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博士論文審査要旨

論文題目:戦国大名領国の権力構造
著者:則竹 雄一 (NORITAKE, Yuuichi)
論文審査委員:渡辺 尚志、若尾 政希、池   享

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一、本論文の構成

 本論文は、代表的な戦国大名である北条氏を主要な素材として、その権力構造を、民衆や他の戦国大名との関連を重視しつつ解明したものである。その構成は、以下のとおりである。

序章 戦国大名権力研究の成果と課題
 一 戦国大名権力論の研究史 その一(六〇年代~八〇年代前半)
 二 戦国大名権力論の研究史 その二(八〇年代後半~)
 三 本書の課題と視点

第一部 戦国大名北条氏の検地―貫高制

第一章 北条氏の検地政策
 はじめに
 一 『役帳』に見る北条検地
 二 「検地書出」に見る北条検地
 三 検地の実施過程
 四 検見と検地
 五 検地帳と御前帳
 おわりに
第二章 東国における在家役と貫高制
 はじめに
 一 東国における在家支配
 二 貫高制の成立と構造
 おわりに

第二部 大名領国下の郷村と地頭支配

第一章 後北条領国下の徳政問題―永禄三年徳政令を中心に―
 はじめに
 一 後北条徳政の概観
 二 永禄三年徳政令の発布
 三 永禄三年徳政令の背景
 おわりに
第二章 戦国期における「開発」について―後北条領国を中心に―
 はじめに
 一 「開発」の特徴
 二 隠田と「開発」
 三 宿(新宿)と「開発」
 おわりに
第三章 棟札にみる後北条領国下の地頭と村落
 はじめに
 一 棟札に見られる「旦那」
 二 地頭と在地支配
 三 郷鎮守と村落
 おわりに
補 論 後北条領国下における番匠の存在形態
 はじめに
 一 棟札資料にみる番匠
 二 番匠をめぐる諸問題と大名権力
第四章 大名領国下の年貢収取と村落
 はじめに
 一 勧農の徳政
 二 年貢収取と代官・郷村
 三 地頭と郷村
 おわりに

第三部 大名領国境界領域と戦争

第一章 戦国期江戸湾の海賊と半手支配
 はじめに
 一 北条海賊山本氏の動向
 二 海賊と半手支配
 おわりに
第二章 戦国期駿豆境界地域の大名権力と民衆―天正年間を中心に―
 はじめに
 一 駿豆境界地域に関する国分協定
 二 甲相同盟崩壊から遠相同盟成立までの政治動向
 三 境界地域の民衆動向
 おわりに
第三章 戦国期「国郡境目相論」について
 はじめに
 一 軍事行動の原因=同盟の崩壊
 二 戦勝祈願・願文
 三 軍事境界領域と城館
 四 城館攻防戦と後詰決戦
 五 国分協定
 おわりに
第四章 戦国期の領国間通行と大名権力
 はじめに
 一 領国を越える伝馬
 二 領国間協定としての伝馬掟書
 三 浦伝制と船掟書


