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博士論文審査要旨

論文題目:韓国における労働力移動の展開とベトナム戦争―民間企業の軍事参加と人の移動を中心にー
著者:洪 志瑗 (HONG, Jiwon)
論文審査委員:内藤 正典、矢澤 修次郎、糟谷 憲一、伊豫谷 登士翁

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 一 本論文の構成
 洪氏の博士論文「韓国における労働力移動の展開とベトナム戦争―民間企業の軍事参加と人の移動を中心にー」は、ベトナム戦争への韓国民間企業の積極的関与が、その後の韓国から中東産油諸国へのプロジェクト型の労働力移動を引き起こした点を論証しようとしたものである。全体は、序論、7章、結論ならびに補論からなる。
序論
1 テーマ設定と問題意識の所在
2 先行研究及び本研究の位置付け
3 研究方法と主要資料
4 論文の構成とその内容
第1章 場所から切り離された個人と労働力プールの形成
1 経済成長と社会の変化
2 農村から都市への移動と商品経済の浸透
3 ソウルを中心とする首都圏への人口集中
4 女性労働力の変化
第2章 送出国としての韓国
1 海外移民への政府の努力
2 西ドイツへの労働力移動
3 定住型としてのアメリカ移民
4 中東へのプロジェクト型労働力移動
第3章 駐韓米軍へのサービス提供
1 アメリカの対韓援助と駐韓米軍の駐屯
2 米軍政時からの用役・建設軍納
3 労働力を提供する民間人集団-韓国労務団 (KSC)
4 駐韓米軍への軍納と労働力の提供
第4章 プロジェクト労働力移動の原型―建設企業のベトナム進出-
1 軍納提供の延長としてのベトナム進出
2 アメリカ企業の下請けとしての建設軍納
3 元請けとしてのアメリカの会社
4 建設企業の進出に伴う労働力移動
第5章 用役軍納のベトナム進出と労働力移動 
1米軍へのサービス提供部門―用役軍納
2 輸送・荷役を中心とする用役軍納
3 用役部門への韓国人労働者の送出
第6章 米会社への雇用を中心とする労働力送出
1 労働者送出の背景
2 募集から送出までのプロセス
3 ベトナムへの労働力移動の展開
4 企業を介在しない送出
5 戦時中の労働環境
第7章 被害と加害の間:危険な労働環境と戦争支援
1 労働争議
2 災害補償及び死傷事故
3 民間人の憲兵による取締
結論
1 戦時と戦後移民の捉え方について
2 民間部門の戦争参加
補論 『戦争の悲しみ』の受け止め方、もしくは戦争の記憶について
1 ベトナム派兵のための憲法改正と現在のイラク派兵
2 ベトナム戦争の現在性:戦争の記憶をめぐって
3 『戦争の悲しみ』の受け取り方について

