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博士論文審査要旨

論文題目:教育諸概念の実践の論理 ― 教示、学習、知識、能力の社会的組織化 ―
著者:五十嵐 素子 (IGARASHI, Motoko)
論文審査委員:久冨 善之、木村 元、藤田 和也

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1、論文の構成

 本論文は、教育実践が社会的諸実践の一領域であり、特有の制度的文脈を背負い、また教示・学習・知識・能力といった概念を持ちながら取り組まれる実践形態であることに注目しつつ、なおその実践場面も、制度文脈も、諸概念も、「熟練者と初学者たちとが形成する社会的相互行為」を通じて構築され、それを通してその場面文脈も識別可能なものになる、という点を、エスノメソドロジーに立つ実証的教育実践研究として展開し、そういう研究が持つ意味を考察した論文である。その構成は以下の通りとなっている。

はじめに
資料

第1部 社会的場面の組織化
 1 「相互行為と場面」再考
  1.1 相互行為と場面の関係をどう捉えるか
  1.2 会話分析的アプローチの課題設定と方法論
  1.3 会話分析的アプローチの問題点
  1.4 方法論上の転換と新たな視角
  1.5 新しい視角の意義と分析方法
 2 社会的場面の組織化:保育現場の事例から
  2.1 S保育室の保育プログラムと調査の概要
  2.2 保育室から公園へ
   2.2.1 移動場面に配分された行為規範(1)
   2.2.2 移動場面に配分された行為規範(2)
   2.2.3 場面の転換:移動場面から外遊び場面へ
   2.2.4 外遊び場面に配分された行為規範
  2.3 場面と結びついた規範配分・場所・課題

第2部 相互行為上の能力と知識
 3 相互行為上の能力:実践に参加する能力として
  3.1 分析の視角と方針:ミーハンの議論から
  3.2 取り扱う事例について
  3.3 協同作業に必要な能力/個人に還元できない能力
   3.3.1 作業1:「一緒に転ぶこと」を行うこと
   3.3.2 作業2:「転ぶという行為」を繰り返すこと
  3.4 社会的資源を再編する能力/実践を文脈づける能力
  3.5 相互行為上の能力の性格
 4 相互行為上の知識:規範的基準の適用として
  4.1 分析の視角と方針:ライルの議論から
  4.2 相互行為上の知識:外遊び場面の事例から
   4.2.1 規範的基準の適用と実践の組織化
   4.2.2 規範的基準としての禁止事項の適用と実践の組織化
  4.3 相互行為上の能力と知識の性格:教育実践への示唆

第3部 学習現象の実践の論理
 5 測定作業の対象としての学習
  5.1 心的現象を社会的なものとして捉える立場の登場
   5.1.1 新しい学習論とエスノメソドロジーの視角
   5.1.2 学習への状況論的アプローチ
  5.2 「学習」とその社会的文脈:状況論的アプローチの一展開
   5.2.1 実践共同体の構成要素:レイヴとウエンガーの学習論
   5.2.2 実践の組織化において可視化されるもの:上野による批判と提案
  5.3 学習への状況論的アプローチの展開の意義と問題点
  5.4 学習の測定作業を考察するための方法論
   5.4.1 「可視化」から定式化作業へ
   5.4.2 「道具」「社会的リソース」から実践的推論体系の探求へ
  5.5 分析の視角と方針:今後の研究に向けて
 6 達成としての学習
  6.1 分析の視角と方針:ウィトゲンシュタイン、ライル、ウイリアムズの議論から
   6.1.1 行為の基準を適用できるようになること
   6.1.2 行為の基準の検証作業を伴うものとして
  6.2 取り扱う事例について
  6.3 学習対象の共有
   6.3.1 「たかいたかい」の達成と帰属
   6.3.2 「たかいたかい」の共有
  6.4 達成としての学習:行為の基準の適用を示すこと
   6.4.1 検証作業を通じた行為の組織化
   6.4.2 行為の完遂の提示/他者からの帰属
  6.5 達成としての学習の実践上の性格
  6.6 達成としての学習の実践上の課題