  二、本論文の概要

 序章では、戦国大名権力論に関する研究史が整理され、本論文の問題意識と課題が示される。著者は、①検地―貫高制の分析を通じて、領主の年貢・公事収奪のあり方を再検討すること、②東国における中世村落のあり方を検証し、それと戦国大名との関係を考察すること、③大名権力の特質を、大名間の関係のなかで把握すること、を本論文の課題とする。
 本論文は三部構成で、第一部で課題①、第二部で課題②、第三部で課題③の解明がそれぞれ行なわれている。
 第一部は、二つの章からなっている。
 第一章では、北条氏の検地政策が検討されている。北条氏の検地は、当主の代替わりに際して郡単位で実施される広域検地、新領土獲得にともなって行なわれる惣郷検地、および訴訟などを契機に実施される個別的・臨時的な小規模検地が、相互補完的に組み合わされているところに特徴があった。検地では新たに開発された耕地が掌握され、検地の結果郷村の貫高は増大した。増加した貫高の内には加地子得分(大名と耕作者との中間にいる者の取得分)も相当組み込まれたが、北条氏には加地子得分を積極的に否定しようという意図はなかった。検地の際には、在地の実情に精通した案内者が任命され、検地奉行が実際に土地を丈量した。検地後には、検地の結果を記した「検地書出」という文書が郷村に示され、百姓がそれを承諾することによって、年貢納入に関する大名と百姓中との契約的な関係が成立した。
 第二章では、東国における在家役と貫高制の関係が検討されている。在家は、畠(垣内・園)と家との統一体であるとともに、在家住人の多様な生産活動(農業生産のみならず非農業部門での生産活動も含む)に対して賦課される在家役=公事(畠生産物・夫役など)の負担単位でもあった。中世においては、田地を基準に賦課される年貢と、在家を基準に賦課される公事との二つの賦課体系が存在したが、北条氏は年貢をも在家役の中に統合していった。同時に、山野河海での多様な生産活動や商業活動の展開に対して、在家役の一種である棟別銭を賦課することにより、社会的分業を編成していった。そして、在家役賦課の基準としては貫高が用いられた。北条氏が採用した貫高の特徴は、それが年貢・公事を統一的に賦課する基準として機能した点にあったのである。
 第二部は、四つの章と一つの補論から構成される。
 第一章では、北条氏の領国における徳政(令)の問題が検討される。永禄三年(一五六〇)の徳政令は、北条氏三代の氏康から四代氏政への代替わりの年に発令された。そして、発布の前提には、北条領国全域にわたる、北条氏に徳政を求める百姓たちの闘争があった。また、徳政令発布の背景には、年貢納入における精銭納要求・年貢未進分の借銭借米化・御蔵銭貸借など、貨幣流通・金融関係に関わる諸問題が存在した。永禄三年の徳政令には、徳政令本来の内容である債務破棄のみならず、年貢納入に関する新たな規定なども盛り込まれており、同法令は税制改革を行うものでもあった。北条氏は、税制改革を債務破棄と抱き合わせで百姓中に提示することにより、徳政を抵抗の論理から支配の論理に転換させ、農民闘争によって政策転換を迫られながらも、百姓中の上に支配の正当性を示すところの「公儀」として自らを再確立し、年貢・公事の安定的収奪を図ったのである。
 第二章は、戦国期における耕地開発の問題を扱っている。耕地開発の過程において、北
条氏が直接労働力を編成して開発を推進するということはなかった。あくまでも開発の主体は家臣・寺社ないしは百姓中であり、北条氏は開発を許可する文書を出すだけであった。ただし、北条氏は、百姓を人足として動員することにより、大河川の堤防構築=大規模治水工事を遂行して、耕地開発の条件整備を行なった。北条領国下における耕地開発は、北条氏による大規模治水工事と百姓中による開発とが結びついて進展していったのである。この時期の開発は、荒廃した田畠を再開発する場合が多いことが特徴であった。また、従来、流通拠点や商人居住地として理解されてきた「宿(しゅく)」は、開発との関係では、開発に従事する百姓たちの居住地であり、開発のための物資供給基地としての役割を果たしていた。
 第三章は、北条領国における北条氏家臣(給人・地頭)と村落の実態に迫ったものである。その際、個別給人層や村落に関する残存史料が少ないという研究上の難点を克服するために、棟札を資料として活用するという新しい試みがなされている。棟札とは、寺社などの建造物の創建や修理に際して、その事実を木製ないしは金属製の札に記して屋根裏の棟や梁に打ち付けたもので、そこには建造年月日、建造主や大工などの関係者の名前、時には建造物の由来や呪文などが記載された。棟札の分析からは、戦国期の東国において、郷村の守護神としての郷鎮守が広範に成立していたこと、郷鎮守を祀る主体としての村と百姓中が成立・成長してきたこと、給人層は郷鎮守造営に関与することで支配の正当化・安定化を図ったこと、などが明らかになった。