参考文献
資料

二 本論文の概要

 1960年代半ば以降の韓国の高度成長期における工業化や権威主義体制について、これまで数多くの研究の蓄積があり、またそうした政治的経済的制度の構築において、ベトナム戦争が大きな役割を果たしたことは、多くの論者によって指摘されてきた。さらに、第二次世界大戦後あるいは冷戦体制期において、韓国の経済ならびに社会構造の変化にとって、アメリカのプレゼンスが決定的な意味を持ったことは、これまでの諸研究によって明らかにされてきた。しかし、こうした韓国の急激な歴史的変化の過程において、韓国からの移民や労働力の移動の果たした役割についての研究は、きわめて少なかった。日本と同じく、韓国においても、1980年代における労働力不足による「外国人労働者問題」と呼ばれてきた問題の浮上までは、移民労働者への関心は乏しかった。韓国が、高度経済成長の時期に大量の移民を送り出し、さらに産業の高度化の過程では、移民労働者を受け入れるとともに、移民を送り出してきたことは、ようやく最近において論じられるようになったのである。
洪志瑗氏の論文は、朝鮮戦争からベトナム戦争に至るアメリカ軍の存在が、韓国の民間企業の成長と深く関わり、企業の対外進出と結び付くことによって韓国からの労働力移動の型が創りだされたことを、近年公表された韓国外報部の外交文書などの資料を駆使して描き出している。ベトナム戦争への韓国軍の参戦を契機として、米軍の下請け業務を請け負った韓国企業は、民間の韓国人労働者をベトナムへと送り出した。アメリカの軍事介入や占領に伴う民間人の動員として始まった韓国からの労働力移動は、ベトナム戦争期に限定されるのではない。その後において、米軍との関わりから獲得されたノウハウが、1970年代からの中東産油国への韓国系企業の進出に生かされ、韓国から中東への膨大なプロジェクト型の出稼ぎ労働者の動員となって表れた。中東産油国への移民は、世界最大の移民送り出し地域であるアジア諸国の移民の流れや型を規定してきた要因のひとつであり、韓国からのプロジェクト型移民労働者の送り出しは、その後のアジア諸国からの中東産油国への大規模な移民労働者送り出しの原型となったのである。さらには、本論文では、後方支援とはいえ、ベトナム戦争への民間人の参加は、現在において、韓国におけるベトナム戦争での「戦争責任」の問題に新たな側面を付け加えることになった。
序論において提示された観点は、戦争への動員が人の移動の流れや型を作り出してきたという点にある。移民研究は、ともすれば、平時といわれる時期におけるプッシュ/プル要因やネットワーク形成などから論じられ、戦争の時期における移動は、「強制移動」として例外的なものと考えられてきた。洪氏は、韓国を事例として、第二次世界大戦後においては、アメリカの積極的な対アジア政策の展開と軍事介入が、アジア地域の移民の流れを規定してきた点を取り上げ、韓国においてはベトナム戦争時に起点を求めるのである。ここで課題とされたのは、(一)高度成長期における農村から都市への人口移動と海外への労働力移動とが同時的な過程であること、すなわち都市における膨大な低賃金賃金労働者プールの形成が海外への労働者送り出しを可能にしたこと、(二)韓国から海外への労働力移動は、第二次世界大戦直後の朝鮮半島への米軍の駐屯と米軍の対アジア戦略と強く結び付いてきたこと、とくに軍関係の業務を韓国企業が請け負うことによって、アメリカの軍事拡大と結び付いた企業の対外進出と労働力輸出が拡大したこと、(三)ベトナムへの労働者の送り出しがその後の中東産油諸国への建設業を中心としたプロジェクト型労働力移動という、韓国を含めたアジア移民の特徴を作り出したこと、(四)民間人と民間企業の戦争への参加とその責任である。
第1章と第2章では、高度成長期における国内移動と国際移動の関連を扱い、海外への移動の増大が国内でのより大規模な移動と連動してきたことが明らかにされる。軍事政権下における韓国の開発政策は、工業化政策としてのみ遂行されたのではなく、農村社会の解体を伴って進められた。換金作物栽培の拡大や道路・交通機関の拡充は、農村における商品経済化を急速に推し進めた。とくに韓国の場合は、ソウルへの一極集中という形で都市化が急速に進展した。しかし産業化は、農村からは移出した労働力を十分に吸収できたわけではなく、都市労働市場の底辺に膨大な産業予備軍としての低賃金労働者層を形成することになった。こうした都市化は、農村社会における共同体を支えてきた慣行の崩壊や家族制度の解体を伴うものであり、女性をも巻き込んで展開することになった。九老工業団地における繊維産業などへの女性労働の利用は、その典型的な事例である。
