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博士論文審査要旨

論文題目:Producer-Consumer Relations in Postmodern Society
著者:フランチェスコ・ヴィトゥッチ (VITUCCI, Francesco)
論文審査委員:ジョナサン・ルイス、町村 敬志、稲葉 哲郎、大杉 高司

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1. 本論文の構成
本論文の構成は以下の通りである。
Introduction 1

Chapter 1: Postmodernism theory 5
1.1 The origins of Postmodernism 8
1.2 The term 10
1.3 What is Postmodernism? 12
1.4 From Modernism to Postmodernism 19
1.5 Postmodern Art 38
1.6 The era of simulacra 54
1.7 Conclusion 69

Chapter 2: Consumption theory 79
2.1 Inter-peer competition for status: Veblen and Simmel 81
2.2 Consumption as daydream: Colin Campbell 92
2.3 A fragmented consumer: David Harvey 102
2.4 The myth of consumption: Jean Baudrillard 108
2.5 Recontextualing consumption: Daniel Miller 115
2.6 Consumption and culture: Grant McCracken 125
2.7 Expressive consumption: Giampaolo Fabris 133

Chapter 3: A framework for postmodern producer - consumer relations 176
3.1 Consumer identity and the question of style 178
3.2 Subcultures and the elaboration of styles 189
3.3 Who is the postmodern consumer? 201
3.4 Narcissism and the feminization of market 207
3.5 Luxury democratization 211
3.6 Vintage 215
3.7 Fusion 218
3.8 The role of producers 223

Chapter 4: An empirical study of producers and the postmodern consumer 229
4.1 The survey 232
4.1.1 Preliminary survey: written questionnaire 235
4.1.2 Main survey: oral interviews 237
4.2 Findings 240
4.2.1 Theme (1): Narcissism and Feminization of the market 241
4.2.2 Theme (2): Luxury democratization 250
4.2.3 Theme (3): Vintage 256
4.2.4 Theme (4): Fusion 261
4.2.5 Theme (5): The role of producers 267
4.2.6 Conclusion 273

Chapter 5: Conclusions 277
5.1 Producer – consumer relations today 286

6 Appendix 290
6.1 Technical problems 290
6.2 Interviews 294
6.2.1 Company 1 294
6.2.2 Company 2 302
6.2.3 Company 3 308
6.2.4 Company 4 318
6.2.5 Company 5 328
6.2.6 Company 6 337
6.2.7 Company 7 342
6.2.8 Company 8 352
6.2.9 Company 9 362
6.2.10 Company 10 366

