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博士論文審査要旨

論文題目:荻生徂徠における「道」と「人性」「人情」
著者:王 青 (WANG, Qing)
論文審査委員:安丸良夫、木山英雄、古茂田 宏、渡辺尚志

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・ 本論文の構成
 江戸時代中期の思想家荻生徂徠については、これまでも多くの研究が積み重なられてきたが、丸山真男氏のよく知られた著作『日本政治思想史研究』における徂徠研究が戦後の研究史の出発点となった。丸山氏は右の著作で、徂徠を西洋・中国・日本についての大きな比較思想史的文脈のなかにおいて、主として徂徠の「思惟方法」における近代性を抽出してみせたのだが、本論文もまた大枠ではこうした問題設定を受けついで徂徠研究に取り組んだものだといえよう。しかし、丸山氏の研究のあとで、中国革命をはじめとする現実状況の大転換があり、丸山氏が比較の対象に選んだ中国朱子学の評価をはじめとして、思想史研究の動向にも大きな変貌があった。こうした背景のもとで、中国思想史との対照を念頭におきながら、徂徠の思想像の再構成に取り組んだのが本論文の内容だといえよう。

 本論文の構成はつぎの通りである。

 序章 課題と方法
  第1節 問題意識
  第2節 先行研究史
  第3節 本論文における方法論
 第一章 徂徠学についての概観 
  第1節 朱子学の「理」と徂徠学の「道」
  第2節 徂徠学における「道」と「公・私」
 第二章 徂徠学における「道」と「人性」
  第1節 「性」「徳」「才」
  第2節 人性論と社会観
 第三章 徂徠学における「道」と「人情」
  第1節 「道は人情に本づく」 
  第2節 「道自道、人情自人情」
  第3節 「人情」と「風俗」と
 結び
 参考文献


・ 本論文の概要

 序章では、基本的な問題設定、研究史の批判的検討、著者の方法論的立場の説明が行われる。まず著者は、中国における朱子学的思考様式の影響力の大きさを立論の前提においたうえで、明清時代には朱子学的「公」のなかに民衆の生存欲も組み込んで「疑似コモンウェルス的」「公」が形成されたことを、溝口雄三氏の研究によりながら承認する。こうした新しい「公」は、「大同思想」の伝統をひきつぎながら、太平天国や孫文の「民生主義」から人民公社にまでつながる思考様式で、「革命のエネルギ|源」となったのだが、しかしまたそれが「封建主義と共存」し、専制と強制の原理ともなったことを指摘して、この後者の視点から著者は溝口氏を批判する。朱子学を激しく攻撃して独自の思想体系をつくりあげた徂徠の思想は、こうした観点からして、日本の近代化の特質を照らしだす恰好の分析素材として設定されることになる。

 丸山氏は徂徠学を、朱子学的自然主義の解体、「治国平天下」のための政治性をその本質とする新しい「道」の発見、またこうした「道」から自立したものとしての私的内面的世界の解放と独自性確保などとして捉えた。さらに平石直昭氏は、こうした丸山説を継承しながらも、「公」観念に内包される道義性、「私」的次元の自律性、制度とその与件とを区別して最適の相関性を見出だそうとする主体的な態度などについて精密な分析を試みて、徂徠学の近代性をいっそう強調した。しかし、徂徠の「道」は身分制秩序を原理的に絶対化するものでもあって、丸山・平石氏の強調する諸論点は、西洋近代的意味での自由や権利に単純に連続しているわけではない。徂徠の極度に政治的な「道」には、「絶対的支配者による巨大な専制しか読み取れない」(子安宣邦氏)などとする、丸山・平石説とは真っ向から対立する見解も有力であり、徂徠評価は、「「近代的」と「封建反動的」という両極端」に分裂している。

 一見まったく相容れないこうした徂徠像が併立しているのは、「その方法論において実は同じく一元的な「西洋近代史観」に捕らわれている」からだ、と著者は主張する。右に述べた二つの側面はともに徂徠学に内在して一つの思想体系を構成しており、そこに徂徠の思想の近世思想史上における独自の意義、ひいては日本の近代化の特徴について考えるさいの一つの手がかりが見出だされるはずである、というのが著者の立場である。

