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博士論文審査要旨

論文題目:アメリカの人種エスニック編成における日系エスニシティ--エスニシティ、人種、ナショナリズムの相互関係をめぐる歴史社会学的研究--
著者:南川 文里 (MINAMIKAWA, Fuminori)
論文審査委員:梶田 孝道、町村 敬志、貴堂 嘉之

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1、論文の構成
 
 本論文は、19世紀末から20世紀初頭にアメリカに移民した日系移民およびその子孫を、ロスアンジェルスという舞台において具体的な分析対象とし、併せて、そのための分析枠組、ないしは概念装置として「人種エスニック編成ethno-racial formation」を提示したものである。すなわち、本論文は、19世紀末から戦後の公民権運動期のロスアンジェルスにおける日系移民をめぐる歴史社会学的な側面と、「人種」と「エスニシティ」という二つの面に焦点をあて、その両者を統合するものとして「人種エスニック編成」を提示するという理論的側面を同時にもっている。その構成は、以下のとおりである。

序章 「日系アメリカ人」をめぐる歴史社会学

第1章 アメリカの人種エスニック編成:理論的枠組
  1.1 はじめに
  1.2 アメリカ社会学におけるエシニシティと人種
  1.3 エスニシティ/人種のナショナルな文脈
  1.4 人種エスニック編成
  1.5 日系人研究と人種エスニック編成

第2章 トランスローカルな移民社会と滞在の長期化
  2.1 はじめに:日系移民の移住過程
  2.2 ロスアンジェルス日系移民の歴史的背景
  2.3 移民起業家の登場
  2.4 「県人」の組織化と社会的資本
  2.5 偶発的帰結としての滞在の長期化

第3章 「エスニックな連帯」の確立:移民のエスニック化と経済活動
3.1 エスニックな連帯と人種エスニック編成
  3.2 ロスアンジェルス日系移民と排日運動
  3.3 移民企業とエスニックな制度
  3.4 エスニック経済の確立
  3.5 エスニック化と市民ナショナリズム

第4章 エスニック・タウンと人種化:リトルトーキョーにおける集団間関係
  4.1 エスニック・タウン:人種エスニック編成の舞台
  4.2 エスニック・タウンとしてのリトルトーキョー
  4.3 「矯風」の実践:リトルトーキョーにおける「排除」と「統制」
  4.4 「アメリカ化」運動とナショナリズム
  4.5 エスニック・タウンにおける人種化

第5章 移民ナショナリズム:戦争、ホームランド、「民族」
  5.1 移民エスニシティと日本ナショナリズム
  5.2 1920年代後半の移民社会:「自立」の模索
  5.3 移民ナショナリズムへの転回
  5.4 「民族」へのコミットメント移民社会の再編 
  5.5 人種エスニック編成と移民ナショナリズム

第6章 「日系アメリカ人」と市民ナショナリズム:日系二世と人種エスニック編成
  6.1 人種エスニック編成と世代エスニシティ:日系二世の場合
  6.2 戦前期の第二世代:移民ナショナリズムのなかの「日系市民」
  6.3 JACLと戦時強制収容:愛国主義的市民ナショナリズムの結晶化
  6.4 再定住と「日系アメリカ人」の自画像
  6.2 人種エスニック編成の逆転と日系二世のエスニシティ

第7章 「日系アメリカ人」エスニシティの再帰性:日系アメリカ人研究プロジェクトと    エスニック多元主義
  7.1 エスニック多元主義の時代:言説としての「日系アメリカ人」
  7.2 1960年頃の日系人社会:社会経済的背景
  7.3 「一世の歴史」から「日系アメリカ人研究プロジェクト」へ
  7.4 日系アメリカ人研究の思考枠組
  7.5 「日系アメリカ人」言説とエスニック化/人種化
  7.6 「日系アメリカ人」言説の再帰性

終章 人種エスニック編成のなかの「日系」

補論 先行研究としての「日系アメリカ人研究」
  1 なぜ日系人が注目されるのか?
  2 日系アメリカ人研究と移民研究:3つの潮流
  3 歴史的枠組としての人種エスニック編成 
 


