あるときは、学級担任との交渉を「連絡ノート」を通じて行うことで、学級と手を結んでいる。そのような共同関係を通じてあるケースでは、子ども自身の忘れ物問題について、家庭の保護者の自己責任のみに依存しないあり方も追求されている。さらにあるケースでは、<シランダ>にまで場の輪郭を広げ、シランダ内に「にほんごグループ」を展開している。またあるときは、家庭の保護者の不安を共視しながら、保護者の「連絡帳に関する担任不信」については、その部分で担任の気持ちを代弁して誤解を解くという、学級ではなかなかできない境界実践も展開されている。
 あるいは、「関わる者」の側の対処が難しい子どもに関して、担任の指導上の悩み(たとえば、給食で「魚」を食べないのが、「異文化」の問題なのかどうかに迷う)を一緒に背負いながら、「にほんご学級」での様子や親の話から読み取れることを伝えて、学級での実践を後押し、学級担任の実践にゆとりと視野を開いている。また別のケースでは、「にほんご教室」で表明される子どもの気持ちをくみ取り、それを担任へと通訳する一方で、同時に担任の側に立って、担任の気持ちを子どもへ通訳する、といった実践もされている。
 著者によれば、このように「にほんご教室」は、自らを拡張したり収縮する中で、あるいは開いたり閉じたりする中で、問題の前面に出て実践を行ったり、結び目をつくったり、自らの存在をそこから表面的には消すことで実践を行っていたとされる。つまり、ウェンガーの言う「周辺性」という位置取りをしながら、情報や関係をつないだり、その場の空間を閉じたり開いたりをくり返す形で、この地域の「日系ブラジル人の子ども」をめぐる「実践の星座」の境界上の活動(ブローカリング)をしていることが、そこに描かれたということになる。

 「おわりに」では、本論文が、「日系ブラジル人」の子どもを取り巻く世界において、彼ら/彼女らの教育に「関わる者」を含めた人々の関わりの中で、「困難」や「問題」が多面的なかたちで生まれていることを記述したこと。そのとき、「困難」や「問題」を媒介にして向かい合うなかに、「困難」とそれを打開するような生成の契機が同時に生まれていることも描き出すものであったこと。そして、その取り組みは、外部から持ち込まれた何かきらびやかなスキルを利用するのではなく、日常の教育実践の中で行われてきたものをブローカリングやバウンダリー・オブジェクトによって場を切り結ぶことによって行われていたこと、などを短くまとめている。


3、成果と問題点

 本論文の主たる成果は、以下の諸点として整理することができよう。
(1)まず、観察者が(程度の差はあれ)同時に実践者であることが迫られる「教育のエスノグラフィー」の特性を明示した上で、著者が積極的に「関わる者」として登場するエスノグラフィーの記述法を、現実の記述の形で産出して、このような「教育のエスノグラフィー」の一つの姿を記述方法・分析方法として具体的に示したことがある。そのことによってまた、実践者でもある著者の「つなげる」実践の意図や、そこにも生じる「困難」への対処の意味を、よりリアルに浮かび上がらせることができたという点がある。
(2)「ニューカマーの子どもたち」に関する調査研究で、実践者側が抱える「問題」・「困難」に敢えて注目し、それをウェンガーの「実践コミュニティ」・「実践の星座」概念を生かしつつ、この一つの地域で、「ひろがる・つながる・つなげる実践」として、また「実践を共有はしない複数の場や、同じ場を共有している複数の人びとの声や思いが行き交い、それを通じて場の性格も変化していく実践の星座」として、エスノグラフィーを通じて具体的に浮かび上がらせた点がある。
(3)その場合、ウェンガーのエスノグラフィー・「保険会社」と違って、ここにおける実践コミュニティは、境界(バウンダリー)そのものが強固ではない姿を描き出したことが、「問題」・「困難」の多層性に対するエスノグラフィックな記述を生み出している。たとえば、<ウソ>がバウンダリー・オブジェクトの機能を持つことや、問題の持ち込み・はみ出しが頻繁であること、ある実践コミュニティの広がり・はみ出しとか、場そのものがブローカリングするような不断の調整・組み換えが、人々の思いや声が行き交う空間の中での実践として展開して行くこと、といったこのケーススタディー全体の特性を浮かび上がらせることができた点がある。

 しかし、このように多くの成果をあげたものの、なお今後に残された課題として次の諸点をあげることができる。
 まず、第一に、方法論的・理論的記述のそれぞれの箇所での、著者としての「まとめ」があまりにも簡略なために、論文として著者が「この点をこのように主張している」ということが、やや伝わりづらい記述になっている箇所が複数見られる。主張点・強調点は、それなりの正確な表現で展開することは、自己の「論」を他者により説得的に示すだけでなく、自分自身にも納得的に示すものなので、それが以後の理論的展開にとって自分自身をより自覚的にするものであるから、大事な課題となっているだろう。
 第二に、かなり個性的な形で創出されたエスノグラフィーの記述手法において、実践者としての自分、観察者としての自分、さらにフィールド・ノートをまとめるにあたってことがらの意味を再考している自分、論文としてのエスノグラフィー記述者としての自分、といういくつかの層の重なりが考えられるが、その点を「教育のエスノグラフィー」として改めて方法論問題として考察することも、本論文が残した課題であると思われる。
 第三に、ウェンガーの「実践コミュニティ」・「実践の星座」などの理論装置の中に、すでに「保険会社エスノグラフィー」に限定されない「より柔軟な相互関係を想定した諸要素」があることに3章で触れている点は見識であるが、それが4~7章のエスノグラフィーを通して、著者の理論としては改めてどう整理されたり、再考されたりしたのかについて、(「エスノグラフィーの記述の中に見えている」というだけではない)理論的再整理も、改めて系統的になされることが課題となっている。それがなければ、「実践の星座」論が、単なるネットワーク論とどこが違って、この事例のどの面をより明示的に浮かび上がらせ、意味づけすることがそれによってできたのかが、不明確になってしまうだろう。

 しかし、これらの課題は著者も自覚するところであり、今後これらの問題についても持続的に追究を続けて一層の解明と改善の努力が払われることを期待したい。
 以上、審査委員会は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2009年2月18日

2009年2月6日、学位論文提出者郡司英美氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「「日系ブラジル人」の子どもを取り巻く「実践の星座」の生成」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、郡司氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は郡司英美氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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