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博士論文審査要旨

論文題目:政府・企業の関係と業界団体の役割-1990年代の日本の石油産業における規制緩和を事例として-
著者:柳川 純一 (YANAGAWA, Junichi)
論文審査委員:田 良樹、依光 正哲、一條 和生、福田 泰雄

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【本論文の構成】

 本論文は1990年代の日本の石油産業における規制緩和にともない、政府・企業間関係、企業間の取り引き関係、業界団体と企業の関係などがどのように変容したのかを考察している。行政指導と業界内の協調による製販カルテル体制が形成される時期にまで遡った丹念な歴史的叙述を展開するとともに、主題である90年台の動向に関しては、当事者からの聞き取り調査に基づく手堅い実証研究がなされている。政策形成の過程における産業別労働組合組織の果たした役割や公害問題・環境問題の影響に関しても多くの新しい知見を示した意欲的な論文である。
本論文の構成は以下の通りである。

Ⅰ はじめに
  1 本論文の目的
  2 分析の枠組み
  3 分析対象の概要
(1) 石油の生産過程と石油製品の種類と用途
(2) 石油製品の流通・販売形態
(3) 石油流通システムにおける主要アクター

Ⅱ 規制緩和以前の石油産業
  1 戦後経済自立期の石油精製業(1950年代を中心に)
(1) 元売制度の発足
(2) 外貨割り当て制度と石油政策
(3) 消費地精製方式の確立
  2 戦後経済自立期の国内石油市場
(1) 重油需要の拡大からの出発
(2) 物流網の整備と元売のチャネル管理
(3) 国内市場の発展
  3 石油市場における団体
(1) 業界団体石油連盟の誕生
(2) 労働組合の結成:全石油の誕生
(3) 販売業団体の組織化
  4 石油業法の成立
(1) 石油業法成立に向けての政府の動き
(2) 石油業法施行後の混乱
(3) 混迷を深める市場
(4) 石油危機と価格体系の歪み
  5 新たな問題の出現
(1) 公害問題
(2) 安全対策
  6 小括

Ⅲ 第一次規制緩和以後の石油産業
  1 規制緩和議論の開始
(1) 議論開始の背景
(2) 臨調・行革審と石油産業
(3) 悩める業界団体
(4) 規制緩和スケジュールの確定
  2 第1次規制緩和の開始(平時における行政指導レベルの緩和:1987~1993年)
(1) 精製設備処理と元売集約
(2) 石油販売業の構造改善
(3) 地球環境問題への対応
(4) 石油労連の誕生
  3 第2次規制緩和(流通と製品貿易の自由化:1996~1998年)
(1) 元売の経営戦略の転換
(2) 元売の経営戦略における環境対策の位置づけ
(3) 労使関係の変容
(4) 業界団体の役割の変化
  4 変革する国内市場
(1) 国際価格体系の浸透
(2) 国内市場にける取引慣行の変化
(3) ガソリン小売販売構造の変化
(4) ガソリン小売販売業界の雇用問題
  5 小括

Ⅳ 結論
  1 公共空間内での組織間再編成
  2 市場空間での変容
  3 生活空間での再編成

参考文献
 
【本論文の内容要旨】

 Ⅰ「はじめに」では、本論文の目的、分析の方法、分析対象の概要が説明されている。まず本論文の目的については、業界団体の役割に焦点を当てながら日本の石油産業および石油製品市場を形成してきた諸要因を歴史的に分析することを通じて、企業と政府の関係および市場の取り引き構造が変容していく様相を解明していくことにあるとする。
本研究の分析方法に関しては、社会学的な社会構造論と組織間関係論の諸概念を適用しながら事実の叙述と考察を進めていくことが主張されている。社会構造論的な分析方法とは、市場空間、公的空間、生活空間など社会構造論的概念をガイドとして用いながら、石油という商品をめぐって企業、業界団体、国などの主体が展開する相互行為の構造を解明する方法であり、相互行為の分析にあたっては、それぞれの主体がどのような資源を用いて、どのようなルールを形成していくのかを記述していく、というスタイルが選択されている。組織間関係論的な分析方法とは、組織関係論の概念セットを用いて、企業、業界団体、産業別労働組合、政府という4つの組織の関係を各組織がおかれた環境および各組織の意思によって説明していく方法である。社会構造論、組織間関係論による考察の焦点として設定されている具体的な主要テーマは、以下の4点である。
(1) 業界団体と企業という社会的に役割が異なる組織同士の関係がどう変化したのか
(2) 市場における元売・販売業者間での系列化をともなう取り引き関係がどう変化したのか
(3) 業界団体とその上部団体である経団連の関係が規制緩和や環境対策を通じてどう変化したのか
(4) 政策的な管理単位であった元売(企業)が規制緩和とともに政府との関係をどのように変化させたのか
 本研究の主要な対象は日本における石油精製業者、ガソリンを中心とした石油製品の流通業者、精製・販売それぞれの業界団体である。石油開発部門、投機的な石油市場参入者、多国籍企業本社などの動向は、本研究の直接の対象ではない。政治学的な規制緩和論における主要考察対象である通産省やエネルギー庁の動向は、本研究においては上記4テーマの環境変数として取り扱われる。

