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博士論文審査要旨

論文題目:明治前期地方編制と町村概念の転換
著者:荒木田 岳 (ARAKIDA, Takeru)
論文審査委員:田崎宣義、渡辺 治、木村 元、渡辺尚志

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I 本論文の構成
 本論文の構成は次の通りである。

 序
 第一章 明治前期地方編制と町村概念の転換
  はじめに
  第一節 近世的町村の性格とその改編課題
  第二節 明治前期地方編制=「過渡期」説
  第三節 町村規模の地域的格差と「戸長管区」の運用
  第四節 「近代的町村」の形成
  小括
 第二章 近世的地域支配とその動揺
  はじめに
  第一節 日本近世における身分制と「役の体系」
  第二節 「役の体系」と近世的地域支配
  第三節 都市における地域支配の展開(長岡城下を例に)
  第四節 農村における地域支配の展開(古志郡栃尾組を例に)
  第五節 近世的地域支配秩序の動揺
 第三章 戸籍法の歴史的位置
  はじめに
  第一節 幕末維新期の京都における政治課題
  第二節 維新政府の対応
  第三節 京都府戸籍仕法の「前史」
  第四節 京都府戸籍仕法の編制原理
  第五節 統一戸籍法(壬申戸籍)の編制原理
  小括
 第四章 「役の体系」の解体・再編と行政区画制
  はじめに
  第一節 「役の体系」再編の課題
  第二節 軍制の再編と徴兵制
  第三節 「学制」の展開
  第四節 「空間の斉一化」「身分の平準化」と地租改正
  第五節 「役の体系」の解体・再編と行政区画制再編の条件
  小括と展望
 第五章 「大区小区制」の成立過程と学校行政
  はじめに
  第一節 戸籍法の施行過程
  第二節 太政官布告第一一七号の解釈をめぐって
  第三節 学校行政の展開と行政区画再編の課題
  第四節 大蔵省布達一四六号の成立とその解釈
  第五節 一般行政区画と学区の糾合
  小括と展望
 第六章 「大区小区制」下の町村合併と郡区町村編制法
  はじめに
  第一節 広域行政の課題と町村の「合併」「連合」
  第二節 町村規模の不均等発展と「大区小区制」の性格
  第三節 町村編制の地域的差異
  第四節 三新法体制への視座
  小括と展望
 第七章 新潟県(旧柏崎県)古志郡における行政区画制の展開
  はじめに
  第一節 古志郡域における管轄と支配機構の変遷
  第二節 長岡における「戸籍区」と「大区小区制」の展開
  第三節 栃尾郷における「戸籍区」と「大区小区制」の展開
  第四節 三新法体制期における行政区画制の展開
  第五節 連合戸長管区制期における行政区画制の展開
  小括
 第八章 市制町村制と「城下町」の再編
  はじめに
  第一節 町村大合併の課題
  第二節 市制町村制における都市再編の課題
  第三節 町村合併をめぐる軋轢(新潟県内の旧城下を例に)
  小括
 総括と展望


II 本論文の要旨

 本論文の課題は、幕藩制下の町村が再編を繰り返しながら明治地方自治制、すなわち市制町村制の成立をむかえるまでの過程を、ひとつの連続した歴史的過程として描き出すこと、しかもその連続した過程の中で、町村の性格が近世的なものから近代的なものへと転換したことを明らかにすること、である。

 明治地方自治制が成立する以前の地方編制は、大きく分けて大区小区制期(1872~78年)、三新法体制期(78~84年)、連合戸長管区制期(84~89年)に区分されるが、旧来の通説的理解では、近世的町村を再編しようとした大区小区制が、その新奇性のために激しい抵抗にさらされて失敗に終わり、その反省と否定の上に三新法体制が成立、さらに1884年の制度改革によって連合戸長管区制が導入されたとされてきた。このような理解は、維新政権の地方編制に対するもくろみが人民の抵抗によって挫折したこと、さらにいえば、明治地方自治制成立までの歴史的過程を、急進期と反動期に分節された過程としてとらえようとするものである。これに対し、80年代に入ってから、大区小区制期にも町村がその存在を否定されていない点に着目して、大区小区制期と三新法体制期を連続的に捉えようとする潮流が現れるが、この潮流は、戸長管区ではなく町村レベルに着目するため、三新法前半期と1884年以降の連合戸長管区制期の関係が説明できていない。本論文は、これら新旧両説への批判をめざしたものである。

