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博士論文審査要旨

論文題目:高年齢者雇用と人的資源管理システム―同一企業内における雇用継続、移動による雇用継続―
著者:高木 朋代 (TAKAGI, Tomoyo)
論文審査委員:林 大樹、一條和生、守島基博

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1.本論文の構成
 本論文の構成は以下のとおりである。

序 章 高齢社会と企業―人的資源としての高年齢者雇用―
1.関心領域
2.新しい高年齢者観:プロダクティブ・エイジングへの着目        
3.企業における高年齢者雇用の意味:人的資源管理からの接近      
4.研究の方法                            
5.本論文の構成                           
【 第Ⅰ部 高年齢者雇用・就業問題の再解釈 】
第1章 高年齢者雇用の現況
―高年齢者の高い就業意欲と企業の困窮―              
1.高年齢者の就業意欲 
2.高年齢者雇用の現状
3.高年齢者雇用政策の歴史的展開と課題:法的枠組みの変遷
第2章 既存議論の再検討、本論文の分析枠組み
―人的資源管理の視点による問題設定―              
1.高年齢者雇用に関するこれまでの議論
2.隣接諸領域における関連理論の研究
3.本論文の分析視角と議論の枠組み
【 第Ⅱ部 同一企業内における雇用継続の実証研究 】
第3章 雇用継続者のキャリア分析
     ―同一職能内におけるキャリアの連続性と経験の幅―        
1.はじめに
2.分析枠組み
3.雇用継続者の条件:定量分析
4.雇用継続者のキャリア:定性分析
5.雇用継続者の職務能力に関する試論
6.結 論
第4章 持続的な雇用継続を実現する人的資源管理システムの条件と仕組み
     ―雇用される能力の育成と、選抜および契約転換の合意メカニズム― 
1.はじめに
2.事例企業の概要と調査方法
3.A社の事例分析
4.雇用継続制度が機能する仕組み
5.結 論
第5章 個別的・成果主義的人事管理の進展と高年齢者雇用
     ―自己選別圧力による負の影響プロセス―             
1.はじめに
2.人事管理の個別化・成果主義化は本当に高年齢者雇用を促進しているのか
3.定量分析:個別的人事管理の進展が高年齢者雇用に与える影響
4.個別的人事管理の進展と高年齢者雇用に関する質的考察:裏のメカニズムの検討   
5.結 論
【 第Ⅲ部 移動による雇用継続の実証研究 】
第6章 他社への移動による雇用継続者のキャリア分析
     ―長期の同一職能内経験と移動行動特性―            
1.はじめに
2.分析枠組み
3.移動による雇用継続者の条件:定量分析
4.移動による雇用継続者のキャリア:定性分析
5.移動者の2つのタイプ:移動行動のパターン
6.結 論
第7章 移動による雇用継続を実現する人的資源管理システムの条件と仕組み
―能力のマッチング、自発的移動と適合・移籍の合意メカニズム―
1.はじめに
2.事例企業の概要と調査方法
3.送り出し企業の分析
4.受け入れ企業の分析
5.結 論
結 章 日本の人的資源管理システムと高年齢者雇用問題の展開
1.本論文の要約
2.雇用される人の能力とキャリア
3.合意形成のマネジメント
4.残された課題
【 付 論 】
付論A 情報通信技術(IT)の進展が高年齢者雇用に与える影響
1.分析の視点
2.IT化に伴う個別人事の進展が高年齢者雇用に与える影響
3.IT化に伴う仕事や職場の変化が高年齢者雇用に与える影響
4.IT化、個別人事の進展と高年齢者雇用に関する質的解釈
5.まとめ
付論B 成長産業における高年齢者雇用創出の可能性
―介護・医療産業の事例―
1.調査の目的と方法
2.X社の事例
3.Y社の事例
4.考察:介護・医療産業における高年齢者雇用の可能性
付論C 個別的人事管理の進展と従業員の反応
―評価・処遇への納得性と職務意識に与える影響―
1.はじめに
2.個別人事の進展と、人事上の補完施策、そして組織公正性
3.本研究の目的
4.個別人事の進展と従業員の反応:実証分析
5.まとめ
【 補 遺 】
補遺A 聞き取り調査のプロセスとご協力いただいた方々
補遺B 事例企業の人事情報の収集と、統計的データを作成するまでのプロセス
補遺C 「第5章」「付論A,C」利用データの質問票調査設計および回収データの性格
補遺D 「IT化がホワイトカラー労働者の仕事と職場に与える影響」調査票
補遺E 「第5章利用データ」(「高年齢従業員の継続雇用に関する企業調査」データ:SSJデータ・アーカイブ提供)の基本的性格
参考文献                                
参考資料                                
初出一覧                                
あとがき

