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博士論文審査要旨

論文題目:戦後日本における男性単独稼得規範の普及に関する一考察
著者:宮下 さおり (MIYASHITA, Saori)
論文審査委員:木本喜美子、林大樹、佐藤文香、渡辺雅男

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一 本論文の構成

宮下さおり氏の学位請求論文「戦後日本における男性単独稼得規範の普及に関する一考察」は,戦後日本において男性単独稼得規範,すなわち「男性は一家の稼ぎ手であるべきだ」という規範が広範な諸階層に普及する歴史的過程を問題とし,中小企業労働者層に焦点を据えた実証研究を通じてこれに迫っている。本論文は,既存研究の到達点の中で準拠する社会理論を採りだしつつ,既存研究の問題点を明らかにする第一章および第二章と,中小企業労働者層の歴史的変遷を実証的に描く第三章以下の論考から構成されている。

目次

はじめに
第一章 ジェンダー研究の到達点:力学としてのジェンダー把握
1. 差異化の力学への着目
(1) 80年代フェミニズムへの転換
(2) ジェンダー概念の再定義という提起
2. 政治や権力の中枢部に関する分析の提起:歴史学におけるScottの主張
(1) ジェンダー:四局面モデルと権力の表示
(2) ポスト構造主義的な視角の主張点
(3) ポストモダニズムの利点とその批判
(4) 言説万能主義への批判
3. 社会の内部構成:Connellの社会理論
(1) Connellのジェンダー理論:社会理論としての検討
(2) 歴史的多様性を視野に入れた社会理論
(3) ジェンダーの四局面とジェンダー体制/ジェンダー秩序
(4) 複数の男性性とその布置連関
(5) 日本におけるConnell理論の受容
第二章 男性単独稼得規範に関する諸議論
1. 日本の「近代家族」論:落合恵美子による研究を出発点として
(1) 欧米における「近代家族」の成立過程と男性性
(2) 日本社会への適用
2. 男性性と単独稼得:戦後「会社人間」の形成
(1) 日本の男性学
(2) フェミニストの現代男性に関する問題関心:企業に包摂された男性像
3. 補論:近代日本における新しい男性性に関する諸研究
4. 小括
第三章 高度成長期までの労働・生活世界
1. 戦後日本の男性労働者像
(1)戦後初期の社会調査にみる社会的諸階層の実態
(2) 高度成長期以前の都市における雇用労働者文化
2. 中小企業労働者階級の文化:高度成長期以前の活版工の労働世界
(1) 印刷業の産業的特徴とその工程
 (2) 活版工の給源
(3) 活版工の雇用構造
3. 活版工の労働者像:「職人」の労働・生活態度
 (1) 労働者ネットワークの存在
(2) 労働への態度
(3) 生活への態度
4. 小括
第四章 中小企業労働者文化の再編:職場の近代化を背景として
1. 就職過程の変容:明確な職業意識の広範な誕生
2. 近代的職場、近代的ジェンダー関係へ
3. 「職人」世界の否定:経営者と労働組合、労働者個人からの接近
(1) 経営者団体による経営と労務管理の近代化運動
(2) 活版工個人の日常的な経験
(3) 労働組合の動き
4. 高度成長期における活版工の世界
(1) 独自の労働慣行の残存
(2) 多就労意識と単独稼得イデオロギーの併存
5. 小括
第五章 中小企業労働者文化の崩壊:低成長期を中心とした緩慢な技術革新
1. 構造改善事業とそのインパクト
(1) 技術革新を推進する動き
(2) 従来の技術を選択する動き
(3) 緩慢な技術革新
(4) 世代的再生産の停止
2. 技術革新の経験
(1) 雇用保証の思想とその実行可能性
(2) 技術革新に対する反対運動の不在
(3) 個人主体による受け止めかた
3. 労働力の質の転換
(1) 労働力の女性化
(2) 男性労働力の定着
4. 小括
第六章 現代のDTP職場における労働と労働者