2、本論文の概要
  
 序章では、まず、エスニシティという概念についての先行研究の整理がなされ、ここでは、具体的な時空間のなかの関係性において定義される分析枠組として「人種エスニック編成」が提出される。続いて「人種エスニック集団」としてのアメリカ日系人が具体的な分析対象とされる旨が述べられ、本論文の主題が、「日系人がアメリカ社会に長期的に適応し、『日系アメリカ人』として自分たちをとらえるようになる過程において、エスニシティと人種という要素がどのように関わったのか」を分析することにあるとされる。
 本論文は、序章・終章および本文の全7章で構成されている。そして補論として「先行研究としての日系アメリカ人研究」が付けられている。
 第1章「アメリカの人種エスニック編成:理論的枠組」では、アメリカにおけるエスニシティ概念の歴史的展開が分析されるとともに、人種概念との関係が考察される。そして、「人種」と「市民」という二つの基準で揺れ動くアメリカのナショナリズムが、「エスニック化」と「人種化」という二つの異なった方向性を持つ集団化を規定していることが指摘され、その理論枠組として、「人種エスニック編成」という概念が提案される。ともすると日系人は、モデル・マイノリティとして、あるいはエスニシティとしては分析されることは多いが、同時に人種という概念と関わらせて議論されることは必ずしも多くない。本論文では、多元的で水平的なアメリカ社会を示すものとしてエスニック集団が定義され、序列的なアメリカ社会を示すものとして人種集団が定義される。ここで、人種は日系人等の「有色人種」のみならず、遅れて移民した南欧、東欧出身の「白人」等をも序列的なアメリカ社会のなかに位置づけるものとしてとらえられている点に注目したい。また、日系人を分析するにあたっての背景としてのアメリカ社会が、戦後の公民権運動期のように水平的で平等的な「エスニシティ」が前面に出る時代もあれば、アメリカへの「有色移民」の入国を禁止したり、戦争時に日系人を強制的に隔離したりした時期のように序列的な「人種」が前面に出る時代もある。