都市底辺層やスラムの拡大は、失業問題、人口問題といった形での軍事政権の重大な関心事となり、そのひとつの解決策として1962年には海外移民法が制定されることになった。同法に基づく移民は、ドイツへの炭鉱夫や看護士移民、ブラジル移民などをあげることができ、また対米移民もアメリカにおける64年移民法の改正以降増加をすることになる。これら定住を目的とした韓国からの海外移民は、1962年から94年までに79万人を越える。しかしながら、こうした移民は、失業や人口問題の解決あるいは外貨獲得という目的からは、大きな成果を得ることはできなかった。
1960年代の工業化が始まる時期からの韓国経済の対外バランスを支えてきたのは、米軍の特需収入であった。建設や輸送などの米軍下請け産業への雇用の拡大は、経済だけでなく、雇用を生み出すとともに、アメリカ軍のアジア地域全体への展開と結びついて、韓国の国際化を進めることになった。社会問題を解決し、外貨を獲得するための政策的な移民労働者の送り出しは、こうした分野へと拡大することになる。次に取り上げられるように、ベトナム戦争を契機として、米系企業の下請けとして、韓国企業が対外進出し、出稼ぎ型の政策的な労働力輸出が始まる。韓国政府による本格的な移民労働者送り出し政策は、1973年からの中東への出稼ぎ労働者の組織的な移動からであり、ピーク時の82年には、15万人を超える移民出稼ぎ労働者が送り出された。
 3章から6章までは、在韓米軍への軍納における民間人の雇用、朝鮮戦争時におけるアメリカ軍への労務提供、ベトナム戦争期における米系企業の雇用と労働輸出、が論じられる。ベトナム戦争への韓国の関与は、軍事的な派兵だけでなく、米系企業のベトナムでの活動と結び付いて、民間人の送り出しが行われた。韓国の国内では、すでにアメリカ軍の基地建設などに、韓国系企業が参加してきており、その代表的な企業が、韓進商社、現代建設、三煥など、後に財閥として巨大化していく企業群であった。韓国企業による米軍活動の下請けを支えてきたのは、韓国労務団(KSC)である。KSCは、朝鮮戦争の勃発時に形成され、政府が募集・斡旋し、米軍に労働力を供給するが、直接的な雇用主は合衆国軍および招聘契約企業であり、軍の編制に組み込まれ、韓国軍により指揮監督されていた。KSCによって雇用された人員は、延べ15万人にのぼる。
 韓国系企業による米軍の下請け業務の遂行は、アメリカの対アジア戦略の拡大に伴って、海外へと向けられることになった。軍納の拡大する過程で、韓国企業は、米軍が必要とする技術、提供に要するノウハウ、受注や入札にかかわる情報などを蓄積し、建設業や輸送業から洗濯業などのサービス提供まで拡大していった。ベトナム戦争の初期においては、軍納に提供される労働力は、政府の斡旋という直接的な形態であったが、次第に自由募集制がとられ、ベトナム戦争への民間企業の関与を深めることとなった。
 民間企業のベトナム進出は、その後のプロジェクト型の労働力移動の原型となるものであり、本論の第4章において、典型的な事例としての建設業が詳述される。建設軍納において最も多くの実績を上げたのは、現代建設と三煥企業である。ただし、ベトナムへの関与は、これら巨大化してきた企業だけでなく、米系企業の下請けによって、韓国の建設関係の企業のほとんどが関わっていた。アメリカ企業は、ベトナムに向かった韓国人労働者の最大の雇用主であり、VINNEL ,ハリバートンの子会社であるKBR等は、戦争に必要な建設やサービスを担当しており、韓国人労働者を最も多く雇用した会社であった。朝鮮戦争時に形成された韓国内における米軍の軍事調達のシステムが、ベトナム戦争時にそのまま韓国からベトナムへと地理的に拡大して展開されたことになる。
