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博士論文審査要旨

論文題目:災いの説明と災いへの対処 ― ボルネオ島カリス社会における精霊、毒薬、邪術 ―
著者:奥野 克巳 (OKUNO, Katsumi)
論文審査委員:内堀基光、長島信弘、足羽與志子

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 本論文は、学位請求者が1994年1月から1995年12月までの24ヶ月にわたって調査したインドネシア・西カリマンタン州カプアス川中流域に住むカリス人に関する民族誌的研究である。表題にあるとおり、カリス人のもとで、人びとに起きる「災い」がどのように説明され、かつそれに対してどのような対処法が用いられているかということを記述することを目的とした論文であり、その意味では包括的民族誌というよりは、限定された主題についての記述理論を含む理論的民族誌であることが目指されている。
 本論文は、以下のとおり、序章と終章および本論8章の全10章からなる。

序章
第一章 対象社会の素描
第二章 カリスの神話・歴史と精霊世界
第三章 ある病いから死の過程にみる災いの説明
第四章 災いへの事前の対処――カタベアアンについて
第五章 災いへの事後の対処――バリアン儀礼について
第六章 対処される狂気、対処されない狂気
第七章 毒薬による災いの説明、対抗薬による災いへの対処
第八章 邪術告発にみる災いの説明
終章

 序章において、著者はまず「災い」に関する説明、およびそれへの対処を指示するシステムを長島信弘にならって「災因論」と呼び、さらにこれまでの災因論研究における問題点を、浜本満の議論を援用しつつ、経験の組織化という点に十分な注意を払ってこなかったことにあると指摘し、これをガーフィンケル等の行為に関する記述理論に依拠することによって乗りこえようとする意図を明らかにしている。進んで、ボルネオ島諸社会のこれまでの民族誌を整理し、ここから(1)精霊などの超自然的な存在による災いの説明と対処、(2)他者としての人間によって仕掛けられた毒薬や邪術による災いと対処という、二つの災因論の枠組みが見られることを指摘し、カリス社会においても同様に「精霊の仕業」と「人間の仕業」と著者が訳すものが、災いの「原因」の基礎づけとして働く二類型であることを、本論に先立って提示する。

 第一章は、調査地の概況と、調査対象であるカリス人を一つの民族集団とみなす理由、インドネシア国家における周辺社会としてのカリス人社会の位置づけ、経済の現況、親族組織の特質など、後続の章のための、簡にして要をえた背景的情報を提供する。この章で注目されるのは、カリスの民族アイデンティティに関わる著者の指摘である。当該地域に関するこれまでの人類学の定説では、カリスはタマンやウンバローとともにマローという包括的カテゴリーの下位区分とされてきたが、著者はカリスは言語的にも後二者と異なり、主観的にも独自の帰属意識をもっているとして、カリスを一つの民族単位とみなすことを提唱する。このことは、同時に、マローというカテゴリーが人類学者による外的かつ人為的構成であることを示唆することでもある。

 第二章では、奥野氏がカリスの起源神話および口承史資料を収集する過程で出会ったエピソードを中心に、彼らの精霊観を浮き彫りにする。カリスの人びとは神話と太古の歴史について語ることを避ける傾向にある。著者ははじめこのことの意味を理解できないでいたが、なんとか神話(歴史)を語ってもらった後に、著者自身が見て人びとに語った夢についての彼らの解釈の仕方を観察することをとおして、この忌避は、神話について語ることは精霊について語ることであり、それは精霊が現在の人間界に介入してくることを招来することにつながるからだということを発見するにいたる。ここで人びとの下した解釈の成り立ちを分析するにあたって、奥野氏が依拠するのは、ガーフィンケルらの「科学者のディスコース」の形成過程の研究である。著者の主張するところ、カリスの人びとが神話を語る行為を精霊の要求に結びつけるのは、著者が語った夢の内容についての解釈的語りをとおしてであり、その意味で、これらの語りと説明によって精霊が何ものかを要求するという「現実」が構築されていくのである。

 第三章では、ある幼児の病いから死、さらには死後にいたるまでの期間中に、幼児の両親や親族、近隣の住民、バリアン(シャーマン)らが、病気と死の原因を推論する過程を克明に記述し、この災いが「精霊の仕業」とされるにいたる人びとの語りの意味を探ることにより、語り(物語)と儀礼行為が「精霊の仕業」という現実を構成していくという著者の主張を具体的に例証しようとする。生命の危機に陥った幼児に対して、人びとがとっさにとる行動は、病人の身体にではなく、身体の外部の存在、すなわち精霊と身体から出た霊魂に働きかけるものであった。さらにバリアンによる治療儀礼をつうじて病気は特定の精霊の仕業として名指されるのである。奥野氏は、これらの精霊に帰せられる災因が時を経るなかで変化することに注目する。病気の原因は唯一のものとして特定されず、社会的文脈の推移にともなって複数の原因のうちいずれかが語りの対象となるのである。このコンテクストによる災因の変化を、著者は、完結しない説明、終わらない物語と表現し、これこそがカリスの災因にまつわる説明を特徴づけるものとする。

