博士論文一覧

博士論文審査要旨

論文題目:シティズンシップのポリティクス-多文化国家オーストラリアにおける包摂と排除の構造-
著者:飯笹 佐代子 (IIZASA, Sayoko)
論文審査委員:伊豫谷 登士翁、関 啓子、宮地 尚子、小井土 彰宏

→論文要旨へ

一 本論文の構成
 多文化主義あるいは「相違への権利」が、高い評価を与えられながらも、現実の政治過程においてさまざまな問題をはらんで展開され、国民国家の虚構性が自明となる過程で、民族的な国民性(ナショナリティ)に代わる「シティズンシップ」が国家統合として論じられるようになった。本論文は、現代の欧米諸国が直面している「移民」「難民」さらに「先住民」といったエスニック・マイノリティに位置づけられてきた人々をめぐるポリティクスを、オーストラリアを事例として明らかにしようとしたものである。論文の構成は、序章と4章、終章に、参考資料と統計がつけられている。

序 章
1 問題の所在
2 鍵概念としての「シティズンシップ
3 先行研究
4 分析の方法
5 本論文の構成
第一章 包摂と排除の境界――国籍/ボートピープル/強化される国境管理――  
1 「オーストラリア国籍」概念の構築
1)帝国のシティズンシップから国民国家のシティズンシップへ
2)国籍概念の転換――包摂の象徴へ――
3)国籍の「価値」
2 「ワイルド・ゾーン」で翻弄される人々
1)移民・難民政策における選別のしくみ
2)「防御、阻止、収容」の政策――強化される国境管理――
3)三つの事件――タンパ号事件/チルドレン・オーバーボード事件/SIEV Xの沈没――
3 排除を支える論理と言説
1)政府によって造られた論拠
2)国境と国家主権
3)必要とされた「他者」
第二章 先住民族の復権と共和制論議
――二つのポストコロニアルなシティズンシップのゆくえ――
1 国民としての権利の獲得
1)「権利なき国民」
2)同化の報酬・代償としての権利
3)1967年国民投票の神話化――その象徴的意味をめぐって――
2 先住民族としての権利の獲得
1)先住民族に固有の権利に向けて――土地権の要求――
2)「先住権」の獲得――「マボ判決」と「先住権原」――
3)先住権・土地権の認定をめぐる問題
4)マボ判決以降のシティズンシップ論争
5)開発と先住権
3 共和制運動の展開と先住民族
1)共和制論議への期待
2)共和制議論への失望
3)ハワード政権下の共和主義
第三章 多文化国家のシティズンシップ教育
   ――「デモクラシーの発見」が紡ぐナショナルな物語――
1 シティズンシップ教育への視角
1)国民教育としての新たな課題
2)国民と市民
 2 シティズンシップ教育の政策的展開
  1)1960年以降のシティズンシップ教育の不在
2)シティズンシップ教育とキーティング
3)専門家委員会(Civics Expert Group)の提言
4)「デモクラシーの発見」プログラムの誕生
5)シティズンシップ教育と「歴史」
3 「デモクラシーの物語」と文化的多様性
1)デモクラシーの歴史的起源
2)西洋の人権概念と非西洋社会
3)「歴史の安全なヴェール」と先住民族の問題
4)顔の見えない抽象的なアジア系移民
5)歴史観の多様性と「白豪主義」
6)多文化主義への不安
第四章 「小文字cのシティズンシップ」
―― 多文化主義批判と「シヴィック・ネイション」――
1 多文化主義と権利
1)多文化主義政策の推移と権利
2)多文化主義の政策コスト
3)文化的承認、あるいは消費としての多文化主義
2 ナショナル・アイデンティティとしての多文化主義
1)諸文化の共存という統合ビジョン
2)「多文化主義ナショナリズム」言説の構造
3)「多文化主義ナショナリズム」の挫折
3 「小文字cのシティズンシップ」の登場
1)ナショナル・シヴィック・アイデンティティ
2)「権利」への沈黙
4 「シヴィック・ネイション」という幻想
1)「エスニック・ネイション」から「多文化ネイション」へ
2)ハワードの「シヴィック・ネイション」
終 章     
1 メンバーシップの「範囲」と「意味」の再編
2 「虚飾としてのデモクラシー」の台頭
3 シティズンシップを問い続ける
参考資料
引用・参考文献
 