1. DTP体制下での労働過程
(1) 印刷会社の役割変化
(2) 工程統合の発生
(3) 技能の変化
(4) 技能習得の方法
2. 長労働時間の持続
(1) 労働時間の長さを規定する産業的諸要因
(2) 労働時間に対する労働者の姿勢
3. 男性労働者のジェンダー意識
(1) 性別職務分離の弱化:工程統合を背景に
(2) パターナリズムの崩壊
(3) 生活に関する意識
(4) 小括
終章 活版工の経験が示唆するもの
1. 労働者文化の一元化:中小企業労働者文化の衰退による帰結
(1) 高度成長以前
(2) 高度成長期
(3) 低成長期以後
2. 近代家族普及に関する諸議論への示唆
(1) 男性における社交の衰退と家庭への関心
(2) 高度成長期以前における近代家族への志向
3. 戦後日本における男性単独稼得規範の普及が持った歴史的意義


二 本論文の概要

 社会編成の力学を捉えるためにこそジェンダーの視角が不可欠であるという立場にたつ本論文では,まず第一章においては,1980年代の「転換」を経た新たなジェンダー定義をふまえて,本論文が依拠すべき理論枠組みが提示されている。それはジェンダーが私的領域をこえて社会全体の編成に関わっているという視座から,ジェンダーが階級をはじめとする社会的諸関係と絡まり合いつつ権力関係を構成していると把握する立場にたつものである。なかでも動態的な社会編成を解析するために,ジェンダーを基軸とした社会理論を提起したロバート・W・コンネルの立論が最も重要な試みとして位置づけられる。そこではジェンダーをめぐる社会的闘争,せめぎ合いのマクロな社会局面を示すジェンダー秩序,および複数の男性性の布置連関に関する分析方法が提起されている。その方法的スタンスは,第一にジェンダー関係の社会的組織化にさいして,集団間の闘争や個人の自己投企を捉えようとする点,第二に社会構造内部の対立や抵抗要因を視野に入れて,社会構造の歴史的変動を捉えようとする点,第三に,具体的な諸個人の生活レベルにおける男らしさ/ 女らしさの変動をも捉え出そうとする点で優れていると評価される。すなわち人々のミクロな日常的実践をマクロな社会構造と社会運動に結びつけることによって,ジェンダーの「政治」に迫ろうとしている点で,今日のジェンダー研究にとってきわめて示唆的であるとする。それにもかかわらず,日本のジェンダー研究においてはこれに対する十分な理解がなされているとはいえず,したがってまた,彼の提起する方法を用いて日本の現実に切り込む実証研究もきわめて手薄であるとされ,本論文がその礎となる試みであると位置づけられている。
第二章では,本論文の課題である男性単独稼得規範に関する日本の研究史の批判的検討がなされ,仮説が整理されている。ここでとりあげられるのは,第一に「近代家族」論,第二に男性学,第三に企業社会論のジェンダー視点からの批判的展開である。まず「男性が稼ぎ手/ 女性は主婦」とする「近代家族」論については,欧米での「近代家族」の成立過程に関する研究史の成果が日本に導入され,1990年代以降,実証的な研究が展開する。そこでは日本の近代家族が成立したのは大正時代の都市俸給者層家族であるが,これが大衆的に普及し,規範的な存在となるのは戦後の高度成長期であるとされている。だが戦後の社会的諸階層において異なっていたはずの生活様式が,高度成長期において近代家族をベースとする生活様式へと一元化し,近代家族規範が社会全体を覆う理由は十分に実証的に明らかにされているとはいえない。また多くの研究はこうした近代家族の大衆的普及をみるさいに専業主婦の増大には注目しても,男性が自己を単独稼得者と定義するという過程を不問に付してきた。こうした男性性を研究対象とするはずの男性学は,フェミニズムの問題提起を受けとめる理論的立場にたちきれておらず,男性性の歴史的変化を実証的に分析しうる研究枠組みをもっていない。むしろ男性学ではなく1970年代からその萌芽をなす企業社会論の批判的検討のうえにたって,これにジェンダー視点を導入しようとする研究が近代家族研究にとっての足がかりになるとする。