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博士論文審査要旨

論文題目:初期ヘーゲル論考
著者:松村 健吾 (MATSUMURA, Kengo)
論文審査委員:嶋崎 隆、岩佐 茂、平子友長

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1.本論文の構成
 若きヘーゲルのまとまった著作に、ノール編集の『ヘーゲル初期神学論集』に含まれる「キリスト教の精神とその運命」(フランクフルト期)が存在するが、本論文の対象は、この著作以前の、おもにベルン期のヘーゲルのメモ、レポート、草稿、往復書簡などである。この意味で本論文は、日本内外のヘーゲル研究を紹介・検討しつつ、ヘーゲルのギムナジウム期や神学校期の作品を含め、むしろヘーゲル最初期の研究を全面的におこなったといえよう。また近年、アカデミー版のヘーゲル全集(『新全集1』)(Text 1-39までを収める)によって、当該箇所があらたに編集しなおされたが、本論文は、この全集版に依拠した、日本内外における最初の包括的かつ本格的な著作である。
 本論文の構成は以下のとおりである。

はじめに
序章 ヘーゲルにおける Volksreligionの誕生
 1 Volksreligion という言葉
 2 ヘーゲルにおけるVolksreligion の最初の出現箇所
 3 ヘーゲルの少年時代の日記と抜粋における民衆と啓蒙
 4 チュービンゲン時代
第一章 「民族宗教」概念の成立
 1 最初期宗教論準備草稿
 2 『民族宗教とキリスト教(上)』
第二章 「民族宗教」の行方
 1 キリスト教批判の本格化
 2 ベルン時代の民族宗教論
 3 Volksreligion の消滅
第三章 神性としての実践理性
 1 1794-95年前半までのヘーゲル、シェリング、ヘルダーリンの手紙
 2 哲学との出会い
 3 理性の純化(10番目の手紙)
 4 ヘーゲルの信仰告白 『イエスの生涯』
第四章 道徳性と実定性
 1 『キリスト教の実定性』の準備草稿
 2 1795年後半の手紙(11番-15番の手紙)
 3 『キリスト教の実定性 基本稿』
 4 補論 最初期ヘーゲルの国家像
第五章 歴史と精神
 1 実践理性の要請論批判 『キリスト教の実定性 続稿』
 2 絶対自由の哲学(シェリングの16番の手紙と『哲学書簡』)
 3 自由な国家の消滅とイデーの変容
 4 アルプス旅行記
 5 パンとぶどう酒=エレウシスの秘儀(二つの精神の交流)
終章 初期ヘーゲルの概念の展開

2.本論文の概要
 序章「ヘーゲルにおける Volksreligionの誕生」では、ノールによって題された「民族宗教( Volksreligion)とキリスト教」を中心素材に、 Volksreligionという言語表現について幅広い考察を加えて、問題提起がおこなわれる。この表現自体は実は見慣れないものであり、通常の独和辞典などでも見当たらないが、VolkとReligionは見慣れたことばであるために、 Volksreligionということばの成立過程が従来まともに扱われてこなかったことを著者は指摘する。当時ルソーが用いていた religion nationale やヒュームの用いた popular religion, national religionがメンデルスゾーンらドイツ啓蒙思想界の一部で Volksreligionと訳され、そこでヘーゲルの眼にするところとなった。当時はむしろ、類似のことばでは Volksglaubeが用いられ、 Volksreligionそれ自体は新しいことばであった。ヘーゲルはチュービンゲン時代のある時期から、それに特別の意義をこめて、キーワードとして使用し始めた。以上が、序章が明らかにした Volksreligionのことばの由来である。
