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博士論文審査要旨

論文題目:スコットランド国王ジェイムズ6世の政治思想 1566-1603 ―ルネサンス期における理想の君主像―
著者:小林 麻衣子 (KOBAYASHI, Maiko)
論文審査委員:森村敏己、平子友長、山崎耕一、ジョナサン・ルイス

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1 本論文の構成
小林麻衣子氏の学位請求論文「スコットランド王ジェイムズ6世の政治思想1566-1603−ルネッサンス期における理想の君主像−」は、ジェイムズがイングランド国王ジェイムズ1世として即位する以前の時期に焦点を絞り、従来、王権神授論とそれに基づく絶対王政の信奉者だとされてきた彼の政治思想を全面的に再検討することを目的とし、16世紀のスコットランドはもちろん同時期のイングランドおよび大陸の政治思想との関連という広い文脈の中でジェイムズの王権論を解釈しようとした力作である。本論文の構成は以下の通りである。

序章 研究課題
(1) 問意識及び研究目的
(2) 先行研究
(3) 方法及び構成
第一章 神聖な国王像
  第一節 神の代理人
  (1)王権の神授的起源
  (2)王権神授論の形成の背景
  第二節 国王の義務
  (1)キリスト教徒君主としての義務:神に対する義務
  (2)人民に対する国王の義務:国王の職務
  (3)人民の国王に対する義務:服従論
 第三節 王権と秩序観
  (1)伝統的な「存在の大連鎖」:中世的秩序観の遺産
  (2)国家の秩序と「国王の二つの身体」
  (3)王権の象徴の伝達過程:国家儀礼
第二章 征服による王国の統治者
  第一節 征服論
 (1)スコットランド建国神話:ファーガス国王とガターラス伝説
 (2)イングランドのウィリアム征服王
  第二節 王権の世俗的属性
  (1)国王権力
  (2)不可侵の世襲君主制
  第三節 二つの王権の起源
 第三章 道徳的模範者
 第一節 国王に必要な内面的資質
 (1)枢要徳
  (2)君主の徳
  第二節 君主の教育
  (1)ジェイムズの教育観
  (2)ジェイムズの教育カリキュラム
  (3)君主の作法
  第三節 国王と顧問官
 (1)顧問官の条件:「真の貴族性」論
  (2)国王と顧問官の関係
第四章 実践的国王像
 第一節 王国の統治術
  (1)貴族
  (2)議会
  (3)宗教
  (4)高地地方:文明の導入
  (5)外交術:戦争と平和
  (6)スペクタクルの利用
  (7)政治的策略:「狐」と「ライオン」
  第二節 政治的リアリズム
 (1)政治的思慮と国家理性
 (2)マキアヴェリ批判とタキトゥス主義の台頭
 (3)政治的リアリズムと王権神授論
終章 ジェイムズと理想の国王像
参考文献

2 本論文の概要
序章において著者はまずジェイムズを単純な王権神授論者、絶対王政論者とする見方に疑問を呈し、彼の王権神授論はその政治思想の一面に過ぎないとして、ジェイムズの思想をルネッサンス期の多様な思想的潮流との関係で多面的に理解する必要性を示す。次いで先行研究を整理しながら著者は、1970年代まで主流であったホイッグ史観は国王と議会の対立という図式の中で絶対王政論者とされたジェイムズを低く評価していたが、それ以降の修正主義の潮流、さらには1980年代以降これを批判したポスト修正主義はジェイムズの再評価を促したとする。しかし、いずれの解釈も王権神授論にのみ関心が偏り、またイングランド王に即位した後の時期に焦点を当て、イングランド史の枠組みでジェイムズを解釈するに留まっており、当時のヨーロッパ全体あるいはスコットランド思想史の文脈でジェイムズを検討しようとする姿勢に欠けていたとしている。その上で著者は、『バシリコン・ドーロン』および『自由なる君主制の真の法』というふたつの作品を中心に、スコットランド、イングランド、大陸の思想的諸潮流と関連づけながらジェイムズの政治思想を理想の君主像という観点から再評価することを目指す。
第一章では王権の神授的起源とそれに由来する王権の属性を検討することで、ジェイムズの理論が王権神授論により国王の絶対的・恣意的権力を正当化するものではないことが論証される。