二 本論文の概要

シティズンシップは、公共性や公共圏に関わる政治思想の分野などにおいて、つねに中心的なテーマのひとつであり、また具体的な政治過程では、国家の構成員としての国籍規定や権利と義務、社会保障の範囲などの問題と連動して論じられてきた。飯笹氏の本論文は、「シティズンシップ」を掲げるポリティクスにおいて何が問い直され、多文化的な状況のなかで何が起こっているのかを、世界で最も開放的な国と考えられてきたオーストラリアを事例として取り上げ、国家のメンバーシップとしてのシティズンシップが、具体的な政治過程において、「望ましい国民」を規定する新たな国家統合理念として再構成されてきていることを論証しようとしたものである。
これまでのシティズンシップに関わるアカデミックな議論は、おおまかに、西洋思想におけるシティズンシップ概念の展開を中心とした規範的なアプローチと福祉国家制度の発展へと収斂する個人の権利や民主主義と結び付いた人権的なアプローチに分けられ、これら二つのアプローチが相補的に取り上げられてきた。これらのアプローチは、国民国家論として展開された国家論ならびに具体的な政治過程において重要な役割を果たしてきたが、そのことはシティズンシップという概念が近代の歴史的な展開過程によって規定されてきたことを意味する。しかし、前者の規範的なアプローチは、しばしば西洋近代を理念化し、具体的な「場」を欠いた抽象的な議論に陥りがちであり、後者はシティズンシップを権利言説に還元してしまうことになる。
そしていま、公的領域と私的領域、個人と集団が課題とされるなかで、「シティズンシップ」をめぐる議論が、アカデミズムと政策領域の双方において注目を集めている。欧米先進諸国において展開されているシティズンシップ論争とも言える議論の特徴は、個々の国における国民国家形成の固有性によるズレをはらみながらも、文化の多様性や差異の尊重を求める動きの顕在化との関わりから、シティズンシップ論が構成されていることにある。移民や先住民の集団としての諸権利が認められるなかで、多文化主義に関わる論争の延長に表れてきているのが、シティズンシップ論争である。
シティズンシップ論争で課題とされてきたのは、多文化状況に対して、シティズンシップに新しい可能性を見いだそうとする試みであった。すなわち、シティズンシップの新たな概念に込められているのは、正義の理論とデモクラシーの理論の不足を補うもの、あるいはナショナリズムか文化多元主義の選択を仲裁する第三の可能性として、さらには社会的正義と社会の凝集性の両方に関わる諸問題を問い直すこころみとして、または「ネイション・ステイト」を柔軟で開かれた帰属に基づく民主的な「ステイト」に置き換える試みとして、といったものである。
序章においては、本論文全体の概念構成や問題の枠組みが提示される。福祉国家の時期におけるマーシャルの議論や、その後の多文化主義の台頭においてシティズンシップ論をリードしてきたキムリッカの議論が検討され、これら議論の意義と歴史的な限界が詳細に指摘される。両者に代表されるシティズンシップ論が、基本的にはヨーロッパ近代の特権的な位置を構成してきたのに対して、飯笹氏が注目したのは、カナダのシティズンシップ研究者E. イシンである。イシンは、古代ギリシャのシティズンシップ・モデルが「創られた伝統」として各時代の支配的なシティズンシップ言説の中に組み込まれてきたことを指摘し、シティズンシップ自体が自己の他者表象と他者を通じた自己構築として用いられており、したがってメンバーシップの範囲を課題とするシティズンシップが、暗黙に、「文明化」と「野蛮」との対比を内包して再構築されてきている、という。
 本論文が掲げた論点は、第一には、文化的、民族的背景の異なる人々に対してどのように、またどこまで国境が開かれるべきか、言い換えるならばメンバーシップの範囲がどのように線引きされるのかという課題である。第二は、移民や先住民族などのマイノリティの権利と社会参加をめぐる課題であり、シティズンシップという枠組みのなかで論じられてきた権利や社会参加の拡張が、いかに国民化の過程として機能したのかということに関わる。第三の課題は、国家の構成員の多様化やマイノリティの文化的主張に伴い、シティズンシップが政治化されることを通じて、ナショナル・アイデンティティや国民統合の理念としていかに再構築されてくるのか、ということである。
