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博士論文審査要旨

論文題目:トクヴィルとデュルケーム ― 社会学的人間観/社会観の歴史的形成と生の意味喪失 ―
著者:菊谷 和宏 (KIKUTANI, Kazuhiro)
論文審査委員:矢澤修次郎、平子友長、深澤英隆

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1、本論文の構成
 本論文は、アレクシス・ドゥ・トクヴィル(1805-1859)とエミール・デュルケーム(1858-1917)の社会学的理論の発展過程をフランス史の進展とともに追いながら、社会学的認識の性質とその帰結である生の意味喪失を指摘したのち、その超克への展望を明らかにしたものである。
 本論文の構成は以下のとおりである。

 はじめに 問題の所在

序章 先行研究について
  一 トクヴィル研究
  二 デュルケーム研究
  三 トクヴィル-デュルケーム研究

第一部 アレクシス・ドゥ・トクヴィル
  第一章 生い立ち―家庭的背景から最初の懐疑へ
  第二章 新大陸アメリカ―神の摂理、知的道徳的世界、権威
  第三章 二月革命―社会主義との対決:人民(peuple)と人間(homme)
  第四章 二月革命以後―「人間」と「社会」の誕生
  第五章 死、信仰、そして生の意味

インテルメッツォ 第二帝制

第二部 エミール・デュルケーム
  第一章 第三共和制
  第二章 客観的科学としての社会学
  第三章 生の意味喪失―自己本位的自殺
  第四章 ドレフュス事件
  第五章 知的共通性あるいは論理的調和性
  第六章 道徳的共通性あるいは道徳的調和性

第三部 結論
  第一章 トクヴィル-デュルケームの到達点
  第二章 社会学的人間観/社会観の拡張―「社会」から「世界」への回帰
  第三章 社会学の次段階―超越への経験科学的アプローチ:「主観-客観」から「経験の全体」へ、そして生の意味

参考文献

2、本論文の概要
 著者はまず、「はじめに」において、本論文の目的として、1、社会学的な「社会」と「人間」概念の成立過程を描き出すこと、2、そのような「社会」において見失われた生の意味を再び見出し確立すること、の二点を挙げる。
 次いで序章において先行研究の検討が行なわれる。そこで、トクヴィル研究はこれまでもっぱら政治学および歴史学において行なわれ社会学的研究はほとんど行なわれていないこと、またデュルケームについてはその社会学そのものの妥当性についての、歴史を踏まえた研究はほとんどないことが指摘される。加えて、両者を直接結び付ける研究は実質的にはなされていないことが指摘され、本論文では先行研究がこのように未着手である問題を取り扱うことが表明される。

 全三部から構成される本論のうち、第一部はトクヴィルの議論とその時代の検討に当てられている。
 第一章では、彼の出自が王党派貴族であり敬虔なカトリシスムの家系であったこと、しかし青年期には既に世界そのものに対する普遍的な懐疑を抱いていたこと、そしてこの懐疑から目を逸らすために「可感的な諸物の世界」(後の「社会」)へとまなざしが向けられたことが、私的な書簡などの文献資料によって示される。
 第二章では、『アメリカの民主主義』に結実するアメリカ体験を経ることでトクヴィルが、神の摂理としての民主主義の進展を認めるとともに、「人間」というものもまた神の超越的権威の支えによってのみ同質性を持つ「人類」として把握されうることを認識したことが示される。と同時に、同じ認識様式が「習俗」と呼ばれる「知的道徳的世界」、即ち世俗な「社会」においても展開されていること、そして以上のような超越と世俗の二分法の亀裂が既に生じていることが指摘されている。
 第三章では、さらに1848年二月革命を体験することで、政治的水準の更に根底にある、社会それ自体の存在にトクヴィルが気付くとともに、歴史上ずっと貧しい下層の人間たちであった人民(peuple)が普遍的な人間(homme)として立ち現れたことが、彼の『回想録』を元に論証される。そして、前章で指摘された認識論上の亀裂を分裂へと導く「社会的な人間観 homme = peuple」が登場したこと、神の下にのみ同類・平等であった人間が「人民たる人間/人間たる人民」として同類・平等である可能性が歴史的現実の中で提示されたこと、そして神の超越的な権威に支えられた「世界」から peuple = homme からなる自立したもう一つの世界、即ち「社会それ自体」が剥がれ落ちようとしていることが主張されるとともに、これらが一つの「宗教」たる社会科学の希求として人民によって表明されたことが指摘される。
 第四章では、二月革命体験後のトクヴィルが専念した、自らの生い立ちの基盤を構成する旧体制とフランス革命研究が『旧体制と革命』を対象として検討される。そして、その中で、世俗宗教としてのフランス革命像が提示されていること、その意味で、ついに、はっきりと可感的な諸物からのみ構成される世俗な世界として「社会」という概念が産み出され、「人間」というものもまたそのような物として産み出され、こうした社会と人間を扱う科学として「社会科学」が19世紀半ばに準備されたことが示される。
 第五章では、しかし、以上のような社会学登場のためのいわば地均しが、それまで生の意味の源泉であった超越的なものへのまなざしを失うことで、社会的な生の意味そのものを失う結果をもたらしたことが、死と信仰について触れたトクヴィルの書簡を元に指摘される。