建設業と並んで軍納において重要であったのが、軍の補給品輸送、港湾荷役、米軍部隊の諸サービスなど用役軍納である。用役軍納に最も実績のあった企業は、のちのKorean Airである韓進商社であり、同企業の発展は、その後の韓国経済の中核となる財閥形成という点からも、重要である。また、物品軍納に大きな役割を果たしたのも、財閥のひとつである三星物産である。
ベトナムにおける韓国の建設企業は、基本的には、アメリカの大手企業の下請けであったが、韓国建設企業にとって、ベトナムでの工事経験は貴重な経験となった。建設企業のベトナム進出は、用役軍納に比べ収益は少なかったものの、中東進出への契機をつくったという点で重要である。韓国軍の派兵とそれに伴う民間企業の進出は、民間企業で就業する技術者や技能工及び単純労働者の移動を引き起こし、そこでつくられた送出のシステムはその後に継承されたのである。プロジェクト型労働力移動はベトナムへの移動がその原型であり、労務管理においても、韓国の企業は、1960年代にすでに外国人労働者を雇い、外国人労働者には韓国人労働者に比べ、はるかに少ない賃金が支払われ、国籍による差別的賃金が導入されていた。
ベトナムへの韓国人労働者の送り出しにおいて最も重要なのは、米国企業の直接的な雇用ならびに下請け企業の派遣による移動である。韓国政府は、ベトナムとの経済協調という名目から、1965年には経済調査団を派遣し、アメリカと一体となったベトナムへの関与を拡大していった。これはベトナム戦争への韓国の派兵決定と時期的にほぼ一致する。韓国人労働者のベトナムへの移動は、ベトナム政府とアメリカ政府との間で外国人雇用において、参戦国の労働者を優先して雇用するという合意を前提とした。韓国軍の参戦こそが、韓国人労働者の雇用をもたらしたのである。同盟国としての韓国は、連合軍側に戦争遂行のための軍事力のみならず戦時軍需調達に必要な労働力も提供したのである。
労働力の送り出しが始まった1966年から1972年まで、現地で除隊して採用された人数を含む韓国人労働者数は27,323名であった。そのうち、29の外国会社に雇用された労働者が15,888名で、80の韓国会社に雇用されたのが10,236名であった。建設部門の雇用は1969年の場合、12の韓国の企業で656名を採用し、全体の4.6%に過ぎない。建設業の場合、管理職や事務職、そして技術職を中心とした送り出しであり、現場作業は、賃金の安いベトナム人に依存した。
第7章ならびに補論は、ベトナム戦争への民間人の関与が、戦争の被害者/加害者の問題として論じられるとともに、軍事介入とは異なる側面からのベトナム戦争への加害者責任問題との関わりが取り上げられる。
民間人であるとはいえ、ベトナム戦争への韓国の介入は、さまざまな問題を随伴することになった。建設や物資輸送において戦争に巻き込まれ死傷者も多数に登った。1972年までに、死亡した韓国人労働者は227名に達した。しかし実際の数は、交通事故として処理された死傷者など、これよりも多かったことがわかっている。また、戦時体制のもとでの労働者への締め付けは、労働条件をめぐる労働争議なども引き起こすことになった。ストライキや送金忌避などが事例として取り上げられる。ベトナム戦争が泥沼化する過程で、1966年中盤には、韓国人労働者は民間人の身分であるにもかかわらず、憲兵による調査、サイゴンまたは韓国への強制送還が行われるようになった。
こうしたベトナムにおける労働争議は、韓国本国へも持ち込まれ、その後の労働運動や社会運動などに大きな影響を与えることになった。補論では、ベトナム戦争に関わる最近の議論から、こうした点が描き出される。第1には、韓国がベトナム派兵を実現するために行われた憲法改正が、現在のイラク派兵への法的根拠になっていることが明らかされている。第2は、ベトナム作家バオ・ニンの『戦争の悲しみ』をてがかりとして、韓国における「戦争責任」とどう向き合い、そして戦争における経験を異にする人々との連帯は、どうすれば可能であるのかが考察されている。韓国人としての論者が、いまベトナム戦争について論じる場合に、勝者と敗者が自己防衛的な語りから離れ、悲しみを共感しあうことで新たな連帯の可能性が開けてくるのではないだろうか、悲しみの連帯には、苦痛を被っている人たちの悲しみをもたらした原因に、自分が連累してはいないか、と問いかけて、本論文は終わっている。