ジェイムズは、国王の地位は神の代理人として神が定めたものであるとして、王権の神授的起源を主張するが、こうした議論は11世紀にまで遡ることのできる伝統的な議論であり、また16世紀のイングランドおよび大陸でも広く受容されていた。むしろジェイムズが育ったスコットランドではこうした王権神授論はほとんど見られず、そこでは王権は人民によって確立されたとして、人民の抵抗権を認める世俗的な契約概念が主流であった。つまりジェイムズは母国の知的伝統に反してイングランドや大陸の思想を取り入れながら王権の神授的起源を主張したのである。著者によればその目的は自らの師であった人文主義者ジョージ・ブキャナンをはじめとする制限王政論者、および世俗権力からの教会の独立を主張する長老派に反論するとともに、次期イングランド国王としての正当性を確保することにあったとされる。
しかし、ジェイムズが王権の神授的起源と神の代理人という主張から演繹したのは国王の恣意的権力ではなく、三つの義務論であった。それは神に対するキリスト教徒としての義務、人民に対する国王の義務、そして国王に対する人民の義務からなる。聖書の理解に重きを置く第一の義務はすべてのキリスト教徒に課せられたものであるが、君主はとりわけ人々の模範となることが求められる。国王が人民の間に正義と安寧を維持することを求める第二の義務は、当時多くの思想家に共有されたものだったが、著者はここで、ジェイムズが、国王の義務は世俗的領域だけでなく霊的領域にも及ぶとすることでスコットランドの長老派に対抗していた点を強調する。人民の国王への服従を説く第三の義務をジェイムズは、しばしば抵抗権の論拠とされていた「サムエル記」に独自の解釈を施すことによって正当化した。彼はそこで既存の抵抗権擁護論を批判することに力を注いているが、著者によれば国王への絶対的服従を求める議論は大陸でもイングランドでも主流であり、ジェイムズはそうした議論をスコットランドで力を持っていた抵抗権論に反論するために利用したとされる。ただし、聖書に基づく服従論は、国王が実定法の上に立ち、無制限の権力をもつとする絶対主義論の根拠としては用いられていないとして、著者は王権の神授的起源と絶対主義とを同一視することに反対する。
こうして抵抗権を排除したジェイムズが目指したのは、伝統的な階層的秩序の強化であったが、著者はここで「王の二つの身体」という理論の解釈をめぐってイングランドでの通常の理解とジェイムズの解釈に間には重要な違いがあったことを指摘する。イングランドでは王の政治的身体は階層的に構成された共同体の頂点に立つものと理解されていたが、ジェイムズは王の政治的身体と自然的身体との区別を曖昧にし、国王自身を国家に秩序をもたらす存在とした。しかし、王の身体そのものが国家の象徴であるとしたジェイムズは、王の聖性を示すためにフランスやイングランドで行われていた瘰癧さわりを嫌悪していた。著者はここで、王権の神授的起源を主張し王を神の代理人としながらも、ジェイムズは国王権力を神秘的なものと見てはいなかったとして、他の王権神授論者との違いを指摘している。
第二章では、神授的起源とは異なる王権のもうひとつの起源、すなわち征服に基づく世俗的起源が検討される。著者は、征服による王権確立に否定的なスコットランド、ノルマンディー公ウィリアムの即位を征服の結果と見るかどうか、またウィリアムがイングランドの国制を変更したかどうかで多様な見解が並存するイングランド、征服を積極的に肯定するマキャヴェリを除けば概ね征服を王権の起源とすることに批判的であった大陸、というように16世紀の思想的諸潮流を整理した上で、スコットランドのみならずイングランドにおいても武力による征服を王権の正統な起源として主張したジェイムズの独自性を指摘する。そのうえで、征服という世俗的起源からジェイムズが演繹した王権の属性が分析される。
まずジェイムズは立法権は国王にのみ属し、また国王はすべての土地と人民に対する絶対的支配権をもつと主張し、国王権力が法もしくは議会に従属するとした解釈を斥ける。国王に絶対的権力を帰属させる議論は16世紀のローマ法学者にはよく見られるものだが、著者は、ジェイムズがこうした国王の絶対的権力をローマ法に依拠することなく征服という歴史的事実に由来するとしたこと、またそれはスコットランドの知的伝統の中では特異な主張であったことに注意をうながしている。さらに、著者によれば国王の絶対的権力を王権の神授的起源ではなく、征服という世俗的起源から導き出した点でジェイムズは大陸やイングランドの絶対主義論者とも異なっているとされる。
次にジェイムズが征服による王権確立によって正当化しようとしたのは不可侵の世襲君主制という原則である。第一章でも触れられているように、ジェイムズの目的は次期イングランド国王としての自らの正当性を主張することであったが、著者によれば王権の起源をめぐっては多様な見解が対立していたのに対し、世襲君主制はスコットランド、イングランド、大陸のいずれにおいても広く支持されていたという。ただし、その論拠は多様であり、とくにスコットランドとイングランドでは議会における制定法が世襲制の根拠とされており、征服による王権確立を根拠とするジェイムズとの距離が示唆されている。