Bibliography 379

2.本論文の概要
 本論文は消費者と生産者の間の関係を、ポストモダン理論の視点から分析する。ポストモダン理論の過去の発展において、ポストモダニズムを生産者の道具として否定的に見る傾向から、消費者を中心において、より肯定的に見る傾向への動きがあった。そこで本論文の特徴は、消費に対してポジティブな立場をとりながら、生産者を分析の中心におくことにある。そして実証研究として(1)イタリアのファッション業界において、中小企業の経営者が消費者をどのように見ているか。(2)その生産者から見た消費者はポストモダン理論で描かれている消費者とはどの程度まで一致しているか。(3)この消費者像は経営戦略にどのように反映されているのか、の問いに答えようとする。
 「序論」では本論文の目的と構成が簡単に紹介される。消費者と生産者の相互コミュニケーションを重視するアプローチの必要性が強調される。
 第1章では、ポストモダニズムの理論が総括される。「ポストモダン」ということばが使われ始めた経緯、そしてポストモダニズム論の基本的概念及び定義の試みが描かれる。様々な定義が存在している中、著者は一つの定義だけを選び出すのではなく、ポストモダニズム論が絶えず変化していることを指摘する。
 次にポストモダニズムとモダニズムの相違点について議論して、まずジェイムソンのヘゲモニー論に基づいた議論を批判する。ジェイムソンのヘゲモニー論においては、ポストモダン社会が資本階級の支配システムの再生産メカニズムとして機能するものとして見なされる。だが、ヘゲモニー論では消費者と生産者の間における意味の想像及び伝達についての考察が欠如している。それに対し、この問題はジェンクスの生産過程論にはない、と著者は評価する。ジェンクスは近代における大量生産体制からポストモダン時代における多様生産体制への変化を分析する中で、現代の多様生産体制には消費者と生産者の間の情報交換が欠かせないことを指摘しているからである。また、ハーヴェイのポストモダン論は経済構造より思想の変化を重視しているものの、ポストモダニズムに内在している不連続性ゆえに総括的な定義が困難であるとの結論に至る。これらの議論を踏まえた上で著者は、近代からポストモダンへの変化には社会経済の面でも思想の面でもなお継続する要素が多く、「断絶」ではなくむしろ「進化」として理解すべきだと議論する。
 このように行き詰まるポストモダニズムの定義問題を迂回する路として、著者はポストモダン芸術及び建築の中心的概念に着目する。たとえばポップアートでは、生産者である画家は広告や量産された商品自体をその芸術品のなかに取り入れてきた。「美」とは普遍的な価値をもつものではなく、あくまでも生産者及び観察者の社会的文脈から生み出されるものであることをポップアートは自らの表現を通して訴えかけてきた。最後にボードリヤールの幻影(Simulacra)論と、それに対する批判が紹介される。著者はボードリヤールが展開した消費に対する悲観論を批判する。イメージが圧倒的に有力になったポストモダン社会において、消費者は自らの消費実践を通して自分を再発見する可能性を獲得する。提供されているイメージの破片を組み合わせることによって、消費者は自分なりの「真実」を想像する力をもつようになっていると著者は論じる。
第2章では、消費社会学の主な思想家の概念が時系列的に紹介される。資本が社会に及ぼす悪影響を重視する悲観論から、人類学及び記号学の貢献により、自己意識の強いそして自立できる消費者の可能性を指摘する楽観論へ、と概念の大きな流れが描かれる。
 消費社会学の出発点として、まず19世紀末に出版されたヴェブレンの『有閑階級論』が取り上げられる。そしてヴェブレンがここで論じた「誇示的消費」の理論が、ほぼ同時期にファッションについて議論を展開したジンメルの概念と合致する点がある、と著者は指摘する。 ヴェブレンの最大の理論的貢献は、物の「美しさ」と価格の間のリンクを指摘する点にある。 しかし、ヴェブレンもジンメルも、ファッションを個性を隠す「マスク」と見なす点が、ポストモダニズム理論との大きな相違点である。また上述の「誇示的消費」という概念は、単に階級間の競争という観念だけでは説明できないことが多くの学者に指摘されている。
