博士論文一覧

博士論文審査要旨

論文題目:マレーシアにおけるインド人労働者家族の教育問題 ―秩序の維持に果たすイメージの役割
著者:奥村 育栄 (OKUMURA, Ikue)
論文審査委員:浅見 靖仁、木村 元、関 啓子、中田 康彦

→論文要旨へ

一 本論文の構成

 奥村育栄氏の学位請求論文「マレーシアにおけるインド人労働者家族の教育問題―秩序
の維持に果たすイメージの役割―」は、インド人プランテーション労働者の教育問題を構
築主義アプローチを用いて考察したものである。筆者は、クレイム申し立て活動とそれに
よって構築される「問題」や「人びと」のイメージを読み解き、人びとがいかに「客体化」
されているかを解明し、「問題」が構成され維持される仕組みを明らかにした。インド人
労働者家族の教育問題がなぜ解決されにくいのかについての解明に一石を投じた意欲作
である。 

 本論文の構成は、次の通りである。

序章 構築主義アプローチを用いた教育問題の分析
 第1節 問題意識
 第2節 先行研究の批判的検討
第3節 本稿の課題と分析の手法
第1章 インド人プランテーション労働者とその教育問題の位置づけ
 第1節 プランテーション産業と労働移民の歴史的展開
第2節 学校教育のはじまりと国民教育制度の形成・発展過程
第3節 インド人民族政党の生成と展開およびその特質
 第4節 小括――境界の設定、範疇化、定義づけの政治
第2章 インド人政党MICによるクレイム申し立て活動
 第1節 MICによるクレイム申し立て活動
 第2節 タミル語学校存続の是非をめぐるクレイムの応酬
 第3節 クレイムにみられるレトリックの慣用語
 第4節 小括――「被害者」の両義性と問題の定義
第3章 世帯調査の結果にみいだされる自助努力/自己拡張戦略
 第1節 家族の暮らしが営まれる舞台
 第2節 回答者家族の暮らしの立て方と次世代の準備
 第3節 夫妻の現職の組合せによる類別ごとの家族の事例
第4章 ある家族の生活史にみいだされる自助努力/自己拡張戦略
 第1節 対象家族の概略
 第2節 夫妻と子どもたちの人生の軌跡
 第3節 小括――世帯調査と生活史にみる人びとの努力の方向性
終 章 イメージを媒介とする社会的統制の解体
略称一覧
引用・参考文献