 インテルメッツォと題された、第一部と第二部の中間部では、もっぱら第二共和制下に活躍したトクヴィルと第三共和制下に活躍したデュルケームの間に横たわる第二帝制の意味が検討され、この体制が近代国民国家としての第三共和制の精神的基盤(男子普通選挙制の制定)および物質的基盤(鉄道網、電信網、郵便網の整備)を提供したことが指摘される。加えて、その瓦解が、続く時代における王党派と共和派の壮絶な闘争という図式をもたらしたことも指摘されている。

 第二部はデュルケーム社会学とその時代の分析に当てられている。
 第一章では、デュルケームが社会学を創始した時代背景である第三共和制初期の状況が検討される。当時、王党派と共和派が、政治的対立のみならず、カトリシスムの超越対共和主義の世俗という世界観の対立を成していたこと、そしてデュルケームによる社会学の構築は、超越的なそれに取って代わりうる世俗な世界解釈枠組の構築という、近代史全体からの歴史的課題を背負わされていたことが指摘される。
 第二章では、『社会学的方法の規準』を題材に、デュルケーム社会学の基本的な前提が抽出される。それは、超越性の全面的排除と、社会現象の個人心理への還元の全面的拒否であり、その定式化としての「物としての社会的事実」の表明である。この前提により、社会現象の「客体性」が、ひいては社会学の「客観性」が保証されるが、この前提自体は社会学内部に論理的な根拠をもってはおらず、むしろ歴史的要請に応えたものであることが指摘される。
 第三章では、社会的生の意味問題が、『自殺論』に立脚しながら取り扱われる。即ち、世俗な世界=社会という表象と、そこがいわば全世界であるとする社会学という世界解釈枠組を採用して超越的なものを見失うことは、我々が生きる世界を狭くし、結果として自己本位的自殺の増加を招く。それは、生の目的・意味の喪失の結果としての虚無の到来である。この問題に対処するため、デュルケームは同業組合の再建による弛緩した社会統合の再強化を提案するが、この解決策は結局一時しのぎでしかないこと、根源的に言って世俗世界たる社会内の諸物はすべて有限の存在でしかない以上、社会は必然的に弛緩せざるをえないものであることが主張される。さらに、このような原理的困難をデュルケーム自身気付いていたらしいこと、しかし、歴史的課題を背負ったデュルケームは、この限界を表立っては表現できなかったことが示唆される。加えてこの困難は、デュルケーム社会学のみならず、「社会」の外延を思考の外延とするあらゆる言説の限界であることが暗示される。
 第四章では、以上のようなデュルケームの社会学的認識がドレフュス事件体験によって大きく揺らぐとともに、結果として一つの頂点に達することが示されている。デュルケームにとって、本来事実問題として処理されるべきものが社会統合の原理の問題として現れたドレフュス事件は、社会的事実が意識主体により異なって現れ、その意味で唯一の「事実」足りえないことの、つまり社会認識の原理的分裂の露呈であり、したがって現世における人間の非同類性の露呈であった。よってまたそれは、世俗世界としての「社会」なるものの実在の否定であり、ゆえに彼の社会学が原理的に成り立たないことの証拠であった。加えて、ドレフュス事件において、人間は権威の目的ではなく手段となり、人間の生はその理由・意味を失った。こうして、ひとたび権威が抑圧的なものとして歴史の中に現れたがゆえに、デュルケームにはもはや、そのようなものとしての権威を保証人として措定することはできなかったがしかし、他方では、人間の同質性を、その知的道徳的共通性を、即ち「社会それ自体」を保証するためには、その源泉たるなんらかの権威を見出すことが不可欠であった。これこそ、デュルケームが辿り着いた根本的なジレンマである。
 かくしてデュルケームは、超越と世俗とのどちらでもない、その「間」のどこかに、人間性を(抑圧するのではなく)保証する権威を見出すという極めて悩ましい地点に到達したのである。と同時に、この困難な課題に対して彼は「人間的人格一般を結集の中心とする個人主義」という回答を与えた。世俗な「物」としての個人とは区別されると同時にその世俗性の中にこそ見出されうる「人間性」そのものを、「一般的普遍的ではあるが非超越的な」権威として抽出し、もって社会と人間の新たな保証として位置付けたのである。
 第五章および第六章では、前章の見事ではあるが不十分な回答を完成させるがごとく行なわれた晩年の宗教社会学研究が、『宗教生活の原初形態』を元に検討される。まず第五章において、トクヴィル以来ずっと一体のものであった「知的共通性」と「道徳的共通性」が分離分析され、前者が認識範疇の社会的生成理論として定式化され、社会の実在・人間の同質性・社会学的認識の客観性が最終的にそこに基礎付けられていることが明らかにされる。とともに、この論法は一種の循環論法であり、したがって、それは社会的言説の真理性や生の意味を根拠付ける基盤としては不十分であること、そのような基盤は論理的に言って社会の外部に見つけざるをえないことが論証される。続いて、第六章において、人格=魂の問題として後者(道徳的共通性)が論じられることで、デュルケームの議論内部においてこの不十分さの克服が模索されるが、完全な解決にかなりのところまで接近しているものの、最終的にはやはりすべてを社会内部に帰着させる循環論法を逃れていないことが示される。

