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博士論文審査要旨

論文題目:戦前のプロ野球と新聞:『読売新聞』の「巨人軍戦略」と関連して
著者:尹 良富 (YIN, Liang Fu)
論文審査委員:山本武利、高津 勝、村田光二

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・ 本論文の構成
 1990年代に入って、日本のメディアとスポーツ・イベントの関係が学界で注目されだした。とくに新聞企業と野球にかんする文献が目立つようになった。新聞とプロ野球、新聞と甲子園野球を分析した歴史書も現れてきた。しかしながらこれらの文献には、史料、方法で問題となるものが少なくない。本論文は、巨人軍の誕生期の事情とその10年間の歴史に焦点をあてつつ、明治期から昭和戦前期の新聞と野球の関連を実証的に分析したものである。

 本論文の構成は次のようになっている。

序章 問題意識と課題
第1章 日本のプロ野球前史における野球と新聞の関係
 第1節 ベース・ボールの日本伝来
 第2節 一高式野球
 第3節 一高野球時代の新聞報道
 第4節 早慶野球
 第5節 早慶野球時代の新聞報道
 第6節 新聞界の「野球害毒」論争
 第7節 『大阪朝日』と全国中等学校優勝野球大会
 第8節 東京六大学野球リーグの形成と新聞界
 第9節 日本における野球普及の外的要因
 第10節 「野球狂」の時代
第2章 巨人軍の誕生とプロ野球における新聞の対応と姿勢
 第1節 『読売』拡張策としての日米野球
 第2節 巨人軍の誕生期における新聞の対応
 第4節 学生野球と興行野球の論争
 第5節 プロ野球の誕生とその特徴及び経営
 第6節 プロ野球に対する新聞の姿勢と野球ファンの意識
第3章 戦前のプロ野球の娯楽性・軍国性のアンビバレンス
 第1節 戦時下の新聞のスポーツ報道
 第2節 野球報道とプロ野球報道の特徴
 第3節 プロ野球の軍国主義的性格
 第4節 『読売』の宣伝と巨人軍の人気
 第5節 『読売』の特殊な読者層と巨人軍戦略
終章 結語と今後の課題 


・ 本論文の概要

 第1章は、プロ野球前史における新聞と野球の関係の分析である。明治期にさかのぼって検証し、大正期から昭和初期にかけて野球が新聞の報道やイベントによって、次第に知識人から一般大衆にファン層を拡大する過程を検証する。

 1872年頃に日本に伝来した野球は、正岡子規ら一高生をまずファンとして獲得した。まもなく一高野球部が誕生し、日本的野球の形成に力を入れた。とくに武士道精神、集団への忠誠(愛校心)、さらには国家に対する忠誠(愛国心)が一高野球のバックボーンであった。1896年あたりから、新聞は一高野球部の対外試合を報道しはじめる。とくに子規が在社していた『日本』が熱心で、その報道をつうじて、「国民精神の回復発揚」という社是を実行していたといってよかった。しかし一高野球も『日本』も知識人に支えられていたので、草創期の野球は「する」、「見る」、「読む」の三面でエリートの専有物であった。

 日露戦争前後から一高に代わって早慶野球が人気を高めた。東京の有力紙が競って報道したため、早慶戦は両校の学生ばかりか一般の市民を熱狂させた。大学側は校名の宣伝に、新聞側は部数拡大に向け、この人気に便乗した。ところが1911年、『東京朝日』が試合の入場料と興行化、学校宣伝、選手のアメリカ遠征や生活浮華などを取りあげ、「野球と其害毒」なるキャンペーンを始めた。これに対し、『読売』、『東京日日』が反論したため、ときならぬ「野球害毒論争」が東京新聞界を席巻した。『東京朝日』は『日本』系譜の知識人や官学関係者に支持されたのに対し、『読売』などはより広い階層と私学関係者に支持された。1915年『大阪朝日』が全国中等学校優勝野球大会を主催した。同紙は「野球害毒論」を展開する『東京朝日』と同一資本関係にもかかわらず、業界初めての新聞社主催の野球イベントを創出した。同紙は一高式野球を武士道精神の方向で深化さすことによって、イベント主催を合理化させようとした。同紙はその巨大な資本と報道、販売力を駆使して、同大会を国民的イベントに発展させた。同紙はその主催によって、新聞としての信用やブランドイメージを全国に浸透させ、全国紙としての確固たる基盤を築くことに成功した。

 『朝日』のこの成功をみた『毎日』も中等選抜野球大会、都市対抗野球大会を主催した。二大新聞グループによる主催イベントの成功は、野球人口の拡大に寄与した。いずれのイベントも部数拡大や広告増加をねらっていたことはたしかである。そのホンネを隠すのが、武士道精神とか、徳育といった言葉であった。

 また第1章では、1925年からの東京六大学リーグや早慶戦の復活についても言及している。さらに新聞社による軟式野球の開催と報道が野球人気を一層たかめた点も指摘している。1920年代後半から30年代はじめにかけて、大学生から小学生まで、知識人から都市大衆層、労働者層、農民層までが野球を娯楽として愛好するようになった。こうして筆者は全国、全階層規模で「野球狂時代」が到来したことを、当時の統計データを駆使し検証している。

