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博士論文審査要旨

論文題目:フェティシズムと近代フランス宗教思想に関する歴史的考察 —ド・ブロス、コンスタン、コント−
著者:杉本 隆司 (SUGIMOTO, Takashi)
論文審査委員:森村 敏己、平子 友長、深澤 英隆、山崎 耕一

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 1 本論文の構成
 杉本隆司氏の学位請求論文「フェティシズムと近代フランス宗教思想に関する歴史的考察−ド・ブロス、コンスタン、コント−」は、シャルル・ド・ブロスからバンジャマン・コンスタン、そしてオーギュスト・コントに至る思想の系譜を丹念にたどることで、フェティシズム概念を軸とした宗教進歩論の確立を明らかにすると同時に、革命を経た一九世紀前半のフランスが直面していた「社会的紐帯の再組織化」という課題を背景に、宗教が担うべき役割をめぐる当時の議論を詳細に分析し、宗教社会学の成立に関して新たな展望を開こうとする力作である。また、原稿用紙にして一〇〇〇枚を超える大作でありながら、著者の明確な問題意識はその叙述に一貫性を与えている。
 本論文の構成は以下の通りである。ただし、各章を構成する節のタイトルは省略した。

序論
 一 研究のテーマ
 二 本論の構成
第一部 啓蒙主義のフェティシズム−シャルル・ド・ブロス
 第一編 プレジダン・ド・ブロスと一八世紀啓蒙
  はじめに ド・ブロスとは誰か?
  第一章 社会生活と知的風土
  第二章 著作と思想
 第二編 ド・ブロス『フェティッシュ神の崇拝』
  第一章 フェティシズム論
  第二章 比較民俗学とその系譜
  第三章 宗教進歩思想とその系譜
 第三編 フランス啓蒙とヒューム『宗教の自然史』
  第一章 ヴォルテールのキリスト教批判
  第二章 ヒュームの理神論批判
 第四編 宗教史と進歩の観念
  第一章 ド・ブロスとヒューム
  第二章 一八世紀啓蒙主義から一九世紀実証主義へ

第二部 ロマン主義のフェティシズム−バンジャマン・コンスタン
 はじめに
 第一編 コンスタンの宗教思想
  第一章 コンスタンとフランス啓蒙
  第二章 啓蒙主義からロマン主義へ
  第三章 精神的危機からの回復
 第二編 コンスタン『宗教論』とそのフェティシズム論
  第一章 『宗教論』の構成と主題
  第二章 フェティシズムと古代宗教史
 第三編 古代宗教史とカトリシズム
  第一章 宗教史における多神教の位置
  第二章 ドイツ・カトリシズムの興隆
 第四編 リベラリズムvsネオ・カトリシズム
  第一章 「エジプトの賢者」から「ガンジス川の哲人」へ
  第二章 コンスタンの普遍的ロマン主義批判

第三部 実証主義のフェティシズム−オーギュスト・コント
 はじめに
 第一編 実証主義における「実証」精神と宗教
  第一章 サン=シモンの「実証」精神と「体系」精神
  第二章 オーギュスト・コントの実証主義
 第二編 実証主義による精神的権力の創設
  第一章 コントの精神的権力論
  第二章 コントとネオ・カトリシズム
  第三章 サン=シモン主義vsリベラリズム
 第三編 原始宗教史と人類教
  第一章 方法論としてのフェティシズム
  第二章 フェティシズムから人類教へ