 さらに著者は、以下序章で綿密にテキストへの考察を加える。著者はテキストの「大意」をまず取り、続けて考察を加えるが、こうした手法は、かならずしもまとまってはいない草稿にたいし有効である。ヘーゲルが最初に Volksreligion(以下、「民族宗教」と訳す)ということばを使ったのは、ギムナジウム時代(17才のとき)の「ギリシャ人とローマ人の宗教について」と題された作文である。著者は内容上、この作文をヒューム『宗教の自然史』を援用したものと推定する。ヒュームはそこで、無知な民衆が迷信的な宗教の源泉となっていると述べるが、ヘーゲルも民衆(ペーベル)のありように強い注目をしている。ヘーゲルはそこで、啓蒙の方向を二つに区別する。それは学者への啓蒙と民衆・一般大衆への啓蒙とであった。このさいヘーゲルは、宗教を通じての民衆の啓蒙を重視したが、ここに、若きヘーゲルの問題関心があったとされる。
チュービンゲン時代に残されている文書資料のなかで、多くのヘーゲル研究者は、ヘーゲルの四つの「説教」にほとんど注目してこなかったが、著者はそこに見られる、とくに保守的な宗教理解(神への絶対的信頼を説き、イエスを神の子と崇める)に注目するが、そこから進んで、友愛と自由を強調するフランス革命の影響がヘーゲルに出始めるという。さらに著者は、学生時代の、ヘーゲルに贈られた記念帳(1791-93年)にも考察を加え、1792年から 93 年にかけてヘーゲルを含め友人たちに革命への強い共感が見られるという。そのさい著者は、ボンデリ、アンゲリスらの最近のヘーゲル研究を継承し、またヘンリッヒに反対して、若きヘーゲルに大きい影響を与えたのはとくにルソーであったと述べる。こうして当時の若きヘーゲルの基本性格は、宗教への強い愛着と宗教による民衆への働きかけの姿勢、民族(国民)文化形成への強い要求、ルソーへの傾倒と心情的革命性であった。さらに著者は学生時代当時の友人ロイトヴァインの手紙(彼が69才のとき執筆)の発見の問題を考察する。伝説化した「自由の樹」の由来がこのロイトヴァインにあるが、その内容が実は根拠薄弱なことに言及しながら、著者は「彼〔ヘーゲル〕の英雄はジャン・ジャック・ルソーであった」と手紙に述べられていることを重視する。以後の展開で著者は、熱烈なルソー主義者、またロベスピエールへの追随者としての若きヘーゲル像をくり広げる。
 第一章「『民族宗教』概念の成立」では、まず『民族宗教とキリスト教』(Text16-26)という草稿群を書く前に、メモ風のその準備草稿(Text12-15)を考察する。この執筆時期を著者は1792年の秋から 93 年の初めごろと推定し、そこにフランス革命の影響を指摘する。この時期ヘーゲルは、メンデルスゾーンの著作で Volksreligionという表現に出会ったが、まだヘーゲル固有の概念にはなっていない。『民族宗教とキリスト教』のなかで、途中で大きく字体が変化するという理由で、Text16はチュービンゲン時代に、Text17以後はベルン時代にそれぞれ書かれたという編者の推定に著者は同意し、Text16を『民族宗教とキリスト教(上)』、Text17以後を『民族宗教とキリスト教(下)』と命名して、区別する。本章は前者を考察する。
 当該テキストを「大意」というかたちで丁寧にまとめつつ、さらに幅広い視点から分析・解釈する著者によれば、ヘーゲルの民族宗教とは、民衆に自己の尊厳を自覚させる解放の宗教であり、民族の祝祭として歌謡、踊り、神話的側面を含んだ「バッカス風の陶酔」である。ここで、古代ギリシャの民族神崇拝がひとつのモデルとなる。そのさいヘーゲルは、冷たい悟性が支配する、神学的な「客観的宗教」と、民衆の心情と想像力を育む「主観的宗教」とを区別するが、後者こそ彼の提唱する民族宗教である。とくにそれは、ルソーのいう「市民宗教」「民族宗教」の構想、隣国フランスの国民祭典・国家宗教の創設の試みに酷似する。実際、革命期のフランスで、多様に国家宗教のありようについて議論されたが、その傾向はヘーゲルのそれと類似する。だが、こうした革命的な宗教観の反面、著者は、ヘーゲルに見られる保守的側面(客観的真理よりも素朴な民衆の心情や感性を重視し、イエスを神の子として崇める)を指摘する。