 第2章は巨人軍ならびにプロ野球誕生の過程における『読売』や各紙の対応を、主として新聞の内容分析から把握している。1924年、『読売』を買収した正力松太郎はセンセーショナリズムの手法で大衆の好みに迎合し、部数を急増させた。同紙は二大新聞の牙城である中等野球に食い込み難かったため、1931年と1934年、日米野球を主催した。1934年の日米野球の際、「全国読売化」なるマルチ商法を行い、読者の地方への拡大をはかるとともに、プロ球団の結成に着手し、巨人軍の前身の大日本東京野球倶楽部を創設した。従来スポーツ報道に不熱心だった同紙が、日米野球や巨人軍の報道を通じて、プロ野球人気を煽った。正力は巨人軍を最強のチームに編成し、報道で人気球団に仕立てあげたが、そのねらいは野球報道による読者の拡大、固定化にあった。そしてそのねらいどおり、巨人軍も同紙も大衆に支持されるようになった。

 次にこの巨人軍誕生期における三大紙の比較内容分析がなされる。これまでの研究では、『東京朝日』は反プロ野球とされる。その論拠は同紙掲載の飛田穂州の「興行野球」批判論説にあった。しかし内容分析では、同紙が巨人軍の誕生を高く評価し、その第一回目のアメリカ遠征をかなり熱心に報道していることが判明した。ただその後、報道は『読売』を利するのみとの反省が高まって、次第に熱意がさめ、ついに飛田論説の掲載になったとされる。一方、『東京日日』は最初からプロ野球報道に冷たかった。同紙と『読売』には、販売店の引き抜きや都市対抗野球大会チームをめぐる確執があったからである。

 1936年、正力の働きかけで、日本職業野球連盟が結成された。阪急電鉄、阪神電鉄が観戦にともなう観客からの運賃収入をねらって球団を結成した。名古屋の『新愛知』、『名古屋新聞』も参入した。東京紙では、『国民新聞』が球団をつくった。結成当初のプロ野球の人気は惨憺たるもので、観客もまばらだった。しかし球団は親会社の宣伝の道具でありさえすればよかった。

 第3章では、戦前のプロ野球における娯楽性、軍国性のアンビバレンスについて検証される。1939年の三大紙のスポーツ報道では、掲載スペースにほとんど差がなかった。三紙とも自社の主催ないし後援のスポーツ競技を積極的に報道している反面、あまり関係しなかった種目についての報道は、疎かであった。また、野球の報道において、三紙とも関係しない東京六大学野球の報道に大きな紙面を割いている点では共通しているが、他紙の主催ゲームの報道には冷たかった。したがってプロ野球報道は球団をもつ四紙に主として担われるといって過言ではなかった。娯楽報道に熱心な『都』や夕刊『大阪』がそれに次いでいた。毎日系の新聞の報道量は少なかったが、とくに『東京朝日』の報道は非常に少なかった。

 敵性スポーツとして輸入スポーツの多くが禁止されていく中で、プロ野球は生き残りを図るべく、国策を先取りした戦争協力体制を固めていった。正力を中心に小林一三、有馬頼寧らが銃後慰安、「野球報国」を唱え、国防献金試合を行った。かれらの権力への迎合戦略で、アマチュア野球が禁止されたにもかかわらず、プロ野球は1944年まで存続しえた。そのため、『読売』はスポーツ報道を独占でき、幅広い読者の獲得に成功した。戦時体制下、軍国性を装いつつ、同紙は娯楽性を強め、他紙の読者を吸収した。

 結論で、筆者は明治以来新聞はタテマエとして野球報道による徳育の向上を唱えながら、ホンネでは読者の拡大をねらっていたという。中等野球やプロ野球のイベント創出も同様であった。正力の巨人軍戦略はその最たるものであり、最も成功したものであった。大衆化した読者層に巨人軍ファンを浸透させ、同時に『読売』も部数を増やした。


・ 本論文の成果と問題点

 野球人気の担い手が一高→早慶→中等→一般の野球チームへと学校ピラミッド構造の頂点から底辺に波及していく過程と、新聞読者が知識人から一般大衆に拡大する過程とをその時代背景のなかで相関的に捉えることに成功したのが、本論文の最大の成果である。つまり野球と新聞との関係を社会史の中に位置づけた画期的な論文といえよう。

 野球報道や野球イベントを巧みに行った新聞が販売、広告の増収を達成し、企業的に発展したことをあきらかにした。新聞経営者がホンネとタテマエを使い分けながら、野球ファンを吸収した経営戦略を赤裸々に浮き彫りすることができた。

 また新聞経営と関連させながら、プロ野球をアマチュア野球の前史と連続的に捉えたことも、本論文の成果である。そして巨人軍の誕生期の事情とその10年の歴史のなかに、戦後ならびに現在の『読売』の巨人軍の特性が端緒的ながらも集約的、鋭角的にあらわれていることを明らかにした。

 さらにこれらの成果は複数の新聞紙面の丹念な量的、質的分析、業界紙誌、同時代人の回顧録、社史、団体史、社会調査、オーディエンス調査などの資料発掘によって、実証的裏付けがあることも指摘しておかねばならない。

 もちろん問題点もある。新聞経営史への該博な知識は評価するが、やや強引な経営史との関連づけも間々みられた。「する」、「読む」、「見る」、「聞く」野球ファンの比率が分かれば、さらに分析も立体的になったであろう。さらに筆者自身が自覚しているように、戦時期での正力の言動、とくに権力との関係の実証面が弱い。

 このような問題点があるにもかかわらず、審査委員会は新聞と野球の関連を実証的に跡づけた本論文の価値を積極的に評価し、尹 良富氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適切であると判断した。

最終試験の結果の要旨

1998年5月1日

 1998年4月17日、学位論文提出者尹良富氏の論文についての最終試験を行った。 試験において、提出論文「戦前のプロ野球と新聞:『読売新聞』の「巨人軍戦略」と関連して」に基づき、審査委員が疑問点について逐一説明を求めたのに対して、尹 良富氏はいずれにも適切な説明を行った。
 よって審査委員会は、尹 良富氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定し、合格と判定した。

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