考察の対象としてオーストラリアが取り上げたのは、文化的多様性に関する様々な論点が、アカデミックな議論の対象としてだけではなく、具体的な政治の場において、あるいは両者の交渉を通して、きわめて簡明な形で表れてきており、興味深い事例や素材を提供しているからである。オーストラリアは、いうまでもなく移民の国であり、白豪主義から多文化主義への転換と、多文化主義政策の推進ならびに先住権の展開が、先駆的な政策実験として世界的にも注目を集めてきた。しかし、90年代以降、多文化主義や先住権をめぐるせめぎあいがシティズンシップ論争に顕著に反映され、多文化国家としてのアイデンティティのあり方をめぐる議論が、大きな政治的争点を構成してきたのである。現在、オーストラリアは文化的な多様性や差異をめぐってシティズンシップのポリティクスが最も活発に展開されている国家の一つとなっている。
オーストラリアが抱える課題は、その独自の文脈、すなわち、大英帝国の植民地としての歴史的由来、植民者による先住民族に対する組織的な侵略と略奪、英国ないしは西洋の伝統の継承に基づくネイション・ビルディングの過程と、これらに付け加えてヨーロッパから隔絶したアジア太平洋地域の国家という地理的隔絶感が、シティズンシップをめぐる現代の状況に様々な課題を投げかけている。本論文が課題とするのは、文化的多様性とシティズンシップをめぐる政治過程であり、近年のアカデミズムの論調において文化の多様性/差異を尊重するシティズンシップ概念への期待が標榜されながらも、むしろそうした期待と「統治」として実践される現実のシティズンシップ政策とのギャップは拡大しつつある、という点を、政府関係の報告書から学校教育における教材までの史資料を用いて、具体的な事例を通して論じることにある。
 第1章「包摂と排除の境界――国籍/ボートピープル/強化される国境管理――」は、メンバーシップとしてのシティズンシップにおける、線引きのしくみを支える包摂と排除の力学である。オーストラリアにおいて、シティズンシップとは、まず何よりも国籍であり、包摂を象徴する国籍(大文字Cのシティズンシップ)で表されてきた。国籍取得において世界でもっとも開放的な国のひとつと言われてきたオーストラリアにおいて、1990年代末以降、ボートピープルの受け入れをめぐる政治論争が先鋭化した。その象徴的な事件は、インドネシア近くに位置するオーストラリア領のクリスマス島を舞台として起こった、中東からの難民を乗せたタンパ号事件である。ここで問題とされているのは、難民が恐怖として政争の具に利用されてきたとともに、難民の受け入れの是非そのものが、理念として論じられたのではなく、国家を脅かす人々から国を守るという名目を掲げて、権力装置におけるきわめて暴力的な「ワイルド・ゾーン」として機能してきたことである。移民の国籍取得を熱心に推進する政策が、他方では排除の力学を体現するボートピープルへの対応という対照的な政策を内包して遂行されていることを明らかにする。
 第二章では、オーストラリアの植民地化という歴史的要因に最も強く規定されている二つの問題、すなわち先住民族の復権と共和制論議を取り上げる。被植民者としての先住民族の地位回復要求運動と、英国君主を抱く立憲君主制を廃止して共和制への体制移行を目指す運動は、それぞれ次元は異なるものの、オーストラリアにとってのポストコロニアルな問題として、シティズンシップの課題と深く関わって議論されてきた。共和制の議論が、イギリスからの離脱とアメリカへの接近という国際関係を反映してきたのに対して、権利なき国民としてのアボリジニの「権利回復」は、植民者としてのオーストラリアにとって真価が問われる課題であり、シティズンシップ論争が有する政治性を映し出す鏡であった。
