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博士論文審査要旨

論文題目:魔法の山の上り下り――トーマス・マンの『魔の山』とデモクラシーの精神史によせて――
著者:山室 信高 (YAMAMURO, Nobutaka)
論文審査委員:久保 哲司、尾方 一郎、中野 知律、岩佐 茂

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山室信高氏(以下において「著者」とは山室氏のこと)の学位請求論文「魔法の山の上り下り――トーマス・マンの『魔の山』とデモクラシーの精神史によせて――」は、20世紀ドイツ文学を代表する作家のひとりトーマス・マンの長篇小説”Der Zauberberg”(1924)を論じたものである。この小説の邦題としては「魔の山」が定着しているが、原題を直訳すればむしろ「魔法の山」となる。本論文の題名および副題には、この事情が反映されている。

 一 本論文の構成

  本論文の構成は以下の通りである。

登山の前に――「デモクラシー」の問題情況と『魔の山』の地勢

第1章 トーマス・マンのデモクラシー思想(思想史的アプローチ)
第2章 『魔の山』の語り手の相貌(物語論的アプローチ)
第3章 セテムブリーニのデモクラシー(人物論的アプローチ)
第4章 『大公殿下』から『魔の山』へ(作品史的アプローチ)
第5章 魔法のメディア――『魔の山』のメディア論(メディア論的アプローチ)

第6章 物語/小説的時間のデモクラシー
第7章 メルヒェン的生活形式としてのデモクラシー
第8章 「王様ごっこ」――デモクラシーにおける権力と支配
第9章 音楽の精神からのデモクラシーの誕生
第10章 イロニーとデモクラシー