補論 ベルグソン『道徳と宗教の二源泉』のカトリシズム批判
結語 「司祭」と「野生人」の思想史
ビブリオグラフィー

 2 本論文の概要
 一九世紀前半を社会学的思考の基礎となる諸思想が登場した時代としながらも、従来の学説史はのちの社会学に直結する思想潮流のみに着目してきた。また、コントやサン=シモンを社会学の祖として取り上げる場合も、彼らの実証主義や社会科学論に比べ、宗教論は十分に検討されてこなかった。こうした学説史への批判を前提に、序論において著者はフェティシズム概念を中心テーマとすることで、これまで注目されてこなかった重要な思想的系譜を明らかにするとともに、近代社会における宗教の位置づけをめぐる議論を検討することが本論文の課題であるとしている。
 第一部ではフェティシズム概念の創始者であるシャルル・ド・ブロスの思想が分析される。第一編でド・ブロスの生涯と著作を啓蒙時代という思想状況を背景に概観したのち、第二編以下において『フェティッシュ神の崇拝』(一七六〇年)が検討される。この作品でド・ブロスは、人間の認識は具体的な事物から発し、知的能力の進歩とともに徐々に抽象概念に至るという人間精神の進歩のあり方を根拠として、事物や動物自体に神性を認めてこれを直接崇拝するフェティシズムと、神の代理表象たる偶像を通して神を間接的に崇めるイドラトリとを峻別し、人間精神のもっとも未発達な状態に対応したフェティシズムこそが原初的な信仰形態であったと主張する。逆に高度な抽象化能力を必要とする唯一神の認識は人間精神の高度な進歩を待って初めて成立したはずである。著者は、こうした宗教進歩観がキリスト教的な歴史観はもとより、理神論の宗教観ともまったく異なるものであったことを強調する。キリスト教的解釈によれば、原初の人類は創造主たる唯一神を崇拝していたが、原罪による堕落ののち、真の神の概念を忘却し、偶像崇拝にいたったという。また、キリスト教をはじめとする啓示宗教への批判として多くのフィロゾーフの支持を得た理神論にしても、自然の合理主義的解釈から導き出される唯一神への信仰が原初の宗教形態であり、偶像崇拝や多神教はそこからの堕落だとする点ではキリスト教と共通している。代表的な理神論者のひとりヴォルテールを例に取りながら、著者はキリスト教と理神論は以下の二点において共通の仮説を支持していたという。すなわち、原始一神教の存在と、いつの時代にも真の神を認識できる賢者が存在したという想定である。そして、ド・ブロスのフェティシズム論はこの仮説への根本的批判として位置づけられる。
 著者はこうしたド・ブロスによる大胆な転換に先立つ議論として、ピエール・ベール、ジョン・ロック、デイヴィド・ヒュームの理論を取り上げる。ベールは唯一神を認識できたのは啓示を受けた選民であるユダヤ人を措いて他にないとする点で、またロックは生得観念を否定し、人間の認識はすべて感覚と内省によって形成されるという経験論的認識論によって、原初の人類は普遍的に唯一神を認識していたという議論を斥ける。しかし、あくまでキリスト教の枠内に留まっていたこうした議論を踏み越えて、より根本的な批判を展開したのはヒュームであった。彼は『宗教の自然史』(一七五七年)において人間の思惟の自然的な進歩を根拠に、粗野な思考能力しか持たなかった未開人たちには、自然の完全性からそのデザイナーの存在を想定し、全能の唯一神を導き出すといった高度で抽象的な推論は不可能だとして、原初の宗教は多神教であったとする。著者によれば、キリスト教と理神論に共通する非歴史的な普遍主義的宗教観に対抗して、ヒュームは宗教に歴史を導入し、人類の認識能力の漸次的発達という観点から原始一神教、さらにはいつの時代にも唯一神を認識できた賢者が存在したという想定を批判するのである。一見して明らかなように、こうしたヒュームの議論をド・ブロスは共有していた。
 ヒュームの著作はド・ブロスの『フェティッシュ神の崇拝』より三年早く出版されており、またド・ブロスは自著の出版前にヒュームの作品を知っていた。そのため、当時からド・ブロスの議論をヒュームの模倣とする見解もあったが、著者は『フェティッシュ神の崇拝』の執筆時期からふたりは独自に類似の見解に達したとしている。なにより、原初的な宗教が偶像崇拝、つまり象徴としてのイドルを通じた間接的な神への崇拝であったとするヒュームとは異なり、すでに見たようにド・ブロスは「もの」それ自体の直接崇拝であるフェティシズムがより古い宗教形態であったとしている。両者は同じく人間精神の漸次的進歩という歴史観に立脚するが、この意味でド・ブロスは原始一神教の基盤である象徴主義的解釈に対して、ヒューム以上により徹底した批判を行ったとされる。
