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博士論文審査要旨

論文題目:「満洲」における近代的労務管理体制の萌芽―昭和製鋼所の労務管理の研究―
著者:黄 英蓮 (HUANG, Ying Lian)
論文審査委員:依光 正哲、倉田 良樹、林  大樹、三谷  孝

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 【本論文の構成】
 旧満州における労働問題に関する研究の主力は、中国人労働者に対する専制的労務管理の枠組みの下で、日本帝国主義及び日本企業の搾取と支配、酷使の実態を立証するものであった。このような研究枠組みは、労務管理の一端を解明するものではあるが、本論文が取り上げるような満鉄傘下の巨大企業が社会的・経済的状況の変化および企業内部の要請に応じて労務管理システムを転換せざるを得なくなる事態を理論的・実証的に解明することを妨げる要因となる。
本論文は、資本主義の発展に即した近代的労働力の創出・陶冶の理論的フレームを用いて、旧満州における労働問題研究の未開拓の領域に分け入った野心的論文である。
 本論文の構成は以下の通りである。

序章 課題と視角
第1節 問題意識と課題の設定
 第2節 先行研究の整理及び研究視角
 第3節 論文の構成
第1章 満洲における労働市場の概説
 第1節 労働力の供給源と賃労働者の創出
第2節 労働者の徴集
第3節 満洲国労働政策の変化と企業の対応
第4節 小括
第2章 鞍山製鉄所設立の背景の概観――日本の対満洲経営の沿革―― 
 第1節 日露戦争以前の日満関係
 第2節 日露戦後の対満洲経営体制の確立
第3節 第一次世界大戦期における対満洲経営の本格化
 第4節 小括
第3章 昭和製鋼所の前史と創業
 第1節 昭和製鋼所の前史――鞍山製鉄所の沿革
第2節 昭和製鋼所の創設
第3節 小括
第4章 専制的労務管理の展開
 第1節 はじめに
第2節 鞍山製鉄所の管理組織と雇用形態
第3節 労働力創出と地元募集体制の成立
 第4節 原生的労働条件管理
 第5節 強権的労働関係の創出 
第6節 労働災害
第7節 労働組合運動及び労働争議  
第5章 近代的労務管理の萌芽
第1節 はじめにー原生的労働関係克服の兆し
第2節 近代的労務管理機構の確立
第3節 地元募集体制の継続と労働力の調達
第4節 原生的労働条件管理の見直し
第5節 近代産業労働者の訓練と確保
第6節 小括――八幡製鉄所の労務管理制度との比較において
終章 総括と展望
 第1節 満洲における産業予備軍の形成
第2節 新たな労働組織及び福祉重視の労務管理
第3節 昭和製鋼所の戦後復興

 
【本論文の内容要旨】
第1章「満洲における労働市場の概説」
満洲労働市場における労働力構成及び需給関係の変化を概観し、満洲国設立及び日中戦争を境として労働市場が質的に変化したことを指摘する。
満洲国設立以前においては、日本資本による資源「開発」及び近代産業の発達による労働需要は、基本的には満洲及び中国関内農村からの農民の労働供給によって賄われ、満洲の日系企業にとっては労働力の徴集は比較的容易であった。
満洲国設立後、日本人・朝鮮人の満洲への移民を促進するために、満洲国内の治安維持、漢民族の勢力抑制などが緊急課題とされ、関内中国人労働者の入満を制限する体制に移行した。しかし、中日戦争の勃発を契機として深刻な労働力不足が発生し、さらに労働統制を強化することが求められ、労働者の募集と配置を国家が直接統制する労務体制が登場することとなった。しかし、労働力確保は質的にも量的にも困難となっていった。

第2章「鞍山製鉄所設立の背景の概観――日本の対満洲経営の沿革――」
昭和製鋼所の前身である鞍山製鉄所設立の歴史的背景として日本の対満洲経営の変遷過程を考察し、ロシアの権益を受け継いだ日本は満鉄(南満洲鉄道株式会社)を日本国の代理人として満洲経営を行うこととなる歴史的経過を明らかにする。
日露戦争後から第1次世界大戦に至るまでは、対満洲投資は緩慢であった。しかし、第1次世界大戦期に至り、満洲権益の拡張を追求する日本支配層の強硬派が勢力を増し、中国政府と「21ヶ条要求」を締結することになる。この条約が日本の「満蒙開発」に有利な条件を作り、満鉄は南満洲9鉱山に関する交換公文を根拠に鞍山周辺の鉄鉱採掘権を奪取し、鞍山製鉄所を設立することになる。