 次に、消費者の購買の動機への考察として、キャンベルの「消費論」が取り上げられる。キャンベルは、消費者の動機を理解するために、消費の「倫理」という観点から、ロマン主義を提案する。ロマン主義では、快楽とは想像の中で体験しうるものであり、そして、消費という行為も商品を選択・購入する行為というより、商品のイメージを利用した想像の中の快楽である、とキャンベルは主張する。その結果、消費者の中には新しい欲望が常に沸き起こる、という。著者はキャンベルの議論が消費学に大きく貢献したことを評価しつつ、その概念には実証的な根拠が確立されていないことを指摘する。
 次に、消費社会に対する悲観論の議論へと移る。ここでは、悲観論を展開した思想家、ハーヴェイ、ボードリヤールと、それぞれに異論を唱えたフェザストン、ミラーなどの説が紹介される。
 まず、消費社会に対する悲観論を唱えたハーヴェイは、消費者を、ゆがめられた情報によって消費者を操縦しようとする広告に無防備になった者と見なす。このハーヴェイの概念は、ボードリヤールが論じた消費社会への悲観論に基づいている。これに対して、著者と同様に、この悲観論に否定的な立場を取るフェザストンの理論が取り上げられる。フェザストンは、消費者(所有者)が文化的及び美的な対象の持つ意味を創造できるものであるという認識が、ハーヴェイの議論に欠如していることを批判する。
 次に、ボードリヤールの悲観論では、シンボルとなった商品の社会的な役割を重視し、大衆文化を量産した商品についてのディスコースと見なす。これに対して、エコーやミラーは、商品は個人によって他の個人とのコミュニケーションに利用され、個人の意志によってその商品の持つサインが操作されることがある、と主張する。
 最後に、消費者に焦点を当てた消費論を考察する。まず、ミラーは、生産者重視の理論を批判し、消費者に焦点を当てた議論を展開する。ミラーの特徴は、キャンベルやボードリヤールより楽観的立場を取り、消費が、個人に自由をもたらす可能性を論じた点にある。次に、マックラケンは、消費とは、経済構造の枠組みでは理解し得ず、あくまで文化的な現象である、と論じる。そして、商品には数多くの文化的な意味が付帯し、人々はこうした商品を通して文化的な種類、ライフスタイルや自己概念を作り出している、という。従って、西欧社会においては、消費が文化の再生産の担い手になっている、と主張する。最後に、フブリスは、消費者の不合理な動機を強調し、消費選択の多くは、快楽、ファンタジー、違犯や、意識的な時間の無駄遣いがその目的となっている、という。こうしたフブリスの理論にはリポヴェトスキーの影響が見られる。
第3章では、第1章と第2章で紹介されたポストモダニズム理論と消費理論が融合され、ポストモダンの消費概念がその分析の枠組みとして用いられる。また、この枠組みの前提として、著者は、消費者が商品を再文脈化することによって、自らのアイデンティティーの形成が可能となる、という立場を取る。さらに著者は、本章の消費・ファッションとメディアに関する議論に関して、ユーアン、ヘブディジそしてゴットディーナーの説に準拠している。
 そこでまず、ポストモダンの消費者の行為として、パッチワーク、フュージョン、ナルシシズムなどが論じられる。そして、消費者のこれらの新しい行為パターンに、生産者がどのように対応しているか、という問題を提起する。この問題に対して、著者は次の二つの点を指摘する。1には、生産者は利益を最優先せず、消費者と同様に自由に新しい概念を創出し、そして自分のアイデンティティーを形成している傾向が見られる。2には、生産者は自分の概念を消費者に押し付けようとせず、積極的な消費者と価値観を共有することを目的にする傾向がある。