 第二章「『民族宗教』の行方」では、『民族宗教とキリスト教(下)』(ベルン期)がまた、丁寧に読み解かれる。Text17では、ソクラテス、ルソーに由来する自由な共和主義と融合したヒューマニズムが色濃く語られ、ヘーゲルの民族宗教論が展開される。ヘーゲルによると、キリスト教は現世を軽蔑する私的宗教であり、社会性を欠如するので、問題をはらむ。だが依然として、ヘーゲルにイエスへの絶対的信頼、イエスの崇拝、信仰が残存することに、著者は注意する。明るく好ましいギリシャ精神と対比して、ヘーゲルはキリスト教を暗いイメージをもつものとして描く。ヘーゲルはキリスト教のなかのどの側面が彼の民族宗教のなかに採用可能か不可能かを分析する作業を進めるが、そのなかで、 Text25での使用例を最後に、以後、「民族宗教」という表現は消失する。著者はここで大きなショックがヘーゲルの精神を襲ったと推測する。というのも、それ以後も「民族宗教」の構想自体は、従属的契機として残存するからである。概念発展史的研究方法が欠如していたために、この単純な事実に従来の大部分の研究者が気がつかなかった、と著者は批判する。
 著者によれば、この事実を最初に指摘したのは、日本の生方卓であり、生方によれば、時代のカリスマであり「現代のメシア」と呼ばれたロベスピエールが処刑されたという事件(1794年7 月)が、この消失の事実に関係したというのである。著者はこの指摘を継承し、「消滅」のみでなく、民族宗教構想の生成・発展・消滅の全体過程を考察し、さらにそのなかでヘーゲルとロベスピエールとの関係をより具体的に描こうとする。著者によれば、ロベスピエールは熱烈なルソー主義者であり、当時登場しはじめた無神論に対抗し、1794年 6月に「最高存在の祭典」という国家宗教を樹立し、有徳な国民を形成しようとした。まさにヘーゲルの民族宗教もそれと同質のものであった。いうまでもなく、ヘーゲルは実践的なロベスピエール主義者ではないが、革命の進展状況を熱心に注視し、革命情報誌『ミネルヴァ』などによってその情報を集めていた。著者の推定によれば、このロベスピエールの挫折が、ヘーゲルに民族宗教の用語を断念させたのであり、同時にこの用語がそれ以後消失するのである。1794年12月のシェリングあての手紙は、「ロベスピエール一派」への訣別の表明であった。そして当時、たしかにVolksreligion ということばを使用しにくいという雰囲気も醸成されてきた。
 第三章「神性としての実践理性」では、第二の大きな草稿『イエスの生涯』を中心に分析がなされる。また、この章と次章では、ヘーゲル、シェリング、ヘルダーリンのあいだの23通の往復書簡が丁寧に分析されるが、そこで注目されるべきは、ヘーゲルに先行して、「宗教」よりも「哲学」へとスタンスを移行していた若きシェリングの手紙であった。そこには、「…ともかく人格神という正統派の神概念はわれわれには存在しない。ぼくはこの間、スピノザ主義者になった」(1795年2 月)というような表現が見られる。そこで大きなショックを受けたヘーゲルは、自分の素朴な信仰観を洗いなおし、理性の眼で神の子イエスと対峙するようになる。それが草稿『イエスの生涯』であった。これは、ヘーゲルのあらたなる信仰告白ともいえる。
 とくにシェリングからの刺激を受けて、ヘーゲルは初めて自覚的に「哲学」へと接近し、カントらを念頭に置いた「実践理性の断片」(Text28)において、神性とは、普遍的な実践理性を自覚的に行使することであるという結論に達する。この理性はまさにわれわれ人間の内部に発見されるものである。ここでヘーゲルは、明確に実践理性の立場に立つ。この草稿では、福音書(マタイ伝、ルカ伝、ヨハネ伝など)に依拠して、イエスの生涯が詳細に描かれる。ヘーゲルの理性が認めない不合理なこと、奇跡信仰などはことごとく切り捨てられ、イエスはまるでカント主義者であったかのように叙述される。ヘーゲルはイエスの復活の奇跡など当然描かない。ここにヘーゲルのキリスト教批判が見られる。