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博士論文審査要旨

論文題目:戦後ドイツ公的年金保険の制度枠組の考察
著者:森 周子 (MORI, Chikako)
論文審査委員:藤田伍一、倉田良樹、高津 勝、高田一夫

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   〔本論文の構成〕
 本論文の構成は以下の通りである。

 第1章 はじめに:問題の所在
 第2章 社会保険の基本原理とドイツ公的年金保険制度の概要・基本原則
 第3章 1957年年金改革-戦後ドイツ年金保険制度枠組の起源-
 第4章 高度成長期の展開
 第5章 オイル・ショックの勃発からドイツ統一までの展開
 第6章 ドイツ統一以降の展開
 第7章 制度枠組の機能変容と、年金改革において想定されたドイツ公的年金の
     基本原則
 第8章 まとめと結論
 参考文献
 参考資料


   〔本論文の内容要旨〕
 本論文では、戦後西ドイツから始まるドイツの公的年金制度の制度的特色として、2つ
の「仕組み」を挙げている。1つは「賦課方式」である。「賦課方式」とは「被保険者が
支払った保険料によって、同時期の年金受給者の年金給付を賄うという財政方式」と説明
されているが、補足すれば、本来、特定団体において単年度で収支を合わせる財政方式の
ことをいう。租税と同様に必要な支出費用を団体関係者に賦課することで調達することか
ら「賦課方式」と呼ばれるのであるが、これを年金財政に適用した場合には、受給者は高
齢者に制限され、また拠出者は若年者に限定されることから、必然的に「世代間の所得再
分配」システム、あるいは「世代間扶養」のシステムとなるのである。
 本論文が挙げるもう1つの「仕組み」とは、給付算定に採用した「所得比例方式」であ
る。これは制度としては「従前所得保障年金」を指しており、「個々の年金受給者の現役
時の所得水準に見合った年金額が保障される」年金のことである。
 著者はこの2つの制度的仕組みは原理的に相反する性格をもつと判断する。そして相反
的な2つの仕組みを採用したことがドイツ年金問題の核心部分を形成したと見ている。
 本論文は、1957年の年金改革によって採用された2つの「仕組み」、すなわち「賦
課方式」と「所得比例方式」が数回の改革に際しても維持され続けた政治的、思想的な状
況を通して、ドイツ的特質の意味付けについて検討を加えた本格的な論考である。

 第1章の「はじめに:問題の所在」では、ドイツ年金制度の制度的な枠組みが説明され
ると共に、ドイツが世界でも最も深刻な年金問題を抱えていることが、著者の問題意識と
ともに簡潔に述べられている。そして、制度的枠組みとして「賦課方式」が決定的に重要
であり、それがどのように機能してきたかを検討することが課題であるとしている。

 第2章の「社会保険の基本原理とドイツ公的年金保険制度の概要・基本原則」では、ま
ず、「保険原理」と「社会的調整」について説明している。社会保険は理論的には「保険
原理(Versicherungsprinzip) 」と「扶養原理(Versorgungsprinzip)」の対抗関係として
捉えられるが、著者は「保険原理」を「等価性原則(Aequivalenzprinzip)」に、また「扶
養原理」を「社会的調整(Sozialer Ausgleich)」に置き換えて両者の関係をレベルアップ
して捉えていこうとしている。通常の「保険原理」と「扶養原理」ではドイツ的状況を理
解することは困難とみているからである。

 第3章の「1957年年金改革-戦後ドイツ年金保険制度枠組の起源-」では、195
7年の年金改革の概要が語られ、これによって戦後ドイツの年金制度の骨格が形成された
ことが説明される。当時の3つの大きな社会的思潮も紹介され、賦課方式で従前所得年金
を賄う仕組みが正当化されていく過程についても解析されている。
 
 第4章の「高度成長期の展開」では、1957年から1973年のオイル・ショックま
での、いわゆる高度成長期における年金の展開が跡づけられている。この間は年金システ
ムが順調に機能し、問題なく推移したことが述べられているが、その中で、とくに197
2年の年金改革において、楽観的な経済予測から「社会的調整」を拡大したことが説明さ
れており、そのためオイル・ショックを増幅させたことを示唆している。

 第5章の「オイル・ショックの勃発からドイツ統一までの展開」では、経済の低成長を
背景に年金財政の逼迫状況が語られる。また人口動態面でもいわゆる「年金の山」を迎え
ることになった。1980年代には制度的枠組みへの信頼が揺らぎ始めて、各方面から年
金改革案が登場してくる。本章ではとくに1992年改革をとりあげて、受給開始年齢の
引き上げ、減額率の拡大、部分年金の導入などと並んで「自動調整メカニズム」の導入が
盛り込まれたことを特記している。これは年度毎に年金支出額を保険料で充足させようと
するもので、導入によって純粋の「賦課方式」に近づくことになった。

 第6章の「ドイツ統一以降の展開」では、ドイツ統一にともなうコストが嵩み、経済の
グローバル化による失業の増大によって年金財政が一層圧迫する様が描かれている。その
ため1999年の改革に続いて、2001年改革が提起され、保険料率の抑制が指向され
た。また「賦課方式」から「積立方式」への転換要求に応えて、部分的積立方式が導入さ
れることになった。        

