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博士論文審査要旨

論文題目:自己制御における意識・非意識の役割―非意識的過程による自己制御の実証的検討―
著者:及川 昌典 (OIKAWA, Masanori)
論文審査委員:村田 光二、稲葉 哲郎、安川 一、藤田 和也

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1. 本論文の構成
 本論文は、自動動機理論に基づいて非意識的過程に関する社会心理学研究の成果をまとめ、非意識的過程の役割を取り入れた著者独自の自己制御のモデルを提案したものである。著者は、目標達成には自己制御が必要であるが、意識的に努力するといった過程だけでなく、自覚せずに行動をコントロールするといった非意識的過程も働いていると主張する。そして、9つの実験研究を通じて、自己制御の背後に非意識的過程の働きが存在することを実証し、その過程の機能を意識的過程と対比しながら検討し、両過程の役割を明らかにした。そのうえで、意識的・非意識的過程それぞれの特徴を活かした効果的な自己制御のあり方を提案したものが本論文である。
 本論文の構成は以下の通りである。

第Ⅰ部 序論
第1章 本論文の構成
第2章 社会行動における非意識的過程に関する研究の概観
第1節 社会心理学における非意識的過程に関する研究の位置づけ
第2節 非意識的過程の様々な影響
第3節 非意識的過程に関する諸理論
第4節 非意識的過程とその影響の研究法
 第3章 非意識的自己制御における先行研究の問題と本研究の目的
第1節 非意識的自己制御の構造:自動動機理論による説明
第2節 目標と自己制御に関する理論
第3節 先行研究の問題と本研究の課題
第4節 本研究の目的のまとめと研究の概要
第Ⅱ部 非意識的自己制御と意識的自己制御に関する実証的検討
第4章 非意識的な自己制御の影響の検討
第1節 研究1:非意識的な自己制御が判断に及ぼす影響
第2節 研究2:非意識的な自己制御が行動に及ぼす影響
第3節 研究3:非意識的な自己制御が感情に及ぼす影響
第4節 研究1から研究3のまとめ
第5章 非意識的過程と意識的過程の類似点の検討
第1節 研究4:個人的信念が非意識的自己制御に及ぼす影響
第2節 研究5:状況が非意識的自己制御に及ぼす影響
第3節 研究4と研究5のまとめ
第6章 非意識的過程と意識的過程の相違点の検討
第1節 研究6:非意識的自己制御の効率性に関する検討
第2節 研究7:意図の弊害に関する検討-ステレオタイプ抑制を用いた検討-
第3節 研究6と研究7のまとめ
第7章 自己制御における非意識的過程と意識的過程の関係・協働の検討
第1節 研究8:意識的な目標設定と非意識的な遂行の検討1:実行意図を用いて
第2節 研究9:意識的な目標設定と非意識的な遂行の検討2:個人差に着目して
第3節 研究8と研究9のまとめ
第Ⅲ部 総括
第8章 結論
第1節 結果の総括
第2節 本研究の意義-非意識的自己制御と意識的自己制御に関する研究への示唆―
第3節 本研究の限界点と今後の課題
第4節 終わりに

2. 本論文の概要
第Ⅰ部序論の第1章では、論文の枠組みを把握できるよう各章の概要と構成および特徴がまとめられている。第2章は、社会行動における非意識的過程に関する先行研究の概観から始まっている。自己制御を扱うこれまでの研究は、ある要求を満たすように動機づけられた個人が、動機を充足するための目標を意図的に追求することを暗黙の前提としてきた。しかし、著者は、人は目標追求にあたり必ずしも意図的な熟慮や選択を行うとは限らず、むしろ意識的な自覚なしに喚起された目標状態に向けて、非意識的に思考・感情・行動を生じさせていることに着目する。この章において、著者は、判断、感情、対人場面など様々な側面において、これまでに明らかとなっている非意識的過程の影響を順に論じ、今日の社会心理学における非意識的過程研究の重要性や位置づけ、またその独自の研究法を整理している。
さらに、第3章では、第2章で解説された研究背景を踏まえて、非意識的な自己制御における先行研究の課題が指摘されている。これらの課題は、①非意識的自己制御の存在は日本では未確認であり、その影響範囲も明確ではない、②非意識的自己制御と意識的自己制御の類似点及び相違点について検討がなされていない、③非意識的過程と意識的過程の協働による自己制御法が提案されていない、という3点にまとめられると言う。
 第2章後半では、本研究の主要な目的が提示される。著者は、本論文で扱うべき4つの問題について掲げ、その解決を本論文の主要な目的としている。それは、①日本で非意識的自己制御実験の追試を行い、その存在を確認すること、また、非意識的自己制御がどの範囲まで効果を及ぼすのかを明らかにするために、異なる目標内容、実験操作方法、測定方法を用いた検討を行うこと、②非意識的自己制御の影響の可変性を検討すること。非意識的自己制御は特定の環境と特定の反応の固定された連合関係から生じているのか、あるいは、信念や状況に応じて変容する可変的な連合関係から生じるのかを明らかにすること、③非意識的自己制御と意識的自己制御を比較し、それぞれの独自の特徴を明らかにすること、④自己制御における非意識的過程と意識的過程の役割分担を検討し、効果的な自己制御への示唆を提案することの4点である。