 以下、本論文の構成にしたがって内容を要約する。

 「序」では、本論文の方法と論文全体の構成が示される。方法の部分では、これまでの地方自治制研究が国家権力と地域、中央と地方という分析枠組みを前提にしてきたのに対し、本論文では、地方制度が「権力の抱えた課題」と地域住民の主体的な関わりを含む「地域をめぐる条件」に規定されることに着目して、両者の関係性から地方制度の意味を読み解くべきであるとする。

 第一章は、近世的な町村から近代的な町村へと町村概念が転換する過程を一貫した過程として俯瞰する、本論文全体の「総論」にあたっている。第一節では近世的町村の特徴が、(1)幕府直轄領、藩領など支配系列による区分、(2)町方と地方、町方の中の寺社地、武家地、町人地など土地と身分による区分、(3)飛び地など支配関係の錯綜、(4)村高千石を越える村から無高、無民戸の村までの規模の多様性、(5)全体としての小規模性、(6)国土全体を覆い尽くしていない、にあるとされ、徴兵制、学制、地租改正などの国家的課題の地方への分課がこれらの特徴を整理することを展望する。第二節では、大区小区制が番付呼称であった点に着目し、これが旧来の町村の抵抗を殺ぎながら国家的政策課題の地方分課を可能にしたこと、また小規模な町村が多い府県を中心に町村合併が進行し町村規模が拡大したことが統計的に明らかにされる。第三節では、三新法体制期に町村合併が激減し、小規模町村では連合戸長制が導入されることが示される。第四節では、市制町村制施行にともなう町村大合併が連合戸長管区をふまえたものであることが指摘され、近代的町村が段階をおって準備されたことが示される。小括では、近代的町村の特徴を、(1)支配系列の一元化、(2)空間の斉一化、(3)範囲の一円化、(4)土地・人民・資力を備えた規模の均質化、(5)したがってある程度の大規模化、(6)町村が国土を覆い尽くす、に整理し、市制町村制施行に至る明治前期地方編制の全過程は近世的町村から近代的町村への過渡期と位置づけられ、この過渡期を通して行政区画は改編可能という町村概念の転換が進むとする。

 第二章では、幕末期の地域支配の状況を研究史の整理を通して確認する。第一節では近世社会が「役の体系」によって編成され、第二節ではこの編成原理が特有の空間編制をともなうこと、第三節で都市、第四節では農村を事例に空間編制の様相を整理し、第五節では、近世的空間編制が一七世紀末から動揺し、やがて中央と地方という観念が登場したことなどを指摘する。

 第三章では、維新政府の最初の統一的地方行政である戸籍法が登場する過程が取り上げられる。戸籍仕法の発端は当時の首都・京都に求められるが、第一節では幕末維新期の京都が「役の体系」の弛緩により庶民に危害が及ぶまでになり、治安維持が政治課題として浮上したこと、第二節では、そのために維新政権が住民把握と治安回復のために戸籍仕法を導入したことが指摘される。第三節ではこの戸籍仕法が近世の宗門改と人別改のうちの後者の系譜に属すこと、第四節では、にもかかわらず、人別改では外されていた士族を組み入れ、居住地を基本とする戸籍法への橋渡しとなった点を、東京などの事例も加えて指摘する。第五節では統一戸籍法(壬申戸籍)の編成原理が属地主義を取り、戸籍編成のために区という新たな空間を設定することで「身分の平準化」と「空間の斉一化」がもたらされ、同時に行政目的に応じた行政区画という改編可能な町村概念の萌芽が現れることを指摘する。小括では、以上の分析をふまえ、政府は戸籍を通じて社会編成原理の転換を企図したとする通説を批判する。