第4部 教育実践をどう捉えるか:授業場面を中心に
 7 教育実践をどう捉えるか:授業場面の研究から
  7.1 会話への着目:マッコールの研究
  7.2 会話の連鎖から授業の構造へ:ミーハンの研究
  7.3 作業の手段としての連鎖構造:ミーハン以降の研究
  7.4 授業場面の諸作業:教示作業を中心に
  7.5 教示作業を分析する視角と方針:リンチとマクベスの議論から
  7.6 教育実践の諸作業の分析に向けて
 8 教育実践の目的と教示作業の設計
  8.1 ヒープのミーハン批判
  8.2 ミーハンの事例の再分析
  8.3 教示作業と教示知識の実践上の性格
  8.4 教示作業の実践上の課題:検証の作業と比較して
  8.5 教育実践への示唆
 9 「主体的な学びの実践」と教師の役割
  9.1 「主体的な学びの実践」の導入
  9.2 PBLテュートリアルにおけるテューターの「介入」
   9.2.1 取り扱う事例について
   9.2.2 「介入」の必要性とその方法
   9.2.3 教育目的からみた「介入」の働き
  9.3 「主体的な学びの実践」の性格と実践上の課題

結びに代えて:今後の研究に向けて

2、論文の概要

 「はじめに」では本論文の課題意識と方法論的立場が述べられる。著者はまず、現在の学校教育現場では教育方法や教育実践の設計と評価の再編成が課題になっている状況があることを踏まえ、その課題への追究視角として、教育実践も一つの社会的実践であり、かつ生活の中には教育専門家による日常的な教育的関わりが存在することに着目する。そこから、教育実践をいったん社会的実践に開いて、実践一般が持つ相互行為的な場面構築を精密化したエスノメソドロジー(本文では、以下EMと略記)の方法論を採用するという論文の方法論的立場を明示している。その理由として著者は、教育のような人間の心に関わる事象を個人に帰属する諸方法論(これまでの教育学や、近年の認知理論など)に対して、EMが実践を相互行為における規範ややり方に基づいて場面と社会的意味とを構築するという視角を精密化してきたものである点を指摘する。そして本論文が目指す、教育実践を日常実践に開きながら、教育実践の諸再編課題の性格を解明するというテーマ設定によりふさわしい、と説明している。それを通して、学校の授業場面も社会的場面の一つであるという視点を持ち、そこで「教示」「学習」「知識」「能力」といった概念が相互行為的に構築される基本過程の性格を浮かび上がらせようというのが、著者の狙いである。
 「はじめに」の後半と「資料」には、本論の各部・各章で取り上げられた実践についての紹介とそれへの分析視角の説明がある。2・3・4・6章と8章4節で取り上げられるのは、ある保育園における保育士と幼児たちの実践場面のビデオ収録データを使った分析である。保育場面は、学校授業ほどは系統的な知識教示が課題ではないが、生活場面一般よりは制度から割り振られた教育的規範があるという意味で、中間的な性格があって、著者が教育実践場面の構築とそこでの「教示」「学習」「知識」「能力」概念の成立を考察するのには、恰好な研究対象となっている。7・8章で取り上げられるのは、EMによる既存の授業研究(H.ミーハンによる英語授業分析、リンチとマクベスによる理科授業分析)であり、その記録の著者による再分析である。9章は学習者の主体的学びを重視する教育実践事例として、ある大学医学部における「問題基盤学習」プロジェクトの観察記録である。それはまた、伝統的な教示・伝達型の授業観に替わって台頭している学習者中心主義授業においても、「教示」「学習」「知識」がどのように構築されているかを考察する事例となっている。
 本論は4部構成であり、全9章から成り立っている。
 第1部は、本論文が採用する分析視角を明らかにし(1章)、その視角に基づいて保育実践から「場面の組織化」ということの意味を明らかにしている(2章)。
 1章は、人々の実践を考察するときに、その場面の組織化との関わりを無視することはできないという観点に立ちながら、学校などの制度実践を分析する方法論考察に進んで行く。まずEMの先行研究における制度的場面把握の方法論的議論が検討され、会話分析的アプローチの方法論が会話の連鎖、たとえばIRE(Initiation – Reply - Evaluation)などを析出しそこに注目したことを批判して、社会的場面は会話連鎖だけよりも、当該の場面に規範的に結びついた事柄(参加者に配分された行為規範や場所、課題など)の連関によって識別可能に組織化されるという本論文の基本視角を導出している。そこではまた、行為の組織化を発言だけでなく、表情、視線、身体的な動き、場所や道具といった諸資源が重要になること、だから会話の行為連鎖構造だけでなく、他の相互行為の諸特徴を含めて分析するという方針が確認されている。
