博士論文一覧

博士論文審査要旨

論文題目:イギリスNHSにおける保健と医療の関係―1960年代までのバーミンガム市の事例をもとに―
著者:白瀬 由美香 (SHIRASE, Yumika)
論文審査委員:藤田伍一、倉田良樹、高田一夫、内海和雄

→論文要旨へ

〔本論文の構成〕
 本論文の目次構成は以下の通りである。

  序章  問題設定
   第1節 問題意識
   第2節 本論文の視角

  第1章 戦後イギリス医療保障の構想と理念
   第1節 1948年以前の保健医療をめぐる状況
   第2節 包括的保健サービスの構想
   第3節 戦後医療保障の理念

  第2章 疾病予防システムとしてのNHS
   第1節 NHSの成立
   第2節 疾病予防システム
   第3節 保健と医療の連携枠組み

  第3章 バーミンガム市における専門職の連携
   第1節 保健師による予防活動
   第2節 地区看護師による在宅ケア支援
   第3節 連携の要となる一般医の役割
   第4節 専門職の専門分化と連携

  第4章 コミュニティを基盤としたケアの展開
   第1節 地域拠点となる保健センターの計画
   第2節 コミュニティにおけるケア提供の動き
   第3節 1960年代の計画とコミュニティ・ケア

 終章  イギリスにおける保健と医療
   第1節 保健と医療の連携
   第2節 疾病予防を志向した地域型医療保障

  地図・参考文献
〔本論文の内容要旨〕

 イギリスで1948年に始まったNHS(National Health Service =国民保健サービス) は、租税を財源に国が直接国民に保健医療サービスを提供する制度である。1942年に「ベヴァリッジ報告」が公表されたが、これを受けて社会保障に関連する重要な制度として導入されたものである。NHSは保健医療に関連する包括的なサービスを提供するところに特色がある。すなわち医療過程の「予防」「治療」「リハビリテーション」の三過程をカバーする総合的な保健・医療サービスを提供するものなのである。
 NHSの成立に関してはこれまで多くの研究蓄積があるが、ほとんどが病院の国有化を論点にしたり、租税方式に関する考察であって、保健サービスを主軸にして医療との相互関係を論じた研究は意外に少ないと見られる。本論文は1960年代までの、いわゆるNHSの成立期及び初期における地域保健サービスと医療との結びつきを実態的側面から考察した労作である。
 
 第1章では、画期的な国営サービス方式を採用した理由と経緯を追跡している。医療保障には社会保険方式と国が直接に医療を国民に提供する国営サービス方式とがあるが、イギリスは後者の典型国となっている。戦前は社会保険方式を採用していたが、第2次大戦中に戦後の社会保険の再建について協議する「ベヴァリッジ委員会」での議論過程でNHSの方向に転換していくのであるが、本章ではその過程を考察している。  
 著者はNHSへの転換を促した主要なファクターが疾病への対応方法にあったと見ている。大戦中から保健省は医療供給体制を整備する計画に取りかかっていたため、ベヴァリッジ委員会は基本的にこの問題には立ち入らないことを確認しているが、「ベヴァリッジ委員会」の1942年6 月30日の「第2回会議のための回覧文書」において、保健と医療は密接な関係にあり、疾病においては「治療」よりも「予防」が重要であるとの認識が示されていた。これは基本的にロイド-ジョージらのリベラル・リフォ-ムの思想的系譜に身を置いていることを物語っている。「予防」重視の考え方は2つの制度的特徴を生み出すことになった。1つは、衛生、住宅、栄養など包括的な対応が必要であること、もう1つは、社会保険では対応しきれないこと、すなわち租税を財源に国が直接対応すべきことが必然となったのである。著者はこの意味で「ベヴァリッジ報告」がNHS成立の上で大きな意味を持ったと評価している。

 第2章では、成立したNHSにおいて保健と医療を結びつける疾病予防システムと呼べる仕組みが内在しており、地方自治体と一般医の機能的な連携が期待されていたことを論証しようとしている。
 NHSには、「一般医サービス」「病院サービス」「地域保健サービス」の3種のサービスがある。国民に包括的なサービスを提供するために、分立した3部門のサービスが1個の制度の中で結びつけられているのである。
 各サービス部門を個別に見ていくと、「一般医サービス」には、一般医によるサービス以外に、歯科医サービス、眼科医サービス、眼鏡士によるサービス、薬剤士によるサービスなどが含まれている。これらのサービスは「執行委員会」よって統括されている。
 「病院サービス」は、NHSの成立によって14地区に設けられた保健省の「地区病院局」の管轄の下に 380の「病院運営委員会」が設けられ、また2835の病院事業が国有化された。
 「地域保健サービス」は、地方自治体の「保健医務官」が管理にあたり、母子保健や助産、在宅看護、訪問指導、健康教育、予防摂取、救急車サービス等を提供した。
 NHS法は、医療の機能分化を徹底することを制度設計の柱としたが、1次機能については「一般医サービス」と「地域保健サービス」の連携拠点として「保健センター」の設置を規定していた。だが、実際には医師会の反対で1960年代までほとんど設置されなかった。したがって各現場で個別に1次機能の連携・補完がおこなわれることになった。