ヘーゲルは神の子イエスというイメージからほとんど解放される。ちなみに従来の研究で、若きヘーゲルのカント主義的側面が強調されてきたが、だが著者の注意によれば、まだヘーゲルはカント哲学の深層には達していない。いずれにせよ、「実践理性」は、さきの「民族宗教」につぐ第二の重要概念となった。この草稿の思想的内実は、著者によれば、依然としてルソー主義であり、さらにロベスピエールと同質の、自己犠牲を説き、全体に奉仕する「徳の騎士」のイメージである。ところでこの草稿は、キリスト教や国家を支配する「宗派」「党派」の狂信的活動を問題の根本原因と認識するにいたる。美しい理念を掲げたフランス革命がなぜ挫折したのかの原因は、狭隘で狂気に満ちた「党派精神」であった。ヘーゲルはそれを、キリスト教批判と重ねて取り出すのである。著者によれば、ここでヘーゲルは、シェリングの手紙およびロベスピエール失脚事件のショックからようやく立ち直るのである。
 第四章「道徳性と実定性」では、この時期の第三の草稿『キリスト教の実定性』のなかの「基本稿」(Text32)(1795年夏ごろと推定)の分析がなされる。著者はあいかわらずテキストについて「大意」をとりつつ、丁寧に考察する。それに先立ち、著者は「キリスト教の実定性」の二つの準備草稿(Text29,30 )およびシェリング、ヘルダーリンとの往復書簡を考察する。この『キリスト教の実定性』において、若きヘーゲルの第三の概念「実定性 Positivität」が登場する。「実定性」は人間の内面性を重視する「道徳性」と対立する概念である。この実定性概念は1795年の夏ごろに成立したと見る著者は、初期ヘーゲルに漠然とこの概念が存在したという偏見を批判する。「実定的宗教」とは、さきの草稿『民族宗教とキリスト教』で展開された「客観的宗教」の発展形態であり、外的権威を重視し、この道徳性に価値をおかない宗教を意味する。「道徳性」は、自立した意志と徳をもつ、ヒューマニスティックな人間性を意味する。
 同草稿の「序論」は、実定的党派と哲学的党派(道徳性を基本とするカント的立場)の争いを描き、ここでヘーゲルは第三の立場に立とうとする。ここには、ルソー『告白』『新エロイーズ』などに見られる党派の争いの議論の影響があるとされる。こうした認識によって、ヘーゲルは『イエスの生涯』の主観主義を乗り越えようとする。「本論」の第二部におけるキリスト教の教会や、教会と国家の対立に関わる現実認識の部分の考察に、ヘーゲル宗教論の独創性があるが、ここはほとんど研究がなされていない箇所である。著者はとくにその箇所を丁寧に検討する。この箇所で議論されるのは、教会組織の肥大化と非民主化の問題、ヘーゲルにとっての祖国の問題(結果としてヴュルテンベルクに限定される)、教会組織における代表制や命令的委任の問題など、かなり現実的な問題である。明らかなようにここで、従来のヘーゲルの主観主義(主体主義)が克服され、ヘーゲルの視野は広く社会的・歴史的になる。ところが、党派の発生を論じた「結論部」において、ヘーゲルは思わぬ矛盾に巻き込まれる。というのも、実は、各人が自身の立法者であり、自分が自分について主体的に自己決定するという「実践理性」の自律原則の存在こそが、キリスト教の各派の原則でもあったからである。したがってまさに、ヘーゲルも基盤とする「実践理性」が党派争いを生んだのである。ここに若きヘーゲルのあらたな挫折が見られる。以上の著者の詳細な考察は、当該分野の研究に新しい論点を提起したと見られる。こうして、「実践理性」の由来となったカントからの離脱が実はヘーゲル内部の思考経験に由来する、と結論される。
 ところでヘーゲルに関しては、最初期から国家や社会に強い関心をもっていたというイメージが流布しているが、キリスト教と専制主義の結託を非難したこの時期においても、ヘーゲルは依然として宗教による革命を求めていたのである。ヘーゲルはまだ自分の国家観を独自に展開したことがない。著者は本章の最後の「補論」で、ヘーゲルの国家観をあえてまとめて見せた。それは一方で、各人の所有を保護するロック的な国家観であり、他方で徳性の推進を目ざす道徳国家、さらにそれと結合した古代の共和制国家であった。