 第四章では、維新の三大改革とされる徴兵制、学制、地租改正を、「役の体系」の弛緩と社会編成原理の変換という視点から捉え直す。第一節では廃藩置県に至る領有制の解体過程が「役の体系」再編の過程でもあったことを概括的に論じ、第二節では徴兵制に先行する諸藩の兵制改革が「四民平等」や「臣民一般」という概念を内包していたこと、第三節では学制の「国民皆学」の理念が諸身分の平準化を前提とし、学区が新たな行政区画制を想定していたこと、第四節では地租改正が「空間の斉一化」と「身分の平準化」に結びつくことを指摘し、第五節では以上を概括し、幕末維新期の社会変動が維新変革を通じて「身分の平準化」と「空間の斉一化」に帰結する契機をもっていたことが述べられる。

 第五章では、大区小区制が生成する過程を学区との関係に着目して論ずる。第一節では、大区小区制がなぜ浮上したかを戸籍法施行過程との関係から検討し、大区小区制の根拠法令のひとつとされる太政官布告117号が通説のいう区制貫徹と町村否定を放棄したのではなく、名主・庄屋が一般事務と戸籍事務を別の肩書きで行っていた実体を統合したものであるとし、第二節では、太政官布告をめぐる政府と府県とのやりとりを検討し、政府が(1)戸籍区の戸長を廃止し、(2)戸籍事務を旧来の町村役人に担わせ、(3)戸籍区について解釈・言及を避けていた点を明らかにし、政府は町村に代わる行政区画を具体化していなかったとする。第三節では、さきの太政官布告後に出された学制が町村や戸籍区とは別の行政区画・学区を想定している点を指摘し、第四節ではもうひとつの大区小区制の根拠法令とされる大蔵省布達第146号を取り上げる。この大蔵省布達は学制の後に出され、通説では、区と小区という二層の行政区画と大庄屋に比定される区長の設置を認めたものとされてきた。筆者は、この布達に先行する大蔵省と太政官のやりとりや各地の事例を分析して、太政官布告後も区は存続したことを示し、存続していた区が大蔵省布達によって再び積極的に法認されるようになった根拠こそ問題であるとする。第五節では、各地の事例を参照しつつ、小区が小学校設置単位として浮上した点を指摘し、複数の行政課題を単一の行政区画で処理できる一般行政区画が登場すること、研究史的には、通説とは逆に学校行政が行政区画制に影響を与えたことを指摘する。

 第六章では、三新法体制の歴史的性格を大区小区制との関連の中で再評価する。第一節では、戸籍法による区制導入が太政官布告、大蔵省布達で二転三転するという通説的理解が地租改正と学制という当該期の行政課題を念頭においていない点を指摘し、第二節ではこの行政課題が町村合併を推進したこと、合併には強い地域的偏差があったこと、三新法体制下に合併が激減することが指摘され、第三節では、大区小区制末期には大規模町村地区では一町村一戸長制、小規模町村地区では連合戸長制となったこと、第四節では大区小区制期と三新法体制期の戸長管区を具体的に検証して、戸長管区という一般行政区画は連続している点を指摘し、三新法体制期が大区小区制期と連合戸長管区制期との過渡期に位置することを明らかにする。

 第七章では、地域の具体例に則して明治前期地方編制が行政目的に適合的な町村の連続的な創出過程であったことを検証する。第一節では、明治初年から1876年頃までの行政機構の検証から、町村に代わって組が行政区画となったこと、第二節では戸籍法交付時には別の小区に編成されていた武家地と町人地が翌年には同じ小区に混在し「身分の平準化」と「空間の斉一化」がみられること、第三節では近世の小村分立状態が整理されて組を束ねたほぼ同規模の小区に再編されること、第四節では大区小区制期に組が戸長管区に移行し、行政課題に応じた連合組織が現れること、第五節では連合戸長管区がのちの市制町村制期の町村合併の枠組みとして機能することを展望する。