 この二つのシティズンシップ論争は、きわめて非対照的な形で展開された。先住民にとっての権利回復は、アングロ・ケルトと呼ばれてきたオーストラリア人への同化の過程でもあり、自らの固有性の放棄を迫られてきた歴史である。アボリジニの権利を認めたマボ裁判は、画期的な判決であったにもかかわらず、その後の成果は不透明なままである。アボリジニの人々は、「真正な」アボリジニ性を要求されながらも、主流社会の価値観に反しないことが求められ続けており、先住民としての権利と平等な権利とのせめぎ合いと矛盾が今なお続いている。それに対して共和制論議は、イギリスとのシンボリックなつながりの問題であり、国民統合の表象に関わる問題として表れてきた。それゆえに、象徴的な問題としての意義は大きいものの、オーストラリアの大きな社会変化や国際関係における地政学的な位置の変化をもたらすものではない。
第三章では、シティズンシップのポリティックスが最も顕著に表れている事例として、シティズンシップ教育が取り上げられる。学校教育という場におけるシティズンシップ教育をめぐる論争は、歴史認識の問題とも絡まり、連邦政府の強力なイニシアチヴのもとで実施された。シティズンシップの意義や「能動的なシティズン」の育成という目的が掲げられ、「デモクラシーの発見」プログラムは、その政策的帰結である。
ここで重視されてきたのは、シティズンシップの西洋的な伝統であり、民主主義国家を作り上げてきたヨーロッパの伝統を継承するオーストラリアの歴史的遺産である。「デモクラシーの発見」プログラムにおいて取り上げられたテーマは、「誰が統治するのか」「法と権利」「オーストラリア・ネーション」「シティズンと公共生活」であり、そこで示されているのは、普遍的な理念を標榜したシビックな国家アイデンティティである。これは、白豪主義のような特定のエスニック集団に基づいた国家アイデンティティではないが、その中でアジア系移民や先住民に関わる論点は回避され、むしろ将来的な不安要因として描かれている。西洋的な言説としてのデモクラシー教育は、すべての人々が了解するように装いながらも、そこには西洋への懐古的な志向が読み取れるのであり、飯笹氏は、発見されるべきデモクラシーとは何であるのかと問うのである。
第四章では、多文化主義に対する批判の先鋭化に対して台頭してきたシティズンシップ論争の持つ政治性が明らかにされる。1990年代には、オーストラリアにおいても、キムリッカの提唱する「多文化シティズンシップ」が大きな影響力を持ち、文化的な差異と権利をめぐる議論が生起していた。しかし他方では、ハンソン現象に代表されるように多文化主義批判が高まり、それに呼応する形で、同政策の見直しがシティズンシップ論の観点から行われるようになる。多文化主義からシティズンシップへの強調点の移行は、カナダでもみることができる。あるいは、これまで「多文化主義」という語/概念に躊躇を示してきたアメリカやフランスなどの国でも、多文化の問題がシティズンシップ論の中で積極的に論じられるようになっている。
オーストラリアという文脈を象徴するのは、「小文字cのシティズンシップ」である。「小文字cのシティズンシップ」とは、オーストラリア社会のメンバーとして共有される価値や権利/義務を指すものであり、国籍を意味する「大文字のシティズンシップ」とは区別して論じられる。多文化主義を国是とするオーストラリアにおいて、政府が「小文字cのシティズンシップ」を提起したのは、文化に代わる新しい国家統合の理念を提示する試みとしてであり、さらにいえばそこにはアメリカのようにイデオロギー的手段による「シヴィック・ネイション」を構想することへの志向を読み取ることができる。
終章では、これまでの章の検討結果を踏まて、シティズンシップのポリティクスを通じて、多文化国家オーストラリアの「メンバーシップの意味と範囲」がいかに変容してきたのかが検討される。シティズンシップへの関心と期待にもかかわらず、統治としてのシティズンシップ政策のもとで現実に進行しつつあるのは、「西洋的普遍主義」や「デモクラシー」という言説によって正当化された排他的なネイションの再編であり、線引きの強化である。シティズンシップに関わる具体的な政治過程を分析することから見えてきたのは、普遍的な理念として描かれてきた民主主義国家への道筋ではなく、統治がはらむ冷徹な政治行為である。シティズンシップが国家の範囲を規定するメンバーシップを含意する限り、線引きという行為には国家の恣意的な作為が介入し、人道的であるよりは国益が優先される。シティズンシップは、デモクラシーと同じく、歴史的な概念であり、これらの理念が具体的な政治過程において発現する論理を問い続けることの重要性が指摘される。

