博士論文一覧

博士論文審査要旨

論文題目:電話交換手/電信技手>の歴史社会学 ― 近代日独の情報通信技術とジェンダー
著者:石井 香江 (ISHII, Kae)
論文審査委員:木本喜美子、森村 敏己、上野 卓郎

→論文要旨へ

一 本論文の構成
本論文は、情報通信技術における「ジェンダー化」過程、すなわち電信技手が「男性化」し、電話交換手が「女性化」するとともに、それぞれの技術の担い手もジェンダーを軸に分離した歴史過程とそのメカニズムを明らかにすることをめざし、19世紀後半から両戦間期までの日本とドイツにおける第一次・二次資料を駆使した実証研究の成果である。その構成は以下の通りである。

序章 
1. 問題の所在
2. 先行研究のレビュー
3. 分析枠組みと方法
4. 資史料及び調査の概要
5. 論文の構成

第1部  混合期
第1章  組織: 近代日独における逓信事業の概観             
1. 近代ドイツの逓信事業の概観
2. 近代日本の逓信事業の概観
小括  日独における逓信事業:共通点と相違点

第2章  前史: 電話導入以前の女性労働の状況    
1. 19世紀後半のドイツにおける女性労働の状況
2. 19世紀後半の日本における女性労働の状況
3. 各国の逓信事業における女性労働力の導入
小括  日独の事例を比較する上でのポイント:技術・職能組織・福利厚生

第3章  技術革新: 電話の導入とITのジェンダー化     
1. 逓信部内の女性労働をめぐる議論
2. 電話の導入とITのジェンダー化
3. ITのジェンダー化をめぐる日独の相違点
小括  近代日独におけるITのジェンダー化:二つの道筋

第2部  形成期                                                        
第4章  社会的結合: 女性の職域と職場文化の形成       
1. 逓信部内における女性労働力の需要の高まり
2. 第一次世界大戦末までの逓信部内の女性従業員
3. 女性労働力が増加した背景とその帰結
4. 女性の社会的結合の形成
小括  逓信部内の社会的結合:近代日独における二つのかたち

第5章  戦争: 第一次世界大戦以降の職場のジェンダー秩序       
1. 第一次世界大戦がドイツの逓信部内に与えたインパクト
2. 戦間期における女性郵便・電信官吏同盟の活動
3. 職業衛生とジェンダー:電話交換手・リスク・社会国家
小括  近代日独の異なる経験:戦争のインパクトと職場のジェンダー秩序

第3部  動揺期
第6章  身体: 管理とエージェンシーのアリーナ       
1. 「身体」からのアプローチ
2. 規律化される「身体」
3. アリーナとしての「身体」
小括  日独における電話交換手の「身体」:管理とエージェンシーの狭間で

第7章  モールス文化: ジェンダー秩序の構築と変容     
1. 電信技手の社会的結合:「モールス文化」の生成
2. 女性の参入と技術革新:「モールス文化」の変容と撹乱
3. 戦後の展開:中継機械化と「モールス文化」の衰退
小括  「モールス文化」:職場の近代化とジェンダー秩序に与えたインパクト

終章  近代日独におけるITのジェンダー化     
1. 本稿のまとめ
2. 「ITのジェンダー化」の動態的把握
3. 近代日本の文脈における「ITのジェンダー化」
4. 埋もれた歴史の掘り起こしとその意義:公私分離パラダイムの見直し
結語