第3章「昭和製鋼所の前史と創業」
鞍山製鉄所・昭和製鋼所の沿革、経営発展及び生産機構などについて考察する。
第1次世界大戦期における日本の鉄鋼政策に応じて、満鉄・鞍山製鉄所の製鉄事業が始まった。初期の厳しい経営状況とその克服策を検討し、製鉄所の拡大過程が解明される。
鞍山製鉄所を受け継いで設立された昭和製鋼所は、日満産業政策上及び国防上重要視され、満洲国の鉄鋼業の統制過程の中核となり、絶えず生産能力の増強が期待されていた。1937年12月満業(満洲重工業開発株式会社)の設立により、昭和製鋼所は満鉄傘下から満業傘下に移行し、昭和製鋼所は満業を中核とする満洲国の統制経済下に再編成され、1939年に満洲国の特殊会社に改組されることとなった。
さらに、1944年には経営機構再編により満洲製鉄株式会社となる。しかし、縮小再生産体制に入りつつあった満洲戦時経済の下にあって、昭和製鋼所はもはや経営発展の展望を持ち得なくなるに至る。

第4章「専制的労務管理の展開」
鞍山鉄鉱及び製鉄所における専制的労務管理体制の実態を明らかにする。即ち、満洲初期の産業労働者は貧農、雇農等の農民層から供給されたのであるが、彼らを近代的産業労働者に仕上げるための労務管理を検討する。
鞍山製鉄所鉱山においては、封建的把頭制が共同請負の直轄制に替わり、鉱山工に対する企業の統一的管理が行なわれ、さらに「鉱夫管理規程」が制定される。
鞍山製鉄所工場においては、「工牌規程」及び「懲戒方針」を設け、無秩序無統制な農民を近代的な産業労働者に陶冶し、基幹労働者の移動を防止するために、強権的抑圧的な取締政策が実施され、徒弟制度を設け労働者育成のための厳しい訓練が実施された。
鞍山製鉄所及び鉱山における専制的労務管理の展開により、特に鉱山では事故が多発し、労働者に精神的・肉体的荒廃をもたらし、労働者の強い反抗を呼び起こし、労働争議を引き起こすに至った。
 
第5章「近代的労務管理の萌芽」
昭和製鋼所における近代的労務管理体制の萌芽の特質について検討する。
昭和製鋼所が設立され、生産規模が拡大するに従って中国人労働者の人数が急増し、管理機構も厖大になり、労働者に対して募集、勤怠、社宅、福祉、補導等に細分化された管理が行なわれ、近代的労務管理機構が確立されてゆく。
また、原生的労働関係の見直しが行われ、賃金水準を上昇させ、労働者間の賃金格差を縮小する策が講じられた。ところが、満洲国末期になると、高い労働移動率、低出勤率が続き、昭和製鋼所においては労働者の定着性を高め、労働者を確保することが労務管理の緊急課題となった。従業員養成機関として臨時工作工養成所、実技訓練所、事務員短期養成所などを設立し、さらに国民学校を設立した。
昭和製鋼所は中国人労働者を近代的鉄鋼労働者に陶冶するために、労働者と農村との結びつきを切断し鉄鋼都市を生活の根拠地とするために、集家部落建設を行ない、社宅の増築に取り組んだ。住宅問題は労働者が工場労働者として労働力を再生産する際に決定的な重要性を持ち、また、労働者の定着性向上の基礎条件となる。
昭和製鋼所における労務管理の対象は、満洲国設立以前の単身出稼ぎ労働者から、満洲国末期の工場地帯における都市労働者へと変化し、近代的産業労働者への陶冶のための積極的労務管理システムへの移行が試みられた。
 