 同時代人には評価されなかったとはいえ、著者は宗教進歩論の確立というふたりの業績がもつインパクトを強調する。そして、第二部以降では、革命後、一九世紀フランスが直面していた問題に取り組むために、ド・ブロスの宗教思想がいかに継承され、組み替えられていったかが論じられる。
 第二部の主要な分析対象であるコンスタンはロマン主義文学の旗手として、あるいはナポレオンの強権的支配を批判した自由主義のイデオローグとして知られているが、実は宗教の考察に多くの年月を費やし、膨大な『宗教論』全五巻(一八二四〜一八三一)を執筆している。著者は王政復古期に大きな影響力を持ったネオ・カトリシズムとの対決という視点からこの作品を分析し、コンスタンがフェティシズム概念を自らの宗教論にどのように摂取し、いかなる宗教史を描いたかを明らかにするとともに、彼の宗教論がフランス革命後の混乱した社会的・政治的状況の中ですぐれて政治的な著作であったことを論証することで、宗教と政治の関連に迫ろうとする。
 まず第一編で著者はコンスタンの思想遍歴を確認し、啓蒙主義への傾倒と「改心」を経てのそこからの離脱という従来の解釈を批判する。著者によればコンスタンは確かに「精神的な危機」を経験し、スイスの敬虔派グループやドイツ哲学に影響を受けたが、啓蒙主義を完全に放棄したのではなく、啓蒙主義的な人間精神進歩の思想と普遍的な宗教感情の尊重という一見相容れないふたつの立場の統合を自らの課題とするようになったのだとされる。その結果、コンスタンは人間精神の改善可能性を前提に、知性の発達に対応した宗教形態の歴史的発展という見解を抱き、『宗教論』においてその論証を試みることになる。
 宗教感情とは未知な力との交流を求める欲求から生じるとするコンスタンによれば、それは人間にとって普遍的で本質的な感情であるが、この宗教感情と宗教形態は区別する必要がある。ここでコンスタンは知性の発達という要因を導入し、知的進歩とともに人間は既存の宗教形態に疑念を抱くようになり、いわば宗教感情が宗教形態から離脱するという現象が起きるという。そのとき不信仰が生じるが、それは宗教感情が宗教形態に対して感じる幻滅を示している。そして、信仰が知性の進歩に見合った純化を遂げ、宗教形態がこれに対応できなくなると、宗教感情はこの古い宗教形態を完全に破棄し、新たな宗教形態が成立する。このように解釈することで、コンスタンは普遍的宗教感情の存在と、人間精神の進歩による宗教形態の変化とを整合的に説明している。著者によればそれはコンスタンに独自な宗教進歩論であるだけでなく、権威は信仰に対して中立であるべきだとする彼の宗教面での自由主義を根拠づける理論でもある。つまり、宗教感情は普遍的であっても、宗教形態は歴史的に変化する可変的存在に過ぎず、知性の発達によって改善されるのが自然の歩みである。既存の宗教形態を強引に維持しようとすることは、この歩みへの不当な干渉に他ならない。コンスタンが『宗教論』を公表した王政復古期は、カトリックの再興が強力に推し進められた時代だった。それを思えば、彼の宗教進歩論がもつ政治的な射程は明らかである。また、ド・ブロスから継承したフェティシズム概念がこの宗教進歩論と親和的であることは容易に理解できる。コンスタンはド・ブロスにならってフェティシズムが知性の未発達な段階に適合的な宗教形態であるとしている。ただし、知性とは異なる普遍的な感情を宗教の基礎に据えるコンスタンには、宗教進歩論とともに普遍的な宗教感情に対応する普遍的宗教への志向が存在していると著者はいう。