下山――『魔の山』のかなた、デモクラシーの現在へ

『魔の山』版別頁対照表
参考文献一覧
謝辞


 二 本論文の概要

 本論文は『魔の山』を「デモクラシー」の観点から読み解き、『魔の山』が「デモクラシーの小説」であることを論証しようとするものである。
 著者が基点とするのは思想史的な問題設定である。その理由は、『魔の山』が第一次世界大戦前後のドイツにおいて焦眉の問題となった「デモクラシー」と緊密に関わり合いながら生まれた小説である、ということにある。
 『魔の山』の筋をごく簡単にまとめれば以下の通りである。主人公であるハンブルク出身の青年ハンス・カストルプは結核を患う従兄を見舞いに、3週間の予定でスイスのダヴォスにあるサナトリウムを訪れる。そこで彼自身も結核と診断され、結局7年間滞在する。そして第1次世界大戦が勃発すると、山を下りて戦場に消えていく。
1912年5月、トーマス・マンは療養中の妻を見舞うためにダヴォスのサナトリウムを訪れたさいに小説の着想を得て、翌1913年の夏頃に執筆を開始する。ところが1914年8月に第一次世界大戦が始まると、マンはこの小説の執筆を中断し、戦争にかかわるいくつかの論文、なかんずく長大なエッセイ『非政治的人間の考察』に力を注ぐ。そして戦争終了後しばらく経った1919年4月に『魔の山』執筆が再開され、1924年9月にようやく完成に至る。
約12年にも及ぶ『魔の山』の執筆期間は、ドイツにおいて「デモクラシー」が時代の問題として鮮明に現れてきた時期に重なる。第一次大戦に敗れ、帝制が崩壊して共和制が成立したこの時代、「デモクラシー」はドイツにとって不可避の問題となった。しかも、政治・社会においてだけでなく、文化においても「デモクラシー」の情況が生まれた、と著者は見る。すなわち、19世紀から20世紀への世紀転換期以来、世界観の相対主義化・多元主義化が進み、第一次世界大戦後この傾向がさらに昂進したことである。『魔の山』はそうした「デモクラシー」の文化情況を反映した文学作品であり、文学としてこの情況に対峙している、というのが本論文における著者のこの小説への基本的な視点である。
小説の舞台である「国際サナトリウム」には世界中からさまざまな人々が集い、また病気によるデカダンスや頽廃の気配も色濃い。それが世界観の相対主義的・多元主義的情況、その結果としての諸価値の座標の混乱を表していることは明白である。さらに、この小説の時代設定は第一次大戦前の7年間であるが、執筆が1924年まで及んだために、第一次大戦後の時代動向も小説内に反映されることになった。戦争の勃発によって終わる『魔の山』は、戦争の結果によって決定的にもたらされる「デモクラシー」の文化情況をすでに含んでいる、と著者は見る。
主人公ハンス・カストルプはそうした文化情況のなかでさまざまな体験を積んでゆく。その結末はどうなるのか。ハンス・カストルプは戦場に消える。これが一つの出口、ペシミスティックな出口である。しかしもう一つ、物語の途中にオプティミスティックな出口が示される。それはハンス・カストルプが雪の山中で見た、新しいヒューマニティーの夢である。「デモクラシー」の文化情況に向き合う『魔の山』が、この雪中夢と戦争、いわば「上」向きの道と「下」向きの道とに引き裂かれていることは見のがしようがない。
 ところでトーマス・マン自身、「デモクラシー」の情況のなかで引き裂かれそうになっていた。いわゆるマンの「転向」問題である。第一次大戦中のエッセイ『非政治的人間の考察』で「デモクラシー」に対して否定的な態度をとっていたマンは、戦後の講演『ドイツ共和制について』(1922)において「デモクラシー」を肯定することになる。「デモクラシー」をめぐる、作品と作者のこの二重の分裂が『魔の山』の思想史的問題の中心となる論点である、と著者はいう。
 本論文はここで一つの大胆な仮説を提示する。それは「『魔の山』は『デモクラシーの小説』である」という簡明な仮説である。詳しくいえば、『魔の山』は「デモクラシー」の文化情況をめぐって、「上」と「下」に分裂しているように見えるが、それにもかかわらず、一つの「デモクラシー」の文化理念をポジティヴなかたちで打ち出そうとしているのではないか。そしてマンが「デモクラシー」の否定から「デモクラシー」の肯定へ転じた正当な理由も、「デモクラシーの小説」としての『魔の山』に見いだされるのではないか、ということである。この仮説を証明することが、本論文の課題となる。
