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博士論文審査要旨

論文題目:イギリスにおける刑事司法・犯罪者処遇の政治学:1938−1973
著者:山口 響 (YAMAGUCHI, Hibiki)
論文審査委員:加藤 哲郎、渡辺 治、渡辺 雅男、猪飼 周平

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一 本論文の構成

 山口響氏の学位請求論文「イギリスにおける刑事司法・犯罪者処遇の政治学:1938−1973」は、1930年代後半から70年代初頭にかけてのイギリスにおける刑事司法と犯罪者処遇制度の変容を、政治制度における中央・地方関係と司法・行政関係の交点において綿密に分析し論じた、ユニークでオリジナルな政治学研究の成果である。
 
 全7章からなる本論文の構成は、以下の通りである。
 
 序章 課題設定
 1 課題の設定
 2 先行研究の検討
 3 本論文のアプローチ
 4 本論文の構成
 5 対象範囲の限定
 
第1章 1930・40年代の犯罪者処遇制度改革
1 前史
2 1938年刑事司法法案
3 1948年刑事司法法
4 まとめと考察

第2章 1940年代の治安判事制度改革
1 「治安判事補佐官に関する内務省委員会」報告書(1944年)
2 「治安判事に関する王立委員会」報告書(1948年)
3 中央対地方
4 刑事司法の非専門性・地方的性格
5 「中央司法」対「中央行政」
6 「地方司法」対「地方行政」
7 まとめと考察
第3章 1950年代の犯罪者処遇制度改革と内務省審議会
1 短期懲役刑からの脱却
2 アフターケア
3 少年犯罪者の処遇と不定期刑
4 身体刑の復活?
5 非居住型処遇の新方式?
6 予防拘禁の廃止
7 政府白書「変わりゆく社会の刑政」
8 まとめと考察

第4章 1960年代の犯罪者処遇制度改革
1 「児童・少年に関する内務省委員会」報告書(1960年)
2 労働党による犯罪問題の検討
3 政府白書「児童・家族・青年犯罪者」(1965年)
4 政府白書「問題児」(1968年)
5 1969年児童少年法
6 プロべーションとソーシャル・ワークの統合論
7 成人犯罪者対策と過剰拘禁
8 まとめと考察

第5章 1960年代〜70年代初頭の刑事司法制度改革
1 1968年治安刑事法
2 アサイズ・四季裁判所の再編成と治安判事
3 1971年裁判所法
4 治安判事裁判所システムの集権化?
5 まとめと考察

終章 まとめと考察
1 各章のまとめ
2 考察
3 本論文の意義
4 今後の課題

参考文献

 
 


 二 本論文の概要
 
 一般に、わが国のイギリス政治研究においては、「ウエストミンスター・システム」とよばれる立憲君主制や議院内閣制、二大政党制、影の内閣などが論じられる場合が多い。成文憲法を持たず、議会立法の積み重ねと慣習法、判例、国際条約が、統治のあり方を規定する。そうした伝統のもとでは、権力分立や中央・地方関係も、独自の性格を帯びる。
 本論文の対象とする刑事司法や犯罪者処遇の問題領域は、憲法を基本法とした実定法体系のある国では、通常最も非政治的ないし没政治的なものとして扱われ、犯罪者に対する「改善主義(更正主義)か厳罰主義(応報主義)か」といった問題は、行政学でも敬遠され、法律学や犯罪学(Criminology、犯罪社会学・犯罪心理学等)の専権領域になることが多い。しかし、かつて修士論文で英国の1969年死刑制度廃止を政治学の観点から扱った著者は、敢えて刑事司法制度の漸進的改革過程に政治学の最新の方法で切り込み、そこからイギリスの政治制度の特質を浮き彫りにするという手法を採った。
 中心的素材としたのは、英国国立公文書館のCabinet papers,議会議事録、保守党・労働党史料館資料などの第一次史料であり、問題の性格上、地方レベルでの史資料も広く収集し使用している。もともと英国でも先行研究の少ない当該領域で、政策決定に関わる資料を丹念に収集し、読み込み、一つづきの政治過程に再構成した開拓的研究である。
 