 次いで、フェティシズムから多神教への移行を論じる中でコンスタンは、古代ギリシアを例外として多神教の成立は司祭権力を有する聖職者団を生み出し、彼らによる知識の独占と支配・権威の拡大は人間の知性の発達を妨げ、知性の進歩に対応した宗教形態の進化という本来の流れを阻害したとしている。著者は、こうした議論には古代宗教史の解明に留まらず、近代ヨーロッパにおけるカトリック教会への批判が込められていたと指摘し、コンスタンと当時のネオ・カトリックとの論争を分析する。たとえばカトリックの普遍性を証明しようとするラムネは、コンスタンと同じく宗教感情の存在は人間にとって本質的・普遍的であるとしながらも、その普遍性をカトリック教会の普遍性へと読み替えるために、善悪や真理の判断基準としてこの宗教感情ではなく教会の権威を持ち出している。コンスタンはそれを厳しく批判し、権威は聖職者団の無謬性を証明しないし、むしろ不寛容や弾圧を正当化するものだとする。彼はあくまで個人的理性、個人の宗教感情に従うべきことを主張し、教会の権威に個人の自由を対置するのである。また、エクシュタインはコンスタンを批判しながら、フェティシズムもまた司祭を媒介者とする間接崇拝であり、こうした粗野な宗教以前に「原始カトリック」と呼ぶべきものが存在したとしている。彼によれば、信仰の基礎は個人の曖昧な感情などではなく、教会組織と不可分なのである。カトリックの歴史的先行性と無謬性を証明しようとするエクシュタインの議論は、聖職者が人類の発展を指導し、社会秩序の安定に寄与するとの主張に結びついている。一方、コンスタンは聖職権力と世俗権力の癒着を厳しく批判し、教会が教育を支配することに強く抵抗する。 著者はこうした両者の対立に、一九世紀フランスで重要な問題であった公教育をめぐるカトリックと自由主義の政治対立が反映されていることを確認した上で、個人の自由を最大限確保しようとするコンスタンの議論がフェティシズムこそ最善の宗教形態だとする判断に理論的に結びつく可能性を示唆している。
 こうしたコンスタンとネオ・カトリックの対立を受けて、第三編では両者の議論の批判的統合への試みという観点から、実証主義におけるフェティシズムが分析される。まず、著者は実証主義と宗教との関連をコントの師でもあったサン=シモンのうちに確認している。革命によって破壊された社会の再組織化という多くの知識人が直面していたテーマをめぐってサン=シモンは、社会に関する体系的な一般観念と、その適用としての現実の社会組織との弁証法的な発展という観点から、社会を再編するために現在必要なのは新しい一般観念であり、それを生み出すには世俗的権力から独立した精神的権力が必要なのだと主張する。そして、彼にとって実証的科学とは社会の組織原理を担う科学なのである。その際重要なのは、彼がこの一般観念の具体的な形態を「宗教」として捉えていることである。その意味で一般観念を創設し、それを広める知識人たちは聖職者団と見なされる。もちろん、現在求められる一般観念がキリスト教ではない以上、かつての知識人=聖職者団であったキリスト教聖職者は退場を求められ、代わって新たな知識人=聖職者団が要請されるのだが、社会の組織化を担う精神的権力の世俗権力からの独立、つまり二重権力論という原則はサン=シモンにおいて一貫していたとされる。
 やがてサン=シモンは社会の組織化に関して、知的・科学的側面よりも情動的側面からのアプローチを重視するようになり、それとともにかつては否定的だったキリスト教や啓示宗教に接近していくことになる。一方、コントはあくまで社会の組織化原理の理論的な構築にこだわり、師と袂を分かつことになるが、そのコント自身が後期には精神的権力における情動的側面の重要性を認め、「人類教」を唱えるに至る。コント解釈において問題となる前期コントから後期コントへのこうした変化を、著者はフェティシズム概念の受容とその再評価という観点から読み解こうとする。
 サン=シモンと決別したのちのコントは、精神的権力の世俗的権力からの独立と前者の優位が安定した社会秩序形成の条件であるとの立場から、精神的権力の影響力を考慮しない政治経済学と、精神的権力による教育と道徳の支配に反対する自由主義への批判を展開していく。神学的状態、形而上学的状態を経て到来する実証主義的状態において精神的権力を担うのはキリスト教神学者ではなく社会学者であるとはいえ、著者によればコントのこうした二重権力論にもとづく自由主義批判はサン=シモン主義と共通するものである。進歩史観に立つサン=シモン主義者は、原始一神教からの堕落を主張するネオ・カトリックと歴史観において対立するが、精神的権力の優位に基づく社会的・道徳的秩序の形成という点でネオ・カトリックと共闘し、コンスタンと論争を行っている。サン=シモン主義者がネオ・カトリックおよびコンスタンに抱いた共感と反発をコントも共有していたのである。