三 本論文の評価と問題点

 シティズンシップに関わる議論は、アカデミックな分野としては社会学や政治思想などにおいて取り上げられながらも、政治学においては論じられることが少なく、さらにその具体的な政治過程において持つ意味について問う作業は、これまで十分に行われてこなかった。従来のシティズンシップに関わる論争は、福祉国家における権利の拡張として論じられたマーシャルや、近年における多文化的な政治状況での移民や先住民の「相違への権利」として展開されてきたキムリッカをめぐる議論を中心に行われてきた。
飯笹氏の論文における最大の貢献は、オーストラリアという具体的な政治過程において表れてきたシティズンシップをめぐる論争を取り上げることによって、政治においてシティズンシップを掲げることが何を覆い隠してきたのかを明らかにした点にある。シティズンシップに関わる議論において登場するデモクラシーや人権、権利などは、誰もが否定することのできない普遍的な概念として表れる。飯笹氏は、これら概念が、具体的な政治過程においていかなる機能を果たすかを、鮮やかに描き出すことに成功している。とくにネオリベラリズムの台頭するなかで、保守対革新という対立軸ではなく、むしろ国民国家体制の揺らぐなかで、シティズンシップに関わる議論が、いかにナショナリズムや国家統合と結び付いているのか、さらにいえば、多文化主義を掲げてきたナショナリズムからシティズンシップ・ナショナリズムへの移行が、どのような政治過程をたどったのかを解明した。
第二は、オーストラリア研究に対する貢献である。オーストラリアのシティズンシップに関して、オーストラリアならびに日本において、近年いくつかの注目すべき仕事が公刊されてきた。従来の現代オーストラリアに関わる研究の中心は、多文化主義国家としてのオーストラリアであり、白豪主義から多文化主義への移行が大きな混乱や社会的な対立もなく推進された原因の解明に向けられてきた。日本との対比で、開かれた国としてのオーストラリア・イメージを作り上げてきたのである。しかし、これら多文化主義のイメージに対する批判は、オーストラリアはもちろんのこと、日本においても徐々に行われるようになった。本論文は、これらの内外の仕事を丹念に追跡しながら、多文化主義からシティズンシップ論争への移行の政治過程という、オーストラリア研究の新たな局面を抽出することによって、オーストラリア研究の新しい水準を切り開いたものである。
 第三には、オーストラリアを事例としてとりあげたシティズンシップ論の課題が、これまで多文化主義との関わりから論じられてきた国民国家論やエスニシティ論に対して、シティズンシップを問い直すというオーソドックスなスタイルをとりながらも、それゆえに新しい問題群を提示したことである。本論文が課題としてきたのは、ナショナルなレベルのシティズンシップであるが、そこで問題とされたのは、ネーションではなくステイトであった。「ネイション・ステイト」の「ステイト」が抱える問題性こそが、シティズンシップ論の焦点であり、そこには近代国家の正統を支えてきた「デモクラシー」の問題が隠されている。アボリジニーに対する普遍への同化と固有性の尊重というパラドックス、国籍取得の奨励と要塞国家建設など、オーストラリアの事例は、シティズンシップをめぐる政策論議の中で、「ステイト」を支える「デモクラシー」の理念やシビックな価値の意義と限界が、明瞭な形で表れている。
 最後に、本論文が多くの議会報告や調査書ならびにヒアリングなどの資料に基づいて研究が行われたことを付け加えておきたい。とくに具体的な事例として提示されたシティズンシップ教育に関して、カリキュラム編成はいうまでもなく、教材として用いられた素材にまでさかのぼって詳細に検討されたことは、具体的な場において「デモクラシー教育」がどのように行われてきたのかを、如実に示すものであり、教育実践の点からも、きわめて重要な示唆を与えるものである。