第4章では、イタリアのファッション産業の中小企業経営者への調査の結果が紹介される。
 経営者の消費者像とその戦略的な対応についてのアンケート調査は2つの方法で行われた。まず、調査をメールで実施したが、その回答は量と質の両面で不十分であったため、インタービュー調査を実施することとなった。インタビュー調査では、多忙な経営者の同意を得るのは困難であったが、10社のインタービューを実施した。本章では回答の内容を5つのテーマ(1)ナルシシズム及び市場の女性化(2)贅沢の民主化(3)ビンテージ(4)フュージョン(5)新しい流行の発生における生産者の役割、に分類して議論する。このうち4つのテーマ、すなわち(1)〜(4)は、第3章の理論的な立場から論じられる。
 インタービューを受けた経営者は、生産者として発明する自由を保ちながら、消費者との共有価値を探ることが課題であることを強調している。生産者は消費者と同等な立場にあり、お互いを選択するまたは否定することがいつでもできる状態にある。消費者は、消費を通した独自のアイデンティティー形成に興味を示すが、生産者は自分のアイデンティティーを市場の要求に任せなくなっている傾向もある。また、生産者は、受動的に買い物する消費者を批判し、メディアの影響を懸念している、という。
第5章では、「序論」で挙げられた3つの問いへの回答が提示される。(1)イタリアのファッション業界においての消費者像については、インタービュー調査の結果が簡潔に示される。(2)生産者から見た消費者像は、ポストモダン理論で描かれている消費者と著しく一致していると指摘する。(3)こうした消費者像が経営戦略にどのように反映されているのかについては、生産者は消費者と共に意味を創出する必要があることを認識し、消費者とより深いレベルで出会う試みをしている。しかし、その出会いの前提としては、消費者はより独立的に考え、自らを大衆から離す必要があることを生産者は強調する。そして、生産者はマス・マーケティングに背を向け、デザイン戦略において独立を追求している。
3.本論文の成果と問題点
本論文の成果
(1)ポストモダニムと消費に関する議論は日本でもすでに多くの紹介があるが、それらは概ね1990年代初めまでを対象としてきた。著者は欧米におけるその後の展開にも目を配りながら、議論を詳細に吟味しており、その分量は225ページにも及んでいる。ポストモダニズム理論の新しい動向に立脚する著者は、現代社会において消費がもつ創造性に対して極めてポジティブな立場をとるが、他方、悲観的な立場を取る思想家についてもバランスよく議論している。また、ファブリスやパーミジアニといった、イタリア語圏外で殆ど知られていない研究者の概念を紹介していることも評価できる。
(2) ポストモダン消費論を展開するにあたって、著者はファブリスと同じくポジティブな立場をとる。しかし、ファブリスは主に消費者に焦点を当てるのに対して、著者は生産者の役割を問い直す。そして、生産者はあくまで利益を追求するというファブリスの見解とは対照的に、本論文で著者は、生産者が自らの哲学やアイデンティティーを生産活動の中で追求するという側面を強調する。この新しい動きは、実証研究においてある程度まで裏付けられた。
(3) 本論文で展開される、ポストモダン社会における消費者と生産者の関係についての議論は、ファッション以外の分野にも応用の可能性があるきわめて興味深いテーマである。例えば、ソフトウェア開発の分野では、ユーザと開発者の区別が付かないケースが多く、「生産者はユーザの中のユーザ」であるという指摘がされている(Tuomi)。本論文で描かれたような、ユーザと価値観を共有することをめざす生産者像や、マス・マーケティングをむしろ否定する経営戦略が、どの程度まで新しい社会・市場組織の現象と見てよいのか。世代論との関係も含め、新しい研究テーマがこの先に広がっている。
本論文の問題点
(1) ポストモダン社会における消費をポジティブな側面から捉える著者の立場は、新しい発見をもたらした反面、経済システムとの関係の中でなお批判的に検討していく余地を残している。とりわけ、消費活動の中に積極的に独自の創造性を発見していくという消費者の自己イメージ自体が、実は一種の商品として提供されている可能性について、本論文は十分に触れていない。
(2)インタービュー調査に基づいた実証研究は非常に貴重ではあるが、データの量と質の両面ではなお十分とは言えない。会うこと自体が困難で、かつ多忙な対象であるとはいえ、インタービュー時間が短く、経営者の戦略の詳細まで聞くことはできなかった。したがって、本論文の第3章において展開される分析枠組みが十分に利用できず、分析が数少ないインタービューからの引用にとどまっている。
(3)インタービュー調査の結果が、ポストモダニズム以外の枠組みでも説明できる可能性についてさらに議論すべきであった。例えば、ニッチ市場を獲得しようとしている中小企業にとって、マス・マーケティングを否定すること、消費者を個人として見なすこと、そして利益より哲学を強調することは、市場の条件に適合的な合理的な経営戦略の結果であるとも考えられる。
以上のような問題点はあるものの、これらについては著者自身もよく自覚している。またそれらにも増して、理論実証の両面で大きな成果を挙げている点から、致命的な問題ではない。

以上のように審査委員一同は、フランチェスコ・ヴィトゥィチ氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2006年2月8日

2006年1月11日、学位請求論文提出者フランチェスコ・ヴィトゥィチ氏についての最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文『Producer-Consumer Relations in Postmodern Society』について、逐一疑問点について説明を求めたのに対し、ヴィトゥィチ氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同はフランチェスコ・ヴィトゥィチ氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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