 第四章は、カタベアアンと呼ばれる慣習的行為とそれをめぐる信念のあり方についての分析である。カタベアアンとは、飲食物を提供されたときに、口にしないとなってしまう危険な状態で、病気や死に見舞われたり、蛇やムカデに襲われることになると考えられている。カタベアアンについてカリスは一般にその論理のあり方を推論したりはしない。だが精霊を扱う専門家によると、カタベアアン状態では、人間に危害を加える精霊からは、人間が「動物」あるいは攻撃すべき別の「精霊」に見えるので、人間の霊魂を襲って病気や怪我にするのだという。奧野氏は、カタベアアンという共有された知識が、災いを説明するための推論形式としてあると論じている。カタベアアンにならないための事前の対処法は、飲食物に軽く触って「私を解き放っておくれ」と呟やくことを基本とするが、このような事前の処置を行うことこそがまた、災いがカタベアアンになった結果としての「精霊の仕業」であるという現実を作り上げるのだと奧野氏は説く。

 第五章では、「精霊の仕業」とされた災いにに対して行われるバリアン(シャーマン)による治療儀礼に関し、まず観察にもとづいた詳細な儀礼の記述がなされ、その一般的なプログラムが提示される。儀礼の夜の部では、バリアンが、病者の霊魂を脅かしている精霊を殺し、捕らえられていた病者の霊魂を取り戻し、それを病者の身体に再定位するという治療行為を演技的に表現する。バリアン自身が言語的に明瞭に説明することなしに、この行為は儀礼を見るもののあいだで前提的に了解されている。朝の部では、精霊と病者の霊魂との戦いの様子を、人形の戦いに託してバリアンとクライエント全員で演じる。このようにしてクライエントたちは、カリス文化における精霊・霊界観を背景にしてバリアンの行為と語りを解釈し、日常的な現実とも霊的な現実とも異なる「第三の現実」を構成するのだと奧野氏はいう。本章の最後でバリアン儀礼の効果についてのカリス人の評価について触れられている。これは興味深いトピックではあるが、やや記述が薄く、儀礼で平癒しなかった場合には、それが「合わなかった」と語られ、儀礼の有効性を否定することはないと指摘されるにとどまっている。

 第六章においては、異常な、あるいは狂気的な行動を表わすラオラオとマウノという二つの語(カテゴリー)がどのように用いられ、その様態がいかに識別されているかが考察される。そのどちらも、カリス語の病気の範疇には入らないが、災いであるとは見なされている。ラオラオとは、こどもの過剰な悪戯のようなものから、「何か」を恐れたり、他人には見えないものを見たりする状態をいい、それが「精霊の仕業」とされれば、バリアンによる儀礼を受ける。本人が事情を了解することができ、通常の生活に復帰可能とみなされる状態である。「精霊」によって、バリアンになることを望まれたゆえのラオラオと解釈された場合には、本人が承諾すればバリアンになることもある。要するに対処可能な逸脱がラオラオなのである。これに対して、マウノとは、小石を並べてそれを海外に輸出するのだと道行く人々に説き、おかしいからやめろといっても聞こうとしない男のように、対処不能と判断される状態で、暴力的な場合には監禁されることがあるという。奥野氏は、こうしたことから狂気の社会的決定論、すなわちそのカテゴリーの社会的・文化的構成を主張しているが、通常人とラオラオの人とのあいだの「現実」の共有と乖離といった観点からの分析は、個々の事例の具体性に比して、やや単調な感を否めない。

 第七章は、「人の仕業」による災いのうち、毒薬(サカン)による災いとその場合の対処薬(サンカ)を使用した治療法の記述と薬の保持者を巡って、カリスの人々の行為と推論による現実構成に焦点をあてる。毒薬の効用別の種類と特徴を述べた後、カリスの人々の毒薬についての語りがつねに人からの伝聞としてあること、そして災いの発生後に症状や社会的状況に応じて使用された毒薬を遡行的に推論することという二つの特徴をもつことを指摘する。毒薬による災いへの対処は、使用されたと推定される毒薬を用いて行うのが最も効果的と考えられている。つまり、薬は使用法によって毒にも解毒剤にもなるという。奥野氏はこの意味で対抗薬の所持者は社会的には両義的であるとする。奥野氏はフィールドでの自分と具体的な毒薬保持者との関わりについての詳述の中で、毒薬をめぐる現実が(1)毒薬所有者と推測される人の協調性を欠く行為と接する社会的な諸場面、(2)毒薬およびその所有者、その性格的特徴、そしてそれが引き起こしたと思われる病気についての語り、という二つから構成されると分析するにいたる。最後に、これの現実を作り出す重要な背景として、カリスの人びとが共有する「常識的な知識」の存在が、推論や語りを可能にすることを指摘する。