 序章では、本論文の3つの課題が設定される。第1に、刑事司法や犯罪者処遇に関する中央・地方関係、第2に、この問題を扱う司法・行政関係、第3に、犯罪者処遇の「改善主義は失敗したのか、それはいかなる意味で、どのような理由によるか」である。
 第1、第2は国家制度の仕組み、権力分立に関わる問題であるが、第3の課題は、第二次世界大戦から1970年代——サッチャー政権登場前の福祉国家期——の英国政治史上の論点である。したがって先行研究整理は、ひとまず第3の課題に関わる英国における政治学、歴史学、クリミノロジーの業績を見る。
 政治学からの唯一の業績というミック・ライアン『刑事改革の政治学』(1983年)は、多元主義アプローチで内務省、圧力団体、政党などのアクターを挙げ政策決定に注目したが、1960年代までは保守党・労働党とも犯罪者の改善主義に賛成しながらなぜ後退したかをイデオロギーの弱さに帰して、執行・評価過程の制度環境を見逃し、アクターから司法部を排除しているという。歴史学のベイリー、フォーサイス、スキルムらは、治安判事についての情報等は役立つが事実記述に留まり因果関係を説明し得ないという。クリミノロジーのD・ガーランド『刑罰と福祉——刑事戦略の歴史』(1985年)は犯罪者を更正し利用するという改善主義の発想を、優生学、社会保障、ソーシャル・ワークと共に総力戦への国民動員の一角に位置づける点で有益だが、19世紀末から20世紀初頭が主たる対象のため、本論文の対象とする1930−70年代の変容までは扱っていない。R・ライナーの2006年の論文「リスク論を超えて」は「社会民主主義的クリミノロジーを求めて嘆く」と副題され、犯罪学の世界に社会民主主義の失敗から新自由主義へというマクロなイデオロギー転換を見出し、あたかも社会民主主義の理論的誤りがエゴの拡大と犯罪増加をもたらし新自由主義の「法と秩序」政策を導いたかのような説明になる。
 こうした先行研究整理から、著者は、自分自身の研究戦略を、刑事司法と犯罪者処遇に関する制度環境の変化、特に中央・地方関係と行政・司法関係の結合の仕方に求める。上記第1、第2の課題で、中央行政・中央司法・地方行政・地方司法の4者関係が焦点とされる。しかも犯罪を減らすための「犯罪統制(犯罪の定義、予防、犯罪者処遇)」において重要なのは、「何を刑法上の犯罪とみなすべきか」という定義、ラベリング・フレーミングにあり、「政策」の対象となる「問題」そのものが、犯罪原因論→予防対処論・犯罪者処遇論→犯罪統制の制度設計・リソース運用のプロセスと結びついて生成し論点化する。議題設定(agenda setting)における、ジョン・キングダンらのいわゆる「政策の窓(policy window)」理論、問題(problem)・政策(policy)・政治的出来事(political event)のワンセット論の応用である。
 こうした研究戦略が、近年の政治学における政策過程論の最新の成果に示唆を得ていることは容易にみてとれるが、著者はこれを、マクロな福祉国家論や政治経済学における有力な潮流、新制度論の方法論的枠組みに組み込もうとする。つまり、「問題発生→政策形成」という因果関係よりも「政策→問題定義」をよりよく説明する新制度論の中心的主張、経路依存性(path dependency)の議論と、犯罪統制の制度変容という本論文の分析対象を、方法論的に結びつけようとする。そのさい、アクターに対する制度の拘束性や社会の不変性を説明する理論として産まれた新制度論の枠内でも、経路の発生と経路の再生産・自己強化局面を分ける議論、合理的選択で説明しうる功利主義的観点とアクターの権力政治的観点の二重性を想定する議論など、世界の政治学の最新の理論状況に目配りして、制度の内生的・漸進的変容を説明できるとする。
 このような理論的関心が、一見すると周辺的でマイナーな刑事司法や犯罪者処遇の政治過程をとりあげ、しかもサッチャー政権期のドラスティックな政治変動ではなく、それを準備した前段階期までを対象として精緻に分析した本論文の、方法論的前提となっている。
 第1章では、1938年刑事司法法案(the Criminal Justice Bill)と第二次世界大戦後の1948年刑事司法法(the Criminal Justice Act)の政策形成過程を分析し、身体刑の廃止、懲役刑の制限、矯正訓練や短期収容所命令新設など、「貧困・不平等と失業こそ犯罪の原因」とする考え方を背景に、「改善主義」が制度設計され確立する過程を描く。そのさい、上記の方法から、立法・政策策定過程のみならず、執行・実施過程における治安判事・プロべーション(保護観察)官・地方行政当局等の権限争奪に注目し、犯罪処遇における中央・地方関係での地方、特に地方の司法・行政でなお大きな権力を保持する治安判事の、いわば抵抗勢力としての重要性を浮き彫りにする。
