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博士論文審査要旨

論文題目:戦後日本における国際認識—青年国際交流事業を事例にして—
著者:クリスティン・イングバルスドッティル (INGVARSDOTTIR, Kristin)
論文審査委員:関 啓子、伊豫谷 登士翁、吉田 裕、小井土 彰宏

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一、本論文の構成と概要

 本論文は、戦後日本社会における国際認識の発展過程を、全国的な世論調査や青年国際交流事業の実態分析を通じて考察した力作である。論文の構成は、次の通りである。

序章
PartⅠ 全国傾向―国際交流と国際認識
  第1章 日本と戦後の世界
  第2章 国際化と国際交流
  第3章 世論調査に見られる国際認識
       Ⅰ 対外意識
       Ⅱ ナショナリズム
       Ⅲ 歴史認識(及び平和・戦争観)
PartⅡ 事例―「青年の船」
  第4章 政府「青年の船」
  第5章 「九州青年の船」
  第6章 「静岡県青年の船」
第7章 ピースボート
結論―国際認識について

 以下、各章の内容を要約する。序章は、研究史の整理と課題の設定にあてられている。研究史の整理では、日本社会の国際化に関する従来の研究が、主として経済や政治に焦点をあわせており、国際認識の発展過程それ自体に着目した研究が少ないこと、また、世論調査や統計などを使ったマクロ的分析か、ミクロ的な事例分析のいずれか一方に偏していて、この二つの手法を統合するという問題意識に乏しいことなどが批判されている。その上で、申請者は、「量的」な調査によって、幅広く全国的な傾向を明らかにしつつ、事例研究によって分析に深みを与えることを試みたいとする。事例研究で青年国際交流事業を取り上げるのは、この事業が中央と地方の二つのレベルで継続的に実施されていて、日本社会の変化を読み取る上で格好の材料を提供しているだけでなく、国際化の上で重要な役割を果たすと考えられる青年層を対象とした事業だからである。
 第1章では、国際化という問題を軸にして、日本の戦後史が概観されている。戦後の日本社会は、講和条約の締結と国際社会への復帰、日本企業の海外進出、経済のグローバル化、戦後処理問題の再燃などの事態への対応を通じて国際化という課題に直面することになるが、その過程からは、国際化が進めば進むほど、保守派による伝統的な民族精神への回帰の主張が高まるという関係が析出できる。
 第2章は、政府や自治体によって推進された国際交流事業の分析である。政府の事業としてとりあげられているのは、国際交流基金、国際協力事業団、中曽根内閣の「留学生受け入れ10万人計画」、全国の中学・高校に英語を母国語とする教師を派遣するJETプログラム、自治体の事業としてとりあげられているのは、外国人労働者や外国人住民の増大に対応するための諸施策、「ふるさと創生」事業の一環としての国際交流活動、姉妹都市提携と姉妹都市交流などである。これらの分析を通じて、申請者が重視しているのは、地方自治体による国際交流事業推進が、政府によって独占されていた国際交流活動の民主化を促したこと、国際交流の担い手がしだいに下降し、NGOや市民団体の果たす役割が増大していることなどである。
 第3章は、世論調査によって日本人の国際認識を分析した章であり、対外意識・ナショナリズム・歴史認識の三つの柱が立てられている。分析結果を要約すれば、次の通りである。対外意識については、若い世代ほど国際化に対して肯定的であり、日本一国だけの利益だけでなく、世界全体の利益を考える傾向が強い。国際貢献に関しても、若い世代ほど、経済や環境などの分野だけでなく、平和維持の分野でも、日本が積極的な役割を果たすべきだと考える人が多い。また、全体的な傾向として、「アメリカ中心主義」は弱まりつつあるとはいえ、日本人が信頼し親しみを感じているのは欧米諸国であり、近隣のアジア諸国に対する信頼や親しみは概して低い。
 さらに、ナショナリズムに関しては、若い世代ほど自国に対する自信を失っているという状況が顕著であり、「国を愛する気持ち」も年齢が下がるほど低くなる。また、若者の間にナショナリズムが拡大している状況は確認できない。歴史認識の問題に関しては、若い世代ほど、侵略戦争や植民地支配の歴史に対する反省が明確であり、戦後補償にも前向きの姿勢を示す。ただし、最近の調査では、過去の戦争の歴史的評価に関して、「わからない」と答える者が増大しているし、アジアに対する優越意識も根強く残っている。したがって、戦後処理問題の対応を誤るならば、攻撃的ナショナリズムが台頭する可能性も否定できないが、国民レベルでの交流の拡大を通して、日本人のアジア認識が大きく変化する可能性もあるとしている。