 以上のように著者は、「デモクラシー」という概念を政治・社会的な意味にではなく、もっぱら文化的な意味において考えようとする。ただし著者によれば、「デモクラシー」が文化的にポジティヴなものになるには大きな困難がある。文化とはそもそも「生の意味」や「死の意味」といった究極的な意味を与えるはずのものであったが、「デモクラシー」は基本的に相対主義ないし多元主義の立場をとるため、そうした究極的な「意味」を打ち出すことができにくい。著者はそれを「デモクラシー」における「意味のアポリア」と呼ぶ。『魔の山』がこの「意味のアポリア」にどう対処しているか、これが本論文のまさに究極的な関心となろう。
 この「『魔の山』は『デモクラシーの小説』である」という仮説にもとづいて、この小説の解釈を行なうこの論文の本論にあたる部分は、前後二つに分かれる。前半(第1章から第5章まで)はアプローチの部である。
「第1章 トーマス・マンのデモクラシー思想(思想史的アプローチ)」は『魔の山』の執筆時期におけるマンのデモクラシー観を時系列に沿って見てゆく。第1次大戦前、マンにとってデモクラシーは思想というよりイメージであった。戦争勃発以後、彼はドイツの戦争を肯定する文章を発表し、多くの批判を浴びる。とくに兄ハインリヒ・マンからの攻撃は激しかった。トーマス・マンは、兄の奉じるデモクラシーを反ドイツ的なものと見なし、『非政治的人間の考察』において反駁を加える。そして戦後、1922年10月の『ドイツ共和制について』の講演において、マンはデモクラシー支持を表明することになる。このときデモクラシーは「国家と文化の統一」として捉えられ、「ドイツ・デモクラシー」という定式を得る。つまりナショナル・デモクラシーとしてデモクラシーは思想的に肯定される。「転向」という非難に対してマンは、自分は戦争中から一貫してヒューマニティーの理念、ドイツ的人間性の理念に忠実であったと自己弁護した。マンのこの抗弁には一理あるが、しかしそのような理念はこの『共和制』講演などの思想的営為においてよりもむしろ芸術作品のなかに探られるべきである、と著者は主張する。つまり、『魔の山』のなかにそうした理念が打ち出されているかどうかが重要なのである。
「第2章 『魔の山』の語り手の相貌(物語論的アプローチ)」は、この小説の特異な語りの特徴を明らかにする。『魔の山』の語りは、物語論にいう典型的な「作者的語り」からはやや逸脱する傾向をもつ。『魔の山』の語り手は、登場人物および読者に依存した語りをしている。その端的な表現が「われわれ」という語り手の一人称複数の自称である。この 「われわれ」は登場人物や読者を含み得る人称であり、そこには語り手、登場人物、読者の親近的な関係が生まれてくる。ここに「デモクラティックな語り」の可能性を認めることができる、と著者は結論する。
「第3章 セテムブリーニのデモクラシー(登場人物論的アプローチ)」では『魔の山』の主要な登場人物の一人、セテムブリーニが取り上げられる。彼は従来の解釈においてしばしば、この小説におけるデモクラシー理念の担い手と見なされてきたからである。セテムブリーニは先のハインリヒ・マン流のデモクラシー主義者としてまず現れるが、それに尽きるような単純な人物ではなく、ナショナリスト、金権論者、フリーメーソン会員といった顔も併せ持つ。彼は西欧的・市民的デモクラシーの伝統に立つが、この種のデモクラシーはいまや危殆に瀕しており、セテムブリーニ自身も自己矛盾に陥っている。したがって、彼はポジティヴな意味でのデモクラシーの担い手ではありえず、セテムブリーニに『魔の山』のデモクラシーの可能性を見いだすことはできない、と著者は判断する。
「第4章 『大公殿下』から『魔の山』へ(作品史的アプローチ)」では『魔の山』に先立つマンの長篇小説『大公殿下』(1909)を取り上げ、『魔の山』との作品史的連関を探る。そこで特に注目されるのはこれら二つの長篇においてメルヒェン的要素が重要な役割を果たしていることである。『大公殿下』では予言や俗信のかたちをとったメルヒェンのモチーフが物語の原動力となっている。『魔の山』では神話的なるものに対抗するようにメルヒェン的なるものが機能している。著者は、『魔の山』における主人公の雪中夢をメルヒェンの観点から再検討し、次のような結論を引き出す。すなわち、二つの小説のメルヒェン的な性質にデモクラティックな特質が共通して見てとれるが、それは『大公殿下』では徴候にとどまり、『魔の山』において大きく開花している。