2.本論文の概要
 本論文は高齢社会におけるプロダクティブ・エイジング(生産活動に参加しながらの加齢)に着目し、高年齢者雇用の拡大に向けて、これからの企業の人的資源管理に求められる新たな視点を探求した詳細な実証研究の成果である。
 本論文の目的は、高年齢期において就業を実現している高年齢者の人的資源としての要件およびキャリア特性と、持続的な高年齢者雇用を実現している企業の人的資源管理のあり方を探究することにあり、究極的には生涯現役社会の実現に向けて求められる視点を提供することを目指し、調査研究を行ったものである。以下、各章の概要を示すことにする。
 第1章では、現在の日本においてどの程度の規模で、またどのようなかたちで高年齢者雇用が行われているのか、さらに雇用政策の法的枠組みの状況について確認している。
 第2章では、本論文の分析視点を明確にするために、先行する高年齢者雇用研究における論点を整理し、本論文の議論枠組みを提供する主要な理論について概観している。
 第3章では、厳しい雇用環境の中で、企業側から選定され定年後の雇用継続を実現した人が、どのような特徴をもつ人材であるのか、そのキャリア特性を分析している。分析にあたっては、高木氏が実証研究の主要な対象とした高齢者雇用の先駆企業である製造業大企業2社(A社とB社)から収集した各種データが活用されている。分析に用いられた定量データは、A社本社で定年を迎えた80名の人事情報と、A社およびB社の管理・事務職系定年者57名の人事情報である。また定性分析には、A社人事担当者と雇用継続者および雇用非継続者の23名と、A社およびB社の人事担当者と管理・事務職系高年齢者19名への聞き取り調査から得られたデータが用いられている。
 第4章では、先駆企業の事例を詳細に観察し、60歳代前半層の雇用に向けて企業が雇用継続制度を導入する場合に求められる人事管理システムの条件と仕組みについて探索している。分析は前章同様に、A社の人事担当者および雇用非継続者を含む定年到達者23名への聞き取り調査結果を基礎資料としている。またこれと合わせて、社内意識調査原票、社史、有価証券報告書、アニュアルレポート、社内報などの二次資料が用いられている。
 なお、本第4章は雑誌投稿論文「高年齢者雇用と人事管理システム:雇用される能力と選抜および契約転換の合意メカニズム」(『日本労働研究雑誌』第512号、2003年)に一部加筆修正を施したものである。同論文によって高木氏は労働政策研究・研修機構が実施する第4回労働関係優秀論文賞を受賞している。
 第5章では、第3章、第4章での分析から導き出された「長期的視点に立った人事管理システムが高年齢者雇用の拡大に重要な役割を持つ」という視点が人事管理の個別化・成果主義化という近年の人事管理の流れとどのように関連付けられるのかを論じている。分析方法としては、定量分析と定性分析を行っており、定量データのひとつは、日本労働研究機構(現 労働政策研究・研修機構)が2002年2月から3月に実施した「IT化がホワイトカラー労働者の仕事や職場に与える影響調査」(1225票)から、もうひとつのデータ・セットは、財団法人 高年齢者雇用開発協会(現 高齢・障害者雇用支援機構)が1998年1月から2月に実施した「高年齢従業員の継続雇用に関する企業調査」(18542票)を利用している。定性分析は、A社およびB社の人事担当者、雇用継続者、引退者の32名と、この調査より日をおいて実施したA社の人事担当者と、A社からの転職者25名への聞き取り調査に基づいている。