 2章では、その方法論・分析方針に基づき、保育現場における「場面の組織化」のされ方が考察される。幼児たちと保育士が保育室から出発して公園に到着するまでの移動場面においては、「道路」という場所で「歩いて移動する」という課題が行われ、この移動を主導しているのは保育士であり、子どもはそれに従うものとされている。これに対して公園に到着してからの外遊び場面においては「公園」という場所において「遊ぶ」という課題が行われ、そこでは子どもが遊びという課題を主導し、保育士は(特に子どもに危険がないと想定される限りは)そうした子どもの行為選択に従う、という行為規範が配分されていた。また両場面に共通する行為規範としては、保育士は危険を回避するために子どもに指示を与え、子どもはその指示に従うべきであることが確認されている。第1部はこのように、場面と実践との関連分析を行うことで、保育園というような一つの制度的場面を把握する方法と分析方針を確認するものである。
 第2部は、「能力」(3章)と「知識」(4章)という概念が、規範的要請を相互行為上で満たすという実践の水準で捉えられることを、保育実践場面分析から導いている。
 3章では、まずH.ミーハンの「相互行為上の能力」の議論が検討され、「能力」を実践に参加する能力とし、相互行為上で他人に認められる方法で示されるとしている。その視角に基づき、「外遊び場面」の課題である「遊び」として、「砂場における遊び」を取り上げ、「砂場で一緒に転ぶことを繰り返す」場面で、2人の子どもが行為を遊び相手と同調的に仕立てるだけでなく、動きの軌道・転ぶこと・笑うこと・反り返ることなどを通じて「区切る」、「組織立てる」、「明示する」ことを行う相互行為的能力がそこに示されていると分析される。また保育士から意味づけられた「非難されるべき行為」という文脈を、相互行為上の資源として再編し、行為を「あそび」として組織する作業によって新たな文脈と場面を構築するということも同時に行っていたとされる。こうした分析から「相互行為上の能力」とは、他者との協同作業を通じて、相互行為上における資源を利用し再編することで、行為や活動といった実践を組織することだとみなせるという考察がなされている。
 4章では、G.ライルの議論から、知識を「行為を遂行する仕方を知っている」と捉える視角を導いて、やはり「外遊び場面」を分析している。そこでは子どもたちの行為や活動が、「たとえばボールを持ったまま滑り台に登らない」など、「遊び」という活動の規範的基準に適った形で組織化されていること、また保育士が行為役割に則って子どもへ禁止指示を出すことが析出される。さらに「ボールを持ったまま回転遊具に入らない」という禁止指示には、子どもはボールを持ったまま(自主的な行為選択を維持しながら)、遊具を回すのを手伝う(禁止指示に適う行為を組織する)という。これらの事例分析では、規範的基準としての知識が相互行為上の能力に支えられながら適用され実践が組織される過程が析出され、そこでの相互行為上の「知識」とは命題的なものよりも、実践の遂行上でその規範的基準が満たされ実践が成り立つことによって示されるものであるということが確認されている。
 第3部では「学習」概念について、理論的(5章)と実証的(6章)の両方向から取り上げている。
 5章は、まず先行研究として「状況論的アプローチ」に注目し、それが(研究者よりも)人々の社会的実践において学習がどのように組織化されているのかを明らかにしようとする点、また(研究者の学習モデルよりも)人々が用いている道具だてや社会的リソースに着目することで記述しようとしている点を評価する。しかし著者は、この方法論が学習の「可視化」に照準して展開することで、具体的な実践の考察に不足が生じうることを指摘する。そして学習の「定式化(学習したという見なし)」も、学習の「測定基準」も、実践的推論を通じてなされているのであって、あらかじめどこかにたとえばその客観的測定基準が存在するようなものではない点を指摘し、それを実証分析の方法視角とする。
 6章では、「定式化」に対応する「達成としての学習」について、「外遊び」の事例を参照しながらその実践上の性格について考察している。たとえば、「うんてい」に登って「たかいたかい」を達成する学習は、「初学者」の行為の達成として組織され、「熟練者」からその行為の完遂が「初学者」に帰属されることを必要とする。また、そうした行為の遂行においては、行為の手続きと完遂の基準を判断することに関して権利/義務を負う者との間での共同的検証作業が伴うものであることが、二人の子どもと一人の保育士との相互行為として、記述されている。この場面分析からは、①初学者は自ら配分された規範に照らして適切な行為を選択してそれを行おうとし、それが一人でできないときは、自分を助ける権利/義務を持った熟練者の存在を求めることが必要になる点、②そして熟練者には、初学者がその行為を行う権利/義務を与えて良いのかどうかを判断する必要が生じること、③さらに熟練者が検証作業に関わることを選択した際には、自らの検証作業を場面の規範に沿った形で行うだけでなく、初学者の行為の基準を場面の規範に照らして適切に定めることも求められること、などが分析されている。だから、著者によれば、達成としての学習に関わることは、熟練者が自分の行為と他者の行為との二重の設計を任されるがゆえに、そこに特有の配慮を必要とする難しさがあるとされる。
