博士論文一覧

博士論文審査要旨

論文題目:戦後日本の金融政策の政策科学的研究 ―高度成長期以降の日本銀行金融政策の歴史的考察―
著者:伊藤 武 (ITO, Takeru)
論文審査委員:依光正哲、渡辺 治、倉田良樹、高田一夫

→論文要旨へ

【本論文の構成】
 本論文は、戦後の金融政策を政策科学の視点を導入して検討した野心的力作である。1950年代央から1980年代央に至る期間において「通貨および金融の調節」を実施してきた金融政策は大きく変貌するのであるが、本研究はこの期間を3つの時期に区分し、それぞれの時期における金融政策に関して、「政策理念―政策目標―政策決定―政策遂行―政策結果」という一連の流れを検証し、金融政策のあり方が変化したことを論証している。
本論文は、金融政策の根幹である「政策理念・規範原理」がいかに醸成され、新日本銀行法(平成9年)に結実してゆくかが検討され、現実の政策目標と政策実施に関するタイミング等に関する政府と日本銀行との相克などを政策決定過程論的に展開し、具体的な政策の失敗の事例などを政策評価論として試みている。この研究によって、金融理論・金融統計・金融史などの領域からなされてきた、これまでの金融政策研究は学問的厚みを持つこととなったと思われる。

 本論文の構成は以下の通りである。
序 問題意識と視点
 第1章 戦後金融政策の背景の概観
     第1節 景気循環と金融政策
     第2節 経済成長の変化と金融政策目標の推移
第2章 日本銀行の金融政策理念の検討
     第1節 日本銀行の金融政策理念(通貨価値安定観)
     第2節 中央銀行の伝統的理念についての西川元彦の主張
     第3節 日本銀行法改正論議に見られる金融政策の定義
     第4節 吉野俊彦の日本銀行史観・インフレ史観
     第5節 前川春雄の金融政策
     第6節 三重野康の金融政策観
     第7節 速見優の金融哲学―信念
     第8節 小括
 第3章 前期高度成長期(1956~65年)の金融政策
     第1節 概観
     第2節 金融政策手段の整備と金融正常化
     第3節 政策目標
     第4節 金融引締めと緩和政策の流れ
     第5節 前期高度成長期(1956~65年)の金融政策の評価
 第4章 後期高度成長期(1966~74年)の金融政策
     第1節 概観
     第2節 政策目標
     第3節 金融引締めと緩和政策の流れ
     第4節 後期高度成長期(1965~74年)の金融政策の評価
 第5章 高度成長(1955~73年)と金融政策の総括的評価
 (補論)    
 第6章 窓口指導と景気変動の平準化
 第7章 低成長期の金融政策(1970年代央~1980年代前半)
     第1節 成長条件の変化と金融政策目標の変貌
     第2節 金融政策の緩和と引締めの流れ
 第8章 第2次石油危機時の森永・前川総裁の予防的金融政策
     第1節 予防的金融政策とは
     第2節 概観
     第3節 森永総裁の予防的金融政策
     第4節 前川総裁の予防的金融政策
 第9章 結語、今後の課題