 第3章では、地方の中規模の工業都市であるバーミンガム市を事例に、地域現場での1次機能の連携・補完の実態について考察している。とりわけ著者が重視しているのは、実際に1次機能の活動に現場で携わる看護職の存在である。具体的な看護職名としては「保健師」と「地区看護師」が挙げられている。
 「保健師」は19世紀半ばから母子保健を中心に地域の公衆衛生向上に中心的な役割を果たしてきたが、NHS成立後は乳幼児から高齢者まであらゆる年齢層に健康教育や退院後サービスを担当してきた。バーミンガム市における保健師は初期は「保健医務官」の指示によって全般的な保健衛生指導を担当してきたが、次第に母子保健活動が主軸となった。NHSの下でも母子保健を目的とする訪問指導が主要な仕事とされ、市内に33ヶ所あった母子福祉センターを拠点に活動した。
 「地区看護師」は自宅療養を支援する在宅看護の担い手である。疾病の早期発見・早期治療、早期退院が政策的に推進される中で、自宅療養を患者家族を含めて積極的に支援する役割を果たしてきた。バーミンガム市では1870年に地区看護師会が設立され、組織的に在宅介護サービスが提供され始めた。1929年にはバーミンガム地区看護師協会が結成されており、協会が設立した共済基金への出資者や看護を必要とする貧困者に対しては無料で看護サービスが提供された。NHSの開始に伴って、バーミンガム地区看護師協会に所属する124 人の地区看護師は11ヶ所のホームを拠点として地域保健局の正式な看護職員として雇用された。
            
 第4章 では、NHSの政策転換の過渡期にあたる1960年代に焦点を定めて考察している。この時期のNHSの主な動向として、著者は「保健センター」の構想と開設状況、また新動向として「コミュニティ・ケア」に注目している。
 1次機能と2次機能の分離を提言した1920年の「ドウソン報告」においても、一般医を中心にして予防と治療をおこなう「保健センター」が示されている。このような性格をもつ「保健センター」構想は1944年の「NHS白書」においても提案されている。実際のNHSにおける「保健センター」は一般医の参加をめぐって独立性を尊ぶ医師会の反対もあり、実験的な試みとして取り上げられたにすぎなかった。バーミンガム市でも同様な状況にあり、最初に保健センターが開設されたのは、1960年になってからと言われている。
他方で「コミュニティ・ケア」が本来の精神保健の意味から拡大して、医療・福祉の総合的な施策として使われ始めたのも1960年代であったことが明らかとなっている。これは当然ながら対象の拡大を意味していたが、NHSの財政規模が拡大するにつれて、制度の見直しがおこなわれることになった。「ギルボード委員会」によって、慢性疾患や精神疾患の高齢者が長期入院するために病床の利用効率が悪くなっていることが指摘され、高齢者の長期入院の解消が図られることになった。「コミュニティ・ケア」は退院患者の受け皿として用意されたものであって、この後、NHSは「シーボーム報告」を受けて、包括的な予防活動から治療に重心を移していくことになった。

 終章では、NHSの構想時から1960年代末までの展開過程を保健と医療の関係軸で総括し、NHSの基本的性格の変化を捉えている。そして、NHSの当初の意図と運用の実態の乖離が大きいことを考察している。
 包括性と普遍性を理念とするNHSは戦略的に疾病予防を柱としていたが、その具体的な制度展開において、一般医が専門職との連携による共同作業に参加しなかったために、結果的に保健師と地区看護師の補完的努力によって支えられていた。さらに、NHSの財政逼迫から総合的な保健・福祉ケアを必要とする「予防」から「治療」に重心を移した体制へと変質していったことが示唆されている。


   〔本論文の評価と課題〕

 まず、本論文のメリットについて述べる。NHSは「一般医サービス」「病院サービス」「地区保健サービス」の3種の保健・医療サービスを提供してきたが、これまでのNHSの研究では2次機能を担当する「病院サービス」の国有化に焦点を当てて考察するケースが多かった。その理由は「医療の社会化」という点で先進性があると認められたためであろう。だが、著者はNHSの理念として、プライマリーケアを含む「疾病予防」の理念がもっとも重要であるとして1次機能に着目している。とくに1960年代までの間の一般医と保健師と地区看護師の三者関係を軸に「保健」と「医療」の連携関係を分析している。
そして制度上の規定と運用上の努力を明確に分けて連携の内容と意義を吟味している。その意味で本論文はNHSの本格的な研究業績として高く評価できるように思われる。
 また、本論文では「保健」と「医療」の連携について、NHS関係の政府資料や委員会報告、たとえば「ベヴァリッジ委員会報告」、「NHS白書」、「ドウソン報告」、「ギルボード委員会報告」、「シーボーム委員会報告」等を丹念に収集するとともに、バーミンガム市における実際の連携関係について様々な一次資料を掘り起こして詳細に解析を進めている。それだけに本論文の主張内容は資料的に裏付けられており、これも積極的に評価できる点である。 
 しかし同時に、残された研究課題もいくつかある。たとえば、本論文が政策論的な構成となっていて、政策決定におよぼす政治的、社会的な環境要因についてはあまり触れられていない点である。とくにロイド-ジョージ等の自由主義、フェビアン社会主義などの社会改良思想の影響や保守党と労働党の政権交代による影響等の分析がこれからの研究課題となるであろう。
 また、NHSの財源や財政方式については構想段階でどのように考えられたのかが論及されていないが、制度の財政の有り様は財政負担する国民にとっても、国家財政にとっても重要な問題である。1960年代のNHS財政の逼迫がNHSを機能転換させる一要因になったとの示唆を考えると尚更であろう。
 だが、本人はもとよりこれらの課題について十分に認識しており、いずれこれに関する研究成果が提出されるものと思われる。
本論文の審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献していることを認め、白瀨由美香氏に対して、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2006年2月8日

  平成18年 1月12日、学位論文提出者 白瀨由美香氏の論文について最終試験をおこ なった。試験においては、提出論文「イギリスNHSにおける保健と医療の関係」に 関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、白瀨由美香氏はいずれも充分な説明を与えた。以上により、審査委員一同は白瀨由美香氏が一橋大学博士 (社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有すると認定した。

このページの一番上へ