 第三章補論では、棟札に名前が記された番匠(大工)について検討し、番匠の分布と存在形態、北条氏の番匠編成方式とその具体的効果、などが論じられている。
 第四章では、戦国期における大名権力と給人層(地頭・代官)と村落(郷村)の関係の実態を、年貢収取の実現構造を基軸に考察している。戦国期の東国においても、郷鎮守を
中心として結集し、関係文書に「百姓中」と表現される郷村が存在していた。地頭・代官は郷請というかたちで、郷村を単位として年貢収取を実現していた。年貢高や引方の決定も、大名側の一方的な強制によるのではなく、郷村から承諾の一札を取ることが必要とされた。年貢収取の過程には、大名(地頭)―代官―郷村の重層的な利銭収取システムが存在し、蔵銭が年貢収取を補完していた。しかし、戦乱・自然災害といった個別地頭支配を越える問題状況に対しては、大名権力が撫民政策(徳政など)を実施して「当作」実現を図った。すなわち、日常的には個別地頭層が、非常事態に際しては大名権力が、それぞれ前面に出るという二重構造によって年貢収取が実現されていたのである。戦国大名権力の支配領域での専制性は、広域的な問題状況に対するときに発揮されるものであり、領主支配の根幹をなす勧農―収取関係からみると、戦国大名権力の評価として専制性を強調するだけでは一面的過ぎるのである。
 第三部は、四つの章から構成されている。
 第一章は、大名権力が境界領域としての海をどのように支配しようとしたのかを考察したものである。具体的には、北条氏と里見氏の境界である江戸湾を中心に、そこで活躍する北条氏の水軍=海賊衆である山本氏と、沿岸地域にみられる半手に着目している。半手とは、年貢を半分ずつ、敵対する領主の双方に納めることで、郷村の平和を保つ行為である。海賊の活動は、大名権力同士の合戦への参加はもちろん、日常的な海上での船舶の掠奪や沿岸郷村の焼き討ちなどであっても、大名の承認のもとでなされたものであった。また、半手の郷村の存在は、支配の不安定性を示すものではあるが、海が境界領域であるかぎり、大名もその存在を認めざるを得ないものであった。沿岸の郷村は、海賊行為の対象とされることにより、半手の郷村となるが、半手の収納・輸送はその困難さゆえに海賊に任された。海賊は、自らの存在が半手による沿岸村落支配の不安定性・両属性を生み出さ
ざるを得ない矛盾した存在であった。
 第二章は、北条・今川・武田三家の領国の境界に位置する駿河国東部を素材として、境界相論(争論)としての大名間抗争の実態と、境界の変動が民衆の動向に与えた影響について論じている。戦国期には、郷村を捨てて欠落する百姓たちが多くみられたが、境界領域においては、大名領国外への欠落がみられた点が特徴的である。他国への欠落は、従来の領主支配からの逃走をより実効のあるものにした。しかし、大名間抗争の帰趨によっては、大名間で人返しについての合意がなされることもあり、国境を越えた欠落はしだいに規制を受けるようになっていった。
 第三章は、駿河国富士・駿東郡域を素材に、戦国の争乱の特質を集中的に示す「国郡境目相論」の実態を考察したものである。「境目相論」は、境界領域の支配権の掌握そのものをめぐって起こるというよりも、主要には同盟関係の破綻による大名間の抗争に起因する。境界紛争が大名間の抗争を生じさせたというよりも、同盟関係の破綻による大名間の対立が、抗争領域としての境目を生み出したといえる。また、「境目」とは、領国間の境界線を示すものではなく、大名間の抗争が展開する、国半分とか郡といったある程度の幅のある領域を表していた。ラインではなく、面だったのである。この領域を象徴する存在が「境目」の城館であり、城館をめぐる攻防戦が「境目相論」において重要な位置を占めた。
 第四章は、平和時の大名領国間の関係を、東国戦国大名の伝馬制度を中心とする交通政策の面から考察した。伝馬制度は、幹線道路上に存在する宿駅が、大名や家臣の必要に応じて順次に人や馬を仕立てる制度であり、戦国大名が発行した伝馬使用の許可書が伝馬手形である。この伝馬手形のなかには、伝馬使用許可の範囲が領国外にまで及ぶものがあっ
た。こうした事例は、領国間に同盟関係が締結されている場合にのみ見られた。戦国大名同士の同盟・和平は、単に国境の確定だけでなく、領国間の通行協定をも内包していたのである。 