 高齢者の人事管理に関する先行研究はいずれも、高年齢者雇用制度の整備状況を高年齢者雇用の代理変数として分析を行い、人事管理の個別化・成果主義化と高年齢者雇用制度の整備状況との間に正の相関関係が見出されることを根拠として、個別的・成果主義的人事管理の進展によって、高年齢者雇用が着実に促進されていると結論している。これに対し、高木氏は「実際の雇用状況」を被説明変数として分析を行い、「人事管理の個別化・成果主義化が、高年齢者雇用の拡大に結びつくという、先行研究が想定するような『表のメカニズム』とは別に、実際の雇用により強い影響を及ぼしている『裏のメカニズム』が存在しているのではないか」という仮説を提示し、分析を行っている。
 第6章では、同一企業における雇用継続ではなく、他社への移動(転職)によって60歳以降の雇用継続を実現した人が、どのような特徴をもつ人材であるのか、そのキャリア特性を考察している。分析方法としては、人事情報から収集した統計的データと、聞き取り調査に基づき、定量・定性の両面から論証を行っている。定量データは他社への転職を実現した人々と、実現できなかった人々、およびA社から系列外の他社に出向し、出向先で定年を迎え雇用継続を実現した人々と、実現できなかった人々の計90名の人事データである。また転職者本人と転職前の職場の元上司、転職先の現上司、転職先企業の人事担当者、A社人事担当者の計25名への多面的な聞き取り調査を行い、収集したデータを活用している。
 第7章では、他社への移動(転職)を通じて雇用継続を実現している企業が、どのようにして移動(転職)のプロセスをマネジメントしているのか、その人事管理システムの条件と仕組みを考察している。ここで扱う事例企業はA社と、A社からの転職者を受け入れた企業7社である。
 次に本論文の結論を紹介する。本論文の主要な結論は次の3点にまとめることができる。
(1)60歳以降も雇用される人の能力とキャリアについて考察すると、同一企業における雇用継続の場合も、他社への移動(転職)による雇用継続の場合にも、共通してそのキャリアには、「キャリアの連続性(つながり)」「飛躍のきっかけ(出会い)」「起伏のあるキャリア(能力のオーバーエクステンション)」という特徴が見られた。60歳以降も雇用される人は概して同一職能内で多くの移動を経験し、特定職能における知識と技能を深耕している。またキャリア形成の過程で職業人生の転機に結びつくような「人」や「職務」と出会っている。しかしそれとともに、一見キャリアの連続性維持に衝撃を与えるような困難を伴う異動や仕事を経験している場合が多い。
(2)定年退職を「賃金総和=貢献度総和」とする労働経済学者ラジアーの理論によれば、賃金カーブの勾配を緩める、もしくは従業員の貢献度(労働限界生産性)を引き上げる、といういずれかによって、60歳を超えた雇用延長が可能になる。本研究の結果は、労働限界生産性引き上げのための能力育成が高年齢者雇用に最も有効な人事施策であることを示唆した。同一企業内あるいは他社への移動による雇用継続の仕組みは、従来の人事管理システムをベースとする制度や雇用慣行と複雑な連関関係をもちつつ構築されており、たとえば賃金制度の急激な変更はこの仕組みに深刻な影響を及ぼす可能性が大きく、個別的・成果主義的な賃金制度への移行は、高年齢者雇用に負の影響を持つことも明らかにされた。
(3)高年齢者の円滑な雇用継続の実現のためには、働く側の心理に配慮した施策が重要である。コンフリクトの顕在化を回避し、自ら気づかせるプロセスをつくる必要がある。同一企業内での雇用継続では「自己選別」によって、他社への移動(転職)による雇用継続では非自発から自発への「すりかえ合意」によって、選抜に伴う摩擦軽減のマネジメントが行われていた。これらの背後にある「なんとなく知らせる仕組み」もまた、長期安定的な雇用関係を土台とする長期の人事施策の中にあったといえる。その意味で「自己選別」と「すりかえ合意」による了解のプロセスは、満足ではなく「納得点」を根気強く探す、あるいはつくる、人事管理活動であると評価される。