 「第5章 魔法のメディア――『魔の山』のメディア論(メディア論的アプローチ)」は 『魔の山』の世界に現れる珍奇な器機の数々に注目する。それらには近年のメディア論でいわれるようなメディアの性質、つまり単なる知覚・認識の手段ではなく、知覚・認識を生み出す基盤という性質が備わっている。本章では体温計、レントゲン、映画(ビオスコープ)、蓄音機、そして霊媒の五つのメディアが検討され、それらが人間の生と死の意味を媒介するさまが分析される。これらのメディアは両義的な世界を現出させるが、そのことがデモクラシーの「意味のアポリア」に一役買っている、と著者は見る。
以上の前半5章のアプローチに続き、後半(第6章から第10章)は、『魔の山』の重要な諸テーマをひとつずつ取り上げつつ、そこに「『魔の山』のデモクラシー」が打ち出されていることを示そうとする。
 「第6章 物語/小説的時間のデモクラシー」は、『魔の山』がしばしば「時間小説」というレッテルを貼られていることから考察を始める。そもそも語り手がある箇所でこの小説が二重の意味で「時間小説」であることを示唆しているのだが、これは「時間小説」と「時代小説」の二重性のことであるという通説は、著者によれば少なくともこの箇所に関しては誤りである。この二重性は、物語論の用語で言えば、「語りの時間」と「語られる時間」の二重性である。『魔の山』ではこのふたつが幻惑的な関係を持つことで、読者に奇妙な時間感覚を味わせるのであり、この小説はそういったかたちでの二重の意味における「時間小説」なのである。さて、およそ語ること、および語りを聞くことの基本にあるのは「回想」という行為である。語り手と聞き手がそれぞれ「回想」を行ない、そこで「語りの時間」と「語られる時間」が交わる。著者はここで、そうした原初的な「回想」が(伝統的社会あるいは共同体における)物語においては「記憶」、(近代の)小説においては「想起」に分岐するというヴァルター・ベンヤミンの説を引く。『魔の山』は、その語り口に見られるように物語の伝統に連なっているが、しかし同時に近代の小説として、物語的な記憶に全面的に頼ることはできず、「想起」を必要とする。ところで近代の小説においては、「生の意味」がはじめから自明なものとして与えられていることはなく、その代わり「時間」が(小説における)生の本質的な構成要素となる。小説は生の時間性を契機として「生の意味」を探求することになるが、それは「いま―ここ」にではなく、「希望」と「回想」というかたちでのみ見出されるであろう。『魔の山』において生の意味の探求は、死者の「想起」、登場人物(特に主人公)の死の「想起」というかたちをとる。従兄ヨアヒムの死、そしてハンス・カストルプの死が描かれ、それが読者の「想起」を促し、「生の意味」への予感を育む。『魔の山』は「回想」を物語的「記憶」と小説的「想起」に多重化し、近代における「生の意味」および「死の意味」の喪失に対抗する。こうした「時間=時制の多重化」に「デモクラティックな語り」の可能性を見ることができる、と著者はいう。
「第7章 メルヒェン的生活形式としてのデモクラシー」は、第4章で触れられた『魔の山』のメルヒェン性についてさらに検討する。『魔の山』におけるメルヒェン性というと、従来は「現実からの離脱」「現実の空間・時間の無化」というようなことが決まって言われるが、著者はこの常套的解釈とは異なる『魔の山』のメルヒェン性を見出そうとする。アンデルセンのメルヒェンが『魔の山』に与えた影響を論じたミヒャエル・マールの重要な研究があるが、本論文は主にグリムのメルヒェンとの関連に着目する。ハンス・カストルプは「単純」な青年であるとされているが、また「狡猾」な性格をもつ。この二重性は典型的なメルヒェン的主人公の特質である。神話的世界(『魔の山』の世界)のなかにメルヒェン的人間(ハンス・カストルプ)が入ってゆき、その狡猾さによって神話的世界に対する反抗を行なう。有名なメルヒェン研究者マックス・リュティによれば、メルヒェンには孤立しているがゆえにかえって普遍的な結合可能性をもった人間が登場するが、ハンス・カストルプもそうした人間であり、そのような人間の「メルヒェン的生活形式」にデモクラシーの可能性が見て取れる、と著者は論じる。