 第4章は、明治100年記念事業の一環として、1967年から開始された政府「青年の船」の分析である。この事業には、国際交流の推進という目的とともに、規律ある集団生活を通じてリーダーとなる青年を育成するというもうひとつの目的があった。このため、研修内容も、国旗掲揚・国歌斉唱に示されるように、権威主義的・国家主義的色彩が色濃く、訪問先でも、日本人戦没者の慰霊活動などが重視された。しかし、外国人青年がこの事業自体に参加するようになり、さらには訪問先のアジア諸国の青年との交流が深まると、日本人青年の意識も変化し、事業の内容も国際交流を重視するものへと変化していった。「青年の船」の国際化である。
 第5章は、九州各県の主催で1971年から開始された「九州青年の船」の分析である。ここでも、政府「青年の船」と同様の傾向が確認できるが、九州地方はアジア諸国との関わりが深いため、かなり早い段階から国際交流が重視されたという特徴がある。そして、日本人青年は、アジアの青年との交流を通じて、あるいはアジアの民衆の反日感情を目の当たりにすることによって、歴史認識問題をめぐるギャップを自覚し、アジアに対する認識を変化させていったのである。また、規律を重視した集団生活や堅苦しい研修が日本人青年から敬遠されたため、事業の内容もしだいに若者中心の参加型のものに変化していくことになる。
 第6章は、1968年に始まった「静岡県青年の船」の分析である。静岡県の事業の特徴は、地域の青年団の活動との関連が確認できること、訪問先での日本人戦没者の慰霊活動が重視されていること、の2点である。しかし、この場合でも、アジア諸国の民衆の批判的まなざしをしだいに意識せざるをえないようになり、1990年代に入ると、正式の慰霊祭は中止される。また、静岡県の事業の分析からは、参加者がアジア諸国に対して優越感をいだくと同時に、アジアの青年と比較して自分には自国の歴史や文化に対する誇りが欠けていると感じる、というアンビバレントな意識状況が浮かびあがってくる。なお、1980年代から「静岡県青年の船」への応募者は、年々減少してゆくことになるが、その原因の一つとしては、同県における青年団活動の停滞が考えられる。
 第7章は、1983年に設立されたピースボートについての分析である。ピースボートは、国際交流と国際協力活動を行なうNGOであり、そのボランティア・センターは、現在全国に8箇所存在し、そこで働くボランティア・スタッフは数百人にのぼる。また、海外にも3つのセンターが存在していて、70名を超えるフルタイム・スタッフが働いている。「青年の船」と比較した場合のピースボートの最大の特徴は、それが徹底したボトムアップ型の組織原理を意識的に採用している点にある。「青年の船」の場合には、政府や県の補助金が事業の前提条件だが、ボランティアの活動に支えられたピースボートは、経済的に自立している。それだけに、主催者の側にも、参加者の側にも、「地球市民」としての自覚が強く、日本人の国際認識の発展という観点からみても、そこには新たな可能性を見出すことができる。しかし、このピースボートの場合でも、中心的な活動家の中に、若者の間に新たなナショナリズムが台頭していると感じている者がいる。
 最後の結論の部分は、本論文の分析の全体を整理して総括的な考察をくわえたものである。その内容を要約するならば、次の通りである。
 第一に、1980年代以降、地方自治体による国際交流活動、市民団体やNGOなどによる国際交流・協力活動が盛んになってきた。政府も、これには大きなイニシアティブを発揮し、資金や情報の提供などによって、国際化の進展に重要な役割を果たしてきたが、その活動には保守イデオロギーの影響や国益優先の発想が根強く、市民レベルでの交流活動の方が、国際認識の発展や近隣諸国との関係改善に成果をあげている可能性が高い。
 第二には、国際交流事業の内容面で大きな変化が見られることである。事業への参加者もエリートから一般市民へと変化し、対象とする地域も、アメリカや東南アジアに限定されていたものが、最近では多様化し、特に中国や韓国の比重が増しつつある。また、公教育の現場に若い外国人教師を派遣するJETプログラムのように、交流の場も日常生活により近づいてきている。注目する必要があるのは、政府や自治体が実施した「青年の船」のようなトップダウン型の事業の場合でも、参加する青年の意識やニーズにこたえるために、主催者側が交流や研修の内容を変更せざるをえなくなってきていることである。つまり、主催者側は、事業を維持し継続させるために、ボトムアップの要求にこたえざるを得ず、その結果、事業内容の国際化がいっそう進展するという関係が、そこには存在しているのである。また、ピースボートの成功も、ボトムアップ型の組織原理を意識的に採用している点に求められる。
 第三に、日本社会の閉鎖的な体質が完全に克服された訳ではないが、世代交代によって望ましい変化が起こりつつある。若者は、国際化があまり進んでいない日本社会の中にあっては、外国人との接触・交流の経験を豊富に持つ世代に属している。この世代は、戦争や歴史についての基本的知識をほとんど身につけていないが、アジアに対してあまり偏見を持たず、戦争責任問題に対しても正面から向きあおうとする傾向がある。また、若い世代の中にナショナリズムが台頭しているとは考えにくい。若者たちが積極的に国際交流活動の中に参加していくことによって、政府や自治体主導の国際交流事業も、大きく変わっていかざるをえないというのが申請者の見通しである。