 第五章「歴史と精神」では、「キリスト教の実定性」の「続稿」(Text33以下、1796年以後と推定)が検討される。ヘーゲルは自我の絶対自由を説くシェリングの『哲学書簡』の影響を受けながら、実践理性の要請論を批判する。著者によれば、ここにさきに述べられたヘーゲルの思考経験の挫折が影響する。理性からより広い「精神」へというヘーゲルの進展がこの草稿で準備され、実定性はまた広く「時代精神」の結果としてとらえられる。「続稿」では、自由な国家=共和国の消滅が必然的にキリスト教の発生を呼び起こしたという歴史認識が展開され、他方、現代の国家はただ歯車装置のように人びとを圧伏させるだけであるという。こうして著者によれば、この時期のヘーゲルは、国家にたいする強い関心と期待をまだもっていないとされる。初期ヘーゲルの特異性をこのように綿密に描くところに、本論文の特質がある。
 「アルプス旅行記」も、丁寧に紹介・分析される。著者によれば、マイナース『アルプス便り』をガイドにしたこの旅行記のいたるところに、「実定性」を嫌い自由を求めるヘーゲルの姿が見られるという。さらに本論文で最後に考察されるべきは「エレウシス」である。ヘーゲルが友人ヘルダーリンに捧げた神秘主義的な詩「エレウシス」は、ヘルダーリンに届かなかったというのが通説であるが、著者は確実に彼がヘーゲルのこの詩を読んでおり、その証拠は彼の代表作「パンとぶどう酒」にあると主張される。内容的に詳細に分析すると、ヘルダーリンのこの詩の各所にヘーゲルの「エレウシス」への呼応関係が見られるという。これは推定ではあるが、まだだれも主張していない説であり、ヘーゲルとヘルダーリンの関係を考えるうえで興味深い。
 終章「初期ヘーゲルの概念の展開」は、いままでの本論文の主張をふり返り、そこでキーワードとして現れた四つの概念に即して要約・整理したものである。それらは「民族宗教」「実践理性」「実定性」「道徳性」であり、これらは相互に連関しながら、ヘーゲルの思想発展史のなかで役割を交代してきた。思想がまさに「概念の運動」であることを示している。「民族宗教」の概念は消失後も1803年の『人倫の体系』にまで理念的に残存する。「実践理性」の概念は、比較的短期間で役割を終えた。それにたいし「実定性」は長く続く概念として、1803年ころまで機能しつづける。「道徳性」は次のフランクフルト期には早くも批判されはじめ、そののちのイェーナ期の最初に「人倫」の概念に代わられる。結論として明らかになったことは、全体としてこれらの四概念は、ほとんどすべて1803年のイェーナ初期あたりで決着を見て、克服されるということである。以上の考察から見ると、本論文が展開した初期ヘーゲルとは、彼が「新しい宗教」を考案しようとした時期であり、それ以後のヘーゲルは、「新しい哲学」を構築する方向に向かうのである。

3.本論文の成果と問題点
 本論文の第一の成果は、近年出版されたアカデミー版の『新全集1』について、そこに掲載された著述をほとんど網羅的に丁寧に考察し、著者が斬新な知見を豊富に展開することによって、この時期のヘーゲル像をまったく一新したことである。ギムナジウム時代、神学校期の作品、さらに非体系的な断片草稿を始め、ヘーゲル最初期の多種多様な文献を含むこの全集の出版によって、旧文献に依拠した従来のヘーゲル研究はいわば御破算になった。本論文はこの新しい全集に依拠した、日本内外で最初の全面的かつ本格的研究として大きな意義をもつ。第二の成果は、上記第一点を内容的に支えるものであり、それは buchstabieren (一語一語丁寧に読む)という著者の文献読解の方法がもたらしたものである。著者は、まるで虫眼鏡で検分するように、当該箇所を丁寧に要約し、次にその箇所を幅広い視野から検討するという手堅い手法を取る。