 しかし、コントはコンスタンのフェティシズム概念を再考することで新たな思想的展開を見せたと著者はいう。前期コントの代表作である『実証哲学講義』(一八三〇〜一八四二年)においてはフェティシズムは神学的状態の最初期、人類の幼年期としての位置づけしか与えられておらず、この概念は自らの進歩史観を説明するのに適した概念としてコンスタンから借用されているに過ぎない。しかし、後期の代表作『実証政治学体系』(一八五一〜一八五四年)ではフェティシズムへの評価が大きく変化し、単なる「悲惨な未開的状況」から、人類教の基礎となる「秩序の哲学」へと変貌しているとされる。具体的には、世界を動かす原因の考察において可視の対象物の背後に神を想定する神学の形而上学的解釈とは異なり、フェティシズム段階の認識においては人間と世界の関係が直接的いわば形而下的であり、この意味で実証主義的状態における認識と共通性を持つ。また、フェティシズムの社会的機能についてコントは、それが原初的な社会的紐帯を形成したこと、またその紐帯が共時的であるのみならず先祖崇拝を通じて通時的でもあったことを評価する。もちろん、崇拝の対象であるフェティッシュは家族や部族毎に異なるため、フェティシズムが基盤となる社会的紐帯がおよぶ範囲は狭い。しかし、フェティシズムから多神教、一神教への進展は宗教が結びつける社会の範囲を拡大していく。コントはその先に、人類全体にまで拡大した社会的紐帯、精神的権力の優位に基礎づけられた社会的・道徳的秩序、そして人間と世界との直接的な関係把握を目指すのだが、そこで構想されるのが死者をも含んだ人類全体をフェティッシュとする直接崇拝、すなわち人類教なのである。こうしたフェティシズム概念の再評価と連動しているのが、人間を社会に結びつけ道徳的存在とするうえで情動が果たす役割の発見である。前期のコントは知性による社会認識の発達を重視し、そのため精神的権力を担う階層として知識人のみを想定していた。これに対して、知性ではなく情動を基盤とした社会の組織化を目指した後期のコントが実証的状態において要請する宗教形態が人類教だったのである。著者はこうしたコントの構想を「人類教を基盤としたソシオクラシー」と呼び、それが超自然的な神に代わって、直接崇拝の対象となる実証的な観念である「人類」を作りだし、それによって無政府状態を克服し、社会の再組織化を実現しようとするものであり、それはまた一九世紀前半のフランスにおいて、宗教を個人の領域に留めようとするコンスタンの自由主義、すなわちあくまで自由を求める「野生人」の宗教に対抗する「司祭」の宗教であったとしている。
 補論ではベルグソンの『道徳と宗教の二源泉』を題材に、そこで展開される「閉じた社会」における「静的宗教」と「開かれた社会」における「動的宗教」の質的な差異が論じられる。そこで著者は、特定の学説や教義という形態を纏う静的宗教に対するベルグソンの批判を通じて、フェティシズムの発展形態である人類教による社会の再組織化を求めるコントと、あくまで個人の自由な内面的感情に宗教の本質を見るコンスタントの対立が二〇世紀においても重要な論点をなしていたことを論証している。
 最後に結論において、今日宗教社会学から忘却されているコンスタンと、政治学説史に登場しないコントの思想的対立を論じることが、それぞれの学問が独立し、確定されたディシプリンとなる以前の思想状況を理解するうえで重要であること、とりわけ一九世紀フランスにおける宗教の位置づけをめぐる思想的対立の構図を明確にする際に有効な方法であったことが強調される。そのうえで著者は、キリスト教が安定した社会秩序を維持する機能を喪失したあと、あらたな精神的権力の創設によって社会の再組織化を目指す「司祭の論理」と、これに抵抗する「野生人の論理」とが、それぞれ思想史上の相対立する流れを代表していたことを確認する。しかし、両者はともにキリスト教の「教会史」に代わる、異教をも包括する新たな宗教史の構築を目指したという点で、一九世紀のフランスが直面していた同じ思想史的課題に応えようとしていたのだという。