 第八章では、市制町村制施行時にとくに都市部で政府の合併方針が適用されなかった点に着目し、封建都市の再編が取り上げられる。第一節では、市制町村制制定をめぐる政府部内での議論の検討から市制町村制施行時に合併が方針となったこと、第二節ではさらに市制の検討にあたり旧藩城下町での複雑な政情などがすでに考慮されていたことが確認される。第三節では、市制施行に至らなかった新潟県内の四城下町を個別に検討し、市制施行に至らなかった原因が近世以来の武家地と町人地の対立によるものではなかったこと、独立町村たる要件が満たされた場合には合併が強行されていないことを指摘し、市制町村制施行時の合併に対する通説的評価に批判を加えるとともに、合併にいたらなかった新潟県下の旧城下町も明治前期地方編制の変遷過程で、「身分の平準化」と「空間の斉一化」が進行していたことが結論づけられる。

 「総括と展望」では以上の行論を整理した上で、「近代的町村」展開の前提が確立された1871~72年を近世と近代の「分水嶺」ととらえ、行政の可変的な区画を町・村と呼称する市制町村制施行までの、町村と行政区画が併存する時期を「近代的町村」確立の「過渡期」とする時期区分が提示され、さらに今後の課題が提示される。


III 本論文の成果と問題点

 本論文の成果として、以下の点をあげることができよう。

 第一に、本論文の課題は近世から近代への移行期における町村の再編と町村概念の変貌を一貫した一連の歴史的流れとして把握するという壮大なものであるが、この課題が十分な説得力を持って達成されていることである。本論文が扱う時期は、とりわけこれまでの研究史では、論文中で筆者がたびたび指摘するように、戸籍法を起点とする異なる指向性を持った地方制度の集綴として理解され、叙述されてきた。その歴史過程を近世末期から近代へのひとつの大きな流れとして描き出すことに初めて成功したことの意義は大きく、長年にわたる研究の個別細分化の状況を乗り越えた点は高く評価することができる。

 第二に、本論文の強い説得力は、地方制度の変遷を政府の抱える政策課題と地域の個別的事情をふまえた地域的差異の拮抗の中に位置づけながら、なお近代的町村へ向けての基本的方向性が一貫することを示そうとした本論文の方法論に由来するところが大きい。またこれまでの研究史が固執してきた町村と中央政府との二項対立的な図式から方法論を解き放ったことが、本論文を成功させる要因となっており、その意味で、壮大な課題を支えた方法論の適切さも高く評価することができる。

 第三に、治安機能に着目した戸籍仕法の評価、機能的側面に着目し大区小区制の評価、学制と大区小区制との関わり、三新法体制の歴史的な位置づけなど、これまでの研究史にはみられなかった個別の新しい知見も説得力に富み、それぞれの章が個別論文として成立する高い水準に達している。

 以上のような到達点にもかかわらず、以下のような問題点も指摘できる。

 第一に、本論文のモチーフは近世的町村から近代的町村への転換を論ずる点にあるが、行政的機能の転換を論ずる場合には、それぞれの町村が担った機能の内容に踏み込こんだ比較検討が必要であろう。とくに近世的町村やその連合が担った役割がどのように再編され、町村機能が転換するのかを解明することは本論文の課題に照らしても必要な作業ではないかと思われる。

 第二に、本論文は町村と中央政府との二項対立的な図式をあえて捨てることによって新たな歴史像の提示に成功しているが、旧来の方法論を捨てたことを旨く表現できるような術語が創りだされていないために、ややもすると生硬で熟しきった論述になっていない点がみられることである。

 だが、こうした問題点にもかかわらず、審査委員会は、本論文が博士の学位を授与するのに必要な水準を達成していることを認定し、荒木田 岳氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適切であると判断した。

最終試験の結果の要旨

1999年2月26日

 1999年2月26日、学位請求論文提出者荒木田 岳氏の論文についての最終試験を行った。
 試験において、提出論文「明治前期地方編制と町村概念の転換」に基づき、疑問点について審査員が逐一説明を求めたのに対して、荒木田氏は、いずれにも適切な説明を行った。よって審査委員会は、荒木田氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績及び学力を有するものと認定し、合格と判定した。

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