【本論文の内容要旨】
  第1章「戦後金融政策の背景の概観」では、景気変動の循環と日本銀行の金融政策発動との関連を精査することにより、金融政策の時期区分を次のように設定する。第1期は、前期高度成長期(50年代央~60年代前半)であり、金融政策は国際収支をにらんだ「ストップ・アンド・ゴー」の政策展開が行われた。第2期は、後期高度成長期(60年代後半~70年代央)であり、物価高騰と景気対策が金融政策の焦点となった。第3期は、低成長期(70年代央~80年代央)であり、国際収支の恒常的黒字や物価高騰への対策、および予防的金融政策が展開された。第4期は、バブルの醸成とその崩壊の時期(80年代末~90年代)であり、日本銀行の政策判断、金融政策の失敗が指摘される。第5期は、長期不況・デフレ対策期(90年代後半以降)であり、ゼロ金利政策が採用され、金利機能の喪失・金融政策の限界が指摘される。以上の時期区分によれば、本論文は第3期までを主として分析することになる。 
 第2章「日本銀行の金融政策理念の検討」では、金融政策を決定する際の根底に潜む「政策理念」を取り上げる。最初に「新日本銀行法」(平成9年法律第89号)および日本銀行『物価安定についての考え方』(2000年)を素材として最近の日本銀行の政策理念を検討する。その結果、物価の安定を通じて国民経済の健全な持続的発展・経済的厚生を達成することが金融政策の理念とされていることが判明した。
このような理念に辿り着くまでにはさまざまな論議がなされたが、筆者は主要な論客の主張、歴代の日本銀行総裁の発言などを丹念に検討し、「政策理念」と称されるものはそれぞれが主張される時代状況を背景とした歴史的概念であると主張する。
  第3章は、「前期高度成長」時代に特徴的な、国際収支バランスに対応して物価安定を目指した金融の引締め・緩和を頻繁に行ういわゆる「ストップ・アンド・ゴー」の金融政策を取り上げる。この時代は、日本経済の「重化学工業化」が推進された時期でもあり、金融政策としては、政策手段の整備・金融正常化が図られ、マクロ的な量的金融政策へと転換してゆく。筆者はその過程を景気変動のそれぞれの循環ごとに詳細に検討すると共に、時の内閣の経済政策と日本銀行の政策理念との相克により、金融政策は理念に照らすならば失敗を犯したことがあったことを指摘している。
  第4章では、後期高度成長期の金融政策を取り上げるのであるが、この時期には国内の好景気が持続し、国際収支は恒常的黒字基調へと変わり、国際通貨体制が動揺し、固定相場制が終焉する。政策理念としては「インフレなき持続的成長」が前面に出てきた。つまり、前の時期の国際収支中心から物価中心へと政策目的が変化し、予防的金融政策が採用されるに至った。しかし、70年代前半期には金融政策に対する内外からの政治的圧力が高まり、引締め転換の遅れ、過剰流動性の醸成、物価の高騰、狂乱物価の発生等、金融政策としては大きな失敗を犯すこととなった経緯等が明らかにされる。
  第5章「高度成長(1955~73年)と金融政策の総括的評価」は第3章、第4章で扱った時期の金融政策を総括し、この時期の金融政策は概ねその目的を達成したとする研究者が多い中、筆者は敢えて異論を唱え、物価安定という理念からすれば金融政策は幾多の失敗を犯したとして「政策評価」を行っている。
  第6章「窓口指導と景気変動の平準化」では、日本銀行がインフォーマルに活用してきた「窓口指導」が実際にいかなる機能を果たしてきたのかを検証し、金融引締め・緩和の実施に際して日本銀行総裁がしばしば強調している「景気変動の波の平準化」という表現は、大幅な景気の振幅を避けたいという意思表示と考えられること、しかし、実態に即すれば、景気変動の波の平準化には成功した事例と失敗した事例があることなどが検証されている。
  第7章「低成長期の金融政策(1970年代央~1980年代前半)」では、この時期が、高度成長期とは国内の成長条件が異なり、対外関係も変化し、それに伴い、金融政策の政策目的が変貌したことが指摘される。そして、次の第8章への予備的考察として、金融政策の緩和と引締めの推移が「目的」「政策」「評価」という3点に絞り解説されている。
  日本銀行が金融政策を決定する際には、日本銀行と政府諸官庁(大蔵省・経済企画庁・通商産業省)、財界・銀行業界とは意見が対立することがしばしば見られる。その場合、日本銀行側では総裁の決断が最も重要であり、その決断と政府のトップとの連携ないし説得が政策の実施を左右することとなる。第8章「第2次石油危機時の森永・前川総裁の予防的金融政策」では、第2次石油危機の際の「予防的金融引締政策」が如何なる意図を持ち、如何なる政治状況の下で実施されたかを、文献・資料・関係者へのヒアリングを通して立証している。そして、これらの検討を通じて、筆者は、日本銀行の金融政策は一方では政治的に影響を受け、他方では過去の事例(苦い失敗事例)を参考にしながら具体的施策を考案するが故に、歴史性を有することを論じている。
第9章「結語、今後の課題」では、「予防的金融引締政策」は物価安定の視点から評価できることを述べるが、現在の超低成長・デフレの経済状況の下では、通貨価値の安定と同時に、国民の経済的厚生を展望することが可能な持続的成長を金融政策の基本目標とすべきではないか、と筆者は主張する。

【本論文の評価と問題点】
  以上のような内容の本論文の特徴としては、第1に、戦後の高度成長期から低成長期にかけての日本銀行の金融政策を政策科学の手法を援用して分析・評価した、これまでにない研究成果であると言える。金融政策の背景にある政策理念・規範原理を摘出し、そこから導き出される政策目標を確定し、具体的政策を点検し、政策の遂行状況を金融統計によって確認し、政策の結果を現実のマクロデータによって評価する、という手法を本書が扱った時期の景気変動のすべての循環局面で一貫して検証している。このことは特筆に値する。
第2に、このような作業を遂行するために収集した資料には、一般には入手し得ない「内部資料」や関係者へのヒアリングによる情報も含まれており、このような資料・情報を背景として、他者の追随を許さない論理構築が可能となっている。
第3に、物語風に流れがちな「政府対日本銀行」の構図については、金融政策と深く関連するマクロ経済運営とマクロ経済指標に関して厳密に検証が行われており、政策決定過程論の分野に貢献するものである。
第4に、本論文は、「通貨および金融調節」に関する日本銀行の金融政策理念および金融政策決定という1点に絞った分析であるにもかかわらず、分析に際して、国内のみならず世界金融情勢の分析など、周辺領域をすべてカバーし、総合的な研究となっている。
しかし、本論文には次のような問題点があることを指摘せねばならない。本論文によれば、金融政策の最終的責任者は日本銀行総裁という個人となっている。この日本銀行総裁という存在を政策科学の観点からどのように位置づけるかに関する分析が十分になされているとはいない。政治家は国民の審判を仰ぐが、日本銀行総裁は国民といかなる接点があるのか。日銀総裁の巨大な権限についての分析は政策科学の視点から分析する必要があると思われるが、本論文ではその点が手薄となっている。
また、日本銀行と政府との相克に関する分析はなされているが、日本銀行の内部の構造、即ち、金融引締め・緩和のいずれにせよ、政策決定の過程で日本銀行内部では如何なる議論がなされ、如何なる力学が働いていたのか、という点の分析がやや手薄の感が否めない。
さらに、「物価安定」の理念から一歩踏み出し、国民の経済的厚生を展望する視点を政策理念に導入することを筆者は提唱しているが、その具体的イメージは展開されていない。
 以上のような課題が残されているが、これらは本論文の意義を否定するような性格のものではなく、筆者は最終試験においてこれらの問題点について分析の糸口を提示しており、今後の研究の中で克服されるものと期待される。

【結論】
審査員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく貢献したものと認め、伊藤武氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断する。

最終試験の結果の要旨

2005年2月9日

 平成17年1月28日、学位論文提出者伊藤武氏の論文について最終試験を行った。試験においては、提出論文「戦後日本の金融政策の政策科学的研究」に関する疑問点について審査委員から逐一説明を求めたのに対し、伊藤武氏はいずれも充分な説明を与えた。
以上により、審査委員一同は伊藤武氏が学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

このページの一番上へ