二、本論文の評価

 本論文の成果は次の2点である。第一は、世論調査などの全国的動向の分析と個別の事例分析とを組みあわせながら、政府の推進する国際交流事業にはらまれる矛盾やその限界を具体的に明らかにした点である。特に、「青年の船」事業が、日本人としてのアイデンティティの確立と国際化という時代状況への対応という2つの政策目標を有していたこと、換言すれば、ナショナリズムの強化を基調とし、それと矛盾しない範囲中での、厳格に管理された「国際化」をめざしていたことを明確にした点は評価できる。ピースボートとの対比も説得的である。
 第二には、予断を排して、「青年の船」関係の厖大な報告書を丹念に読みこむことによって、トップダウン型の「青年の船」事業が、参加してくる青年の認識やニーズへの対応をはかる中で、本来政府が意図していたのものとは異なる方向に変化してゆく矛盾に満ちた過程を、具体的に解明したことがあげられる。申請者のいう、「青年の船の国際化」である。若者の保守化が叫ばれて久しいが、申請者は世代の問題にあえて焦点をあわせることによって、保守―革新といったポリティカルな対抗図式では、とらえることのできない独自の問題領域があることを明らかにした。
 以上のような成果と同時に、いくつかの問題点を指摘することもできる。
 第一には、歴史学・社会学・国際関係論・社会教育論など、様々な研究分野に関連する学際的な研究テーマであるため、先行研究への目配りが不足している感があるのは否めない。先行研究の整理をさらに徹底した形で行なうことができたならば、国際認識の問題をより広い文脈の中でとらえ直すことができたのではないか。「青年の船」に関しても、これを国際化のための国家的プロジェクトの歴史の中にどのように位置づけるか、という問題意識が必要だろう。
 第二に、若者の国際認識の変化を促した社会的要因の分析が不充分である。近年、歴史認識の問題などを中心にして若者の意識の中にある変化が現れているのは事実であり、そのことの意味を考える上でも、背景となる社会構造や社会関係についてのより深い分析が必要となろう。
 第三に、「青年の船」事業をめぐる様々なアクター間のせめぎあいの過程についても、もう少し具体的な分析がほしかった。資料的に大きな限界があるのはよく理解できるが、主催者と参加者という図式だけでとらえるのには、やはり問題が残る。
 以上のように、いくつかの問題点を指摘することはできるが、申請者自身はこうした点について、充分自覚しており、今後の研究課題も明確である。何よりも、留学生が日本の地域社会の中で大量の資料を収集し、それを精査することによって、着実な研究成果をあげたことを高く評価したい。
 以上、審査員一同は、本論文が当該分野の研究に十分寄与する成果をあげたものと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと判定する。

最終試験の結果の要旨

2006年7月12日

 2006年6月20日、学位論文提出者クリスティン・イングバルスドッティル氏の論文についての最終試験を行なった。試験において、審査委員が、提出論文「戦後日本における国際認識―青年国際交流事業を事例にして―」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、クリスティン・イングバルスドッティル氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は、クリスティン・イングバルスドッティル氏が一橋大学博士(社会学)の学位が授与されるものに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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