 第2章「トランスローカルな移民社会と滞在の長期化」と第3章「エスニックな連帯の確立:移民のエスニック化と経済活動」では、ロスアンジェルスへの日系移民の移住初期過程から、人種エスニック編成へと編入されるまでの過程が扱われる。
 第2章では、19世紀末に日本から出移民が開始された歴史的背景と移住の社会的メカニズムが概説され、そのうえで、移住初期のロスアンジェルス移民社会における社会関係が、トランスローカルな結びつきを基準としていたことが明らかにされる。そして、初期の移民社会では、「出稼ぎ」志向が、出身地域を媒介にした組織化をすすめ、県人会や頼母子講が、こうした経済活動の制度的基盤となったとされる。ここでは1910年前後の日系移民社会内部の分析がなされ、一時的滞在志向から滞在を長期化させる契機が明らかにされる。
 第3章では、滞在を長期化させる日系移民が、親族・出身母村・出身県といったトランスローカルな紐帯を越えて、日系という「エスニックな連帯」が生み出される過程が、主にエスニック経済の形成に即して議論される。1910年代後半から1920年代にかけて、厳しさを増す排日運動に対して、日系移民社会では日本人会を中心に、さまざまな対処が試みられた。なかでも、同業者組合の結成や、都市部の商業と近郊の農業の間でのエスニックな異業種間の統合は、ホスト社会への適応を進めながらも、エスニックな連帯を確立するという移民社会内部の集合的実践の変化を示していたとされる。ここでは、これらの経済活動の変化が注目され、同時代のホスト社会の人種エスニック編成と結びついた、日系移民におけるエスニック化過程の特徴について議論がなされる。
 第4章「エスニック・タウンと人種化:リトルトーキョーにおける集団間関係」と第5章「移民ナショナリズム:戦争、ホームランド、『民族』」では、1910年代末から1940年代頃までのロスアンジェルスの日系社会における人種化の過程と、ホームランドとしての「日本」との関係の変化について議論され、第二次世界大戦前において特有な、日系人をめぐる人種エスニック関係が明らかにされる。
 第4章では、日系移民社会における「人種化」のあり方を、主に1910年代から20年代にかけての「リトルトーキョー」という場所の成立と関連づけて論じている。リトルトーキョーは、20世紀初頭から日系移民にとって重要な政治組織・社会機関、商業施設などが集中する地区であった。また、リトルトーキョーがエスニック・タウンとして成立した背後には、エスニックな正統性をめぐる集団間対立が存在していたとされ、とりわけ、1910年代末の賭博撲滅運動において、日系移民は大規模な反中国系キャンペーンを展開し、結果として、ほとんどの中国系賭博業者がリトルトーキョーから排除されると同時に、日系移民社会内部における集合的な管理の様式が確立したとされる。この章では、これを20世紀初頭アメリカ社会の人種エスニック編成のなかに位置づけ、日系移民が集合的アイデンティティをアメリカ社会の人種序列関係に組み込む過程として分析される。これはまた、エスニックな場所の生成と人種序列関係に組み込む過程として分析され、これによってエスニックな場所の生成と人種化という二つの動向の結び付きが明らかにされている。
 第5章では、1924年移民法による日系移民の新規入国停止以後の移民社会の変化を、「日本」における戦争やナショナリズムとの関連に注目しながら議論している。とりわけ、1930年代後半、東アジアや太平洋世界をめぐる国際関係が緊迫し日中戦争がはじまると、日系移民一世の間では、戦争状況にある日本を支援するための金銭や物資を送る移民ナショナリズム運動が活発になったとされる。この章では、1920年代からのエスニシティの長期的な変容過程に、移民ナショナリズム運動を位置づけることによって、日系移民が「エスニック集団」として、ホームランドにおけるナショナリズムといかなる関係を結び、日系としての集合性をいかに定義したかが考察される。
 第6章「『日系アメリカ人』と市民ナショナリズム:日系二世と人種エスニック編成」と第7章「『日系アメリカ人』エスニシティの再帰性:日系米国人研究プロジェクトとエスニック多元主義」では、第二次世界大戦時の強制収容を経て、アメリカ生まれの日系二世を中心に日系人社会が大きく変化するなかで、「日系アメリカ人」というエスニシティの様式が登場し、定着する過程が考察される。
 第6章では、第二次世界大戦直前から戦後にかけての日系移民二世が注目され、日系エスニシティと世代の関係が考察されるとともに、「日系アメリカ人」というエスニックな自画像が提示される歴史的文脈が明らかにされる。二世をめぐっては、しばしば、その「アメリカ志向」「同化主義」などが強調されてきたが、実際には、戦前期から、階級、教育の経験、ジェンダーなどの相違に従って、様々な対立が存在してきた。この章では、日系二世の「代表」を自称した日系アメリカ市民協会(JACL)に注目しながら、戦前から戦戦時強制収容、および戦後における日系二世によるエスニックな実践の変遷と、ロスアンジェルス日系社会の変容が考察される。そして、JACLが率先してアピールした「日系アメリカ人」という自己定義のあり方が、世代的アイデンティティに還元されるのではなく、同時代の歴史的文脈における人種エスニック編成の変化、そして日系人社会内部の変化のという文脈のなかに位置づけられている。
 第7章では、公民権運動を経て定着したエスニック多元主義と結びつきながら、JACLの提示した「日系アメリカ人」の言説が、日系人のエスニック言説の図式として浸透する過程が考察される。この章では、JACL主導で提案され、1960年代に実施された日系アメリカ人研究プロジェクトが取り上げられる。JACLは、史資料を収集・保存するとともに、一世・二世を対象に大規模な社会学的インタビュー調査を実施するものであった。本章では、このプロジェクトを、JACLが先導したエスニックな社会運動としてとらえられ、その社会経済的背景を考察したうえで、「日系人とは誰か」をめぐる言説の実践として分析される。そして、「人種」ではなく「市民」を強調した戦後アメリカの公民権期以降の人種エスニック編成のなかで、「日系アメリカ人」の物語に内包される日系エスニシティの新たなあり方が明らかにされている。
 上記の考察を経て、終章「人種エスニック編成のなかの『日系』」では、「日系人であること」の変遷を「市民」「人種」の交錯過程のなかに位置づけ、アメリカの人種エスニック編成の変容との関係を明らかにしている。
 最後につけられた補論「先行研究としての『日系アメリカ人研究』」では、「1.なぜ日系人が注目されるのか?」、「2.日系アメリカ人研究と移民研究:3つの潮流」、「3.歴史社会学的枠組としての人種エスニック編成」について議論されている。
 第一の点については、その理由として、アメリカ太平洋岸における人口上の集中、日系人の物語が戦時期アメリカの不寛容の典型例としての収容と戦後の公民権の拡大と結びつけられるようにアメリカにおける象徴的存在であったこと、移民の適応過程を研究するのに適切な「社会実験室」の一例であり世代区分が明瞭なこと、そして最後に、日系アメリカ人の「成功物語」ゆえに注目をあびたこと、があげられている。
 第二の点については、(1)エスニシティ論:モデル・マイノリティ論と世代論、(2)人種マイノリティとしての日系人、(3)移民研究とトランスナショナリズムについて議論がなされている。いずれも日系人研究の中心的テーマであり、この議論が移民論や人種・エスニック集団論と密接に交差していることがわかる。
 この補論で筆者が強調するのは、この議論が世代論やモデル・マイノリティ論に陥ることなく、歴史社会学としての人種エスニック編成の正確に分析されるべきだという点である。最後に、人種エスニック編成という視角は、これまでエスニシティ論と人種論というように分化してきた研究潮流の間の断絶を架橋するものとされている。