 第一章第1節では、徂徠が朱子学の「理」・「心」概念を批判して、独自な「道」の概念を樹立したことを述べている。徂徠の「道」は、中国古代の聖人君主が「安民」・「治国安天下」のために制作したさまざまな制度や技術の総体である。徂徠の「道」概念におけるこの政治技術的な性格は、丸山氏がマキャベリにおける近代的政治観念の成立に対比したことでよく知られているが、著者は、徂徠においては「天命」に対する諦観が前提されていることを指摘して、そこに身分制社会という条件のもとでの制約を読みとっている。しかし、「天」と「人」とは単純に峻別されていたのではなく、天地自然に人間の制作的営みが働きかけることで文化的価値が実現されるのであって、「天」と「人」との無媒介な直接性を退けたうえでの新たな次元での深い結びつきが考えられていたのだとする。徂徠は、人間の理性の認識能力の範囲を限定したけれども、そのことによってかえって人間の可能性について具体的に確認する場を提示したのである。

 第2節では、徂徠学における「公・私」概念が再検討される。この問題もまた、徂徠学における「公私の分裂」、公的=政治的世界の独自性と私的=内面的世界の自立化としてよく知られているが、著者は尾藤正英氏・田原嗣郎氏・平石氏・子安氏などの研究を整理しつつ、公私が価値序列としてではなく領域の違いとして定立されているとする。公法的領域ではもとより「公」が優先されるけれども、「私」にも「公」とは異次元での存立根拠があり、こうした異次元性の自覚化に近代の萌芽を見る見解や幕藩制社会の重層的構造を見る見解などが生まれたのであった。

 第二章第1節では、まず徂徠における「人性」概念が検討される。それは、朱子学的な「本然の性」・「気質の性」という概念を批判して、「気質の性」を「人性」の本質とするものであり、朱子学に見られる、「気質変化」を求めての道徳的実践を無意味とするものである。徂徠にとって「気質の性」は、それぞれの特殊性にもとづく専門的な技能や能力であって、「人性」のそのような側面を徂徠は「徳」「材」「芸」などと呼ぶ。こうした特殊的な「人性」は、普遍的な「理」や「道」へと質的に変化することはないが、専門的な能力・人材へと成長する(「移る」)ことは可能なのであり、支配にとってそれぞれに有用性をもっている。こうして徂徠の「人性」論は、支配のための「人材」論へと展開してゆくものであり、必ず存在するはずの「人材の発見」こそが支配の要をなす。徂徠は、「大臣」と「有司」の職務範囲を区別して、人材の発見は「大臣」の職務であるとし、適材適所の人材を発見するための心得を詳しく述べた。徂徠学における個性尊重の主張は、こうした人材論の次元でもっとも具体的に展開されたのである。

 第2節では、第1節をうけて「人性」論と社会観との関係が論じられる。徂徠にとって人間は、「気質の性」において個別的な存在だが、しかしその個別性は、「相愛相養」の社会性のなかでのそれぞれに有用な能力にほかならない。適材適所の原則を貫徹させた分業社会が徂徠の描く理想社会であって、そこでは支配者も被支配者もすべての人間がそれぞれに自分に素質を養い育てることによって「徳」「材」「芸」「技」を会得し、社会のなかで有用な人材になることが求められる。このような意味で徂徠学は人間の個性尊重を説くが、そこには人間に普遍的な「本性」を中心におく中国思想との著しい相違がある。徂徠学においては人間の個性が重んじられているといっても、それは社会的全体の決定的優位のもとでのことであって、この点は「天(道)」の個に対する超越性としても概念化されているといえる。個は、上位者・全体への奉仕と責任遂行においてそれぞれの個性を発揮するのであって、「天」を媒介とする批判的主体は徂徠学から導き出すことができない。こうして、近代性の一つの側面としての人間の個性的能力の功利的な主張は、徂徠学の重要な特質といえるのではあるが、他面で社会に向きあう「批判的主体的原理」はまったく欠如しているのであって、こうした二つの側面が徂徠において不可分に結び付いているところに、「日本社会における近代の性格」と徂徠学との密接な繋がりを読み取ることができるだろう。

 だが、全体と個との右に述べたような関係づけにもかかわらず、徂徠の人間観は、全体社会における有用性へと単純に回収されるものではなかった。人間にはその本能的欲望に根源をもつさまざまの心理活動や感情現象、つまり「人情」があり、それが社会的に共通する傾向や慣習を形成するばあいは「世態」とか「風俗」と呼ばれる。そして、「人情」「世態」「風俗」の独自な在り方に注意を傾けて、そこから時代の現実に対応した政策論を展開していくところに、徂徠学の重要な特質がある。「徂徠学における「道」と「人情」」と題された第三章は、こうした観点から徂徠の人間観と社会観とをいっそう具体化して捉えようとするものである。