 第4部は、これまでの保育実践分析を通じた場面構築と「能力」「知識」「学習」把握の知見を踏まえながら、授業実践場面の分析・考察へと進んでいる。
 7章では、授業場面のEM先行研究を検討し、授業に特有な会話の特徴の働きへの着目から、その諸特徴を授業実践の諸課題を成し遂げるための作業の手段として位置づける方法論への展開の意義を論じている。そうした授業ワークの一つとして、「教示作業」について、リンチとマクベスの理科授業研究の事例を取り上げ、教示作業が教える側と教わる側の相互行為において「すでに知られている知識」を引き出しながら、「教えるべき知識」を生み出していく実践だとする視角を導いている。
 8章では、ミーハンの授業研究から英語授業の再分析が試みられ、この事例では、FとJという子音の発音を識別するという局面の課題のために、必要な特定の「音」が、教師と生徒とのやり取りを通じて、生徒に単語を言わせることや聞かせることのなかで定式化されていた。そうすることによって、この教師は、生徒がその教示知識を使って、初発の教師の質問に答えられるようにしていた。この章の4節では、もう一度保育実践場面が取り上げられ、そこでの「工事現場」の危険性に関する「教示」が分析される。7・8章の事例からは、教示作業が「対比」「有徴化」「焦点化」「達成定式化」などの過程を、ある共有された行動や環境において、初学者の実践の組織に必要な資源になるように対象を意味づけ文脈形成する、そういう作業であるという、「教示」という実践の性格が導かれている。と同時に、そこに教示作業の両義性もあるとされる。つまり教示される知識自体は初学者自身の行為からは切り離された形で示されるため、それを適用するかどうかやその適用方法は、初学者の行為選択と相互行為上の能力に任されている。それは良い意味では初学者の主体性と自由となるが、他方では教示作業の設計上の狙いが必ずしもそのまま実施されないということにもなると考察される。
 9章では、近年に導入が進んでいる、学習者の「主体的な学び」を尊重する実践形式の一つである「問題基盤型学習」の事例として、医学教育のPBLテュートリアルを取り上げ、そこでのテューターの「介入」の仕方に着目しその教育的関わり方の性格と課題が考察されている。この新しく導入された授業形式では、学生が実践の主体であり「ある実践を習得すること」が教育目的そのものとなっている。こうしたときにテューターは「教示作業」や「検証の作業」を行わずに、その代わりに、学生の行為や活動が教育目的に適ったやり方で組織されるようにしている。そこでは、学生に身につけさせたい実践にとって必要な実践上の資源を有徴化し、次に行う行為を実践規範に従って促すことで、初学者が実践を教育目的に沿った方向性で組織化しやすくする方法、つまり初学者の「実践を内側から組織する」関わり方が用いられていることを明らかにしている。
 末尾の「結びに代えて:今後の研究に向けて」では、以上4部・9章にわたる知見が簡潔にまとめられたあとに、今後の課題が述べられる。「まとめ」は端的に、「私たちは様々な実践に参加し社会的場面を成り立たせている。そこでは、共同作業を成り立たせ、実践上の資源を組織しながら実践を文脈づけていく相互行為上の能力と行為の規範的基準の適用としての相互行為上の知識が必要とされていた。そして(4部で見た)教示作業、学習の検証作業、主体的な学びを尊重する教育的関わりでは、こうした実践のあり方を配慮した設計がなされていることがわかった」とあって、「学習する行為や教える知識を形作る文脈化における教師による実践場面とその展開構築を設計する重要さ」が強調されている。
 「課題として残された点」としては、①個々の概念の考察に関して、社会学、教育学、心理学などの各分野における議論との接続や位置づけ・意義の考察、②授業実践における「教示」以外の諸作業の検討が必要になる。とりわけ「設計」には、教師と生徒の行為役割の設定、経験の共有・想起による教示対象の共有、などなどが多様にあり、そこに現代の教師の教育実践の困難さを教育実践上の規範や資源の配分という観点から分析する課題、③教育を第一の実践課題としない現場実践における「教育的な関わりや効果」を考察する研究への展開可能性の検討、のおよそ3点が挙げられている。

