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博士論文審査要旨

論文題目:タイにおける開発言説――「開発の時代(1958-1973年)」を中心として――
著者:河村 雅美 (KAWAMURA, Masami)
論文審査委員:浅見靖仁、中野聡、児玉谷史朗、町村敬志

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 河村雅美氏の学位請求論文「タイにおける開発言説 ──『開発の時代(1958−1973年)』を中心として ──」は、1950年代末から70年代初頭にかけてのタイにおける「開発」をめぐる言説を多角的に分析し、典型的な開発独裁と見なされることの多いタイのサリット政権やタノーム政権下においても、軍人出身の首相が抱いていた開発イメージと開発行政の実務を担当する官僚たちが抱いていた開発イメージとの間にはいくつかの重要な違いがあり、また厳しい言論統制下にあったにもかかわらず、当時のタイの新聞や雑誌が描いた開発イメージは、軍人出身の首相の開発イメージとも官僚たちの開発イメージとも異なるものであったことを実証的に明らかにした上で、そのような差異が生じた理由について考察したものである。

1 本論文の構成

 本論文は、以下のように構成されている。

目次
凡例
第1章 先行研究と本論考における課題設定
 1-1 問題意識
 1-2 先行研究の整理
 1-3 研究方法と資史料

第2章 首相サリット・タナラットによる開発の語り ── 「開発の精神」と「秩序」の論理 ──
 2-1 サリットの開発政策
 2-2 サリットによる開発の語り
 2-3 語りの現実の乖離

第3章 官僚教育機関における開発思想 ── 開発学における開発像の分析 ──
 3-1 「開発学」という領域
 3-2 タイにおける開発学の導入
 3-3 官僚教育機関NIDA(National Institute of Development Administration)における開発学
 3-4 NIDAにおける開発思想:開発行政学を中心として

第4章 メディアにみられる開発表象 ── 首相サリットの開発像の解釈を中心として ──
 4-1 メディア分析の意義
 4-2 タイの印刷メディア事情
 4-3 メディア上に展開された開発表象
 4-4 展開された開発表象の背景

第5章 開発観の比較 ── その共通点と差異の分析 ──
 5-1 開発の到達度:歴史的課題の克服
 5-2 開発と国家観:三階層間における関係
 5-3 開発と対「外国」観:受容と抵抗
 5-4 おわりに

主要参考文献


2 本論文の概要

 第1章「先行研究と本論考における課題設定」では、従来の開発に関する実体論的研究と認識論的研究の双方を丹念に再検討した上で、従来の研究の流れに対する本論文の位置づけを明らかにしている。実体論的研究の分野においても、近年は政治経済学的なアプローチをとる研究者によって開発という概念が持つイデオロギー性に着目した議論がなされるようになっているが、そうした議論をより緻密なかたちで展開するためには、開発をめぐる言説の研究を並行して行う必要があると本論文は指摘している。ところが従来の開発の認識論的研究は、開発という概念が生成されてきた世界システム的な背景に注目するマクロ的な研究と、人類学的なフィールドワークに基づいたミクロ的な研究に二極化しており、特定の時代の特定の地域における開発をめぐる言説が、その前後の時代の言説やその国全体の政治経済構造とどのような関係をもって展開されたのかについての考察が十分になされていないとも指摘する。そして本論文は、従来の研究のこのような欠落部分を埋めるものとして位置づけられている。
 具体的には、「開発」が世界的にも重要な課題として注目され、またタイにおいても「開発」という言葉が政府によっても、一般の人々によっても盛んに用い始められた時期である1960年代とその前後に焦点をあて、軍人出身の首相サリットが抱いていた開発イメージと、開発行政の実務を担当する官僚たちの養成機関であった国家開発行政研究所(NIDA)の教官たちが抱いていた開発イメージ、そしてさらには当時の新聞の記事に描かれた開発イメージを比較することによって、従来開発独裁体制下で画一的な開発イメージが上から押しつけられていたと考えられることの多かったこの時代においても、さまざまな開発イメージが互いに影響し合いながらも、その差異を完全になくすことはなく、併存していたことを明らかにし、またそうした異なる開発イメージの併存のしかたは、当時のタイの政治経済構造やタイをとりまく国際的な環境とどのように関係していたかを明らかにすることを本論文は目指すとしている。

 第2章「首相サリット・タナラットによる開発の語り ── 「開発の精神」と「秩序」の論理 ──」では、軍人出身の首相サリットの演説や彼がラジオや新聞などを通じて繰り返し流したスローガンなどを丹念に分析し、サリットが抱いていた開発イメージの特徴として、(1)勤勉や倹約などの「開発の精神」を国民に植え付けることを重視、(2)国民が政府に依存せず、開発に主体的に関わる自立した個人となることを期待、(3)ただし国民の政治参加は認めず、政治参加は開発のための要件とは考えない、(4)開発の必要前提条件としての秩序を重視、の4点を指摘している。