 第三部は、著者によるまとめと今後の展望の提示となっている。
 第一章では、トクヴィルからデュルケームへと展開された論理の本質的な難点が列挙され、結論として超越性を排除した実証主義を標榜するデュルケーム社会学でさえ、超越性を有する人格概念を隠し持っていることが指摘される。
 第二章では、社会を対象とする科学的認識が構造的に超越的な基盤に立脚せねばならないことを改めて指摘した上で、その超越的な基盤(人間性=人格=魂)が、外的な観察は不可能であっても感覚可能であること、即ちそれは経験の範囲内にあることが主張される。さらに、実のところデュルケーム自身でさえ、その実証主義の標榜に反して、晩年にはこの方向に接近していることが示される。
 第三章では、以上すべての困難が由来する源として sensible の意味が指摘される。即ち、トクヴィルが可感的な諸物(objets/choses sensibles)の世界を「社会」として考察の対象/客体(objet)とし、次いでデュルケームがそれを「科学」的に、観察可能な(observable)社会的事実の客観性(objectivité)として定式化したのであるが、しかし、語の本来の意味において sensible なもの、即ち「感じられるもの」は、必ずしも objectif(客観的・客体的・対象的)なものばかりであるとは言いえないこと、デュルケームにおいて社会学の客観性を保証する「物(chose)として」の社会的事実でさえ、それが可感的な外的対象として存在することを意味しているわけではなく、あくまでその作用を我々が我々自身の意識において「感じる」限りにおいて choses/objets sensibles であること、が明確に主張される。そして、歴史的な条件の下で、一方では超越性を全面的に拒否せざるをえず、他方では社会現象の意識性を全面的に拒否せざるをえなかったがゆえに、デュルケームはこの問題を直視できず、結果として sensible を observable と、そして objectif と同一視することになってしまったが、それは、彼の理論本来の姿ではないこと、むしろ次のように定式化できることが主張される。即ち「社会的事実が objectif であるのは、sujet(主観・主体)においてこそである。それは拡張された意味において確かに sensible であるが、それは subjectif に sensible なのであり、その限りにおいてのみ、そしてその条件の下でこそ、社会的事実は objectif になりうるのである」。そしてこの立場から見れば、超越さえも、主観において、魂において、精神において、sensible でありうるとされるのである。
 こうして再び、社会学の認識成立基盤としての社会それ自体と、それを形作る人間の同質性を根拠付けようとするのであれば、むしろこの、我々がなぜか「人間として」共通に「感じている」ということの意味と基盤の探究に向かわなければならないことが主張されるとともに、この洞察を基盤として、次段階の社会学が萌芽的に構想されている。そしてまた、生の意味の探究も、この意味における社会の外部に向かうことが示され、その具体的な方向性としてアンリ・ベルクソンの名が挙げられるに至る。