3、成果と問題点

 本論文の主たる成果は、以下の諸点として整理することができよう。
(1)授業実践場面の性格と組織化についての、エスノメソドロジーの立場からの研究について、先行研究の検討と保育等の実践場面の分析とを通して、著者なりの一つの方法視角を提示している点がある。IRE的会話連鎖の析出が目立っていた日本におけるEM授業分析のイメージを大きく前進させる方向を示した点は、その今後の多産性を予感させる。
(2)保育実践場面の詳細な一連の分析は、保育士と子どもたちの相互行為を通じて、それぞれの場面や規範がどのように構築されているか、またそのような相互行為に参加することを可能にする能力や知識、その学習と達成などが、意味あるものとして、また識別可能なものとして形成されるのか、という点を実証的に明らかにするものである。それは、保育士側と子ども側との規範配分と場面形成参加の相互関係の微妙さが浮かび上がる実証分析となっている。
(3)「教示」、「能力」、「知識」、「学習」といった、教育研究になじみの概念について、EMの立場からの再規定を、一定の説得性をもって示した点も、本論文の一つのメリットとされるべきだろう。少なくとも、(2)で述べた事例分析の限りでは、確かにそれらの相互行為的構成を確認することができる。
 しかし、このように多くの成果をあげたものの、なお今後に残された課題として次の諸点をあげることができる。
 まず、第一に、4部における「教示」作業分析にもかかわらず、本論文の全体が、初等・中等教育における授業実践の持っている複雑さと多様さとに関して、たとえば既存教育学における授業研究のレベルに何を課題提起できているのかについては、必ずしも十分明らかにされてはいない。著者自身が末尾の「課題」として述べている点②でも、4部8章は追究課題の存在を示すに止まっている。
 第二に、本研究の保育実践場面の分析が、授業実践分析にもある基礎性を持つとしても、そこで析出・確認された場面性構築のメカニズムから、学校授業実践の持つ複雑さと機微までには若干の距離がある、という問題である。その点では、第4部の内容が主として既存研究の再分析と大学教育の事例分析になっているが、著者自身による学校授業分析への前進と蓄積とが、今後の課題として求められるだろう。
 第三に(著者による「課題」の①にも関連するが)、教育基礎諸概念の再検討・再構成は、同様の概念について蓄積のある諸社会科学・人文科学における議論に、それぞれどんな意味を持つ再構成になっているのかについては、本論文では詰め切れなかった点として残されている。
 しかし、これらの課題は著者も自覚するところであり、今後これらの問題についても持続的に追究を続けて一層の解明と改善の努力が払われることを期待したい。
 以上、審査委員会は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2008年2月13日

2008年1月31日、学位論文提出者五十嵐素子氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「教育諸概念の実践の論理 ― 教示、学習、知識、能力の社会的組織化」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、五十嵐氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は五十嵐素子氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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