 第三章第1節では、朱子学的な道理観には還元され得ない「人情」の固有性と多様性とが、「道」にどのようにかかわっているかが解明される。「道」は、中国古代の聖人君主たちが当時の「人情」にしたがって制作した具体的な文物制度であるが、「人情」の基本は古今を通じて変らないので、時空をはるかに異にする江戸時代の日本にも妥当する。しかし、それぞれの時代において「人情」の具体相を知ることは後世の君主の重要な責務であって、後世の君主もまた「人情に合する」ように聖人の定めた文物制度を「斟酌」しなければならない。徂徠における学問方法論にあたる古文辞学も、その詩経理解に示されているように、「人情」を知ることによって「治国安天下」の「道」に奉仕すべきものである。「人情」に乖離すれば、政治制度は必ず有効性を失うのであって、政治制度をたえず人間の自然的な性質や欲望に直面させるところに、政治理論としての徂徠学の生命力が認められる。

 第2節では、「道」と「人情」とのこのようなかかわりが、より具体的な社会関係のなかで捉えられる。まず、徂徠の「道」は、一切の規範から解放されて、「人情」に全面的に奉仕するものではなく、「道」と「人情」は、それぞれの次元を構成しながら対立し緊張しあっているものである。例えば、太平が続くと人びとは華美を好むようになって社会全体に奢侈の気風が瀰漫して、そこから上下の困窮と社会全体の動揺がもたらされる。したがって、「人情」をそのまま認めることには、社会秩序を根本から脅かす危険性が潜んでいるのであって、こうした「人情」にどう対処するかに、徂徠の学問と思想の核心的な課題があったといってよい。徂徠は「天」を「神妙不測」としたけれども、聖人によってのみ認識しうるものだとしても、経験的に把握しうる規則性=「天地の道理」が存在するとしており、そこには「道」を社会的なものについての「客観的法則性」に基礎づけようとする新しい認識論的立場がある。そして聖人の「道」は、こうした「天地の道理」と 「人情」とを左右のおもりにして適切な均衡を実現したものであり、「上下ノ差別」という階級制度もこうした観点から設定されたものである。制度が必要とされる根本的理由を、生産物の需要と供給の均衡のためという経済的原理に求めたり、人材が社会の下層から生まれる傾向を指摘して、身分制秩序を維持していくためには、逆説的にも人材を下から登用して身分制度を流動化しなければならないとしたことなどに、右に述べたような立場からの徂徠の洞察が表現されている。

 ところで、人間の欲望を根源とする「人情」が社会的な規模において展開すると、先に述べたように「世態」「風俗」が形成される。そして、徂徠の時代においてこの「世態」「風俗」は、とりわけ「奢侈」として社会的に定着していた。第3節では、こうした事態に対処しようとする徂徠の政策論の骨格が取りあげられる。「奢侈」という「風俗」は、それが社会の大勢となっているのだから、強制や道徳的教化によって是正し得るものではない。「奢侈」をおのずから減少させるような社会的環境をつくりだす「わざ」あるいは「仕掛け」だけがこうした状態への有効な対応策なのであって、その内容は基本的には 「土着」と「制度」とされる。徂徠は、平石氏が指摘するように、民衆にも道徳的主体性を認めていたのではあるが、しかしそれはこうした政治的社会的な制度によってつくりだされるものであって、民衆自身の主体性に基づくものではない。そして徂徠は、「奢侈」を抑えるためには、領主と民衆との間に「ゲマインシャフト的関係」をつくりだす「封建」制が「郡県」制よりも望ましいと考えた。朱子学は、法が支配し科挙制によって人材が登用される「郡県」制の中国社会に照応する思想であるが、幕藩制は、形式的には「封建」制、実質的には「郡県」制となっている。徂徠の経世論は、こうした認識に立った政策論であって、幕府には「公」としての中央集権的な「郡県」制原理を担わせ、大名とその家臣たちには「私」として情愃的な「封建」制を実現させて、両者を抱き合わせて幕藩体制の再強化をはかろうとするのが、徂徠の構想であった。