 Ⅱ「規制緩和以前の石油産業」では、規制緩和の動きが始まる1980年代以前の石油産業の動向が概説されている。本章では、1949年に元売制度が発足して流通チャネルにまでおよぶ寡占的な製販カルテル体制が確立すること、1955年に石油連盟の発足に象徴されるような業界単位での石油市場に関する協議システムが形成されること、1962年に石油業法が制定されて、安定供給、消費地精製方式を維持するために生販両面にわたる各種許認可制度が確立することが説明され、規制緩和以前のこの業界の特殊事情が明らかにされる。加えて労働組合の産業別組織も消費地精製方式を支持する機能を果たしたこと、公害、環境問題の発生という要因もまた、企業間の横並び的な対応を促進する効果を果たしたこと、などが説明される。

 Ⅲ「第一次規制緩和以後の石油産業」は、規制緩和開始以後の石油産業の動向を分析した本論文の中心部分であり、規制緩和を第1次と第2次の二つのフェーズに分けて詳細な考察が行われている。第1次規制緩和は主に生産面での規制緩和であって、行政指導の緩和という手段で行われている。第2次規制緩和は、流通・貿易面での規制緩和であり、特定石油製品暫定措置法(以下、特石法と略す)の廃止、備蓄法改正といった立法的手段がとられていることがこのフェーズの特徴である。
 Ⅲ・1「規制緩和議論の開始」では、石油産業において規制緩和議論が開始された背景、臨調・行革審への石油産業の対応、規制緩和計画の実行スケジュールの決定過程などが分析されている。1980年代に入り、重化学工業界などによる省エネルギー化が功を奏して石油需要は落ち込み、石油元売業界は経営危機に陥る。政府は製販カルテルによる安定供給策からの転換を図り、市場競争の導入による産業基盤の強化を図る政策を志向するようになった。さらにこの時期から石油業界は、経団連を通じて臨調・行革審などの活動にインサイダーとして関わるようになり、他産業からのエネルギーコスト低減要求にも直面するようになる。第1次石油危機のさいの価格協定・生産調整に対する公正取引委員会の摘発に関連して、元売の価格調整がカルテル行為として認定された「カルテル事件」もまた業界内部で従来確立していた取り引き慣行の見直しを行う契機となっていた。他方、石油産業労働者の産業別労働組合である全国石油産業労働組合協議会は、臨調・行革路線に協力的な姿勢をとり、業界の競争力回復という使用者側の方針を受け入れながらも、国内雇用の喪失をもたらすリスクが大きい消費地精製主義の放棄に対しては反対する方針を示していた。1987年の石油審議会・石油産業基本問題検討委員会により確定された規制緩和スケジュールの内容は以上のような各主体の相互行為の構造や組織間関係を反映したものとなった。
 Ⅲ・2「第1次規制緩和の開始」では、1987年から93年にかけて実施された生産面を中心とする行政指導レベルの規制緩和の実態と、それに対応した企業、業界団体、その他の組織のアクションについて分析している。政策側のスタンスは、産業の集約化を推進し、個別企業の枠を超えた合理化・効率化をはかり、過剰設備による過当競争体質の是正を図る、というものであった。だが、政府の対応はあくまでも規制緩和であって、政府による強力な介入による設備集約といった手段を講じることなく、自律的な秩序の形成に向けての着実な進展を業界に求めることがその基本であった。集約化を促すための政策に関しては、あくまでも「誘導措置」という緩やかな手段が選択されることになった。だが元売の集約化、生産・価格調整の廃止という第1次規制緩和の実行は必ずしも産業基盤と競争力の強化という政策側の意図したとおりの帰結をもたらしたわけではなかった。もともと企業や労働者組織は政策変更を額面どおりに受け入れるだけの受動的なアクターであるわけではない。これらの関連諸組織は、与えられた環境の中で業界団体の活動などを媒介させながら、自らに有利な形で取り引き関係や組織間関係の再編成を図ろうとする能動的なアクターである。