付録 (ドイツ語引用資料・補論・人事記録リスト・職種別分類・履歴書)
文献目録      
図版出典  


二 本論文の概要
 序章では、電信・電話を事例としてとりあげることによって、特定の技術が特定のジェンダーと結びつくメカニズムを解明する意義、先行研究における位置づけ、その方法が示されている。
 1980年代の日本や欧米諸国において、技術の社会史や文化研究の領域などでも電話・電信が研究されるようになったが、この末端に位置する電話交換手や電信技手に関する社会史的研究は手薄であった。とりわけ結びつく必然性が必ずしもない特定の技術が特定の性別と結びつくミクロな過程やメカニズムが不問に付されてきたという。本論文はこれをのりこえるべく、電話の女性化と電信の男性化が進行した動態的な過程を考察するという課題遂行のために、歴史社会学的な手法が採用される。
分析方法としては、第一に電話交換手、電信技手、職能組織、雇用主などのアクターが行為する社会的領域=<場>が、闘争の空間(アリーナ)として位置づけられ分析対象として設定される。第二に先進諸国のなかで近代化の後発国であり電話の導入が若干遅れた日独の事例が、「トランスファー」という関係性を重視する視角から考察される。主に両国の市民社会の成熟度から比較するという従来の日独比較史という方法からだけでは見えてこない部分を照らし出すために、新たに「関係史」の視点を加える必要があるからだとする。第三には19世紀後半から戦間・戦時期という近代的な生活枠組みや労働規律が外からの強制力によってだけでなく、これらを主体が意識的・無意識的に「身体化」する側面にも注目することによって、ジェンダー秩序の構築過程とこれに抵抗し変容させる主体=エージェントに光をあて、その複雑なプロセスを描こうとする方法的立場が打ち出される。
第1章では日独における逓信事業の歴史と組織の概観が示される。
統一後のドイツでは1877年に郵便事業は電信局と合併するが、ベルリンの中央郵便局、帝国全体で45にのぼる管区をそれぞれ管轄する上級郵便監督局、および7000余に及ぶ末端の郵便局という三重構造は維持された。上級郵便監督局が政策決定を担う中央郵便局に現場の実情を伝えるだけでなく、管轄区域内の労使間交渉や労働力の配置を実質的に担っていた点にドイツ逓信事業組織の特徴があるという。また任用制度については試験による採用・昇進が厳格に実施され、身分を保障された官吏が職員の多数を占めていたが、その一方で兵役義務を終えた後も下士官候補生として軍に残る志願兵を確保するため、長期兵役経験者を優先的に中級官吏として採用する「文民官吏候補軍人」制度の存在が郵便局内での昇進システムと齟齬をきたしていた等の問題点も指摘される。
一方、日本でも様々な変遷を経たうえで、1890年前後にはドイツを模範とする逓信事業組織が整備された。職務や待遇がはっきり異なる上級職、中級職、下級職に官吏の地位が厳密に区別され、社会階層、学歴、性別といった要素が任用を左右していた点は日独に共通だが、日本では逓信業務に携わる職員の大多数は官吏ではなかったこと、また「文民官吏候補軍人」制度のような軍人優遇策は存在しなかったことが相違点として挙げられている。
第2章では19世紀後半から20世紀初頭にかけての女性労働者の増大を背景とした、逓信業務への女性労働導入のプロセスが明らかにされる。
ドイツ、日本とも通信技手の妻や娘が補助的な業務に就いたことを契機として徐々に逓信業務に従事する女性は増加していく。逓信業務従事者の学歴・経歴、勤務状況などを詳細に記した「人事記録」が大量に保存されているバーデンを対象に、著者はそこで働いていた140名の女性たちの採用時期や社会的出自を明らかしている。そこから1872年以前に雇用されていた女性は140人中5名に過ぎずその後増加していったこと、当初は多かった中級市民層出身は1890年代には数を減らし、下級市民層出身者が増えたことなどが指摘される。さらに、著者は、いくつかの個別事例を紹介することで郵便・電信業務に携わった女性たちの具体的なイメージを描き出している。