 「結び」では、本論文で述べたような徂徠の思想が、近世後期における多様な経世思想の展開を思想史的に準備したことを指摘したうえで、近世後期から近代初頭にかけてのさまざまの変革思想が、徂徠学とは異質の、広い意味での朱子学的伝統を踏まえたものであることが、松本三之介氏やテツオ・ナジタ氏の研究に依拠して展望されている。人間の内面に普遍的な原理が存在するという朱子学のほうが「自律」や「自由」の主張につらなりやすいために、政治的社会的な変革思想はこうした系譜のなかに展望できるのである。しかしそのことを対極から考えなおしてみれば、実用的な近代化という点では目覚ましい発展を遂げたにもかかかかわらず、「外来移植的」で「厳しい自己対決を欠く日本型民主主義」などと批評される日本近代化の特質が、すでに「倒叙の形」で徂徠学のなかにはっきりとした姿態を現しているのだということになるのである。


・ 本論文の成果と問題点 

 本論文は、「道」「天」「性」「情」などの徂徠学の基本概念を慎重に吟味することによって、また研究史の再検討を通して、徂徠の思想像についての新しい構想の基本的枠組を提示しようとするものである。徂徠の著作は多面的で難解であるし、従来の研究史も複雑で錯綜しているが、本論文は、これまで徂徠の思想の「近代性」とされてきた側面と 「封建反動的」「専制的」とされてきた側面とを、相互に媒介しあうものとして一つの思想像のなかに統合してみせている。論述に精粗があり、言及されていない諸側面があるなど、本論分にさまざまの限界や欠陥があるが、本論文の徂徠像は基本的には説得的なものであり、著者に独自なものと判断できる。こうした徂徠像を構築してみせたことが、本論文の第一の成果である。

 第二に、著者の徂徠論は、「道」「人性」などの抽象度の高い基礎概念からはじめられながらも、徂徠によるその時代の幕藩制社会の特徴についての具体的な考察の分析へと展開されている。第一章と第二章が前者にあたるのに対し、第三章では『政談』などの経世論的著作が多く取りあげられて後者の側面が主要な分析対象となっており、抽象的基礎概念から社会思想としての基本的特徴へと媒介的に捉えられているといえる。こうした分析方法からは、とかく抽象度の高い基礎概念の分析に終始したり、経世論的著作から社会史や政治史の素材を任意にとりだしたりする研究方向を抜けだして、徂徠の思想の全体像をゆたかな具体性において構成していく可能性が読みとれる。

 第三に著者は、朱子学を中心とする中国の思想史的伝統との対照のなかで徂徠をとりあげ、徂徠の思想を西欧と中国とを対照軸とする大きな比較思想史的文脈のなかにおいている。もとよりこうした比較思想史的対照は、丸山氏の著名な研究以来多くの研究者が試みてきたものではあるが、著者には中国人研究者としての中国の伝統とそれに由来する中国社会の現実についての切実な問題関心があって、著者は、日本の近代化と中国のそれとをともに批判的に対象化しうる視点を設定しようと努めている。こうした観点に立てば、徂徠学以外の思想系譜も検討されねばならないことになるが、徂徠を素材とした著者の論述にはそれなりの説得性があると思われる。

 だが、本論文にさまざまの欠陥や未熟さ・不明確さなどがある。第一に、二つの対立的な研究史があることは捉えられているが、しかしこうした対立的見解がテキストの個別の読解のなかにどのように現れているかまでは言及されていない。多くの研究者によって読み継がれてきた徂徠のテキストについて、自分の読解のオリジナリティを細部にわたって明示することは困難でもあり繁雑でもあるとはいえ、著者の読解の特徴について説明する工夫が不十分だと思われる。第二に、研究史についても、対立する研究史の概略は示されているが、本論のなかの個別の論点に即しての先行研究の検討と評価は不十分であり、どこまでを著者は先行研究に負っているのか、どこが著者のオリジナリティなのか、分かりにくいばあいがあった。第三に、中国との比較が重要な関心事となっているにもかかわらず、中国についての比較思想史的分析が手薄である。第四に、近世思想史のなかの徂徠学の位置づけも、「結び」に簡単な言及が見出だせるだけであり、近世思想史に内在した徂徠学の位置づけにまでは到達していない。また、文章表現上においても不注意な箇所が少なくなかった。

 だが、こうした問題点にもかかわらず、審査委員一同は、本論文が新しい徂徠像を提示した意欲的作品であることを評価して、王青氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適切であると判断した。

最終試験の結果の要旨

1998年3月11日

 一九九八年二月一九日、学位論文提出者王青氏の論文についての最終試験を行った。
 試験において、提出論文「荻生徂徠における「道」と「人性」「人情」」に基づき、審査委員が疑問点について逐一説明を求めたのに対して、王青氏は、いずれにも適切な説明を行った。
 よつて審査委員会は、王青氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定し、合格と判定した。

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