 第3章「官僚教育機関における開発思想 ── 開発学における開発像の分析 ──」では、開発行政の実務を担当する官僚たちの養成機関であった国家開発行政研究所(NIDA)の設立の経緯やカリキュラム、当時の教官たちの著作や河村氏自身がタイで行った当時の教官たちへのインタビュー調査の結果などを分析し、経済学や行政学が「開発学化」していった過程を明らかにしている。従来の研究では、当時のタイの教育研究機関は、アメリカの学説をそのまま模倣したとされることが多いが、本論文は詳細な実証的分析によって、アメリカの学説の紹介に際しては、タイ人研究者たちによって取捨選択が行われ、経済学や行政学の「開発学化」もアメリカでの同様の現象の影響を大きく受けながらも、それとはやや違うかたちで進展したと指摘している。その上で、当時国家開発行政研究所の教官たちが抱いていた開発イメージの特徴として、(1)開発を単なる経済成長ではなく、制度や価値観の変化もともなうシステム全体の変化ととらえていた、(2)開発は、非合理的な伝統社会から合理的な近代社会に移行することによって実現すると考え、合理性を実現するためには、システム全体の機能分化が必要であり、また政治的には民主制への移行が必要だと考えていた、(3)タイの伝統社会は欧米の伝統社会とは異なるという意識が強く、そのため開発のあり方もタイ独自の性格をもつことになるという意識が強かった、(4)開発が欧米の文化や価値観の流入をともなうことに対する抵抗感や警戒心も感じていた、(5)官僚こそが開発の担い手だと自負していた、の5つの点を指摘している。

 第4章「メディアにみられる開発表象 ── 首相サリットの開発像の解釈を中心として ──」では、「サーン・セーリー」、「サヤーム・ニコン」、「ピム・タイ」、「サヤーム・ラット・サッパダー・ウィチャーン」といった当時のタイで広く読まれていた日刊紙や週刊誌に掲載された開発に関する記事や風刺漫画を詳細に分析し、これらの新聞や雑誌に描かれた開発イメージの特徴として、(1)サリットは国民が主体的に開発に取り組むことを期待していたが、メディア上では受動的な開発イメージが描かれることが多かった、(2)開発は橋の竣工式や道路の開通式などの行事やイベントとしてイメージされることが多く、しかもそれらの工事には民衆が強制的に動員されるものというイメージが広まっていた、(3)サリットが強調しようとした勤勉や節約の精神はメディアでは好意的に紹介されることは少なく、逆に汚職や外国からの援助によって贅沢な暮らしをしている役人たちを批判する道具として使われることもあった、(4)新聞や雑誌の記事を書く記者たちの開発イメージはサリットの演説やスローガンだけではなく、外国商品のタイ市場への急激な浸透という現象によっても大きな影響を受け、経済ナショナリズムが刺激されて外国からの援助や投資に依存して進められる開発に対する批判的な見方もされるようになっていた、の4点を指摘している。

 第5章「開発観の比較 ── その共通点と差異の分析 ──」では、サリットが抱いていた開発イメージと国家開発行政研究所の教官たちが抱いていた開発イメージ、そして新聞や雑誌などのメディア上で描かれた開発イメージを比較してその差異を指摘し、なぜそのような差異が存在したのかについて考察している。サリットの開発イメージでは、秩序の重要性と勤勉や節約が強調されるのに対し、国家開発行政研究所の教官たちの開発イメージではそうしたことよりもむしろ非合理な伝統社会から合理的な近代社会への移行という側面が強調されるが、こうした違いはサリットとその支持基盤であった陸軍と、国家開発行政研究所の教官たちをはじめとする官僚たちとの間の一定の緊張関係を反映したものでもあったと本論文は指摘する。官僚たちは、軍人たちがすべての分野の政策について発言力を強めることを快く思っておらず、開発のためには軍人出身のサリットが繰り返し強調した精神論よりもむしろ合理的な政策形成能力が重要だと主張することによって、経済学や行政学の専門知識を身に付けた自分たちの発言力を確保しようとするねらいもあったというのである。経済学についての知識をほとんど持っていなかったサリットは、国家開発行政研究所の教官たちが面と向かってサリットを批判するのでなければ、サリットが描こうとしていた開発イメージとは少し異なる開発イメージを描くことを容認せざるを得なかったのである。ところがサリットの開発イメージも国家開発行政研究所の教官たちの開発イメージも、そのまま忠実に新聞や雑誌を通じて一般の国民たちに伝えられたわけではなかったことも本論文は指摘する。これは当時は言論や出版の自由がかなり制限されていて、明確なかたちで政権批判をすることは認められていなかったものの、開発イメージの描き方についてまでは厳しい統制は行われておらず、新聞や雑誌はかなりの程度記者や読者の開発イメージを反映するようなかたちの記事を掲載できたことによる。そして記者や読者の開発イメージは、政府によるスローガンや広報宣伝だけによって形作られたのではなく、彼らが直接目にする機会のあった橋の竣工式や道路の開通式の行われ方や外国製品の急激な流入といった具体的な経済的変化によっても大きな影響を受けていたことによると指摘している。
 第5章の最終節では、開発独裁の下で、画一的な開発イメージが上から押しつけられていたと考えられることの多かった1960年代のタイにおいても、実際にはさまざまな開発イメージが併存していたのであり、1960年代以降のタイ社会についての研究においても、本論文が行ったような、開発をめぐる言説の多層的な分析が必要であろうと論じている。