3.本論文の成果と問題点
 本論文の成果の第一点は、高年齢期においても企業が雇用継続を希望する人材の要件を、人事データの詳細な分析と綿密な聞き取り調査によって実証したことである。本論文は60歳以降も雇用される人の能力とキャリアについて、同一企業における雇用継続の場合も、あるいは他社への移動(転職)による雇用継続の場合であっても、雇用継続者のキャリアには共通した特徴が見られることを明らかにしている。第一の特徴「キャリアの連続性(つながり)」とは、キャリア形成過程において概して同一職能内で多数回の異動を経験し、特定職能における知識と技能を深耕していることであり、第二の特徴「飛躍のきっかけ(出会い)」とは、キャリア形成の過程で職業人生の転機に結びつくような「人」や「職務」との出会いがあったことである。また、一貫性のあるキャリア形成という観点からは一見逆説的であるが、第三の特徴「起伏のあるキャリア(能力のオーバーエクステンション)」とは、キャリアの連続性維持に衝撃を与えるような(たとえば退職を考えるくらいの)大きな困難を伴う異動や仕事を経験していることである。以上の知見は、実務家による指摘としては必ずしも目新しいものではない。しかし、そうした指摘は断片的で印象論的なものがほとんどであり、データにもとづき、可能な限り多角的な分析を通して結論を導き出した本研究は、実証のレベルにおいて、既存研究の水準を大きく超えるものであると評価することができる。
 本論文の成果の第二点は、高齢者雇用を実現する企業の人的資源管理のメカニズムについて、ミクロ・レベルでのきわめて丁寧な観察を行い、「自己選別」、「すりかえ合意」あるいは「なんとなく知らせる仕組み」といったオリジナルなキーワードを創案して、ミクロ・レベルでの人的資源管理論の内容豊富化に貢献した点である。ちなみに、上記の考察を展開した本論文第4章は高木氏が2003年に発表した論文「高年齢者雇用と人事管理システム:雇用される能力と選抜および契約転換の合意メカニズム」(『日本労働研究雑誌』第512号、2003年)を一部加筆修正したものであるが、同論文は独立行政法人労働政策研究・研修機構が実施する第4回労働関係優秀論文賞を受賞しており、高木氏の研究は学界でも高い評価を受けている。
 次に、本論文の問題点として以下の点があげられる。
 第一の問題点は、人材のキャリア分析の綿密さに比べ、企業の労働需要のメカニズムに関する分析が不十分であることである。本論文は、結果的に企業が選抜して残した(雇用継続した)高齢者人材の要件については、現状ではこれ以上は不可能と思えるほどの精緻な観察を行っているが、なぜ企業がそれらの高齢者人材を必要としたのかについては十分な説明がなされていない。おそらく、企業の経営戦略・人的資源戦略に規定される労働(人的資源)需要の内容を総合的に明らかにすることが必要だと考えられるが、その点の考察は必ずしも十分ではない。企業がどのような条件の下でも、ここに描かれたタイプの労働者に対してだけ需要をもつと考えるのは、あまりにも単純である。それゆえ、経営環境の激変に対応して企業が人的資源の需要構造を変容させつつある現在および将来においても、高木氏が支持する「長期安定的な雇用関係を土台とする長期の人事施策」と「労働限界生産性引き上げのための能力育成が高年齢者雇用に最も有効な人事施策である」ことの論拠が説得的に示せていないのではないかと思われる。
 第二の問題点は、企業が負担する労働コストについての考察が十分とは言えず、高木氏の指摘する長期的な人事施策が企業の業績にどれだけ貢献するのかが明確でないことである。高木氏は、企業にとって採算が取れる高齢者雇用の実現がプロダクティブ・エイジング(生産活動に参加しながらの加齢)の観点から必要であると考え、そうした高齢者雇用を実現している企業と高齢者の実態を観察している。しかし、扱った人事データが高齢者に限られていたこともあり、高齢者人材の労働コストを他の年齢層の人材の労働コストと比較しての考察は明示的でない。また、労働コストと労働の貢献度に関する理論的考察を、定年退職のメカニズムを「賃金総和=貢献度総和」として説明した労働経済学者ラジアーの理論に大きく依拠したこともあり、高齢者に限った雇用継続のメカニズムについては理論的な説明ができても、なぜ高齢者以外のより労働コストの安い人材を選好しないのか、さらにどういう条件で選択が反転するのかなどが明確になっていない。端的に言えば、単純に、高年齢従業員の生産性をたかめることだけで高齢者雇用が増大すると想定するのは単純で、異なる雇用形態、労働条件の人材を組み合わせて活用する「人材ポートフォリオ」として考えないと、高齢者雇用をきちんと理解することは難しいのではないだろうか。
 上記をまとめると、本論文は、企業が、現時点で継続雇用に値すると判断した労働者のプロフィールとその人的資源管理のあり方については理解を進めたものの、同時に、迫り来る高齢化社会での高齢者雇用のあり方について、総合的な考え方を提示したとは言い難い。筆者が描写したようなキャリアプロフィールをもった労働者がこれからも企業にとって価値の高い労働者であるかどうか、雇用形態の多様化の進む労働市場のなかで、企業が他の雇用形態と比較して、高齢者の継続雇用を選択する条件などが明確になっていないからである。筆者が高齢者雇用の分野での数少ない、実証的で丁寧な研究を続けていることを考えると、こうした課題は将来の研究のなかで、調査サンプル選択におけるvalidityに関する分析を強化することも含め、取り扱われることが期待される。
 以上のような本論文の問題点が指摘されるものの、それによって本論文が持続的な高齢者雇用を実現した企業の人的資源管理研究の先駆的業績であり、わが国のキャリア研究と人的資源管理論に新たな知見を追加したことの価値が損なわれるわけではない。本論文の学術的成果と学界への貢献はきわめて大きいと考える。
 よって審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく寄与するものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。
                                  
                                  

最終試験の結果の要旨

2005年12月14日

2005年11月28日、学位請求論文提出者の高木朋代氏についての最終試験をおこなった。
 本試験においては、審査委員が提出論文『高年齢者雇用と人的資源管理システム――同一企業内における雇用継続、移動による雇用継続――』について、逐一疑問点に関して説明を求めたのにたいし、高木朋代氏はいずれも十分な説明を与えた。
 よって審査委員一同は、高木朋代氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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