 第2章では、1949年治安刑事法(the Justice of the Peace Act)による治安判事改革を取り上げる。中央のバラ(borough、市)裁判所廃止論、地方自治体の長らが職務上当然に治安判事を兼任する「ex officio型治安判事」廃止論をめぐる地方の激しい抵抗、それに有給治安判事任命権をめぐる中央レベルでの内務省と大法官府の争い等をとりあげ、中央行政・中央司法・地方行政・地方司法の4者関係が重要だとする著者の仮説が活用される。地方名望家が多い治安判事は、保守党の支持基盤とはいえ、産業社会化・福祉国家化に伴う改善主義的刑事政策そのものに反対したわけではなく、その執行過程での効率化、行政と司法の分離や既得権剥奪に抵抗したのだという。
 第3章では、表面での動きの少ない1950年代における、内務省の「犯罪者処遇に関する諮問審議会」(ACTO)によって出された諸提言を、議事録段階から克明に分析し、短期懲役刑を制限したり、身体刑の復活案が否定されるなど、改善主義的処遇が再確認され、同時に過剰拘束問題が「問題」化する局面を描く。短期懲役刑からの脱却、アフターケア、少年犯罪者処遇、身体刑、非居住型処遇、予防拘禁の6つのテーマについて議事録を丹念に追って関係者の論点・争点を析出し、司法から行政への権限移行、裁量権増大を見出す。
 第4章では、「激動の1960年代」が扱われる。労働党の1964年研究グループ報告、内務省の1965年白書『児童・家族・青年犯罪者』によって少年非行対策についての「脱司法・脱刑事」の流れが生まれ、これに対して既得権益を持つ司法やプロべーション側が激しく反発して、結局「脱司法・脱刑事」の改善主義的改革は挫折する。著者はこれを各アクターの報告書、政府白書、1969年児童少年法(the Children and Young Persons Act)、成人犯罪者政策などを取り上げて、「司法・行政関係」という独自の政治過程を分析する。
特に、もともと改善主義的で行政権限の大きかった8歳以下児童犯罪に留まらず、10歳、12歳、15歳、16−21歳等に刑事責任年齢を引き上げ、少年犯罪・青年犯罪類型を設定して中間処遇制度を設けようとする行政側の主張に対して、裁判官の裁量・管轄権を守ろうとする司法機関の抵抗の具体的様相の記述には精彩がある。その児童・少年対策と成人対策の乖離の過程で、改善主義が青少年犯罪に特化され、成人犯罪については改善主義の影響力が徐々に弱まって厳罰主義・応報主義が復活してくるという、「改善主義は失敗したのか」という論点への著者の回答、治安判事が、中央行政での改善主義政策そのものに反対するのではなく、改善主義政策の実施過程での権限を求めて抵抗し地方行政との縄張り争いとなったという著者の新知見は、説得力がある。
 第5章では、1960年代から70年代初頭の刑事司法制度改革を、統計的・数量的分析を加え、「司法・行政関係」と「中央・地方関係」の両視角を組み合わせて、分析する。上位裁判所のナショナル・システム構築を導いた「アサイズと四季裁判所に関する王立委員会」1969年報告書と、それを実現した1971年裁判所法(the Court Act)、下位裁判所である治安判事裁判所における治安判事と地方参事会議員との兼職制度全廃、にもかかわらず、集権化されずに存続した治安判事裁判所システムという、この期の力関係の結果としての制度変容・不変容が析出される。治安判事裁判所より上位で、重要な正式起訴案件を扱う第一審裁判所アサイズ、より軽微な正式起訴案件を扱う四季裁判所といった英国の複雑な刑事司法制度を、著者は、巻頭に原語を付した<用語集><人物略歴><法令一覧><制度説明図>等を置いてあらかじめ略述していたが、本章では、第1—4章での分析の帰結としてどのような制度変容が実現され、どのような制度環境が維持・再生産されたかを収支決算する。地方レベルでも司法と行政の分離が進行する過程で、60年代末には治安判事等地方司法は「中央・地方」図式に依拠できなくなり、中央司法=大法官府に依拠したナショナルで中央集権的な刑事司法システムを求めるようになったという、犯罪統制政策における「制度的布置構造」の内生的変化を見出したのが、本論文の膨大な分析の結論となる。
 終章では、これらを改めて整理し、「制度的布置構造」の変容を歴史段階的に整理し、「改善主義の失敗」という通説的説明とは異なる自説の方法的特徴をまとめている。