それは男性単独稼得を支えるに足る賃金を求める「家族賃金」観念への着目とそれにもとづく大企業労働者層を中心とする高度成長期の単独稼得層の成立に関する研究をさす。だがそこでも,大企業モデルとは基盤の異なる中小企業労働者層にこれがどのように伝播したのかについての検討は,研究のうえでは空白となっている。本論文はこれを埋めるべく中小零細企業労働者層に焦点をおくが,その積極的な意義は,都市労働者のなかでこの層が無視し得ない厚みをもっている以上,この層の歴史的経験をふまえなければ大企業モデルの普及過程を論じきることはできないという点に求められている。
第三章以下は,研究対象として選ばれた,大企業とは異なる独自の労働者文化をもつ中小企業労働者層における男性単独稼得規範の普及過程に関する実証的究明にあてられている。この中小企業労働者のなかにあって,独自の労働者文化の衰退が歴史的に最も鮮明に表れた印刷業が中心的対象として位置づけられている。第三章の前半ではまず,1950年代を中心とする戦後初期において社会的諸階層(大企業労働者層,中小企業労働者層,自営業層,農民層,ホワイトカラー下層)が保持していた労働・生活様式を,東京大学社会科学研究所,労働科学研究所,さらには社会学者たちによる調査研究にもとづいて検討している。高度成長期以前の都市における雇用労働者文化においては,妻が働くということが所与の前提とされており,単独稼得役割は男性に内面化されるだけの規範力を持っていなかったと考察される。労働・生活様式に関して、そこにはより多様なあり方が見いだされるのである。既存研究が高度成長期以降に近代家族に一元化されていくとしていることからすれば,そのプロセスがきわめて大きな変化を伴うものであったこと,特に男性性のドラスティックな変容としてこれが生じたことが,こうして照射される。第三章の後半では,「失われた側」である印刷業活版工に対する著者自身によるインタビュー調査と既存調査を駆使して,彼らの労働・生活世界と生活意識が分析されている。それによれば,彼らは企業を渡り歩くことで熟練を形成し,より高い賃金を獲得した。労働時間はきわめて長く,生活のほとんどを職場ですごしており,彼らの関心は自分の家庭生活に向くよりも,職業上の男性同士の緊密なネットワークに向けられていた。活版工が,男性単独稼得規範とは無縁の世界に属していたことが解明されている。
第四章では,高度成長期における中小企業労働者世界の再編が,職場の近代化を軸に描かれ,彼らのもっていた労働者文化を否定する方向性が明確化する過程が描かれる。学校における職業指導と斡旋による新卒就職経路ができあがるなかから,新たに労働市場に参入する若年層が,就職を選択的かつ反省的なものとしてとらえる傾向を強めた。また政策的に労働関係や近代的なジェンダー関係の推進が目指されるようになり,都市労働者文化,とりわけその娯楽様式(「飲む・打つ・買う」)に対する否定的な視点からの近代化政策が位置づけられるようになる。印刷業に即してみれば,経営者団体(東京都印刷工業組合)は浮動的な「職人」世界を否定し,高度成長の時代に見合った近代的で勤勉な労働者を欲した。生産性の向上を図るためにも業界全体として従業員の定着が目指され,中小企業の制約をこえるべく共同的な福利厚生制度の整備を行っていった。こうした経営者団体の働きかけのもとで,自己の労働と生活に自覚的になっていった新しい労働者の意識の芽生えが認められ,またこの時期に進展していく中小企業の労働組合運動(総同盟関東一般・化学労組)も,企業を渡り歩き,稼ぎを無計画に消費し,世帯内多就労を当然視する「職人」的な労働・生活様式を否定する立場をとった。男女同一労働同一賃金の観点から,「女子の勤めは腰かけ」であるゆえに低賃金でよいとする論理に反対し,世帯内多就労に肯定的な労働組合の主張(全印総連)も存在したが,旧来の「職人」的な男性のあり方への批判という点では他の労働組合と同一の立場をとっていた。それにもかかわらず,高度成長期には活版工の世界においては,渡り歩く労働慣行が残りつづけ,男性単独稼得規範の担い手も出現してはくるものの,依然としてこれに意義を見いださない価値意識が併存したままであり,この時期に活版工の世界が劇的な変化をとげることはなかった。