 第Ⅱ部では、4つの章を通じて非意識的自己制御と意識的自己制御に関する実証的検討が論じられている。上述の目的に基づき、9つの実験研究が実施された。
 第4章は、本論文の第1の目的である、非意識的自己制御の現象を示す先行研究の追試を行い、本論文が立脚する自動動機理論の妥当性を検証している。このために著者は、非意識的自己制御の存在とその影響の範囲について、操作方法と測定変数を工夫した3つの検討を試みている。研究1では、記憶課題による閾上プライミングを用いて、「利己主義」を非意識的に活性化させ、判断に及ぼす影響を検討した。プライミングとは、何らかの刺激を与えて、参加者の長期記憶に存在する特定の概念を、自覚されない形で活性化させる手法である。利己主義をプライミングされた群の参加者では、後の資源分配課題において、利己的な分配判断が促進されており、よって、プライミングの影響が判断に及ぶことが示された。研究2では、PCによる閾下プライミングを用いて、健康志向を非意識的に活性化させたところ、後の報酬選択において、健康関連の選択行動が促進された。よって、プライミングの影響が行動にも及ぶことが示された。研究3では、乱文構成課題による閾上プライミングを用いて、達成目標を活性化させたところ、後の達成課題における成績が感情に及ぼす影響が増幅された。よって、プライミングの影響が感情フィードバックに及ぶことが示された。いずれの研究においても、参加者はプライミング操作の影響に対して意識的な自覚を持っておらず、実験操作によって活性化された目標は、それに対応する反応を非意識的に導くことが一貫して示された。このように、研究1から研究3では、非意識的な自己制御の存在が確認され、また、その影響は、さまざまな目標内容や操作方法を通じて、認知面、行動面、感情面へと幅広い側面に及ぶことが明らかとなった。これは、先行研究と整合する結果であると同時に、以降で著者が展開する非意識的過程に関する議論の妥当性を裏付けるものである。
 第5章は、本論文の第2の目的である、非意識的自己制御の影響の可変性が検討されている。ここで著者は、非意識的自己制御の影響は、特定の環境と特定の反応の固定された連合関係を通じたものではなく、意識的自己制御と同様に、信念や状況に応じて調整される可変的な連合関係を通じて生じているという独自の見解を展開している。この点に関し、まず研究4において、参加者が持つ個人的信念に応じて、達成目標プライミングの影響が調整される可能性が検討された。実験において同じように達成をプライミングしても、参加者の知能観(人の可能性に関する増幅的な信念もしくは固定的な信念)の個人差に応じて、異なる感情反応や行動が生じていた。すなわち、個人的信念に応じて影響が調整されるという点で、非意識的目標も意識的目標と同様に可変的であることが示されたと言えるだろう。
続いて、著者は研究5において、社会的状況の効果を検討している。学期末テスト10日前に達成語のプライミングによって動機づけられた群の参加者は、中性語をプライミングされた統制群の参加者と比較して、ネガティブ感情を弱い程度に報告し、また自発的に多くの課題に取り組んでいた。ところが、テスト前日では、同じように達成語をプライミングされた群の参加者は、統制群の参加者よりも、逆にネガティブ感情を強く報告しており、また自発的勉強課題への取り組みが有意に少なかった。すなわち、一時的な社会的状況に応じて影響が調整されるという点で、非意識的目標も意識的目標と同様に可変的であることが示されたと言えるだろう。
このように、非意識的な制御には意識的自己制御と同様に、個人差や状況差が反映され、その場に応じて適切な反応が生じていた。プライミングされた目標は、常に特定の行動を生じさせるのではなく、個人的信念(研究4)や状況(研究5)に応じて可変的な先導機能を果たしていた。すなわち、非意識的自己制御の影響は、特定の環境と特定の反応の固定された連合関係を通じたものではなく、意識的自己制御と同様に、信念や状況に応じて調整される可変的な連合を通じて生じ得ることが示された。
 第6章は、本論文の第3の目的である、非意識的過程と意識的過程による自己制御の違いを比較するために、2つの研究(研究6と研究7)が行われている。研究6では、著者は、非意識的自己制御と意識的自己制御が、作業効率に異なる影響を及ぼす可能性を検討した。達成プライミングによる非意識的自己制御は作業課題の効率を高めたが、教示による意識的自己制御は効率が悪く、作業課題の効率を高めなかった。このように、作業効率が問題となる課題においては、非意識的な自己制御の方が効果的に働く可能性が示唆された。