二 本論文の概要

 本稿の序章で筆者は問題意識を語り、先行研究を批判的に考察したうえで、研究課題を
立て、研究手法について説明する。
 第1章では、インド人プランテーション労働者と子どもたちの教育をめぐる問題状況が、
プランテーション、学校教育、政党政治という3つの側面から照らしだされる。プランテ
ーション産業と労働移民についての歴史的考察が加えられ、国民教育制度の形成と発展の
過程が叙述される。植民地時代における学校教育のはじまり、独立後の教育制度の確立過
程が述べられ、本論の課題の中心になるタミル語小学校とインド人の教育における諸問題
が示される。続いて、インド人民族政党MIC(Malaysia Indian Congress)の結成と展
開、活動が説明される。この章は、本論の特徴を構成する諸要素の説明、論述の基盤整理
の役割を果たしている。
 第2章では、民族政党MICによるクレイム申し立て活動に着目し、その教育問題に関
するクレイム、これと平行して申し立てられているインド人青少年の社会病理に関するク
レイム、そしてタミル語学校の存続の是非をめぐって他の政党PPP(People’s Progressive
Party)との間で生じたクレイムの応酬を分析する。筆者は、構築主義アプローチによっ
て、問題とされる状況とその関係者のイメージがどのようにつくりあげられ、関係者のあ
り方をめぐる理解が方向づけられ、どのように対処すべきかが導き出されるかを追究する。
つまり、ある特定の問題化のやり方をあぶりだそうと試みたのである。
 ある状況を「社会問題」として定義するということは、個々人の問題経験や生きづらさ
を「社会のあり方の問題」に還元することを意味する。その際、クレイム申し立て活動は
人びとの問題経験を社会へと媒介し、そうした現状の改変を試みる実践となる。しかし、
こうしたクレイム申し立ては、それまで自明視されてきた現状を「あるべきでない」と否
定することを意味し、社会秩序の変化、流動化を拒む社会的な力が作動してその訴えが阻
まれることもありうる。
 MICがクレイムにおいて、タミル語学校の生徒たちの「被害者化」を試み、合わせて、
タミル語学校と家庭が不適切な状態である責任を、貧困と無知のためであるとしつつも、
そうした状態の社会的構造的な要因を解明しないことによって、学校と家庭の貧困と無知
の責任の曖昧化をもたらしていることが、析出される。
 筆者は、MICによるクレイム申し立ての場合、「社会秩序の変化、流動化を拒む社会的
な力」が作動するより以前に、インド人コミュニティの公的代表として政府与党連合を構
成する政党という立場から、その利益の主張をあらかじめ現秩序に挑戦しないクレイムへ
と加工したうえで提出していると分析した。
 なお、資料としては新聞記事が主に使われている。筆者は、1995年から2005年までの
マレーシアの英字新聞NSTに掲載されたMICにかかわる記事を、LexisNexis Academic
のデータベースのキーワード検索機能を使って集め、整理し分析した。
 第3章と第4章では、筆者が行った現地調査(世帯調査と生活史の聞き取り調査)の結
果にもとづいて、インド人労働者家族の日常を描き、クレイム申し立て活動によって作り
出されたインド人労働者のイメージを相対化し、イメージの被構築性を照らしだす。
 第3章で筆者は、クダ州の2箇所のプランテーションで働くインド人労働者全家族を対
象とした世帯調査を行い、彼・彼女たちの具体的な生活ぶりを描いている。2箇所のプラン
テーションのひとつはゴムプランテーションで、もう一つはゴムプランテーションが油ヤ
シプランテーションに再編されたところである。筆者は合計で23家族134人の回答を得
ることができた。加えて、プランテーション責任者への聞き取り調査、近隣の学校での教
員の聞き取り調査、州教育局と郡教育事務所の行政官への聞き取り調査も実施された。
 こうした調査にもとづき、家族のくらし、次世代の準備、1日の生活模様、回答者家族
の受けた教育、回答者家族の将来の展望が語られる。多様な角度から生活のありようが照
らし出される。生活調査が描き出すインド人労働者の生活もようは、第2章で見たMIC
の主導するクレイムや先行研究において描かれるインド人労働者のイメージとはかなら
ずしも重ならないことが示される。
 世帯調査から見えてくるインド人労働者は、低賃金や不安定な就労環境を補完すべく、
副業をするなど、さまざまな方法で生計を補い、貯めた資金を子どもの教育に使っている。
楽ではない生活だが、子どもを補習塾に行かせたり、私立の教育機関に通わせたりして、
子どもを肉体労働ではなく事務職に就かせたいと、教育費の捻出に努力している。
 第4章は、世帯調査1家族についての生活史調査にもとづき構成されている。選択され
た対象は、調査対象者全体の傾向を明瞭に表わす事例である。第3章が、世帯調査の対象
となった家族全体の傾向がわかるように記述されていたのに対し、本章では、ある対象者
夫妻の生活史が時系列に沿って提示され、読者が対象者夫妻の人生を追体験的にたどれる
ように構成されている。この夫妻は、子どもの学校教育に積極的で、子どもの高学歴を実
現した。親の責任を果たそうと、子どもを補習塾で学ばせ、また、PTAの役員になり学校
運営にも協力している。学校教育における成功例は現秩序の正当性賦与に加担する側面も
もつことが描き出される。
 終章で筆者は、クレイムが提示するイメージを媒介として働く社会的な諸力と、インド
人労働者とその家族の日々の実践が有する意味について考察する。現秩序に挑戦しないク
レイムの申し立ての構造が明かされ、不徹底な被害者化の果たす意味が解読され、インド
人労働者自身が「生きづらさ」を、現秩序の変更にも連動しうる、社会的な対処の必要な
問題とするのではなく、自助努力によって縮小するように努め、結果的に現秩序の維持に
加担してしまうことが明らかにされる。
 結論として、MICがマレーシア社会で果たしてきた役割が鮮明に論述される。MICの
クレイムは「社会を問題」にするのではなく、学校・家庭・生徒たちの状況から「かわい
そうな」インド人イメージを作り出し、救済を政府に求め、また、「怖い」インド人イメ
ージも作り出し、インド人の不満を爆発させない役割を引き受けるMICの存在価値の確
保を可能にしてきた。
 さらに、筆者は現秩序に対して意義申し立てを行う新しい動きをとらえ、これまでのタ
ブーに挑戦し、「社会の問題」を主張し、選挙において成果をあげたHindraf (Hindu Right
Action Force)という団体の活動が考察される。
 最後に、本稿の到達点が整理され、今後の課題が提示される。それは、問題を個人やコ
ミュニティの内部に囲い込み、社会のあり方を問い直す契機を阻むような社会的諸力の相
互作用のなかで、ある特定の個人やコミュニティのあり方に問題を還元するのではなく、
社会のあり方を問い直すことを可能にする回路、つまり、問題を「個人の問題」から「社
会の問題」へとつなげていくような回路を模索することである。