第1次規制緩和の時期において企業などの諸組織が行った対応として、次の諸点が特筆される。第一には、企業は設備投資などに関する行政指導や許認可要件が緩和されるという経営環境の変化に乗じて、生産力の増強を図るという戦略を進めた。需要予測の読み違いという要因も加わって、過剰設備・過剰生産能力という政策意図とは正反対の帰結がもたらされることとなった。第二には、産業別労働組合組織は、臨調・行革路線に協力しながら、石油審議会などのアリーナでの発言力を確保するようになり、時限立法である特石法による参入自由化への猶予期間を5年から10年に引き延ばすために一定の影響力を行使した。このことによって規制緩和政策が意図した新規参入の自由化の実行を先送りさせることに成功した。第三には、80年代後半における環境意識の高まりは石油産業の産業基盤そのものを危うくする要因ではあったが、環境問題という新たな課題に直面した日本の石油業界では、石油連盟を機軸として業界内協調関係を再編強化する対策をとった。この時期から石油連盟は、環境問題に関して国際機関(IEAなど)、諸外国、国内他産業との情報交換を図り、業界内の企業間調整を推進するという役割を積極的に担うようになり、このことを通じて石油業界の業界内秩序は、石油連盟を機軸として、従来とは異なる方向で強化・再編成されていくこととなった。環境問題に端を発する以上のような動向は、業界における自律的な秩序の形成という規制緩和路線の趣旨にかなう側面を含んでいるともいえるが、市場メカニズムによる調整という本来の意図とは異なる展開であることに違いはない。
 Ⅲ・3「第2次規制緩和」では、1996年から1998年にかけて実施された流通分野の参入規制の撤廃および製品貿易の自由化を中心とした、立法措置を伴なう規制緩和の過程をとりあげ、企業、業界団体、その他の組織のアクションについて分析している。この節では、第2次規制緩和に実務レベルで関わった企業および業界団体のスタッフからの聞き取り調査が活用され、多くの新しい知見が示されている。実施された聞き取り調査の対象者は11名である。
 96年の特石法廃止以後、ガソリン市場には異業種の新規参入が相次いだ。自由化により経営コストの基準作りと国際化への対応に迫られた元売は、市況に連動する生産体制を構築するべく、生産能力の削減に着手するようになった。国際製品価格連動の取り引き関係への移行は経営体力のない流通業者の廃業を促進し、ガソリン販売業の雇用量は急減することになった。製販カルテル時代には市場管理のパートナーであった石油連盟(精製・元売側)と全石連(流通側)とは、市場のルールをめぐって対立するようになった。今日のガソリン販売の世界では、元売・流通業間の新たな秩序として、供給・価格リスクを元売がとりながらも相互に自律的な関係に移行するコミッションビジネスという方向と、市場価格による短期的な取り引きに基盤を置く市場立脚型ビジネスという方向の二つのタイプが出現しつつある。
 労使関係については、第2次規制緩和による設備集約の過程において労働組合は人員整理に歯止めをかけることができず、企業内労使関係における労働組合の力量は低下した。産業別レベルの政労使関係において産業別労働組合勢力が果たす役割も低下した。
 第2次規制緩和に対する企業や業界団体の行動に環境問題というファクターがどのような影響をもたらしたのか、ということに関しては、以下の事実が聞き取り調査から明らかにされた。91年における経団連の地球環境憲章の制定を契機に、石油連盟は経団連を介して他産業との連携をはかり、業界団体間の調整メカニズムを強化するようになった。環境リスクに直面して産業の存立基盤自体に危機意識をもった民族系各社のイニシアティブが働き、石油連盟は環境対策において新たな調整機能を再編させる結果となり、第1次規制緩和の時期に続いて、これまでの生産調整という原理とは異なる形で業界の自律的秩序が強化されていくこととなった。
 Ⅳ「結論」では、これまでの分析結果を社会構造論と組織間関係論の諸概念を活用しながら整理することが試みられている。規制緩和が進行する過程において様々な組織はそうした政策変容を受動的に受け入れたわけではなく、組織間の相互行為が市場のルール、公共のルールを独自に作り変えていく能動的な役割を果たした側面もあった、ということが示唆される。また環境問題に対する企業および業界団体の対応から、今日の日本の石油産業が市場ルール、公共ルールに加えて生活空間のルールにも配慮し、この面でのルール形成という課題にも直面していることが指摘されている。

