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博士論文審査要旨

論文題目:20世紀における空間概念の変異とその意義――人間学的哲学の視点から――
著者:馮 雷 (FENG, Lei)
論文審査委員:岩佐 茂、嶋崎 隆、平子 友長、三谷 孝

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1 本論文の構成
 本論文は、人文・社会諸科学における空間概念が20世紀に変異してきた経緯を踏まえて、その哲学的意義を論じたものである。
 本論文の構成は、以下の通りである。

序 論
第1章 20世紀初頭の絵画に現れた空間意識の変異とその意義
 第1節 透視法――理性に基づいた「真実の空間」――
 第2節 「真実の空間」の追求から透視空間の放棄へ
 第3節 透視空間の放棄の原因と意義
第2章 心理学的アプローチと20世紀初頭の空間哲学
 第1節 ベルクソンの二元論――「身体-空間」、「心霊-時間」――
 第2節 バークリーの詭弁――視覚と空間――
第3節 メルロ=ポンティ――「身体-主体」と知覚的世界――
第4節 知覚的空間および心理学的アプローチの限界
第3章 20世紀初頭における人類学的空間思想の地理から文化への転回
 第1節 地理的環境論から文化要因論への移行
 第2節 カッシーラーによって論じられた「神話的空間」の特徴
 第3節 カッシーラーの「神話的空間」の欠陥
第4章 20世紀中期以降における社会的空間の批判理論の3つの主題
 第1節 空間と場所――モダニズム的空間の基本的特徴――
 第2節 空間とハイパースペース――ポストモダン的空間の戸惑い――
 第3節 空間と地理――地理的空間からグローバル化空間へ――
第5章 人間の本質と空間の構造
 第1節 進化論の意義とその残された課題
 第2節 意識・行動・知能
 第3節 人類行動の特徴とその意義
 第4節 空間の構造
結 論
主要な参考文献

2 本論文の概要
 序論では、1970年代に現代社会が大きな転換期を迎えたのに伴って生じた時間や空間の概念の思想的変容に注目するとともに、そのさいしばしば強調された時間=モダニティ、空間=ポストモダニティという特徴づけが適切であるのかどうかという著者の問題意識が開陳される。このような問題意識に沿って、時間・空間概念を再検討するために、時間・空間概念の哲学史的考察をおこなうとともに、現代絵画論や現代の心理学、人類学、地理学などの人文諸科学における空間の観念を渉猟する必要があることが主張される。
 第1章「20世紀初頭の絵画に現れた空間意識の変異とその意義」は、絵画における透視図法の考察を通して、透視空間がどのように変遷してきたのかを考察している。透視図法はルネサンス期に成立したものとされているが、著者は、ポンペイ遺跡の壁画のうちに透視図法が用いられていることを指摘し、それが消失したのは、キリスト教会の「真実を失った絵画」に由来すると主張する。ルネッサンス期に成立した透視図法は、視覚を重視したリアルな空間であるだけではなく、理性による理想の空間の描写によって真実の世界を再現しようとするものであると主張される。
 だが、写真機の登場によって、対象を写実的に具象的に再現しようとする近代絵画は根本的変化を迫られることになる。光と色が物象の明瞭な輪郭と質感を破壊し、画面の奥行きを希薄にし平板化した印象派絵画には写真機の影響が見られるが、キュビズムは自然の物象を平面や断片に分解することによって、抽象絵画は具象と空間を完全に放棄することによって、透視図法を破壊し、奥行きを消失させた。著者は、その理由を、20世紀初頭の現代絵画が真実の世界の再現を試みた近代絵画の空間秩序を破壊して、現代社会で生きる人々の不安や緊張、苦痛、冷淡さを内部視覚を通して描こうとしたことに見ているが、同時に、そのことが空間の奥行きの消失という空間秩序の変異につながったと、主張する。