 第八章では、災いが人が行う「邪術」によるとされた事件をとりあげ、そこでの推論を可能にする、人びとが共有する常識的知識についての検討をおこなう。この作業を通じて、カリス社会の「邪術」の成立についての一つの見方を呈示しすることをもくろむ。カリス社会では通常、邪術師および関与者の社会的告発にいたることは少ないが、ことが始まると暴露に共同体の関心は集中する。第六章で扱ったラオラオになった男性が実は邪術によることが、邪術をしかけた一人の告白によって発覚し、この告白者が彼に邪術補助を強要した他の関与者を告訴するかたちでの公開の慣習法裁判が村民のまえで行われた。裁判に至るまでの過程、裁判の進行とハプニング、そして人々のその後の解釈が詳細に観察・記述される。原告、被告、証人等の語りの後、真偽を神明裁判で決定することになった。被告の一人はそれに成功したかに見えたが、最終的にラオラオの男が公衆の前で彼を非難し被告とかれの間の社会的緊張関係を暴露するパフォーマンスを行ったため、公衆は被告の有罪を確信し、被告も認めるという結果に終わる。奥野氏は、この事件から見える「常識的な知識とは、日常生活の自然な態度において、災いを社会的な緊張関係を背景として、仕掛けられた毒薬や邪術と結び付ける知識である。」と結論する。そしてカリス人は、災いを説明するという実践を通じて、常識的な知識に依拠しながら、毒薬なり邪術をめぐる現実を構築していることが、証明されたとする。

 終章では、これまで述べてきたカリスの災因論の枠組みを簡潔に整理し、論文全体の自己評価と今後の課題を簡潔に述べる。著者の自己評価によれば、本論文は、対象社会の人々が災いを説明し、それに対処する実践を通じて、どのように災いを説明するための諸観念をめぐる現実をつくりあげるかを明らかにするという戦略をとったものであり、この戦略は災因論研究に新たな見通しを与えることに寄与したという。著者の認める今後の最大の課題は、調査者と対象社会の人びととのコミュニケーションが形成する現実について記述すること、またその戦略的手法を見いだすことである。その他の課題としては、カタベアアンについて他地域との詳細な比較検討、バリアン儀礼の効果にかんする人々の認識を探ることによる西洋社会の「治療」概念の再検討、カリス地域の開発による急激な社会変化と災いの説明への影響の検討などがあげられている。


 以上の要旨から明らかになるように、本論文の最良の特徴はカリスの一村落に起きた多数の具体例を取り上げ、対象社会における災いの諸相を活写したところにあり、調査者自身が登場する場面まで含めて、人びとの社会的相互関係のなかから災いとその原因についての語りが生成する過程を生き生きと提示したところにある。こうした記述を可能にしたこと自体、奥野氏の現地調査者としての資質の高さをうかがわせるに十分なところであり、ここから独立した民族誌研究者としての氏の将来を保証するものと言うことができる。氏の調査したカリス社会はこれまでに調査報告されたことがなく、本論文で提示された資料はそれぞれにインドネシアあるいは東南アジア民族誌学に大きく寄与するものと判断する。

 本論文の理論的枠組みに関しては、氏が自負するほどの新しさが出ているとは言いがたい。ガーフィンケルをはじめとするエスノメソドロジーの方法の効用は、人類学的手法を調査者・分析者の属する文化・社会に援用することによる発見的効果にあり、その意味では、それをふたたび人類学に還流させることは、いたずらに議論を循環させてしまうおそれがある。氏の分析に反復的な議論が多く見られるのは、ひとつにはこのことによると判断される。エスノメソドロジーと両輪のごとく援用される現象学的社会学の枠組みに関しても同様のことが指摘しうる。氏の多用する「現実の構成(ないし構築)」といった用語も、たとえば「共有された知識」との関連できわめて曖昧なところを多く残しており、提示された諸事例をもってただちに氏の主張するところが首肯できるわけではない。今後この面での真にクリティカルな努力が要請される。

 ただし、こうした理論上の問題点は氏の民族誌そのものの価値を大きく低めるものではない。より古典的な(コンヴェンショナルな)分析の枠組みのなかでも十分な説得力をもって語りうる資料に対して、新たな枠組みをもって取り組もうとする姿勢自体は、今後の氏の研鑽によって魅力的に展開しうる可能性を秘めている。第一級の資料の提示と果敢な理論的取り組みが、ややバランスを欠きながらも相互に反照しあう本論文は、本学大学院博士学位論文として十分な水準に達していると審査員全員は判断する。

最終試験の結果の要旨

1998年2月11日

 提出論文の内容に関し、1998年2月3日、審査員は奥野氏に対する口述試験を行い、多岐にわたる質疑を呈した。奥野氏はこれらの質疑に対して審査員を納得させる回答を与えた。同日行われた外国語能力に関する口頭試験とあわせて、審査員一同は奥野克巳氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるにふさわしい学問的能力をもち、かつ業績をあげたと判断した。

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