 第7章の「制度枠組の機能変容と、年金改革において想定されたドイツ公的年金の基本
原則」においては、1957年の年金改革によってビルトインされた制度枠組みが年金の
制度展開の過程でどのように変化したかを総括的に探っている。そして全般的に「社会的
調整」要素の拡大が続いていることが確認されている。
             
 第8章の「まとめと結論」では、「賦課方式」と、等価性を内容とする「算定方式」が
両立するように設計された1957年改革の制度的枠組みがその後も「社会的調整」を拡
大することで、維持されてきた事実が述べられている。こうした制度的枠組みを存続させ
た理由としては、制度移行にコストがかかることからの躊躇に加えて、両立の条件が高度
成長期にのみ有効であったにもかかわらず、経済状況とは関係なく、普遍的に有効である
と誤認されたことに因る、という。著者は、さらに、当時の社会的市場経済思想がこのこ
とを正当化する上で、あるいはすり替える上で大きく寄与したと判断している。

   〔本論文の評価と課題〕
 最後に、本論文の評価と課題に関して若干のコメントを加えたいが、先ず、評価すべき
点として3つ挙げておきたい。第1に、戦後西ドイツに始まる現行年金制度の基本的枠組
みは、財政方式として「賦課方式」と給付算定方式として「所得比例方式」から成ってい
ると見ているが、本論文の第一の評価点は、この相反的な2つの要素が1957年年金改
革によってドイツの年金制度にビルトインされたことが今日の年金問題の核心にあること
を鋭く指摘したことである。もっとも、1957年の改革で採用された財政方式は10年
の「中期財政方式」であって、これを賦課方式と判断するには一定の留保が必要であるこ
とは付言しておかなければならない。
 第2に、上記の相反的な2つの要素を内包させたために、いずれその矛盾が顕在化する
だろうとの指摘がなかったわけではないが、政府や学会主流はそれを撥ねつけ、年金改革
にあたっても制度維持的な糊塗策に終始し、結局、今日まで有効な転換のための抜本的な
政策が取られず、今日もなお、「賦課方式」が制度的枠組みとして残っていることを指摘
した点である。この点の論証において、1980年代以降「関与等価性」という原理が制
度枠組みの維持を正当化する原理として大きな役割を果たしたことを明らかにしたことも
、本論文のオリジナリティとして評価することができる。他方、本論文では制度的枠組み
自体の矛盾が深まり、とくに人口動態の面で年金制度が行き詰まりつつあることについて
も説得的に論じており、この点の考察においては統計資料を駆使した手堅い分析を展開し
ている。
 第3に、年金の制度的枠組みの転換ができなかった理由について著者は1次資料、2次
資料を駆使してドイツ的事情に論及しているが、その中で著者は制度的な要素が思想的要
素に転化して「所得比例方式」が「保険原理」、「賦課方式」が「扶養原理」に昇華する
と共に、一種の扶養原理、すなわち「社会的調整」の原理が優位に立ったことをその要因
として挙げている。この点で制度背景にあるドイツの経済政策思想、社会政策思想の影響
力を指摘した点は既存研究にない試みとして評価することができよう。制度的には社会調
整力を発揮できる「賦課方式」を優先させる仕組みが次第に環境として形成されたと見る
のである。
 次に、本論文の今後の課題について触れておきたい。ドイツの年金制度は依然として「
賦課方式」に依っているため、年金問題は益々深刻化しているが、その解決の方向性は本
論文では明示的には描かれていない。通例では「賦課方式」に対抗する財政方式は「積立
方式」であるが、「積立方式」への転換をおこなうことで解決できるのか、それとも別個
の財政方式で解決すべきなのか、その方向性を示すことが今後の課題となるであろう。ま
た「賦課方式」を維持するのであれば、第2の選択肢として「社会保険方式」から「租税
方式」に切り換えることも考えなくてはならない。もとより将来の方向を見定めるには制
度をとりまく諸条件の分析が必要であるが、理論的な帰結としての方向性を論じることは
手持ちの材料で十分可能と思われる。
 さらに、論文全体をもっと論理的に整理する必要があろう。例えば「保険原理を補強す
るために賦課方式を維持する」との主張に対しては、収支相等の原理と賦課方式における
収支一致の原理の差異を論理的に分析することで、その矛盾を指摘し、対抗することが求
められよう。また、訳語を含めて晦渋・生硬な表現も散見され、もっと丁寧な説明が必要
であるように感じられた。
 だが、これらの点については、著者も充分に自覚しているところであって、本質的に本
論文の価値を損なうものではない。これまで本質的な問題とされながら、またそうである
が故に、とかく避けられてきた課題に真正面から切り込んだ著者の野心的な挑戦は大筋に
おいて成功していると評価できよう。
 本論文の審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献していることを認め、
森周子氏に対して、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断
した。

最終試験の結果の要旨

2005年11月9日

  平成17年10月27日、学位論文提出者 森周子氏の論文について最終試験を
 おこなった。試験においては、提出論文「戦後ドイツ公的年金保険の制度枠組の考
 察」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、森周子氏は
 いずれも充分な説明を与えた。以上により、審査委員一同は森周子氏が一橋大学博
 士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有すると認定し
 た。

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