 第2章「心理学的アプローチと20世紀初頭の空間哲学」は、バークリー、ベルクソン、メルロ=ポンティという3人の哲学者の空間思想の考察を通して、20世紀初頭に展開された哲学的な空間概念の一方向を考察しようとするものである。ベルクソンは意識の端緒的契機である記憶を重視し、バークリーは意識の他の端緒的契機である知覚を重視した。それにたいして、バークリーの空間概念に批判的にコミットしながら、独自の知覚空間論を展開したのはメルロ=ポンティである。
 ベルクソンは、記憶にかんする実験心理学の成果を参考にしながら、意識と身体を区別し、意識は時間的なものであるが、身体は空間的なものであると主張した。かれは、もともと意識と物質の二元論に立脚し、人間の空間性を軽視して霊魂の時間性を過大視しているが、記憶が空間を超えて、時間性と自由な人格を獲得させる媒介とみなすのである。それにたいして、知覚空間論を展開したのは、17~18世紀のイギリス経験論である。とくに、バークリーは、『視覚新論』で心理学的アプローチによって、人間の眼で奥行きを見ることは不可能であり、奥行きを感じるのは触覚であるとみなして、視覚観念が触覚観念と密接に連関していることを指摘するとともに、視覚経験の相対性を論じた。しかし、メルロ=ポンティは、バークリーが主体-客体の二元的図式の枠内で、空間をいまだ客観的にとらえようとしていることにあるとみなす。ベルクソンもバークリーも身体を客観的対象とみなしたのに対して、メルロ=ポンティは、主体でも客体でもある身体の両義性にもとづいて、主体によって知覚される空間の意味を論じた。著者は、空間の人間論的意味を明らかにした点で、メルロ=ポンティを高く評価している。
 第3章「20世紀初頭における人類学的空間思想の地理から文化への転回」は、20世紀初頭に、地理学や人類学の動向を踏まえながら、カッシーラーの神話的思惟の研究が神話的空間(象徴的空間)を論じたものであることの意味を考察している。
 著者は、社会関係は空間のうちに投影する(たとえば、人々が一定の場所に集るときに、高位にある人は中心的な位置を占有するであろう)という視点から、社会的な空間概念を問題にする。まず、広義の意味での人類学は地理的環境、地理的空間を重視してきたが、20世紀初頭において、地理的要素から文化的要素を重視する方向への転回があることが指摘され、その文脈のなかで、カッシーラーの神話的空間が論じられる。
 カッシーラーは、知覚的空間、抽象的空間、神話的空間という空間概念の三類型をおこない、神話的空間の特徴を知覚的空間、抽象的空間との対比のなかで論じている。まず、カッシーラーの言う知覚的空間が視覚的空間、触覚的空間、聴覚的空間など、人間の感覚器官で感知された空間であり、位置や方向はかならず具体的な内容を有していて、厳密な同等性がないのに対して、抽象的空間は、ユークリッド幾何学をその作図の基礎に据える幾何学的・数学的空間であり、同質性の空間である。カッシーラーによれば、神話的空間は、抽象的空間よりも知覚的空間に近い。それは、つねに個人的感情をおび、位置や方向は具体的内容をもっているからである。たとえば、原始社会に見られるトーテムは、血縁関係における婚姻や禁忌と関わって社会的空間のなかで特定の位置を占め、具体的な内容を有している。それは社会的空間の全体のなかで特定の機能をはたし、意味を有することによって神話的な世界の輪郭図をつくっているという点で、構造的同一性を有している。著者は、カッシーラーの神話的空間の基本的な特徴を、この構造的同一性と先にあげた具体的位置の限定性や空間的経験の特殊性を有している点にあるとみなすとともに、そこには、メルロ=ポンティがおこなった抽象的空間の相対化がいっそう推し進められている、と指摘する。
 第4章「20世紀中期以降における社会空間の批判理論の3つの主題」は、社会空間の批判理論の主題が空間と場所、空間とハイスペース、空間と地理をめぐっておこなわれていることを論じている。「社会的空間の批判理論」という枠組みで著者が取り上げているのは、ハイデッガーやバシュラール、フーコーやルフェーヴル、ハーヴェイやギデンズ、ジェイムソンらである。