研究7では、著者は社会状況に目を向け、ステレオタイプ抑制パラダイムを用いて、教示による意識的抑制と、プライミングによる非意識的な抑制の効果と弊害について検討した。その結果、非意識的自己制御でも意識的自己制御でもステレオタイプは効果的に抑制されていたが、その後の課題において、意識的抑制群では、かえってステレオタイプ的評価が増幅する抑制の逆説的効果が見られた。非意識的抑制群では、このような弊害(逆説的効果)は生じていなかったことから、非意識的な自己制御には、意図的な自己制御に特徴的な弊害が伴わないと論じられている。
第7章は、本論文の最終目的である、自己制御における非意識的過程と意識的過程の関係が検討された。同時に、著者は、これまでの研究知見を踏まえ、最も効果的な自己制御への示唆を提案している。これによると、非意識的自己制御は、目標関連手掛かりに対して非意識的に始動し、効率的に目標志向行動を実行することができるが、そのためには事前に連合が形成されている必要があり、新奇な反応を非意識的に行うことはできないと言う。対して、意識的過程の行使には心的資源が必要であり、行動先導の実行には不向きであるものの、抽象的な心的操作を通じて任意の目標を設定し、新たな環境の手がかりと反応の連合を作り出すことができると言う。意識的過程は、このような連合形成プロセスを通じて、非意識的過程に働きかけることができると想定される。よって、著者は意識的過程と非意識的過程の協働という観点からすると、意識的な目標設定と非意識的な実行の組み合わせが、最も効果的な自己制御に結びつくと主張する。研究8と研究9では、この可能性を検討した。
研究8では、誘惑に負けずに目標達成に努力する自己の様子をイメージさせ、意識的編集によって誘惑と目標の連合を形成させることが、プライミング効果に及ぼす影響を検討した。意識的編集なし条件では、誘惑プライミングは課題遂行を阻害していたが、意識的編集あり条件では、目標プライミングも誘惑プライミングも課題遂行を促進していた。つまり、意識的編集を行うと、通常は勉強を阻害する遊びプライミングによっても、勉強が促進されることが示された。このように、意識的な編集は、誘惑刺激に対する反応として目標志向行動を始発させる、任意の連合を一時的に形成できることが明らかとなった。
研究9では、意識的編集の操作の代わりに、尺度によって自己制御能力を測った個人差に基づいた検討が行われた。つまり、自己制御能力の高い者においては、誘惑の知覚に際して目標追求を始動させる、非意識的な反作用的自己制御が習慣化されている可能性が検討された。その結果、自己制御能力が低い群では、誘惑プライミングは課題遂行を阻害したが、自己制御能力の高い群では、誘惑プライミングは課題遂行を促進することが示された。これは、研究8と整合する結果であり、著者の主張を改めて裏付けるものである。
このように、著者の主張である『意識的過程は目標の設定に優れており、非意識的過程はその実行に優れている』ことが2つの研究により示された。この章は、意識的過程と非意識的過程は、それぞれ異なる強みを備えており、効果的な自己制御のためには、どちらが優れているかを比較することではなく、各過程の特徴を理解し、両者の協働を考慮することが重要であると結論づけられている。
 最終部である第Ⅲ部、8章においては、本論文の一連の研究から、自己制御における意識的過程と非意識的過程の特徴や機能が考察された。どちらも、個人的信念や社会的状況に応じて柔軟な行動先導を行う機能を備えているが(研究4、研究5)、同時に、それぞれ異なる特徴も有している(研究6、研究7)ことが明らかとなっている。
著者は、非意識的過程は、極めて効率的に目標の遂行を行うことができると考える。それは、非意識的過程による実行は、意識的な実行とは異なり、効率性に優れており(研究6)、また、逆説的効果などの弊害が生じることがない(研究7)といった研究に裏づけられたものである。この点を著者は、実行に時間と制御資源の消費を必要とする意識的過程にはない、非意識的過程が自己制御に果たす特有の役割であると考えている。
一方で、意識的過程は、過去を反省し、また目前にない未来を予測することを通じて、現在の経験の編集や、必要な設定変更を行う機能を持つと考察されている。これは、目前にある環境手がかりに対応して作動する非意識的過程にはない機能であり、意識的過程が自己制御に果たす特有の役割だろう。このように、本研究では、異なる特徴を持つ2過程の協働という観点から、効果的な自己制御とは、『意識的に目標を設定し、非意識的に実行する制御』であることが提案された(研究8、研究9)。

3.本論文の成果と問題点
 本論文は、9つの実験研究を通じて、自己制御の背後に非意識的過程の働きが存在することを実証し、その働きを意識的過程の働きと対比しながら検討し、両過程の役割を明らかにした。そのうえで、意識的・非意識的過程それぞれの特徴を活かした効果的な自己制御を提案している。本論文の成果と意義は、少なくとも次の4点を指摘できる。