最後に著者は王権の神授的起源と世俗的起源というふたつの議論の関連を問う。ジェイムズが両者の関係を整合的に説明しようとしたあとは見られないとしたうえで、著者はこれら異なる起源論を並列したのはジェイムズだけではないとする。著者によれば整合性を求めるより、ジェイムズがふたつの起源からそれぞれ異なる王の属性を導いている点、そしてジェイムズの場合、国王の絶対的権力は多くの論者がそうであったのとは異なり、神授的起源からではなく世俗的起源から論証されている点が重要なのである。こうした議論の組み立ては、王権の神授的起源を認めず、もっぱらそれを世俗的に解釈するスコットランドの知的伝統を意識して、世俗的な起源から絶対的権力を演繹するためだったとする著者の解釈は説得的であるといえよう。
第三章では、国王の資質が統治を左右するとの観点から、多くの人文主義者が執筆した君主に向けた教育論である「君主の鑑」の系列にジェイムズの『バシリコン・ドーロン』が位置づけられ、彼にとっての理想の国王像が検討される。人文主義者たちは「君主の鑑」作品で君主に必要な資質として四つの枢要徳を挙げており、ジェイムズもこれに倣っている。しかし、四つの徳のうち「節制」と「正義」については彼は伝統的な議論を踏襲しているものの、残る「勇気」と「思慮」に関する解釈には当時の人文主義に生じていたふたつの変化が反映されている、と著者は指摘する。それによればエラスムスやトマス・モアを代表とする北方人文主義者たちは、騎士道精神と結びつき個人の武勇を誇示するような「勇気」を批判し、戦闘行為と一体であった名誉の概念を文明化しようとしていた。一方、16世紀後半には北方人文主義者を批判し、道徳的意味の強い「知恵」を君主もしくは共同体の利益に適う功利的で実践的な思慮として再解釈する動きが生じる。「勇気」にはほとんど言及せず、また君主の徳の項目で「寛大さ」や「慈悲」を統治の成功を目的とした政治的思慮に結びつけている点で、ジェイムズの議論はこの二つの変化に対応していたとされる。
人文主義者はこうした徳の必要性を説くだけでなく、それらを実際に身につけるための教育カリキュラムも提唱しており、その影響はイングランドやスコットランドにも及んでいた。著者はジェイムズ自身の教育環境を概観することで、彼の思想形成の背景を明らかにしている。それによればジョージ・ブキャナンとピーター・ヤングという当時のスコットランド屈指の人文主義者から英才教育を受けたジェイムズは古典作品はもとより人文主義の著作にも精通し、その博識は広く知られていたという。彼はこのように自ら修得した知識を活用して、息子に向けた教育カリキュラムを残している。そこでジェイムズは、聖書、自国の法律、歴史を主要な科目として推奨するが、聖書を第一に取り上げた点には、古典古代のテキストと並んで聖書を重視した北方人文主義の影響が見られるという。また、歴史についてはジェイムズが王権が人民との契約によって成立したとする傾向の強いスコットランド史ではなく古代史を勧めたこと、また当時、歴史を学ぶ目的として政治的思慮が重要性を増していたこと、さらに人文主義教育ではオーソドックスな科目であった古典語の作文、文法、修辞学、詩、音楽が挙げられていないことがジェイムズの教育論の特徴であったことが明らかにされる。さらにジェイムズの教育論は学ぶべき学科だけではなく、国王たるべきものの日常的振る舞いにまで及んでいる。その作法論はノルベルト・エリアスのいう「封建的礼節」から「礼儀」への変化という「文明化の過程」に対応したものだが、著者は、王の威厳と階層的秩序の維持という政治的目的がジェイムズにとっては重要であったと指摘している。
理想の国王像をめぐる議論は国王だけでなく、彼を取り巻く「顧問官」にも及ぶ。著者は顧問官の選択と、国王と顧問官の関係というふたつの側面からジェイムズの議論の特徴を示している。「真の貴族性」とは何かという問題と関わる前者の側面では、家柄・血筋よりももっぱら個人の徳性に重きを置いて顧問官を選ぶべきとするスコットランドの伝統に反して、ジェイムズはふたつの要素をともに必要としながらも家柄を重く見る傾向にある。著者はここに国王を頂点とした階層的秩序維持の重視を読み取っている。また、国王と顧問官の関係については、キケロに倣って対等な友情関係にこれを喩えるスコットランド、イングランドの思想傾向とは逆に、ジェイムズはあくまで王は顧問官の支配者であることを前提に、マキャヴェリが説く利害関係による結びつきを重視したとされる。