   三 本論文の評価

 以上に要約した山口響氏の論文は、以下の諸点で、高く評価できる。
 第一に、政治学の研究対象としては敬遠されがちな、英国の司法制度・刑事法制の領域に実証的メスを入れ、米国でよくみられる最高裁判所裁判官指名の政治学、日本の研究で蓄積された最高裁判所と法務省官僚制の癒着等の場合とは異なるかたちでの、中央・地方関係を加味した「司法政治」という政治舞台を、イギリス特有の治安判事制度の衰退過程との関連で抽出し、その詳細な政治過程を歴史的に分析した、重要な研究と評価できる。
 第二に、本論文は、イギリス本国でも先行研究の少ない刑事司法制度と犯罪処遇制度の問題に、政治学の新制度論、経路依存性論の最新の成果を用いて挑戦した、方法的にもユニークでオリジナルな研究である。改善主義対厳罰主義という、ともすれば刑法学的になりがちな論点を政治学的に取り上げ、治安判事制度の残存を背景にした中央・地方関係、司法・行政関係の制度的布置構造の中において、国家権力内部での力関係変化が政策的帰結の変容を産み出すプロセスを抽出し、社会革命や政権交代を伴わない場合でも起こりうる、経路依存性の枠内での制度の漸進的・部分的変容という重要な知見を提示した。
 第三に、現地での周到な第一次史資料の収集・発掘によって、中央機関・委員会議事録、地方資料、関連団体資料等を用いた重要論点での分析は、主題についての英国本国での研究をもしのぐ高い実証密度を持つものとなった。在外研究の成果がフルに発揮された作品として、典拠の面からも高く評価できる。
 とはいえ審査委員会は、本論文に、もっと論じてほしかった論点、いくつかの叙述上での問題点をも見出している。
 第一に、ユニークな問題設定と独自の方法論による対象への接近によって、「中央・地方」「行政・司法」という4象限分析による「制度的布置構造」がクリアーになっただけ、英国政治史研究で馴染み深い保守党・労働党の政党政治との関係、社会階級・階層との関係、宗教団体との関係等、総じてイギリス政治制度全体の変容との関係は後景に退き、刑事司法や犯罪者処遇の専門家、政治学の新制度論研究者以外の読者にはややわかりにくい、高度に専門的な作品となったことである。各章毎に、時代背景や、著者が修士論文で仔細に扱った1969年末死刑制度廃止の動きとの関連が書き込まれていれば、よりわかりやすいものとなったであろう。
 第二もこれに関連するが、本論文の扱った時期の直後が、「小さな政府の強い国家」ともいうべきサッチャーリズムの時代で、英国政治制度全体に大きな変化があった。もちろんそこでも、かつて世界の典型といわれたイギリス福祉国家が解体されたわけではなく再編されたのであり、新制度論のいう経路依存性の議論の有効性は保たれている。とはいえ、著者の対象とした刑事司法や犯罪者処遇の領域でも、厳罰主義・応報主義が強化され、財政・福祉・教育・警察制度を通じた新自由主義改革が進められたと言われる。また犯罪者処遇における改善主義・更正主義の考え方は、ポスト・サッチャーのブレア政権で採られたウェルフェアからワークフェア、「第三の道」との関連で、興味深い対象ともなりうる。本論文の実証密度で対象時期を延長することは難しかったとはいえ、1970年代後半以降への大局的な見通しでも終章で言及されていれば、より本研究の歴史的・社会的意義を、理解しやすいものとしたであろう。
 もとよりこうした問題は、著者の問題設定・対象時期限定の禁欲の結果で、著書自身も自覚し「残された課題」として一言しているところであり、本研究の学問的意義を減じるものではない。

 以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に十分に寄与しえたと判断し、本論文が、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2008年6月11日

 2008年5月13日、学位論文提出者山口響氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査委員が、提出論文「イギリスにおける刑事司法・犯罪者処遇の政治学:1938−1973」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、山口響氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は、山口響氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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