 まず、通常意識的な過程が優勢と考えられる社会的行動に、非意識的過程が影響を及ぼすことを実証し、日本の社会心理学界において自動性研究を先導している点である。認知心理学では、プライミング操作を用いて生起した非意識過程が、知覚、記憶、判断といった側面に及ぼす影響について数多くの研究がある。しかし、複雑な要因が関連する社会的行動に及ぶ影響については、欧米の一部の研究者しか実験に基づく証拠を提出してこなかった。及川氏の実験は、日本でその証拠を得た最も初期のものである。
 次に、非意識的影響が刺激に応じた定型的反応を導くのではなく、知能観といった個人差や状況の手がかりの差に応じて可変的な反応を導く可能性があることを示した点である。本能と呼ばれる行動や、条件反射と呼ばれる学習など、刺激に応じて決まった反応が導かれる場合には、意識的過程の介入の余地がなく、自動的に生じると考えられる。著者が実験で示したことは、同じ刺激入力に対しても個人差や状況に応じて異なる反応が生じる場合があったことである。これは非意識過程にもある種の柔軟性が備わっており、「意識しなくても可能な『思考』がある」という人間性の一つの側面を提示したことになる。こういった立場は近年の心理学や神経科学の大きな潮流の一つでもあり、その流れの中でも本論文は高く評価されるだろう。
 第三に、意識的過程の問題点を補う働きを果たすものとして、非意識過程の特徴を実証的に示した点である。意識的過程は人間の理性の源泉であるにもかかわらず、ときには不適応的現象や問題行動を導くことがある。例えば思考抑制の逆説的効果の研究では、思考を意識的に抑制することが、かえってその思考を増幅してしまう危険性を示している。著者の実験では、プライミング操作を用いて自覚のない形で抑制を導いた条件では、意識的抑制条件で示されたリバウンド効果が消失することが明らかにされた。このような非意識的過程の効率性が、どのような条件で認められるかは今後の検討課題であるが、非意識的過程の研究を推進する重要な発見だと思われる。
 最後に、非意識的過程の研究を現実の問題に応用する方向性を示した点である。すでに欧米では、非意識過程の基礎研究が多数行われ、消費者行動の領域などへの応用研究も実施されている。著者は達成行動を主たる従属変数として実験を繰り返し、教育・学習場面への応用可能性を検討している。学習を継続するためには自己制御が必要であるが、それを非意識的に実行できるような環境を整備することを著者は提言している。その提言の具体性にはまだ疑問が残るが、今後有望な議論かもしれない。本論文の研究4は『教育心理学研究』に公刊されたが、日本教育心理学会から2006年度の城戸奨励賞(35歳未満の研究者の優秀論文賞)を受賞した。著者の研究への期待が教育心理学関係者からも高いことうかがわれる。
 しかしながら、著者の研究も発展途上のものであり、解決されていない問題点も残っている。まず、実験的な証拠を得ることに性急となる傾向があって、用いている概念の理論的検討が不十分な点が認められる。例えば、「自己制御」という用語で問題としている社会的行動の範囲はどこまでなのか、目標には階層構造が考えられるがこの研究で得られた結果はどういった水準まで及ぶものなのか、といった考察である。また、いずれの実験でもプライミングを用いて非意識過程を生起させているが、結果の一般化可能性には疑問が残っている点である。他の手続でも同じ結果が得られるのか示すことが望ましいし、さまざまな刺激が存在する現実場面ではどこまで効果が頑健なのか、具体的な検討が必要だろう。
 もちろん、これらの問題点は著者自身もよく自覚するところであり、この領域の研究者全体に課せられた課題でもある。今後の研究の発展によって少しずつ解決されていくものと思われる。
以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究の進展に貢献する十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2007年2月14日

 2006年12月20日、学位請求論文提出者 及川昌典 氏についての最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文『自己制御における意識・非意識の役割―非意識的過程による自己制御の実証的検討-』について、逐一疑問点について説明を求めたのに対し、及川氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は 及川昌典 氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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