三、本論文の評価と問題点

 本論文は、以下のような独自の意義をもっている。
第一に、「日系アメリカ人」というエスニック集団がアメリカ社会に定着する長期的な過程を、ロスアンジェルスという都市を舞台に歴史社会学的な視点から丹念に考察している点である。竹沢泰子著『日系アメリカ人のエスニシティ-強制収容と補償運動による変遷』(1994年、東京大学出版会)などに代表される、とりわけシアトルやサンフランシスコを対象とした通史的な調査に基づいた移民コミュニティ研究はこれまでも存在する。だが、筆者は、西海岸最大の日系人を含んだ都市であるロスアンジェルスを対象に、多くの一次史料、二次史料を読み込むことにより、移動者のつくる都市空間が人々の相互作用の累積を通じてひとつの「社会」へと形象化していく歴史的過程を、きわめて厚みをもった優れた作品として提示することに成功している。
 第二に、本論文では筆者がオリジナルな理論的分析枠組として「人種エスニック編成ethno-racial formation」という概念を提示し、従来の移民研究が距離をとってきた人種の問題とエスニシティ論とを接合することを試み、そのことが新たな日系アメリカ人論の展開を可能ならしめているという点である。ここでは、エスニック集団を水平的に並べる多元的アメリカ社会と、人種集団を序列的にならべる序列的アメリカ社会とが合体された形で論じられている。日系エスニシティは、排日運動の激しい時や大戦中の強制収容時には人種的序列に基づいて扱われ、逆に戦後の公民権運動期のように「人種」ではなくもっぱら「市民」が強調される時には、各集団が水平的に扱われる。このように日系アメリカ人を、各時期のアメリカ社会における人種エスニック編成に着目し、それとの関係づけのなかで説得的に描いている。日系人にかかわらず、これまでエスニシティと人種は別々に論じられ、両者の関係が明示的に議論されるケースは稀であって、本論文では、日系アメリカ人という素材を使って人種とエスニシティとを結びつけ、その概念枠組として「人種エスニック編成」を提示している。また、本論文はロスアンジェルスの日系人の分析を、過度に抽象化して扱うのではなく、また逆に過度に具体的に扱うのでもなく、適度に抽象化された分析姿勢をとっており、理論と実証をほどよく結びつけた歴史社会学的分析となっている。
 第三に、戦後の日系アメリカ人研究については既に多くの論文が書かれているが、ともすると、第一世代・第二世代・第三世代という世代論に典型的に見られるように、ステレオタイプ化されて扱われることが多い。これに対して、筆者は日系人の存在を、こうしたステレオタイプからいったん解き放し、起伏の激しいアメリカ社会の人種エスニック編成の中に日系人をうまく位置づけている。また、日系人論は「モデル・マイノリティ」としてもっぱら成功したエスニック集団の事例として取り上げられることが多いが、これらの日系人論は、逆に成功するに至っていない(つまり失敗した)人種エスニック集団を明示的・黙示的に批判するものとして取り上げられ、また機能してきたと述べ、これまでの一面的な日系人論を批判している。
 しかし、本論文には、いくつかの残された課題もまた存在する。
 第一に、人種化とエスニック化の同時性のメカニズムの解明が必要とされる。この点について本論文は未だ十分な解明に至っていない。それはひとつには、日系アメリカ人という特定の集団に本論文が焦点を絞ったゆえであり、こうした限界にはやむを得ない部分がある。したがって、今後はさらに他の人種エスニック集団との関係をも視野に入れながら、筆者の理論をさらに深めていく必要がある。
第二に、「編成formation」の背景にある、時代的拘束性(歴史的背景など)をどのように分析のなか組み入れるのかという問題が残されている。ダイナミズムの分析のためには、時間的・空間的な二つの編成を論じる必要があるのではないか。
しかし、以上の点は著者も十分自覚するところであり、むしろ今後に残された課題ないしは新たに解明されるべき課題というべきものである。
 よって、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2006年5月17日

 2006年3月30日、学位請求論文提出者南川文里氏の論文についての最終試験を行った。本試験においては、提出論文「アメリカの人種エスニック編成における日系エスニシティ-エスニシティ、人種、ナショナリズムの相互作用をめぐる歴史社会学的研究」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、南川文里氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、南川文里氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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