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博士論文審査要旨

論文題目:近世日本思想における儒学・神道・兵学の関係
著者:戴 文捷 (DAI, Wenjie)
論文審査委員:若尾 政希、渡辺 尚志、田﨑 宣義、古茂田 宏

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1.本論文の構成
 本論文は、近世日本思想における儒学・神道・兵学の相互関係を考察したものである。具体的には、第一部において、兵学者であり儒学者でもある山鹿素行(元和 8(1622)~貞享 2(1685))について、素行が残した膨大な著述を時期ごとに読みこなし、素行の思想形成過程を明らかにすることによって、素行学の特質を突き止める。第二部では、素行の弟子であり、かつ吉川惟足に師事し吉川神道を学んだ津軽藩主津軽信政(正保 3(1646)~宝永 7(1710))について、信政が残した覚書等を史料にして、信政の政治思想に迫り、信政が受容した学問思想が藩政にどの様に反映したのか、考察している。

 本論文の構成は以下の通りである。
―はじめに―
 1、なぜ日本思想の研究を始めたか
 2、近世日本思想における先行研究の成果と問題点について
 3、本論の構成 
第一部 素行学における儒学・神道・兵学の関係
 第一章 素行学の先行研究と時期区分
  第一節 先行研究について
  第二節 素行著作による時期的区分
第二章 文武論時代における素行学の特質 ―その一 開始期―
  第一節 『奥義』に見える文武関係
  第二節 兵法における秘伝目録から見た素行の天人観
  第三節 人心と「神心」
  第四節 治国論と修身論に見られる素行学の特質
  小括
 第三章 文武論時代における素行学の特質 ―その二 円熟期―
  第一節 「陰陽兵源」と「道法兼備」の融合 
  第二節 『武教本論』における宇宙論の形成 
  第三節 心性論の形成
  第四節 治国論  ―法教と礼教―
  小括
 第四章 人間論と治国論の融合
  第一節 人間論の確立
  第二節 治国論 ―教化・政令・風俗・人心―
  第三節 文武論の発展
  小括
 第五章 儒学・兵学・神道の融合
  第一節 『中朝事実』の概要
  第二節 「先天章」と「中国章」に見える宇宙論の特質
  第三節 治国観 ―神教・武徳・神治・聖政をめぐって―
  小括
第六章 素行学における宇宙観の完成
 第一節 「理形用」説への回帰と新しい聖人像
 第二節 山鹿流「大星伝」の確立と特質 
         ―北条流「大星伝」との比較を通じて―
  第三節 「三重六物伝」と『原源發機』
  小括
 第二部 領主思想における儒学・神道・兵学の関係
            ―津軽信政の学問受容と思想形成―
 第一章 信政の学問の土台と政治課題
  第一節 信政の略歴と津軽藩政についての先行研究
  第二節 藩主就任時に直面する政治課題
  第三節 現存史料目録からみた信政の学問の受容過程
 第二章 素行学の受容と信政の藩政
  第一節 治国論の受容
  第二節 「知土」・「管用」と藩政策
  第三節 「撰将」・「用士」と人材登用のあり方
  第四節 「教」と家臣の養成
  第五節 大学の起用と「文」の重視
 第三章 吉川神道の受容と思想の融合
  第一節 神道的君道思想の受容
  第二節 津軽藩における宗教的背景
  第三節 信政の宗教政策
  第四節 素行学と吉川神道の融合 ―文武観を巡って―
  小括
―終わりに―