終章「総括と展望」
昭和製鋼所における萌芽的近代的労務管理体制が労働者に如何なる影響を与えたのか、如何なる歴史的意味をもっているのかについて考察する。
満洲における近代資本制産業の発達は大量の農村人口を吸収したのであるが、初期においては労働力が季節的に農村へ還流していた。この状態から労働力を農業から離脱させ都市へ定住移動させる方向が模索された。彼らの大多数は単純労働者であり、技術工への登用の道はほとんど閉ざされていたが、この出稼ぎ労働者を近代的労働者へと成熟させてゆくことが重要な課題となる。
労働者組織及び労働争議については、昭和製鋼所においては労働者の大規模な労働争議は発生しなかったが、統制が比較的弱かった関係会社において労働争議が多発し、企業経営者に損失を与えた。しかし、関東軍の労働争議に対する徹底的弾圧により、中国人労働者による自発的労働組合組織は形成されなかった。
一方、昭和製鋼所は、各職場の中国人労働者中堅層を中核とする職場補導組織として「努力前進会」を結成させ、労働者を組織化して努力前進運動の展開及び労務諸問題の解決に努力する指導者を養成するという新たな労務管理を試みている。これは従来の労務管理方式の転換を意味し、風俗習慣・言語を異にする中国人労働者を管理する指導者が必要となったことを物語っている。
最後に、昭和製鋼所の戦後復興について考察する。日本の敗戦、満洲国の倒壊後、ソ連軍支配期を経て国民党軍と共産党軍の内戦が繰り返される中で、昭和製鋼所(後の満洲製鉄株式会社)の復興が試みられ、新中国の成立後の経済復興期に至るまでに急速に復興を遂げることになる。このめざましい復興は満洲国時代、国民党軍時代に製鉄所を稼働させる近代的労働者や技術者が育成されていたことの証しでもある。

【本論文の評価と問題点】
 以上のような内容の本論文の特徴としては、以下の諸点を指摘することができる。
第1に、これまで空白状態にあった満州労働市場の実態およびそれを解明する理論フレームを明らかにしたことである。昭和製鉄所の労務管理が原生的労務管理から近代的労務管理へと転換することとなる歴史的条件、企業の論理などを克明に分析し、本論文はこれまでの研究の空白部分を埋めることに貢献した。分析に際しては、社会政策研究、労務管理史研究の中で共有されている諸概念を適切に使いこなしており、原生的労働関係の近代化に関する理論フレームの水準を高めていくことに関しても、一定の成果を達成している。
第2に、本論文は日本の満州支配という厳しい歴史的現実に中国人として向き合い、戦乱によって残存資料が乏しい状況の中で、企業の経営関連資料や労務管理にかかわる未使用の一次資料を丹念に点検し、満州における産業・労働に関する実態の解明を精緻に行ったことである。労働力構成、賃金・労働時間の実態、労働者の勤怠状況、労務管理制度などに関して本論文で展開されている一次資料に基づく分析は、後続の研究者にとっては、国際比較研究等の観点からも極めて貴重な内容のものといえる。
第3に、本論文においては極めて抑制した記述となっているが、昭和製鉄所の労務管理によって生み出された近代的労働者が新生中国の東北部の復興の重要な要因となることを示唆しており、これまでの研究の方向性を転換させる問題提起を行っていることである。
しかし、本論文には次のような問題があることを指摘せねばならない。資本主義経済の展開とともに労務管理システムの転換が図られるのであるが、この労務管理システムの転換と満州における植民地支配体制の下での労働統制に基づく労務管理との異同に関する考察が手薄となっている。また、農村から都市への「労働者」の移動・移住に関して、いわゆる貧農と農業雇用労働者との区別、「出稼ぎ型」労働と「近代的労働」との区別などをより厳密に検討する必要がある。さらに、企業が労働力を調達する際に依存していた封建的把頭制からどのように脱却していったのかという点の実証が手薄となっている。本論文のフレームを精緻化する上では、このような諸点を改善することが求められる。
以上のような課題が残されているが、これらは本論文の重大な欠陥とは言い難く、また、最終試験において改善の方向性が示されており、これらは今後の研究の中で克服されるものと期待される。

【結論】
審査員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したものと認め、黄英蓮氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2005年11月9日

 平成17年10月5日、学位論文提出者黄英蓮氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文『「満洲」における近代的労務管理体制の萌芽』に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、黄英蓮氏はいずれも充分な説明を与えた。
以上により、審査委員一同は黄英蓮氏が学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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