3.本論文の成果と問題点
 本論文は、社会学の認識成立基盤としてとしての社会それ自体と、それを形作る人間の同質性を根拠づけようとする試みが、フランスにおいてはトクヴィルからデュルケームに受け継がれる形で行われたことを論証し、その到達点と問題点を明らかにし、その問題点克服の方向を社会学史において示唆したものである。
 本論文の最大の特徴は、社会学的人間観の生成過程を描き出し、社会学が成り立つ基盤としての人間の同類性同質性の根拠を求めること、そのような「社会」に生きることの(見失われた)意味を見いだすこと、という社会学の根源的な問題を、あえて意識的に正面に据えて、フランス近代社会学の到達点とその問題点を摘出したことにある。筆者のこの問題意識の背後には、現代において社会が揺らぎ、社会学がその状況に的確に対応できておらず、これまでの社会学の対応ではその危機を克服しえないという真摯な問題意識があることは言うを待たない。
 以上のことを前提にした本論文の第一の成果は、フランス実証主義社会学の問題点を越えて社会学を発展させるためには、社会を対象とする科学的な認識がある種の超越的な基盤(人間性=人格=魂)に立脚しなければならないこと、それも経験の範囲内にあることを主張して、社会学を新たな発展軌道に乗せることが必要であることを提示したことである。筆者の提唱する「社会学の次段階ー経験の全体と生の意味を問題にする社会学」は、アンリ・ベルグソンを経て、現代の複数の社会学者の試みに連なるものである。
 本論文の第二の成果は、これまでのデュルケーム像の根本的な革新である。これまでのデュルケーム研究は、彼の社会学をもっぱら社会学の内部において、彼の議論は社会学にとって意味があるはずだとの前提に立って行われてきたきらいがあった。それに対して筆者はデュルケーム社会学の成立過程をフランス史と密接に結びつけて考察し、デュルケームが社会学なる学問を創造したことそのものの意味を検討し、明らかにした。筆者の提示したデュルケーム像は、これからのデュルケーム研究を新たな基盤に移し替える性格をもっている。
 本論文の第三の成果は、これまではもっぱら政治学者、アメリカ史家としてしか検討されてこなかったトクヴィルを社会学の流れにおいて、これまたフランス史と関連づけて検討し、新たなトクヴィル像を提示したことである。筆者は、二月革命後のトクヴィルにおいて、「世界」のなかから「習俗」の世界が、「知的道徳的世界」が、すなわち「社会それ自体」が抽出され、「人間」もそのような物として産み落とされたことを明らかにした。こうしてトクヴィルは、社会学登場の地ならしを終えたが、その一方で、それまで生の意味の源泉であった超越的なものへのまなざしは彼において揺らがざるをえず、深い苦悩に陥ったことが活写されている。
 本論文の第四の成果は、フランス社会学成立史に新たな理解を提供していることである。従来のフランス社会学は、オーギュスト・コントからデュルケームへという流れとして描かれることが圧倒的であったが、本論文はトクヴィルからデュルケームへという流れとして描き直し、フランス近代社会学理解に厚みを加え、その持つ意味を解明したことである。この新たな鉱脈を発掘したことは、フランス近代社会学から現代社会学への展開にも新たな鉱脈があり得ることを予感させるものでもある。筆者が将来ベルグソンの社会学的意味の研究を志しているのはそのことを示している。
 本論文の第五の成果は、いささか繰り返しの誹りを免れない感があるものの、フランス社会学の成立史が、フランスの歴史と密接に関連づけながら検討されていることである。このことは、当該テーマの研究としては当たり前のように考えられがちであるが、今日の社会学研究の現状においては、フランス社会学史の研究とフランス史、フランス社会の研究が一定の水準以上のところで統一されている本研究は、特筆するに値するものである。

 もっとも本論文にはいくつかの問題点も含まれている。なによりもまず、筆者による次段階の社会学の構想は、これまでの社会学の発展の幹線道路に即したものであり、極めてオーソドックスな挑戦と言えるが、それなるが故にかえって筆者のこの挑戦は、多くの困難と批判を伴うことが予想され、十全の注意を払って遂行される必要がある。また筆者のデュルケーム像には、彼があたかも存在論的な『超越』を持っていたかのように思わせるところがあるが、それはデュルケームが正式に書いたものによっては論証し得ないものである。また、トクヴィルとデュルケームを社会学史のなかに位置づけるとすれば、トクヴィルからデュルケームへという流れとは別様の流れもあり得るし、フランス社会史、フランス思想史のなかに位置づけるとすれば、フランスのカトリシスムの問題がより深く検討されなければならない。さらに青年ヘーゲル派の宗教論とトクヴィルの宗教論の異同、さらにはデュルケームの人格神とスピノザの神観念の関係に関しても、より一層慎重な検討が望まれるところである。
 ただし以上の問題点に関しては、筆者は十分自覚的であり、本論文の意義をいささかも減ずるものではない。よって審査員一同は、本論文を学位請求論文にふさわしい学術的水準をもつものと評価し、菊谷和宏氏に、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると結論する。

最終試験の結果の要旨

2004年12月8日

2004年10月29日、学位請求論文提出者菊谷和宏氏についての最終試験を行った。
 本試験においては、審査員が提出論文『トクヴィルとデュルケーム ― 社会学的人間観/社会観の歴史的形成と生の意味喪失 ― 』について、逐一疑問点について説明を求めたのに対し、菊谷和宏氏はいずれも十分な説明を与えた。
 また、本学学位規則第4条第3項に定める外国語および専攻学術に関する学力認定においても、菊谷和宏氏は十分な学力を持つことを証明した。
 よって審査委員一同は、菊谷和宏氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。
 以上により、審査員一同は水本正晴氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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