もちろん本論文にも、今後の研究で更に探求すべき問題点が、ないわけではない。
第一には、シティズンシップあるいは公共性として世界的に論争になっているテーマをオーストラリアという具体的な政治過程に絞って明らかにした点は十分に評価できるが、同じく多文化主義を標榜してきたカナダの事例や、また近年のオーストラリの政策がめざしたアメリカにおける事例などとの比較があれば、本稿はさらに説得力のあるものとなっていたであろう。とくに、オーストラリアでのシビック・シチズンシップが、アメリカにおける多文化主義への対抗的政策体系をモデルにしているとするならば、たんに両国を比較、あるいは類型化の事例としてではなく、グローバル化時代における国家の再統合として描くこともできるのではないかと考えられる。
第二には、国籍としてのシチズンシップというテーマは、論者自身が意識しているように、コロニアリズムの課題と強く結びついている。オーストラリアにおいては、それが共和制やアボリジニの先住権という問題として表れてきた。したがって、シティズンシップ論争が持つ歴史性を明らかにするためには、大英帝国とシティズンシップ、第一次ならびに第二次世界大戦への戦争参加と国籍付与など植民地期や戦前の時代におけるコロニアリズムとシティズンシップとの連続性と切断が、現在のシティズンシップ論争といかにつながるかは、重要なテーマとなるであろう。そして、その延長上に、ジェンダー-とシティズンシップといった課題も浮かび上がってくると考えられる。
第三には、筆者が強く意識してきたのは、多文化主義が十分に定着しないままに、移民に対する排除を制度化してきた日本の抱える現状への投影であった。論文には、日本の政策ならびにアカデミズムの状況を強く意識した箇所が散見され、オーストラリの事例が、ナショナル・アイデンティティや国家観の問題と密接に連動しながら展開されてきた点と比較されている。もちろん、日本のおけるシティズンシップあるいは市民社会論がいかなる歴史的な変遷をたどり、それが現在の問題とどのようにつながるのかは、それ自体で大きなテーマであり、本論文にそれを求めるのは過大な期待であるが、そのことが有する政策的な含意に関して、もう少しふれるところがあってもよかったのではないかと悔やまれる。
 しかしながら、これらは、本稿の博士論文の価値を損なうものではなく、膨大な一次的ならびに二次的な資料の収集、オーストラリアの政策担当者や研究者のヒアリングなどを通じて、極めて高い完成度の論文であると評価できる。
以上、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に十分に寄与しえたと判断し、本論文が、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2006年2月8日

 2006年1月16日、学位論文提出者飯笹佐代子氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査委員が、提出論文「シティズンシップのポリティクスー多文化国家オーストラリアにおける包摂と排除の構造」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、飯笹佐代子氏は、いずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は、飯笹佐代子氏が、一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有すると認定した。

このページの一番上へ