 3 本論文の成果と問題点
 本論文の成果としてまず挙げられるべきは、第一にフェティシズムという概念を分析の中心とすることでド・ブロス、コンスタン、コントへと続く宗教進歩史の系譜を明確に浮かび上がらせたことである。しかも、著者はこのテーマを各論者の歴史観、文明論、さらには近代社会における宗教とその機能といった広い文脈の中に位置づけることに成功している。この点で本論文は、一八世紀半ばから一九世紀前半にいたる時期、アンシアン・レジームと革命によるその崩壊に続く目まぐるしい社会的・政治的変動の中で、宗教論が担っていた重要性とその意義を再検討することに大きく貢献したといえる。
 第二点として著者の議論が膨大な文献の渉猟によって支えられていることを強調しておきたい。主要な分析対象となる三名の論者はいうまでもなく、著者は彼らの同時代人の議論を著作や定期刊行物の綿密な調査によって把握し、フェティシズム概念の系譜を時間の流れに沿って追うだけでなく、それぞれの議論が同時代に担っていた意味を丹念に分析している。著者が利用した文献資料の圧倒的な量はその議論の水準と説得力を大いに高めている。
 第三に、これまでほとんど未開拓であった領域を切り開いたことも本論文の重要な成果である。ここで検討された対象とテーマは従来の宗教思想史の欠落を埋めるものであり、さらに、個々の思想家の分析においても著者の学説史上の貢献は顕著である。ド・ブロス研究が日本はもとよりフランスにもほとんど存在しない中で、彼のフェティシズム概念に基づく宗教進歩論がロック以来の生得観念の否定に基づく経験論的認識論、人間精神の進歩史といった啓蒙期の重要な思想的枠組に沿ったものであることを論証し、キリスト教神学のみならず理神論との比較を通じてその独自性を示した功績は大きい。また、ロマン主義文学者、あるいは政治的自由主義の旗手としての側面ばかりが注目されてきたコンスタンについて、その宗教論が彼のライフワークであるとともに、その自由主義の重要な側面を形成していた点を論証したことは高く評価されるべきであろう。最後にコントについて言えば、前期コントから後期コントへの思想的変化を、フェティシズム概念への彼自身の再評価という観点から内在的に説明した点が重要である。かつてのようにコントの変化を単に「堕落」「逸脱」とするのではなく、そこに連続性を見いだそうとする研究が主流となりつつある中で、著者はひとつの有力な説を提示したと言える。
 最後の成果として指摘すべきは、コンスタントとコントの思想的対立を通じて、政治学や社会学といったディシプリンまだ未分化であった時代に、それぞれに特徴的なふたつの異なる思考様式が確立し、交差する瞬間を捉えたことである。一九世紀フランスは革命後の社会構想をめぐる路線対立によって特徴づけられるといってよいが、宗教を徹底して近代的な個人主義に結びつけるコンスタントと、宗教が果たすべき社会秩序形成機能を重視するコントの思想は、ともにその後の近代思想の流れにおいて重要な系譜の源泉となる。著者はこれらの系譜がいわば誕生する瞬間を捉え、思想と政治状況の密接な関わりを示すことで、両者が担っていた共通の課題を明らかにした。それにより、コンスタントとコントの関係を視野に入れてこなかった従来の学説史の欠点を克服することが可能となった。
 とはいえ、以下のような問題点が存在することも指摘すべきであろう。
 第一はフェティシズム概念の多義性についてである。当然ながら、フェティシズムという用語がもつ意味、それが思想全体の中で果たす機能は論者によって微妙に異なっている。もちろん、著者はそうした差異に注意を払いながら論述を進めているが、それぞれの思想家の評価を離れて著者がフェティシズムという言葉を用いて議論を進める際、どういった意味でこの概念を使用しているのか明確ではない場合が見受けられる。概念の多義性を自覚していることは確かだが、本論文の中心となる分析概念である以上、その概念規定についてはよりいっそうの厳密さが求められるであろう。
 第二に、成果の第一点と表裏一体の問題であるが、特定の系譜を明らかにするという意図が明確でそれに成功している反面、この系譜に対立する諸思想の間の差異に対しては十分な注意が払われていないのではないかという疑問を持つ。一九世紀前半において、あくまでキリスト教を土台とした社会秩序の再構築を目指した思想潮流が、ネオ・カトリックという用語のもとに一括されているのはその例である。もちろん著者はカトリックとプロテスタントとの区別には十分に配慮しているが、キリスト教神学内部における諸潮流、それらの間に見られる対立にも目を配れば、思想の諸系譜の複雑で多様なあり方をより明らかにすることができたと思われる。
 以上のような課題は残されているものの、それらは本論文が高い水準に到達していることを否定するものではなく、またそれは今後の努力によって克服されることを期待すべきものである。よって、審査員一同は本論文が当該分野の研究に十分に寄与したと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定した。

最終試験の結果の要旨

2008年2月29日

 2008年1月23日、学位請求論文提出者杉本隆司氏の論文についての最終試験を行った。試験においては審査委員が、提出論文「フェティシズムと近代フランス宗教思想に関する歴史的考察—ド・ブロス、コンスタン、コント−」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、杉本隆司氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同は杉本氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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