三 本論文の評価

 本論文の成果の第一は、マレーシアにおけるインド人労働者家族の教育問題が解決され
にくい事態に鋭く切り込み、解決されにくい構造を解明したところにある。この点は、内
外の比較教育学研究の中でも出色のできであるといえよう。構築主義アプローチを用い、
MICの申し立てるクレイムが、インド人労働者層の教育問題を、社会の現秩序を変えるこ
とを求めずに、単に社会的対処(救済)を必要とする問題として構成していることを突きと
めた点をまず評価したい。MICは、同情すべき「かわいそうな」インド人のイメージを作
り出し、一方では救済を政府に対して求め、その存在価値を示しつつ、他方、インド人の
社会病理を示し、「怖い」インド人を作り出し、その「適切化」を請け合い、インド人コ
ミュニティの「利益の代弁者」という名の「監督者」としての存在意義を確保してきたこ
とが、筆者によって明かされた。
 タミル語学校の守護者を自認するMICは、インド人コミュニティにおける教育問題の
議論がタミル語学校の存続の是非に終始することにより、教育問題をコミュニティ内部に
囲い込み、インド人以外のマレーシア人がそれを「他者の問題」として傍観するという状
況をつくりあげてきたことが、解読された。このように、筆者の教育問題の研究は、なぜ
議論がタミル語学校擁護論に収斂させられるのかを解明し、合わせて、国家の権力装置や
民族間の関係にかかわる現状への異議申し立てをタブー化するマレーシア社会全体のあ
りようを見事に浮上させることになった。
 インド人の間で繰り返されるタミル語学校の存続是非の議論に、真の問題は別のところ
にあるとして、議論の枠組みの転換を鋭く提起しながら、タミル語学校の存続問題の呪縛
から完全には自由になれなかったサンディランの研究を一歩前に進めた学問的貢献は評
価されよう。
 マレーシアをめぐるこれまでの比較教育学研究では、マレー人と華人に比べ、インド人
にはあまりにもわずかな注意しか払われてこなかった。そのインド人の教育について、学
校ばかりでなく、労働者家族の日常生活をも丹念に精査し、子どもが独り立ちする過程を
めぐる親や教師の思いを聞き取り、研究者の見解も踏まえ、また、教育行政の方針や政策
を明かし、インド人労働者の子どもたちの独り立ちの物語を立体的に描き出したことも、
第二の研究成果である。
 インド人労働者家族の日常は、作られたイメージとは異なる様相を呈していることが浮
き彫りにされるが、同時に、彼・彼女たちの生き残り戦略は、MICの求める自助努力路線
と共鳴するもので、MICの主張の下支えになってしまっている皮肉な実態も掘り起こされ
た。筆者によれば、MICのクレイム活動から、子どもの教育に熱心でないインド人労働者
家族のイメージが流布されているが、実際の保護者たちは、貧困のなかで子どもの学歴の
向上ために必死で努力している。しかし、その保護者のありようそのものが、MIC推奨の
自助努力路線そのもので、社会の現秩序を維持・再生産することに意図せずして加わって
いることを、筆者は説得力ゆたかに描いている。
 マレーシアの国民教育制度の歴史的考察と現状の研究としても、インド人の教育という
観点をしっかりとすえたことにより、本論は、マレーシアの国民教育研究の発展に貢献し、
読み応えのあるものとして仕上がった。先にも触れたようにこれまで着目されることが少
なかったインド人を研究対象に選び、インド人がマレーシアの国民教育制度においてどの
ように位置づけられてきたかを明らかにし、プランテーション労働者家族のかかえる子育
てと教育の困難の多層性を解読したことは、十分に評価に値する。
 しかし、問題点がないわけではない。
 問題点の第一は、前半と後半の異なる手法の接合についてである。本論の前半は、構築
主義アプローチにもとづく鋭い言説研究になっており、成功しているといえるだろう。だ
が、後半の叙述は、労働者家族の世帯調査と生活史研究であり、インド人労働者家族の実
像が浮き彫りにされ、労働者家族をめぐるイメージの被構築性を明らかにする役割を果た
してはいるが、労働者たちの言説研究ではない。ややそれに近い記述もないではないが、
記述方法としては前半との一貫性がいささか欠けているといわざるをえない。ただし、審
査委員全員が、面白かったと読後感を思わず語ったように、前半と後半は絶妙のバランス
で、読者をマレーシアのインド人労働者家族の日常世界の解読に引き込んでいく。
 第二の問題は、Hindrafについての考察の不十分さである。筆者が本論で明らかにした
マレーシア社会のありよう、すなわち、問題を、「個人/特定の民族の問題」とするのでは
なく、「社会のあり方の問題」として定義する人々、つまり、社会のタブーに挑戦する
Hindrafについての言及は魅力的なだけに、踏み込みの不足が惜しまれる。この団体のメ
ンバーはインド人の中間層であり、研究対象の労働者層ではないが、これらの人々のカウ
ンター言説の研究に取り組めば、問題を「個人の問題」から「社会の問題」へとつなげて
いくような回路の模索という今後の課題を、もう少し踏み込んで記述できたのではないだ
ろうか。ただし、Hindrafの活動が注目されたのは、2007年11月であったことから、本
論文に含まれている叙述だけでも、時間的にみて精一杯の健闘であったのかもしれない。
 これらの問題点は、本研究の学問的意義を減ずるものではない。筆者も問題を自覚して
おり、今後の研究で彼女なりの解決を示してくれるものと、審査委員はむしろ期待を高め
ている。
 
 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に十分に寄与しえたと判断し、本論文
が、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定した。

最終試験の結果の要旨

2008年7月9日

 2008年6月6日、学位論文提出者奥村育栄氏の論文についての最終試験を行った。試
験においては、提出論文「マレーシアにおけるインド人労働者家族の教育問題―秩序の維
持に果たすイメージの役割―」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたの
に対して、奥村育栄氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、奥村育栄氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに
必要な研究業績および学力を有することを認定した。

このページの一番上へ