16世紀後半には、理想的な君主像に留まらず、時には道徳規範を無視しても政治的目的の達成を目指すための「政治的思慮」を備えた「実践的国王像」がマキャヴェリを中心として論じられた。第四章では、ジェイムズの実践的国王像の検討を通じて、彼の政治的リアリズムが明らかにされる。まず、ルネッサンスにおいて大きな影響力を持っていたキケロやセネカといった古典作家やその流れを汲むエラスムスはいかなる場合でも君主に残酷な行為を禁じたが、ジェイムズは有力貴族が国王の対抗勢力となっていたスコットランドの状況に対応するため、対立する貴族に対して過酷な処分を行っている。そこにはマキャヴェリほど体系化されてはいないものの、同様の政治的リアリズムが見られると著者は言う。こうしたリアリズムは議会対策、教会対策にも顕著に見られる。ジェイムズは議会の権限を実質的に弱め、自らの支配権を強化するために様々な手段を用い、また長老派の影響力をそぐことに腐心する。その一方で、王に対する忠誠心が確かであれば宗派を問わず側近に採用している。著者によれば、マキャヴェリのように宗教を政治的に利用すべきと明言してはいないものの、ジェイムズには事実上、宗教を政治的安定のために利用しようとする姿勢が明らかであった。一方、戦争に関してはジェイムズは明らかにマキャヴェリとは異なり、慎重な姿勢を取る。しかし、当時のスコットランドの軍事制度と財政状況から、対外戦争を仕掛ける能力はジェイムズにはなかったとして、こうした慎重な態度もまた彼のリアリズムの表れであるとされる。
こうしたジェイムズの態度は古代から「ライオンと狐」の使い分けという表現で示されてきた時々に応じた暴力と策略の利用という見解に一致している。ジェイムズはこの見解の代表的論者であるマキャヴェリには言及していないが、当時マキャヴェリに向けられていた激しい批判を思えばそれも当然であり、彼の実践的国王像は現実にはマキャヴェリらの強い影響を受けていると著者は指摘する。
ジェイムズの「政治的思慮」に基づくリアリズムは、16世紀に登場したratio status (raison d’Etat, Reason of State)論に呼応するものであった。それは国家にとっての有益性という観点から、個人として求められる道徳規範からの逸脱を容認する議論であり、現実の政治的行為と倫理的命令との矛盾を正当化する機能を果たした。著者はこうした思想的変化をマキャヴェリの受容をめぐる状況から解き明かしていく。16世紀後半、マキャヴェリの思想は一般に否定的な評価を受け、多くの反論を生み出していたが、現実にはもはやマキャヴェリ的なリアリズムを無視して政治を論じることは不可能であった。この時期、ローマ皇帝たちの策略・暴力を詳細に描写したタキトゥスの作品が注目を浴びるようになる。著者によれば、マキャヴェリはいわば露骨なかたちで政治的リアリズムに基づく教訓を提示したのだが、人文主義者たちは事実上、同様の教訓をタキトゥスが描く歴史的事実の中に読み取ろうとしていたのだという。つまり、参照される古代の著述家が道徳を重視したキケロからリアルな描写を特徴とするタキトゥスへと変化したことは、人文主義におけるratio statusの重視という新しい潮流の誕生を意味しているのであり、このような思想状況を背景に、著者は従来の研究では否定されがちだったマキャヴェリのジェイムズに対する影響を確認している。
こうしたマキャヴェリ的な君主像は聖書の教えに従う神聖な国王像とは矛盾する側面を持つ。しかし、著者は当時の多くの著作が異なる君主像を両立させようとしていたことを示した上で、宗教が現実に人々に大きな影響力を有しているという事実を直視したジェイムズは、マキャヴェリにおける宗教の軽視を神聖な国王像で補い、統治の安定を目指したとして、ここでもジェイムズの政治的リアリズムを確認する。
最後に終章で、著者はジェイムズを単純な王権神授論者と見る説をあらためて批判し、それは一七世紀イングランド政治史を念頭に、イングランド議会とジェイムズの対立のみに注目することによって成立した解釈だとして、ジェイムズの政治思想には母国スコットランドだけでなく、イングランドや大陸におけるルネッサンス期の様々な知の潮流の影響が確認できると主張する。そして、イングランド国王に即位後のジェイムズの統治を検討することで、彼の政治的リアリズムをさらに検証する可能性、ひいては一七世紀イングランド政治史・政治思想史をあらたに解釈し直す可能性を展望して本論文を終える。

3 本論文の成果と問題点
本論文の成果としては以下の3点を挙げることができる。