三 本論文の評価と問題点

 以上に要約した洪氏の論文は、以下の点で高く評価できる。
 第一に、本論文の最も重要な成果は、戦争への加担が、移民労働者の移動の型を作り出した点を明らかにしたことにある。移民は、本論文の主たるテーマでもあるが、これまでの移民研究は、平常時における人の移動を対象としてきた。戦時期というのは異常な事態であり、戦争は終われば、人の移動は元に戻ると、暗黙のうちに、考えてきた。もちろん、移民史研究においては、これまでも戦争と人の移動は論じられてきたが、現代移民との関わりから直接的に取り上げたものはきわめて限られている。本論文では、ベトナム戦争という具体的な事例から、戦争と移民というテーマをあつかったものとして高く評価できる。
第二には、現代の世界的な移民の流れの中でアジア系移民は最大の移民送り出し地域であり、アメリカやヨーロッパ、オーストラリなどの各地においてアジア化が問題となってきている。しかし洪氏は、現代移民の流れや型を作る上でアメリカの対アジア政策が決定的な役割を演じたこと、そして米軍の軍事介入の拡大が、新興工業国としての東アジア諸国の経済進出と移民労働者の拡大をもたらす上で、いわば国際的な標準化を推し進めてきたことを、米軍基地による軍納の拡大、朝鮮戦争における労働力調達への国家介入、そしてベトナム戦争での海外への労働者派遣という具体的な事例によって描き出した。移民労働者のニーズや技能などの国際的な標準化が、アメリカによる支配を通じて浸透したことは、グローバル化の時代といわれる現代における移民を考える上で重要な指摘である。
第三には、人の移動という観点からのベトナム戦争の再評価は、イラクをはじめとするアメリカの軍事介入への協力という事態を前にして、新しい観点を導くものである。1999年にベトナム戦争での韓国軍によるベトナム民間人虐殺という問題が提起されてから、韓国国内において戦争責任に関する議論が活発に行われてきた。本論文は、韓国民間人が米軍や政府の犠牲者としてだけでなく、また韓国経済の成長が戦争特需によるものであったというだけでなく、企業を含めた民間人の積極的な戦争関与の責任について、具体的な事例を取り上げている。
もちろん本論文にも、今後の研究で更に探求すべき問題点が、ないわけではない。
まず何よりも、朝鮮戦争から中東産油国への出稼ぎ労働の時代までを扱うことによって、個々の歴史的局面における国内の移動ならびに移民労働者の送り出しを論じてきているが、それら時代の転換をつなぎ合わせる構造的な変化を、必ずしも十分に描き切れていない。高度成長期における農村から都市への人の移動が、出稼ぎ労働者の送り出しといかにつながるのか、また朝鮮戦争期の韓国労務団(KSC)による労働力調達が、ベトナム戦争期に民間による募集という形態にどのように移行していったのか、さらに、中東産油国への出稼ぎから韓国への外国人労働者の流入と対米移民の増加へといかに推移していったのかなど、韓国の経済構造や労働市場の変化と結びつけて論じられれば、より説得的な議論が展開できたと考えられる。
第二には、本論文は、アメリカの対アジア政策が韓国の移民の流出にとって決定的な役割を果たした点を鮮やかに描き出している。しかしそれを論証するために用いた資料は、韓国の外交通商部の外交文書と政府記録保存所に保管されているベトナム関連文書であり、アメリカ側の膨大な資料は利用されていない。もちろん、本論文にベトナム戦争論を期待することは、過大な要求であるが、アメリカのアジア政策をアメリカ側から捉える視点を導入するならば、より幅広い問題点を拾い出すことができたと考えられる。
第三には、韓国の工業化過程における国内移動において女性労働が取り上げられているが、その後の展開においては、産油国への出稼ぎ労働における家を守る女性という指摘を除いては、ジェンダーの視点はない。輸送や建設といった軍納への動員が男性労働中心であったことは、十分に理解できるが、戦争と女性は、現在、大きなテーマとして多くの研究が出てきている。戦争における女性の動員が明らかにされるならば、家族制度の変化など韓国社会との関わりが、明らかになったと考えられる。
最後に、本論文は、基本的には韓国からの移民送り出しの原型としてのベトナム戦争が取り上げられたが、現在の韓国は移民労働者の受け入れ国であるとともに、欧米諸国への専門家・技術者・起業家などの移民送り出し国でもある。現在の韓国における移民問題といわれるもの、あるいは東アジア共同体構想やコリアン・ネットワークの議論、あるいは海外同胞法の評価などといかに関わるのか、といった現在の諸課題との関わりを含めて、現在の韓国が直面している移民問題への言及が必要であったと思われる。
しかしこうした問題点は、過大な要求であることは十分に承知しており、本論文の価値と意義をいささかも貶めるものではありえず、今後の課題としてあえて述べておいたものである。

以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に十分に寄与しえたと判断し、本論文が、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2006年2月8日

 2006年1月17日、学位論文提出者洪志瑗(ホンジウォン)氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査委員が、提出論文「韓国における労働力移動の展開とベトナム戦争―民間企業の軍事参加と人の移動を中心にー」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、洪志瑗(ホンジウォン)氏は、いずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は、洪志瑗(ホンジウォン)氏が、一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有すると認定した。

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