第五章では,中小企業労働者の労働・生活様式が失われる決定的な契機が訪れる低成長期が取りあげられる。前章でみた高度成長期からの中小企業労働者文化の否定の動きは,この時期にこそ本格化する。中小印刷業界では,高度成長期から構想された技術革新(活版からオフセットへの技術転換)がこの時期に現実化することが,その大きな契機となっている。高度成長期からの中小企業近代化政策の働きかけがその背後にあるが,個別企業がこの時期に新技術の導入にふみきったのは,高度成長期に明確化した労働時間や賃金制度のもとでの人件費圧迫の克服が経営課題として浮上し,熟練労働力によらない生産過程の導入が課題として意識されるようになったからである。だが小規模会社を中心に従来の技術を選択し続ける動きも同時に存在しており,この動きは緩慢であった。こうしたなかで,従来の労働慣行に基づく職場は縮小してゆき,労働者ネットワークの意味が失われていった。旧来の活版工の労働・生活様式が若い世代への伝達ルートを喪失するのである。だが労働者は一時的には失業しつつも,同職種での継続希望者が再吸収される余地がいまだ存在していた。新技術の導入にともなう配置転換や解雇が少なく,雇用保障の観点が据えられているなかで再訓練を受けることも可能であった。それでも総体として活版職場が減少するなかで,どこの会社でも通用する技能を持つ「活版工」としての職業意識を放棄せざるをえず,個別の印刷会社の社員として自らを位置づけるようになっていった。高度成長期に経営者団体が望んだ「労働力の質の転換」は,女性労働力を印刷業界にとりこみつつ,男性の定着に成功することによってこの時期になしとげられた。こうした過程が,インタビュー調査による技術革新の経験分析から浮かびあげられている。
第六章では,低成長期に本格化した技術革新がさらにME化の影響を受けてより進展していく1980年代以降の印刷職場における変容を扱っている。ME化の到達点であるDTP体制下で印刷工程は大きく変貌する。コンピュータ画面上で組版・集版を行う技能は,かつてのような高度な手先の技能を必要とはせず,その習得期間を短期化させたが,原稿の作り方に対する幅広い知識にもとづく判断能力が必要とされるようになった。したがって中核的な作業者の養成が,すなわち若年層の定着が不可欠の課題となる。職場レベルでの変化として大きいのは長労働時間の日常化である。高度成長期を比較すると総労働時間は短縮しているものの,DTP化以前では連日残業という事態は一年のなかの繁忙期に限られていたが,DTP化以後において、退社時間は20時から21時という長労働時間体制が持続していく。「職人」世界とは切り離された新しい世代の男性オペレーターは,長労働時間体制への不満をかかえながらも,男性の単独稼得こそが基本的なあり方であるとうけとめてこれに対応している。彼らは職場内の女性オペレーターの能力を女性であるがゆえに軽視してはおらず,女性を早く帰宅させることもない。だが,女性には「一家の稼ぎ手」としての覚悟がなく男性ほどには仕事に打ち込む姿勢がないこと,女性が結婚や出産で退職することをやむを得ないことと認識している。彼らは,男性単独稼得規範を内面化しており,第一の心の支えを「家族」と明言するにいたっている。「職人」文化における男性の関心とは異なり,家族は男性にとって重要な領域となっているのである。