 モダニズム空間は、空間をそのなかの物体とは無関係な箱のような容器とみなす絶対的空間を主張する空間主義か、または人間に働きかけ、物体の性能や状態を変えうるような媒介物とみなす空間主義(著者はこれを真の空間主義とみなしている)に立脚している。それにたいして、ハイデッガーは、モダニズム空間が空間を目的を実現するための手段として制御しようとしたことにあると批判し、「住まう」という概念の分析から、「住まう」は天、地、神、人を一つの位置に凝縮して、一つの場所を形成するものであると主張する。著者は、このようなハイデッガーの思想がドイツの哲学者、O・F・ボルノウやカナダの都市景観研究者、E・レルフ、アメリカの人文地理学者、Y-F・トゥアンの場所主義に繋がっているものとみなしている。場所主義は、現象学や実存主義の立場から、空間が量的ではなく質的であり、機能的ではなく意味をもつものであると主張するのである。
 続いて、著者は、1970~80年代のポストモダン空間論を考察する。国家の個人にたいする管理や監視が空間を媒介にしておこなわれていたとみなすフーコーや日常生活批判と結びつけて都市空間の生産と再生産を論じたルフェーヴルの空間思想のうちにポストモダン空間の兆しがあるが、ハイパースペースとしてポストモダン空間を展開したのはボードリャールである。かれは、物よりも物の記号が意味を獲得しており、シミュラークル(模造)が本物よりもリアルになり、ハイパースペースになっていることを主張した。著者は、シミュラークルと本物の境界の消失が、バーチャル空間やネットワーク空間になるといっそう顕著になり、時間空間の分離や空間の見失いが生じることになることをF・ジェイムソンのポストモダン文化論の分析やM・カステルのネットワーク社会にもとづくフローの空間の分析を通して指摘するとともに、ポストモダン的空間のもう一つの展開をハーヴェイらのポストモダン地理学のうちに見ている。ハーヴェイは、グローバル化が進捗するなかで、時間空間の圧縮によって現代資本主義的空間を特徴づけた。著者は、これらのポストモダン的空間の分析を通して、今日の空間論が多重構造の空間として展開されていることを示そうとするのである。
 第5章「人間の本質と空間の構造」は、4章までが20世紀における空間概念の変異を考察しているのにたいして、空間概念の解釈が人間の本質理解とかかわるものであることを論じている。
 著者は、ダーウィンの進化論が人間の本質理解に与えた大きな影響の考察から出発する。進化論によれば、人類も進化の所産であることになる。その場合、思惟の自由など、動物と異なる人間の本質はどのように説明されるべきなのだろうか。この問題にたいして、著者は、形而上学的に人間の本質を問うのではなく、有機体としての人間が自然へ適応する行動のあり方のうちに、人間の本質を読み取ろうとしている。著者は、行動主義的心理学やピアジェに代表される認知心理学の考察を通して、抽象化された思惟様式も含めて、知能は、人類の自然への適応の表現であるとみなすとともに、また、フランスの人類学者、A・ルロワ=グーランやイギリスの人類学者R・リーキーらの所説を援用しながら、直立姿勢に対する適応が人類を「早産児」にさせた結果、人類は、人間としての行動様式を社会のなかで身につける必要に迫られた、と指摘する。そのさいに著者が注目するのは、直立歩行をし、母語を覚え、絵を描くなどの、人間としての基本的行動様式を身につけるのが生後2、3年間の母子関係のなかでおこなわれるということである。この時期を、著者は、先天的でも後天的でもない「社会的子宮」として特徴づけるのである。このような人間の行動様式の分析を踏まえて、人間の行動様式が生物的行動、社会的行動、文化的行動として特徴づけられ、それに応じて、空間も生物的空間、社会的空間、記号の空間である文化的空間に分節化される。空間は、人間の行動様式を秩序づけるものだからである。
 結論は、本書全体を通して主張されてきた、空間に対する著者の考察が再度かいつまんで論述され、「空間とは何らかの秩序であ」り、その秩序に人間は創造的に適応するという著者の結論で閉じられている。

3 本論文の成果と問題点