第一は、イングランド国王として即位する前のスコットランド国王ジェイムズ6世の思想を明らかにすることで、ホイッグ史観に立脚した研究の問題点を克服し、16〜17世紀イギリス政治史の理解に新たな可能性を切り開いた点である。名誉革命を近代的議会政治成立の画期とするホイッグ史観に従えば、王権神授論者であるがゆえに絶対王政論者であったジェイムズは、議会による王権の制限がイングランドの国制であるとする議会と対立し、ピューリタン革命の遠因となったとされ、17世紀イギリス史はもっぱら名誉革命体制に至るプロセスとして解釈される。こうした図式の中ではジェイムズは敵役として位置づけられるほかない。これに対して著者は16世紀において、王権神授論は大陸だけではなくイングランドにおいても広く受容された理論であったこと、ジェイムズは王権神授論を絶対王政の理論的基盤とはしていないことなどを説得的に論証し、王権神授論の単純な理解そのものに異議を唱えている。また、ホイッグ史観に基づく解釈に対する批判は近年盛んとなっているとはいえ、それらはイングランド国王としてのジェイムズを検討対象とするに留まっており、この点でも著者のジェイムズ解釈は画期的なものであるといえる。
第二は、膨大な一次史料および二次文献を渉猟し、16世紀ヨーロッパの様々な思想潮流を的確に整理している点である。著者はスコットランドはもちろん、イングランド、大陸における人文主義的諸潮流を丹念に追跡していくが、そのためには同時代の文献はもとより人文主義者たちが参照した古典古代の作品の分析も必要であることは言うまでもない。こうした極めて幅広い文献探索は著者の議論を説得的なものとしている。
第三には、著者が非常に困難な課題に敢えて挑戦し、これに成功していることを指摘したい。著者が本論文で扱ったテーマは、古典古代、聖書、人文主義に関する広範な知識に加え、高水準の語学力をも必要とするものであるが、著者はそれによく応えており、そのための努力は称賛に値する。
もちろん、こうした成果にもかかわらず以下のような問題点があることは指摘しなければならない。
第一は、16世紀における聖書解釈のあり方についてより踏み込んだ議論が望まれる点である。当時は聖書からの引用によって自説を支えることが広く行われていたとはいえ、引用箇所の選択やそこから導かれる解釈はわれわれの目にはしばしば恣意的なものに映る。このため、当時の聖書解釈には独自の論理構造があったのではないかと推測される。同じことは古典古代の作家からの引用に関しても指摘できるが、著者はこうした問題を議論していない。ここには16世紀において聖書や古典古代の作家が有していた権威、およびそうした権威を参照する際の解釈枠組みといった重要なテーマが存在しているのであり、この点に着目すれば、16世紀のヨーロッパ思想史研究への本論文の貢献はより大きなものであったと思われる。
第二に、二次文献で用いられている概念を使用する際、批判的な姿勢に欠ける傾向が見られる点である。倫理的と科学的、社会と国家、ギリシア的徳とローマ的徳といった対比は、あくまで現代の研究者が設定した分析枠組みに過ぎず、それが16世紀の思想を理解する上で適切であるかどうかは著者自身が十分に検討する必要がある。もちろん、議論の整理のためには一定の分析枠組みに頼ることは必要だが、その有効性に関する検証という点では不満が残る。
第三は本論文の構成上の問題である。目次を見れば分かるように、著者は問題の所在を明らかにした序章に続けて、すぐに第一章においてジェイムズの王権論の分析に入っている。しかし、その前に16世紀スコットランドの政治、思想、宗教の状況を概観する章を設けるべきであろう。もちろん、著者の議論を理解する上で必要な情報は適宜、叙述されているとはいえ、16世紀スコットランドについて十分な知識を予め有している読者は少ないであろうことに配慮した構成を考えるべきではなかったかと思われる。
以上のような問題点はあるものの、それらは本論文が高い水準に到達していることを否定するものではなく、またその多くは今後の努力によって克服されることを期待すべきものである。よって、審査員一同は本論文が当該分野の研究に十分に寄与したと判断し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定した。

最終試験の結果の要旨

2006年2月8日

2006年1月11日、学位請求論文提出者小林麻衣子氏の論文についての最終試験を行った。試験においては審査委員が、提出論文「スコットランド王ジェイムズ6世の政治思想1566-1603−ルネッサンス期における理想の君主像−」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、小林麻衣子氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同は小林氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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