  三、本論文の評価

 本論文は、以下のような独自の意義をもっている。
 第一に、年貢・公事の収取関係を基軸に据えて、戦国大名領国の権力構造を把握しようとしたことである。大まかに言うと、近年の研究動向は、戦国大名を収取関係とは切り離して評価しようとする点に共通の特徴があった。これに対して、年貢・公事収取方式としての貫高制について、在家役との関連も含めて詳細に再検討し、そこから戦国大名の収取システムの特質を明らかにした点が、本論文の第一の意義である。
 第二に、戦国大名と村落の関係を具体的に解明したことである。従来の戦国期村落論は、もっぱら畿内近国を対象としてきた。これに対して、著者は、東国においても自立的村落が存在したことを明らかにした。その際、著者は、戦国大名権力の固有の動向を重視し、かつ大名権力と村落との中間に位置する大名給人層にも着目している。著者は、大名・給人・村落(百姓中)三者の、それぞれ固有の志向・運動と、その相互関連とのなかに、戦国大名領国の権力・社会構造の特質を見出しており、この点は本論文の意義として高く評価できよう。また、文書資料の不足を補うために、棟札を資料として活用した点も重要である。
 第三に、大名権力の性格を、その内部構造だけでなく、大名間の関係という側面からも明らかにした点である。従来の戦国大名研究の問題点の一つは、個々の大名領国を自己完結的に分析するところにあったが、著者はこの点を批判して、戦争時・平和時の双方において大名同士の関係性を追究し、平和裡に締結される大名領国間協定は自立的地域国家間の国際法の役割を果たすとするなど、いくつかの注目すべき指摘を行なっている。このように、大名間関係に着目して戦国期の歴史像を構築しようとしたところに、本論文の第三の意義があるといえる。
 しかし、本論文には、いくつかの残された課題もまた存在する。
 第一に、分析対象がほぼ北条氏の領国に限定されているため、著者の導き出した結論が、全国的にみてどの程度の一般性をもつのかが不明な点である。それぞれの戦国大名の独自性・個性を重視しようとする著者の姿勢は理解できるが、独自性を踏まえたうえで総合化に向けて努力することが求められよう。
 第二に、近世への展望が十分に示されていないことである。近年は太閤検地についての理解も更新されつつあり、そうした状況を踏まえて、新たな観点から北条検地と太閤検地の比較を行なうことも可能であろう。同じことは、村落論についても言える。総じて、中世・近世移行期の具体相をさまざまな側面から解明することが今後の課題として残されている。
 しかし、以上の点は著者も十分自覚するところであり、しかも本論文が達成した成果からみれば必ずしも大きな問題点とはいえない。
 よって、審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2006年3月8日

 2006年2月9日、学位請求論文提出者則竹雄一氏の論文についての最終試験を行った。本試験においては、審査委員が、提出論文「戦国大名領国の権力構造」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、則竹雄一氏はいずれも十分な説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条第3項に定める外国語および専攻学術に関する学力認定においても、則竹雄一氏は十分な学力をもつことを証明した。
 よって、審査委員一同は、則竹雄一氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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