終章では,全体のまとめとして,本論文で明らかにした活版工の労働・生活様式の消滅と男性単独稼得規範の普及過程を概観することによって,既存の理論に対して修正を迫るべき諸点が指摘されている。高度成長期以前には,社会に複数の男性性が併存していたものの,近代的自我の未確立ゆえに、どれに投企するかという問題は生まれていなかった。都市中小企業労働者男性にとっては,高い稼ぎは自己の能力の証左であり,長労働時間をともにする職場における男性同士の強い絆とこれをベースにおいた商業化された余暇に結びつけられていた。またこれを前提に,彼らを「飲ませる」というかたちでの労務管理手法も存在した。彼らは自己の家族にあまり関心をもたず,男性単独稼得規範は規範たりえなかった。高度成長期には,彼らは一社に定着することなく,男性同士の強い絆のなかで職場を移動し続けた。労働組合運動が,旧来の労働者文化を無自覚で非文化的なものとして否定し,生産性の向上を担い,よき父,よき夫として家庭における位置を十分に自覚すべきだという方向性を明示するなかで,これに呼応する男性性も一部に併存するようになる。都市労働者文化の基盤となった労働慣行が消滅するなか,低成長期以降,経営側と労働組合側とが雇用保障を軸に技術革新に対処するという方針で一致しており,活版工も他工程に移るなどしながら一社に定着する存在となっていった。
以上の「失われた側」から近代家族モデルの普及過程をとらえ直す作業から明確になったのは次の点である。男性労働者がいったんは職人集団という企業秩序から自立的な労働者同士のつながりを失った。だがそのことが家庭への彼らの関心を全面的に育んだかというと必ずしもそうではなかった。会社の盛衰こそが自己と家族の生活を左右するという意識から,企業に強力に統合されるようになった。換言すればそれは,稼ぎ手という役割に自らを特化することによって家庭生活に貢献するという方向を志向するものとなったのである。高度成長を転機として,企業秩序から距離をとった男性集団に包摂されていた状態を脱し,家族との関係構築に向かう志向が生み出されたその時期に,男性たちは企業秩序に包摂されたのである。こうした歴史過程を掘り下げるとき,通説において高度成長期以前に,社会諸階層が近代家族を「よきもの」としていたという議論には修正を迫る必要がある。近代家族がストレートに憧れの対象としてあったということはできない。むしろ,これに関心を寄せない男性文化が根強く存在したこと,それにもかかわらずこれが消滅するという歴史的結末を迎えたことに着目して,男性が家族に積極的関心をいだくようになった過程にこそ注目する必要があるとする。最後に高度成長期に多就労形態を前提とする男性像からの離脱に向かって自己投企した人々にとって,一方で,男性単独稼得規範と近代家族規範は意識のなかで根強いものである。だが他方では,ここから発した男性の家庭への関心は,女性との親密な関係を通してジェンダー関係の平等化について考える契機ともなり得ており,男性の家庭への関心という歴史的事態はその両側面から評価されなければならないとして,本論文は結ばれている。

三 本論文の評価

 本論文の成果は次の三点に集約することができる。
 第一に,近代家族論に対する貢献である。これを導入した日本の家族社会学は,女性の主婦化のみに注目を寄せ,主婦化を現実的なものにさせる男性単独稼得規範,さらにはこれを実現しうる所得水準や労働のありようについては不問に付す傾向が強かった。こうした既存研究の限界をのりこえようとした本論文は,研究の空白部分を埋め,男性性の変容過程に関する実証的研究を通じて近代家族論の新たな地平を拓いたものとして評価することができる。近代家族化にいたる歴史過程を,あくまでも労働・生活様式に基礎づけられた男性の側から掘り下げ,男性存在と意識から照射した点は方法的貢献と認めることができる。
 第二に,高度成長期以前には男性単独稼得規範が存在せず,中小企業労働者層においては,大企業モデルとは時間差をともなってこれが規範化していったことを明らかにした意義は大きい。とりわけ印刷業についてみるならば,高度成長期に旧来の都市労働者文化の否定が政策レベルでも,経営者,労働組合運動においても立ちあらわれるにもかかわらず,決定的な技術革新の局面にいたるまで,旧来の労働慣行の余地がある限りこれが残存しつづけたことを明らかにしたことは,第二次大戦後の日本における近代家族の大衆的普及にいたる歴史的推移を深めるうえで多大な貢献をなすものである。これは,近代家族論の範囲をこえて,ジェンダー視角からの手堅い歴史実証を通じて労働史研究に新たな知見をつけ加えるものともなっており,この点でも高い評価を与えることができる。