最後に国際比較を通して、女性に要求される学歴が北欧諸国に比してさほど高くない上に、俸給も低く、昇進も限られていたこと、女性が採用されるのは電話交換業務など特定の領域に偏っていたことなどが日独の共通点として指摘され、早くから電話と電信がそれぞれ女性・男性に相応しい「技術」として認識され、「ジェンダー化」が進行していたことが確認されている。
  第3章では、ドイツ帝国逓信省および日本の逓信省の創生期を対象に、電話と電信がある特定の性別、社会階層に固有な技術として誕生する過程を、両国の社会・文化・経済・政治的背景と技術革新に注目して分析している。
当初男性も交換手として使用していた体力を要する単式交換機に代わり、多数の加入者に対応可能な複式交換機が登場したことで、交換作業が一人の交換手、特に女性の手に委ねられたこと、一方、電信技手は日独両国で当初は男性職であったが、これは電信が戦場で男性兵士によって使用されることが多かったという歴史的背景の他に、電信技手を養成する郵便・電信学校に当初は女性の入学が許可されていなかったこと、鉄道省と逓信省が文民官吏候補軍人を優先して雇用するという制度が存在した事情もインパクトを与えていたことが明らかにされる。ドイツでは長期にわたる兵役で文字を満足に書けない文官候補者にも配慮して、モールスの知識や「熟練」だけでなく、文字を書く必要もない印刷電信機が多数導入されたのに加え、モールス電信機よりも一定時間内の送信字数や速度が優れていた印刷電信機や鑽孔機の導入によってモールスの知識や「熟練」が不要になり、従来モールス電信の知識や「熟練」の獲得から遠ざけられていた女性がこの業務に参入するのを促したことが明らかにされる。
 第4章では、電話交換業務が女性の聖域として確立した世紀転換期から第一次世界大戦勃発以前までの時期をとりあげている。どのような要因によってこれが強化されたのか、あるいは動揺したかという点に注目し、特に「社会的結合」を取り上げることで、ジェンダー秩序の動態的な側面、主体の行動に光を当てて分析している。
この時期に逓信部内で女性の職域が拡大し、女性に昇進の可能性もある程度与えられ、労働条件が整備される過程が跡付けられる。また男女従業員の利害の対立が表面化することになり、このことがフォーマルな職能組織の結成を後押ししたこと、ドイツでは当時活発化した女性運動と連動して発足した女性郵便・電信官吏の職能組織が、女性従業員が働くことや能力を中傷するような数々のジェンダー化された言説=<知>に対して、組織の活動や機関誌を通じて強い批判を加えていた事例が取り上げられる。補論で19世紀後半にドイツ南部で郵便・電信局の管理職を務めた女性たちの人事記録を分析し、女性官吏の動きが生まれた背景をなす、男女官吏の当時置かれていた状況を比較している。これに対して日本の逓信部内では、こと女性においてフォーマルな組織は存在せず、加入者とのトラブルも個人の「精神修養」という解決法に委ねられていた。だが女性従業員が『逓信協会雑誌』への投稿というかたちで職業上の要望や不満を経営側や男性同僚に伝えようとしていたことが実証される。つまり、両国において特定の職域における女性従業員の増加がもたらす諸問題の解決に向けてフォーマル/インフォーマルな女性の「社会的結合」が形成されていたことが明らかにされている。
第5章では、日独を分かつ「戦時動員」が扱われ、ドイツを中心として、第一次世界大戦がその後の職場のジェンダー秩序に与えたインパクトの考察がなされる。
 日本と異なり第一次世界大戦の戦場となったドイツでは、徴兵された男性に代わって女性が大量に逓信部内に導入され、それまで男性が扱ってきた技術を操作するようになり、女性の職域がさらに拡大している。このことは戦後の女性労働をめぐる議論や職能組織の動きに強い影響を与えていくという。電話の担い手の女性化が進む中、電話交換手としての女性に特有の「労災」が社会的に発現し、経営側と交渉する契機が生み出されたのである。労災を防止するために第一次世界大戦後、職業衛生が展開し労使間の対立の引き金となる。その具体的な事例として電話交換手の「外傷神経症」をめぐる従業員と医者・経営側との交渉が詳細に検討されている。これに対して日本では、女性労働者の組織化が第二次世界大戦後までもちこされた。またドイツで社会問題化された「外傷神経症」について、ドイツ経由ですでに情報がもたらされてはいたが、広く認知されるにいたらず、この問題が起こっていたにしてもドイツと同じ規模で確認することができないという。あいかわらず「精神修養」という個人的な問題解決の道しか用意されていなかった日本と、訴訟などの法的手段に訴えることができたドイツとのあいだには、逓信部内における労使関係や職場文化のきわだった違いを見いだすことができると結論づけられている。