 本論文の成果は、第1に、現代絵画や現代の哲学、人文・社会諸科学における空間概念の諸言説を渉猟して、実に多様に、20世紀における空間概念の変異と問題構造を哲学的空間論として真正面から論じたことにある。ある思想的立場から哲学的に空間概念を論じたものは散見されるが、絵画のあり方を含め、人文・社会諸科学の空間概念をフォローしながら、幅広く哲学的な空間論を展開しようとしたところに、本論文のオリジナリティがある。哲学的な空間論を展開するにさいして著者がこだわったのは、時間=モダニティ、空間=ポストモダニティといったポストモダン的な見方である。このような見方が皮相なものであることを、著者は、人文・社会諸科学の空間概念を渉猟することによって明らかにしている。
 本論文の第2の成果は、20世紀における空間概念の変異を哲学史的な文脈のなかに位置づけるとともに、そのなかで20世紀初頭にメルロ=ポンティやカッシーラーが空間概念の転回ではたした意義を明らかにしたことである。近代においては、物体とは無関係な入れものとしての絶対的空間が議論されてきたのに対して、メルロ=ポンティは主体でも客体でもある身体の両義性を論じることによって、またカッシーラーは象徴的空間としての神話的空間を論じることによって、近代の空間概念を相対化し、空間概念の人間学的意味を明らかにした。
 本論文の第3の成果は、空間概念の人間学的意味を明らかにしたことである。著者は、空間が人間の行動と不可分にかかわり、人間の行動を秩序づけるところに、空間概念の人間学的意味があると主張する。著者が空間を生物的空間、社会的空間、文化的空間という三つの空間概念に文節化しつつ三位一体的にとらえるのも、空間を人間の行動を秩序づけるものとみなすからである。20世紀の社会的空間の形式として、都市化空間、グローバル化空間、ハイパースペースを論じるのも、人間の行動の変化、多様化に即応した空間の分析をおこなっているためである。著者は、人間の本質を思弁的に議論するのではなく、人類の行動様式のなかで問い直すことによって、人間の本質理解にとって空間のもつ意味を明らかにした。著者にとって、空間哲学は人間の本質を問い直すことをも意味していたのである。
 問題点として指摘しうることは、第1に、空間概念の多様な諸言説を渉猟しているが、概括的であり、その突っ込んだ分析がやや弱いことである。これは、現代の哲学や人文・社会諸科学を多方面にわたって渉猟しなければならないという課題設定から生じる制約でもあるが、もう一歩突っ込んだ分析がなされると、より説得力がましたと思われる箇所があることも指摘される必要があるであろう。
 問題点の第2は、人間の本質を論じた第5章と、それ以前の章との接合にやや難があることである。本論文は、博士論文として提出される以前に、すでに本国の中国で出版されているが、そのときは、第4章と第5章が逆に入れ替わっていた。そのことは、著者も第4章と第5章との接合に腐心していたことを伺わせるが、章を入れ替えて多少書き直しても、接合の問題に難があることが克服されているとはいえない。
 審査委員が指摘した問題点の2つはいずれも、論文提出者も自覚し、今後の研究課題であると受けとめており、本研究の意義を貶めるものではない。
 以上の理由により、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したものと認め、馮雷氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2009年2月18日

 2009年1月23日、学位論文提出者馮雷氏の論文について最終試験をおこなった。試験においては、提出論文「20世紀における空間概念の変異とその意義――人間学的哲学の視点から――」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、馮雷氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は、馮雷氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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