 第三に,日本の男性研究が男性性についての実証的研究に関する方法枠組みを十分にもっていない現状をふまえて,ロバート・W・コンネルの社会理論を参照しつつ戦後日本の歴史的文脈に即してこれを適用し,男性性の分析枠組みを探索した点に本論文の貢献がある。男性主体による単独稼得規範の受容と抵抗の姿が,政策,経営者団体の動向,労働組合運動,個人といったさまざまなアクターの動きをたえずにらみつつ,高度成長期以前と高度成長期,低成長期以降のそれぞれの時期ごとにたくみに描き分けられている。著者自身によるインタビュー調査を生かしながらも,既存の調査研究や政策文書を縦横に用いながらの記述の緻密さにおいても,今後,このジャンルの研究に続くものに,たしかな手がかりを与える研究であると評価することができる。
 しかし同時に,本論文にもいくらかの問題点がないわけではない。
第一に,コンネルの提起した方法を本論文の研究対象に即してどのように具体化しうるのかという点について,分析枠組みがまとまった論述として必ずしも明示されていない点である。もちろん著者が,上記第三点目に書いたとおり,男性単独稼得規範がどのようなアクターによって推進され,制度化されながら,集合的表象を獲得していったのかを描きつつも,労働・生活様式の変容のなかで最終的には個々の主体がこれをどううけとめ,または縛られていたかを絶えず捉えようとしていることは十分に読みとることが可能である。だが本論文の主題が「規範の普及」であるだけに,第三章以降の歴史実証にはいっていく前に,社会規範をどのような分析レベルで把握し,その普及過程を描き出すことが可能なのかをめぐる枠組みの提示が周到になされていれば,著者の第三章以降の記述方法の意図に対する理解がよりクリアなものとなったのではないかと思われる。
第二に,高度成長期以前における男性性のあり方について,1950年代を中心とする既存の調査研究を掘り起こして位置づけた点は本論文の重要なファクツファインディングスのひとつであり,その後の歴史過程を理解する上での出発点をなす知見である。だがこの点については,限られた既存の調査研究からの推論にとどまっている点が惜しまれる。射程をより広くとり,社会諸階層が第二次世界大戦直後の混乱期を経て高度成長期にいたるまでにどのような労働・生活状態におかれていたのかについて,より詳細なデータ収集にもとづく検討が必要であるように思われる。そこを深めることによって,本論文の完成度がより高まると考えられるからである。
だがこうした問題点は本論文の大きな貢献を減じるものではない。こうした点については著者自身が課題として十分に自覚しているところであり,今後の研究の発展のなかで十分に解決していくことができる。
以上,審査員一同は本論文が当該分野の研究に十分に寄与しえたと判断し,本論文が,一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2006年2月8日

 2006年1月10日,学位論文提出者宮下さおり氏の論文についての最終試験を行った。試験において,審査員が,提出論文「戦後日本における男性単独稼得規範の普及に関する一考察」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し,宮下さおり氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員会は,宮下さおり氏が一橋大学博士(社会学)の学位が授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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