 第6章では、1920年代後半から1930年代前半に、日独両国において議論の盛り上がりが見られた電話交換手の「身体」(健康、性機能、性道徳)がとりあげられる。
 ドイツでは産業心理学の影響を受けながら労働科学的な知見の実践、作業環境の改善、健康体操の導入などを通じて、日本では科学的管理の必要性の提唱や従業員の健康管理の注目を通じて、「身体」が管理され規律化される経験が蓄積されていった。こうしたなかにあって女性主体の側もこれに呼応・受容しみずから意味づける過程がたどられている。ドイツでは女性郵便・電信官吏同盟が女性に対する特別規定(独身義務条項)を廃止するために、出生率の減少に対する社会的危機感を利用し、質の高い母親となることが国家の利益だとする論陣を張った。日本でもこの時期には、1920年代前半に高まった男女の平等、同権の追求というテーマは影をひそめ、逓信事業内部で「婦人修養」という精神教育がほどこされるなか、「女らしさ」を「男らしさ」とは異質の、しかし社会にとっては有用な「強さ」を持つ特性として受け入れていた女性主体のありようが確認されている。
 こうして日独両国において男女の差異性を強調する議論にシフトしていったこの時期には、電話交換手自身が、「女性」という集団に外部から付与された特有の「身体性」を、みずから受容し、この延長線上に導出される女性特有の「力、使命、働き」を強調せざるを得ない複雑な過程に光があてられている。  
 第7章では、日本の男性電信技手に加え、女性電信技手に注目している。彼女たちは、前章で検討した圧倒的多数派である電話交換手に比して少数ではあったが存在し、電話交換手とは異なる経験をしていた。
 日本では印刷電信機の導入・普及が遅れ、モールス電信機が戦後まで使用され続けた点がドイツとは異なっていた。そのため「熟練」技能のヒエラルキーが生じ、女性には自動化された電信機を扱う下位の位置づけの職場への参入が許されたという。男性に比して低い俸給が歓迎されたというのが通説である。男性は技能の高さを尊ぶ職場文化としての「モールス文化」を男性のものとしてうちたて、アイデンティティの源泉としていた。
男性側には存在したフォーマルな「社会的結合」を持ちえなかった女性電信技手は、男性による「熟練」定義、それにもとづく言説と実践に取り囲まれ、電話交換手とは異なり、これを再定義しなおすことはできなかった。だが女性電信技手の男性並みに働こうとする職業意識は高く、電信技手同士が技能を競い合う「機上論争」という喧嘩にも似た実践に参加する女性も現れている。そこで迅速さや正確さをともなう技能が発揮されることによって、女性でありながら男性として自己を打ち出していく実践もなされた。電信技術は、声も姿も表さないという特性ゆえに性別の境界線を超える可能性を内包していたことが明らかにされている。
終章では、情報通信技術における「ジェンダー化」過程が、「混合期」「形成期」「動揺期」の三段階に分けられて総括されている。
ここでの強調点のひとつは、こうした「ジェンダー化」の過程を複数のアクターが行為した<場>(社会、職場、家族、教育現場、さらに日本とドイツ)に注目しながら動態的に把握することの重要性におかれている。さらにもうひとつの強調点は、関係史としてのアプローチを用いることの意義についてである。これまでとられてきたドイツから日本への一方向的な関係としてではなく、相互の共通性と差異を浮かびあげることによって、とりわけ日本における「モールス文化」の独自な意味が明らかにされたと主張する。とりわけその内部からジェンダー秩序を動揺させる可能性を秘めた女性電信技手という存在の掘り起こしは、本論文の大きな功績として位置づけられている。