3 本論文の評価

 以上に要約した河村雅美氏の論文は、次のような点で、高く評価できる。

 第一に、タイにおける開発については実体論的な研究は数多くなされているものの、開発をめぐる言説についての実証的な研究はまだ非常に少ない状況にある中で、数多くの1次資料を丹念に読み込んで、1960年代のタイにおける開発をめぐる言説をいきいきと描写したことである。国家開発行政研究所の教育内容やその背後にある当時の教官たちの開発に関する思想の分析や、1960年代のタイの新聞や雑誌に掲載された開発に関する記事の分析は、その重要性にもかかわらず、日本国内だけでなく世界的に見ても、従来ほとんど研究がなされておらず、本論文がこれらの点について本格的な研究を行ったことの意義は非常に大きい。本論文はタイ現代史研究に重要な貢献をするものである。

 第二に、サリットと国家開発行政研究所の教官たち、それに新聞や雑誌などのメディアの開発イメージをそれぞれ個々に分析するだけでなく、それらを比較して考察し、開発をめぐる言説の多層性を描き出したことである。従来の開発言説研究においても、同じ国の同じ時代に複数の言説が唱えられる状況を描いたものはいくつか存在するが、その多くは政府側の開発言説と反政府側による反開発的な言説との間の対立関係を描いたものである。これに対し、本論文では、一定の緊張関係は保ちながらも、あからさまに対立することは巧妙に避け、また親開発−反開発という二分法にはうまく当てはまらないようなかたちで、いくつかの開発イメージが併存していた状況を描き出し、なぜそのような状況が生じたのかについても考察している。本論文は開発言説研究にも重要な貢献をするものと言えよう。

 第三に、本論文では主に開発についての認識論的な考察が展開されているものの、実体論的な研究との橋渡し的な役割を果たすことが意識的に試みられていることである。こうしたアプローチは、タイの他の時代を研究する際だけでなく、タイ以外の国における開発をめぐる言説について考察する際にも、有効なものだと思われる。

 本論文は、タイ現代史研究の分野においては、サリット政権やタノーム政権についての従来の議論の再検討をせまるものであり、開発言説研究の分野においては、新たなアプローチの可能性を示すものである。実証的な分析においても、理論的な考察においても、高く評価することのできる論文である。

 しかし、本論文には次のような問題点があることも指摘しておかなければならない。

 第一に、サリット首相が演説で話した内容が、どの程度彼が抱いていた開発イメージを忠実に反映したものであるかについて必ずしも十分な検討がなされていない。演説に際しては、聴衆の歓心を買うために実際に本人が抱いている開発イメージとはやや異なる開発イメージを語る可能性もあると思われるが、そうした点についての吟味が十分に行われているとはいえない箇所がある。

 第二に、本論文では、サリットと国家開発行政研究所の教官たちが抱いていた「開発の到達像」の違いについてははっきりと指摘されているが、「開発の到達像」にいたる道筋について彼らがそれぞれ抱いていたイメージについてはあまり言及されていないため、両者の抱く開発イメージの違いが具体的な政策決定の場で、どのような意見の相違として現れたのかがやや見えにくくなってしまっている。

 第三に、1960年代の新聞や雑誌に描かれた農民たちの受動的な開発イメージについては、当時のタイでは新聞や雑誌の読者の大多数は都市部のいわゆる知識人層であったことを考慮に入れると、農民たち自身というよりも都市部の知識人層が農民たちに対して抱いていたイメージを反映したものである可能性がある。この点についてはもう少し慎重な考察を加えるべきであったように思われる。

 ただし、以上のような課題が残されているとはいえ、これらは本論文の大きな長所を打ち消すほどに重大な欠陥とは言えず、今後の研究の中で克服されるものと期待される。

4 結論

 以上の審査結果から、審査委員一同は、本論文を学位請求論文にふさわしい学術的水準をもつものとみなし、口述試験の成績をも考慮して、河村雅美氏に、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると結論する。

最終試験の結果の要旨

2005年7月13日

 2005年6月2日、学位請求論文提出者河村雅美氏の試験および学力認定を行った。
 試験において、提出論文「タイにおける開発言説 ──『開発の時代(1958−1973年)』を中心として ──」にもとづき、審査委員が疑問点につき逐一説明を求めたのに対し、河村氏は、いずれにも適切な説明を行った。
 よって、審査委員一同は河村雅美氏が学位を授与されるのに必要な学力を有することを認定した。

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