2.本論文の要旨
 「はじめに」では、いまなぜ近世日本思想における儒学・神道・兵学の相互関係を考察するのか、研究史を整理しつつ著者の問題意識を述べた。
 第一部第一章では、素行学(山鹿素行の学問)における思想的主要素と、宇宙論・道徳論・治国論との関わりの視点から、素行学を六つの時期に新たに区分した。
 第二章では、第一期修学時代に続く第二期を文武論時代・開始期(寛永19(1642)~)と呼び、素行が目指す実学は、文(儒学)と武(兵学)の融合から始まり、治国には兵学的な謀略に力点を置き、個人的な修身には儒学的な倫理観を用いたことを明らかにした。
 第三章では、第三期文武論時代・円熟期(明暦1(1655)~)の素行学を検討している。この時期の素行は、生成論・宇宙論を形成するとともに、法(賞罰)・礼(礼儀作法)を中心とする治国論を構想した。また、異端思想への防止から、自国の礼儀風俗を重視する意識が生まれ、「武」も本朝の独自のものとして強調され、武教が一層重視される。
 第四章では、第四期、人間論と治国論の融合時代(万治 3(1660)~)の素行学を検討し、人は「形」によって役割を変えられないが、気質の変化によって、知を究め地利を尽くし、役割をより良く発揮することができるとする人間論を形成したことを指摘している。
 第五章は、第五期、儒学・兵学・神道の融合時代(寛文 9(1669)~)を扱い、この時期の素行が三者を融合したことを論じた。素行が『中朝事実』で「本朝」尊重意識を鮮明にするが、素行の神道思想は、神道家のそれとは一線を画し、神話的な要素が少なく、儒学的生成論の影響が強い。
 第六章では、第六期、宇宙観の完成時代(延宝 6(1678)~)を検討し、素行が「大星伝」・「三重六物伝」・『原源発機』において、陰陽説で天地聖人の生成を説明し、聖人と万民を君臣関係(王権神授説)で結ぶ宇宙生成論を確立したと指摘している。
 第二部第一章では、津軽信政が津軽藩主としてどのような政治的課題に立ち向かったのか、また信政がどのような学問を学んだのか、検討した。
第二章では、信政が素行やその弟子から素行学の秘伝の伝授を受ける等、素行の影響を受けていたことを解明し、さらに信政の藩政に素行学、とりわけその治国論(たとえば「撰将」・「用士」・教化論・祭祀論)が大きな影響を与えたことを指摘した。
 第三章では、信政は素行の死後も素行学を学ぶが、元禄期(1688~)に入ると吉川神道へ接近し『日本書紀』を通じて神道的生成論を受容し、「中臣祓」の君臣観を学び、神道的祭祀儀礼を学んだことを明らかにした。ただし、吉川神道の排仏的思想は受け入れず、信政がおこなった宗教政策は、寺社の祭礼や祭祀により民衆を教化しようとするものであり、これは素行学の影響だと指摘する。
 「終わりに」では、山鹿素行と津軽信政の学問思想はともに、儒学・神道・兵学が絡み合っているとして、その相違を整理して結びとしている。

3.本論文の成果と問題点
 従来、日本近世の思想史を研究するに際して、もっぱら検討対象となったのは、荻生徂徠や伊藤仁斎といった当代一流の思想家の思想であった。1960年代半ばに、そうした研究を「頂点的思想家」研究と批判する安丸良夫氏らにより、被治者民衆を対象とした民衆思想史研究が開始されたが、実は統治者たる為政者(幕藩領主層)の思想は、本格的な研究が行われることもなく、ながらく放置されてきた。領主層の思想が研究され始めたのは、この数年のことに過ぎない。本論文は、津軽藩藩政を確立した「明君」とされ、死後には高照神社の祭神として祀られた津軽信政の思想形成に迫ろうとした意欲的な論考である。津軽信政は、こうした地位にあったもののほとんどがそうであるが、まとまった著作を残していない。著者は、津軽家の文書を伝える国文学研究資料館や弘前市立図書館等々に通い、津軽信政が素行から受けた秘伝の切紙や津軽信政自筆の覚書の断片等を発見し、そこから素行学や吉川神道をどのように受容したのか、信政の思想形成過程を解明しようとした。この点で、領主層の意識・思想研究を実証的に推し進めたものと評価できる。これが本論文の最大の成果である。
 また、津軽信政の思想研究の前提として、著者が、その師であった山鹿素行の膨大な著作を読み込み、その思想形成の過程を追ったことも、評価できる。兵学を核にして儒学・神道をどのように配置することによって、素行学は形成されていったのか、を跡づけることができた。
 以上の他にも本論文の成果は少なくないが、もとより不十分な点がないわけではない。著者は、津軽信政の現実の施策と素行の治国論との関連を指摘しており、これは興味深いが、信政は素行の治国論を実現したと主張するのに十分な論拠を提示できていない。しかしながら、そうした問題点は著者もよく自覚しており、今後の研究のなかで克服されていくものと思われる。

 以上のように審査員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したと認め、戴文捷氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2008年2月13日

 2008年1月9日、学位論文提出者戴文捷氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「近世日本思想における儒学・神道・兵学の関係」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、戴文捷氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査員一同は戴文捷氏が学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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