「第8章 「王様ごっこ」――デモクラシーにおける権力と支配」は、ハンス・カストルプを取り巻く登場人物たちの権力=支配関係を見ていく。ハンス・カストルプは彼らとの交わりを通じて、統治の術――子どもの遊戯としては「王様ごっこ」――を洗練させていく。著者はとくに、主要登場人物たちのペア関係に着目する。そこから見えてくるのは、「軍律」と「性愛」という二つの権力要素である。この二つの権力の背後には死という絶対的な権力が潜んでいる。この死という権力をいかに統治するかがハンス・カストルプの「王様ごっこ」の究極の課題である。ハンス・カストルプ以外の男性の登場人物たちは「軍律」と「性愛」、そして死に対して「メンリヒ男らしい」態度で臨もうとする。それは具体的には「男性同盟」という軍隊的かつホモエロティックな組織となるが、ハンス・カストルプはそこから離れていく。彼は恋人(?)ショーシャの発した 「メーンシュリヒネーンゲン的」という言葉に触発され、「メンリヒ男らしい」ではない、「メーンシュリヒネーンゲン的=メンシュリヒ人間的」 な「王様ごっこ」を遂行しようとする。ハンス・カストルプは「軍律」と「性愛」、そして死に対して、「メーンシュリヒネーンゲン的=メンシュリヒ人間的」 に臨もうとする。男性同盟者たちが死の支配に結局は屈服してしまったのに対して、ハンス・カストルプは死から生への道を模索する。このようなハンス・カストルプの権力統治の方法にデモクラティックな性格を見てとることができる、と著者はいう。
 「第9章 音楽の精神からのデモクラシーの誕生」では、音楽がいたるところで鳴り響き、またそれ自体一個の音楽作品といわれる『魔の山』のなかで、具体的に音楽はどのような機能をもっているかということがまず検討される。『魔の山』全体に目を転じてみると、音楽はニーチェが『悲劇の誕生』(初版の題名を詳しくいうと『音楽の精神からの悲劇の誕生』)で概念化した「ディオニュソス的なるもの」に照応していることが分かる。そして二面的に構成された雪中夢のヴィジョンはまさしくアポロ的なるものとディオニュソス的なるものとの結晶であり、つまりニーチェの考える古代ギリシア悲劇のイメージそのものである。ニーチェは『悲劇の誕生』でヴァーグナー音楽を古代ギリシア悲劇の再生として賛美した。『悲劇の誕生』を下敷きにした『魔の山』もヴァーグナー賛美の書のように見える。しかしニーチェが後年『悲劇の誕生』を自己批判し、反ヴァーグナーに転じたように、『魔の山』もヴァーグナー賛美にはとどまらない。ニーチェの「自己克服」のヴィジョンが、シューベルトの「菩提樹」(それはここではロマン主義およびヴァーグナー音楽の比喩である)に寄せて現れる。ハンス・カストルプはこの歌を口ずさみながら戦場に消えてゆくのだが、それはもはやロマン主義の世界およびロマン主義音楽のための死ではなく、何か「新しいもの」のための死である。ロマン主義および音楽の「自己克服」のかなたにはおそらくデモクラシーが、それも近代西欧的なそれではなく、古代ギリシア的なそれが望まれるだろう、というのが著者の観測である。
 「第10章 イロニーとデモクラシー」は、『魔の山』最大の語りの特徴であるとともにそのテーマでもあるイロニーと、デモクラシーの関連を論じる。第一次大戦期のトーマス・マンは、イロニーとデモクラシーとを対立するものとして考えていたが、しかしイロニーに本質的に備わる仲介的な性質がこの対立を揺るがせることになる。『魔の山』ではイロニカー、ハンス・カストルプがその「単純」かつ「狡猾」な性格をもって、さまざまな関係の糸を紡ぎ出していく。彼は認識するとともに献身し、懐疑しつつ愛する。このイロニーが『魔の山』全体にも浸透している。イロニーは常に意味の揺らぎを生み出すが、その意味の揺らぎこそがデモクラシーの「意味のアポリア」への応答となりうる、と著者は考える。
結語に当たる「下山――『魔の山』のかなた、デモクラシーの現在」は、『魔の山』の結末である戦争について論じる。第1次大戦は歴史的に未曾有の出来事であり、物語的な経験としては語りえない経験であった。『魔の山』の語り手もこの経験を前に立ちすくむ。しかしそれでも語り手は最後に、戦場をさまようハンス・カストルプの姿を描き出す。ここで読者は主人公の死を想起し、その死の意味に思いを馳せることになる。このラストシーンは戦後デモクラシー――ドイツでは敗戦後デモクラシー――への展望を宿している。(敗)戦後デモクラシーでは戦死者たちの死が無意味化する傾向があるが、『魔の山』はこれに抗い、戦死者たちの死の意味への問い、そして敗戦後のわれわれの生の意味への問いを発する。そのようにして『魔の山』は、(敗)戦後デモクラシーへの寄与をなす、と山室氏は結論する。