まさにこの恣意性を免れる文献読解法によって、たとえば、民族宗教概念の生成・発展・消滅過程のダイナミズムの考察を始めとして、『イエスの生涯』における「党派精神」の発見、さらにそこからの自己批判的発展として生ずる『キリスト教の実定性』における幅広い社会的・歴史的分析、そしてまたあらたなる挫折の経験など、ヘーゲル思想の躍動感あふれる展開過程の叙述が可能となった。また、こうした丁寧な読解は、新全集の編集にたいしていくつも異議を唱えるという成果もまた生み出している。第三の成果は、著者が丁寧な読解を加えているにもかかわらず、否むしろそうであるがゆえに、ヘーゲルの思想発展を「概念の運動」として、「民族宗教」「実践理性」「実定性」「道徳性」の四つのキーワードに即して明快に総括した点である。こうして著者のアプローチは、ミクロ的であるとともにマクロ的であり、本論文の独自のメリットをなしている。第四の成果は、著者の実に幅広い思想史的な目配せであり、この方法もまだ体系的に熟していない時期のヘーゲルにたいして、むしろふさわしい視点であろう。往復書簡を始め、ドイツはもちろん、古代ギリシャを始め、フランス、イギリスなど、有名・無名の数多くの人々のヘーゲルにたいする影響を発掘し、本論文の説得性をおおいに増大させており、きわめて興味深いものである。そのなかでもとくに、最初期ヘーゲルへのルソー、ロベスピエールおよびフランス革命の影響が執拗に描かれる。もちろんヘーゲルとフランス革命の関係などは、リッターらによって一般的には考察されてきたが、革命の直接的インパクトを受けた若きヘーゲルに即してこそ、この問題のリアルで本格的な認識が獲得されるといえよう。
 以上のようにして、本論文は最初期ヘーゲルの研究にたいして、全面的かつ画期的な見直しを提起したものであり、ヘーゲル研究にたいするその意義は大きいものである。とはいえ、本論文には問題点や不満も感じられる。その第一は、ドイツの現実を踏まえながら、ルソーやフランス革命の影響を幅広く論ずる点に関するものである。著者は本論文の随所でその状況を語るのだが、だが、もしそれほど重大視されるならば、広くドイツにおける国家や民族に関する意見の分岐の現実状況、ルソー自身の国家・社会観、さらにフランス革命の展開過程などについて、必要なかぎり、節をあらためて議論されれば、ヘーゲルへの影響関係の点で、もっとわかりやすく説得的になったと思われる。第二は、やはりこの研究がベルン期までの最初期ヘーゲルを対象とするものであるので、これ以後のフランクフルト期、イェーナ期などの若きヘーゲルの思想発展へとどのように継承されるのか、さらに本論文によって体系期のヘーゲル哲学がどのように見直されるのか、などについてもう少し展開してほしかった、ということである。とはいえ、著者は体系期のヘーゲルを「精神の哲学」と名づけて、その展望を示しており、この点は将来に期待されるところである。以上、不満を述べたが、全体としてこうした論点は、本論文の積極的意義を減ずるものではない。
 よって審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく寄与するものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2005年11月9日

2005年10月27日、学位請求論文提出者の松村健吾氏についての最終試験をおこなった。
 本試験においては、審査委員が提出論文『初期ヘーゲル論考』について、逐一疑問点に関して説明を求めたのにたいし、松村健吾氏はいずれも十分な説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条3項に定める外国語および専門学術に関する学力認定においても、松村健吾氏は十分な学力を有することを証明した。
 よって審査委員一同は、松村健吾氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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