【本論文の評価と問題点】

 本論文の第一の成果は、石油産業という一つの産業に集中して、元売機軸のカルテル的体制の成立期(1950年代)から、国際製品価格に連動した自由な取り引き関係への移行期(1990年代)にまでの長期にわたって、膨大な文献資料を駆使して政府・企業間関係を中心とした業界動向の詳細な記述を行い、この点で前例のない業績を達成していることである。90年代前半における石油業界の激動期に柳川氏が元売側の企業に勤務した経験が論述の中に十分生かされており、この点も本論文の説得力を高めている。
 第二の成果は、規制緩和が産業にもたらした影響に関連して、業界団体の行動を徹底的に分析し、規制緩和後の業界秩序の形成において業界団体が果たした積極的な役割を解明することに成功していることである。90年代以後の日本の産業政策や規制緩和に関する既存の先行研究では、政府と企業の関係に比べて業界団体の行動については、研究蓄積は薄く、柳川氏の研究はこの点を補完するものであって、この点で高く評価することができる。
 第三の成果は、規制緩和後の業界秩序の再編に関する議論の中で、産業別労働組合の役割について言及し、規制緩和の過程で労組が果たした役割に関する多くの事実発見をしていることである。柳川氏の主張を敷衍して述べれば、労組は護送船団方式による寡占体制を延命させるにあたって積極的な役割を果たした、ということになる。この点の論証をきちんと行っていけば、ナショナルレベルの政労使コーポラティズムをめぐる「労働政治」の議論に対しても一定の貢献をなすことが可能となるだろう。ただし、柳川氏の議論が、そこまでの厳密な論証を欠いたやや中途半端なレベルに止まっていることも指摘しておきたい。
 本論文の問題点としては以下の3点を指摘しておきたい。
 第1には、業界団体の分析に重きをおいた反面、行政側、具体的には通産省、資源エネルギー庁、環境庁などの分析がやや手薄になっていることである。例えば、石油製品の生産設備や販売拠点の新設に関する「規制緩和」が、結果としてさらなる寡占化を招いた過程の分析は、政策側の意図や結果評価など、行政側に関する多面的な観察を重ねることが必要であったと思われるだけに、この点の考察を欠いていることが残念な点である。政策研究としての本研究のもう一つの問題点として、分析結果の普遍化、一般化が弱いため、石油産業における政策形成という域を越えて政策形成過程の分析として大きな成果を達成することができなかったことも指摘しておきたい。
 第2には、環境問題への対応が業界秩序を再編成させる契機となった、という本論文の主張に関し、新しく成立したとされる秩序のもとで、アウトプットとして業界、企業からどのような事業や製品が生み出されているのかについて、充分な記述がなされていない。環境ビジネスにおける業界ベースの協調行動などが示唆されているが、これが消費者、生活者に対してどのような効果をもたすものであるのか判断するためにも、事業や製品がどのように変容しているのかについて、さらに詳細な分析を行っていく必要があるだろう。
 第3には、Ⅲ・3における当事者ヒヤリングの記述があまりにも冗長なため、重要な論点がむしろ見えにくくなってしまっているという、表現技法上の問題点を指摘しておきたい。例えば、柳川氏は第2次規制緩和による企業組織の変容を解明することを目的として、企業の人事制度について詳細なインタビューを行っているが、そうした部分の記述は冗長であり、全体280ページに及ぶ力作ではあるが、さらに内容を圧縮する努力がなされなかったのが残念である。
 以上のように不十分な点、やり残した点はあるが、これらは本論文の成果が損なわれるほどのものではない。審査員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したものと認め、柳川純一氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2006年2月8日

 平成17年12月19日、学位論文提出者柳川純一氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文『政府・企業の関係と業界団体の役割』に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、柳川純一氏はいずれも充分な説明を与えた。
よって、審査委員一同は柳川純一氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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