三 本論文の評価
 本論文の最大の成果は、電話の普及とともに進展する電話交換手の女性化と電信技手の男性化の双方をひとつながりの歴史過程として把握し、双方の連関した動きを見据えることによって、この動態的過程を詳細に描ききることに成功していることに求められる。従来のジェンダー間の職務分離研究は現状分析にシフトしており、本研究のようにかなり長いスパンにわたる歴史時代をとりあげ、しかも2カ国を取り扱った作品はほとんど存在しない。しかも職務分離の歴史過程の分析にさいしては、資料的制約もあって、政治、経済および社会制度面での一方向的な規定性に焦点がおかれることが少なくないが、本論文はさまざまなアクター間のせめぎ合いの場をアリーナと設定し、史資料から丹念に追い上げている。この点でジェンダー間職務分離研究、さらに職務を構成する技術とジェンダーとの結びつきを解明する研究の新たな地平を切り拓く作品となっている。
 なかでも特筆すべきは、日本の女性電信技手の位置どりを浮き彫りにしえた点である。男性を主導者とする性格が強く埋め込まれている職場のなかで男性に担われる「モールス文化」の性格を逆手にとっての、女性電信技師の「機上論争」への参入の記述は、本論文の真骨頂を示している。相手の声も顔もわからないために、「技能」しだいでは性別が識別できない電信の世界にあって、強固に構築されたジェンダー秩序を攪乱し揺るがす契機が秘められていたことに光をあてたからである。こうした重大な発見がなしえたのは、電話交換手の対極にある電信技手にもたえず着目するという方法を一貫してとり続け、しかも日独両国の共通性と差異に注意を払いながら分析し続けたがゆえである。こうした歴史的事実の発掘は著者の意図通り、ジェンダー秩序が作りあげられていくとき、同時にこれを揺るがすような諸条件が準備されるダイナミズムを焦点化させることになる。よりつきつめればジェンダー秩序の、たえず変化せざるをえない不安定性にもメスを入れていくべきであることを提起し、ジェンダーの再生産論からジェンダー変動論へと理論的な跳躍を促すものでもある。
 もうひとつの特筆すべき点は、著者によって丹念に収集され、分析された史資料の価値についてである。残されている資料が相対的には多いドイツについては、先行研究の資料はもとより、逓信省と郵政局局長等のあいだで交わされた文書をドイツ連邦文書館別館にて、また逓信部内の従業員の個人記録をミュンヘンの州立文書館にて発掘している。コピーあるいは手書きによって収集されたこれらの資料はきわめて貴重なものである。ドイツに比して資料の乏しい日本については、逓信省の行政官や現業官吏等が購読していた雑誌や国内各地域の電話・電報局が公刊した社史、労働組合の機関誌等から、電話交換手や電信技手を主人公とする小説までも検討材料としている。また少数ながら日独の元電話交換手、および日本の元電信技手への聞き取り調査も実施しており、本研究を肉づけする資料として有効に利用されていることも付け加えておきたい。
 本論文の問題点をあげるとすれば第一に、本論文においてキーワードとしても、また個々の歴史的局面における現象記述にさいしても多用されている「ジェンダー化」という概念の使用が適切か否か、検討を要すると思われる。著者は、「ジェンダーという知を付与するプロセス」としてこれを一般的に定義している。だがこの用語は、歴史的にジェンダー規範がより強化されていくというイメージを与えやすいものであり、また現にそうした意味で積極的に用いる論者も存在する。しかしながら19世紀後半から両戦間期は、著者自身の実証的な解明によれば、近代的なジェンダー秩序が形成されつつ揺れ動く変動過程をたどったと把握することができる。そうであるとすれば「ジェンダー化」という言葉を用いることによって、こうした動態的な歴史過程を十分に表現しえないきらいがあるのではないかと思われる。
 第二に、全体としてみごとな歴史分析となっているが、第一次世界大戦のインパクトが軽視されている感が否めない。特に戦場となったドイツで、著者が述べているように男性の戦後の復員によって、女性が進出した職場が奪われたという評価で果たして十分であろうか。大量の戦死者を生んだことが、社会全体により大きなインパクトを与え、女性労働にとっても大きな変化を生んだのではないかと考えられる。著者は第二次世界大戦後へと研究をさらに進めようとしているが、戦争のインパクトについての分析をより深めることが求められよう。
 だがこれらの問題点は、本論文の弱点というよりも、いずれも今後の課題として残されたものであり、緻密な実証に支えられた本論文の基本的評価をいささかも損なうものではない。
 よって、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に新しい地平を切り開くに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2006年7月12日

 2006年6月19日、学位請求論文提出者石井香江氏の論文について最終試験を行った。本試験においては、審査委員が、提出論文「<電話交換手/電信技手>の歴史社会学 ― 近代日独の情報通信技術とジェンダー」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、石井香江氏はいずれも十分な説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条第3項に定める外国語および専攻学術に関する学力認定においても、石井香江氏は十分な学力をもつことを証明した。
 よって、審査委員一同は、石井香江氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

このページの一番上へ