 三 本論文の成果と問題点

以上に要約した山室氏の論文は、次のような点で、高く評価できるものである。
第一に、政治・社会的な意味ではなく、もっぱら文化的な意味における「デモクラシー」の概念をもって『魔の山』に相対することによって、この小説を読み解く視野が格段に広がったことである。これはたとえば「多層性」や「ポリフォニー」といった概念ではなしえなかったことにちがいない。文学研究において従来から用いられてきたこれらの概念をもってしては、議論は既成の論点、ことに小説の「語り」の問題に終始してしまいがちである。「デモクラシー」という、文学とはいささか折り合いの悪そうな言葉を、作品解釈にあえて投入することで、作品の内在分析と、作品の時代への関連とが結合され、さらにわれわれの現在の問題への展望が開かれたこと、これが最初に指を屈すべき本論文の功績であろう。
「文化的な意味でのデモクラシー」の内実が出発点において完全に明瞭でないことは、むしろこの概念の可能性を示す。そして結論において「文化的な意味でのデモクラシーとは何か」という問いが、戦後デモクラシーにおける生の意味という問いへつながる。この問いは開かれたままであるといえるが、これは本論文の欠陥ではなく、むしろ豊かな発展性の契機として評価すべきであろう。そうした契機は、そもそも『魔の山』が開かれた作品であることに由来するのであり、開かれた結末というものは、論文にしろ作品にしろ、読者を促すという機能において、大いに意味があると思われる。
個々のテーマに関していえば、権力やメールヒェンの問題に、デモクラシーという言葉を使ったがゆえに、従来の研究とは違った光を当てることができたことも、本論文の貴重な成果といえよう。
第二に、本論文は思想史的アプローチを基点にしているが、そうしたアプローチが陥りがちな、「作者の思想」から作品を都合よく利用してしまうというやり方を避けるべく、周到な手続きを踏んでいる。すなわち、前半において5つのアプローチ、後半において5つのテーマを並べるという構成である。そしてこの構成そのものが、文化的意味でのデモクラシーの複合性を表していることはいうまでもない。
第三に、著者は大量の先行研究に当たり、自説を述べるにあたって、それらへの参照指示を実に丹念に行なっている。『魔の山』を研究してみようという読者にとって、本論文はよき手引書となるであろう。著者の長期にわたる弛まぬ努力がこうした成果を生んだことは喜ばしい。
第四に、本論文の叙述がきわめて精彩に富む日本語でなされていることをぜひとも強調しておきたい。さまざまなレトリックを駆使した文体によって、晦渋なテーマに関しても読者の興味をかきたてつつ論を進める手腕は見事で、これまた著者の日ごろの研鑽の賜物に違いない。

本論文は以上の諸点で、きわめて優れた『魔の山』研究であると判断できるが、同時にいくつか望むべき点もないではない。
第一に、デモクラシーに関しては当然「権力」ないし「支配」のありようということが重要であり、本論文でもおもに第8章「『王様ごっこ』――デモクラシーにおける権力と支配」において論じられているが、そこでの人間関係における権力ないし支配、そして死の権力ないし支配というものが、文化的な意味でのデモクラシーにおける権力ないし支配であるとするなら、それらが政治的・社会的意味でのデモクラシーにおける権力ないし支配と同様のものなのか、あるいは異なるものであるのかがやや見えにくい。政治的・社会的なデモクラシーについての論述を著者は必要最小限にとどめようとしているが、この点に関してはそうした禁欲を破ったほうがよかったかもしれない。またドイツ語における「デモクラシー」という言葉の歴史や、19世紀ドイツのデモクラシーについても多少の解説があれば、読者にとって親切であり、また論の厚みがいっそう増したであろう。
第二に、『魔の山』という作品が、同時代の他の文学作品においてどのような意味をもっているかということが論じられたならば、文化的意味でのデモクラシーに関して貴重な洞察が得られたのではないかと思われる。無論このテーマは本論文の枠を大きくはみ出すものであり、著者の今後の研究課題といえよう。

以上のような問題点や課題を残しているとはいえ、本論文は先行研究を十分に消化した上で、斬新な方法をもって対象に取り組み、きわめて優れた成果を挙げたと評価できる。本研究がさらに発展・深化することを大いに期待したい。
 以上の審査結果から、審査委員一同は、本論文が学位請求論文にふさわしい水準にあると考え、最終試験の結果をも考慮して、山室信高氏に、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であるという結論に至った。

最終試験の結果の要旨

2006年2月8日

2006年1月16日、学位請求論文提出者山室信高氏の論文についての最終試験を行なった。
試験において、提出論文「魔法の山の上り下り――トーマス・マンの『魔の山』とデモクラシーの精神史によせて――」に関する疑問点について、審査委員が逐一説明を求めたのに対し、山室氏はいずれにも適切な説明を与えた。
よって審査委員一同は、山室信高氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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