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博士論文審査要旨

論文題目:Keith Johnstone のインプロは創造性を育てるのか
著者:高尾 隆 (TAKAO, Takashi)
論文審査委員:関 啓子、村田光二、藤田和也、中田康彦

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1. 本論文の構成
本論文は、代表的な即興演劇の教育実践的活動の1つが創造性を育成するのかどうかを、さまざまな方法を駆使して、理論的、実証的、そして実践的に検討した成果をまとめたものである。特に、カナダで行われている実践活動に参与観察をして得た成果(第2章)と、ある大学の授業で行った教育実践の成果(第3章)とは、他に例をみない研究業績として特筆に値するものである。
本論文の構成は以下の通りである。

序章
1.目的
2.創造性についての先行研究
3.インプロ、演劇教育の先行研究
4.教育実践概念について
5.対象と方法
6.本論文の構成

第1章 Johnstoneのインプロの方法論とその生成過程-創造性を中心とした分析・検討
1.対象と方法の具体
2.Johnstoneのライフヒストリー
3.Johnstoneのインプロの方法論
4.ライフヒストリーがインプロの方法論に与えた影響
5.小括~変化を分析する枠組みとしてのJohnstoneのインプロの方法論

第2章 Bay Area Theatresportsでの教育活動
1.Bay Area Theatresportsについて
2.対象と方法の具体
3.Bay Area Theatresports創立について
4.創造性についてどのように考えているか
5.BATSの教育活動
6.小括

第3章 「ワークショップ入門」の教育実践研究
1.大正大学TAP講座「ワークショップ入門」
2.2003年度春学期の「ワークショップ入門」
3.対象と方法の具体
4.授業の実際
5.学生の変化
6.変化を阻むもの
7.小括

終章 Johnstoneのインプロの方法論を用いた教育実践における参加者の変化
   ~Csikszentmihalyiの創造性のシステムモデルの精緻化~
1.Johnstoneのインプロの方法論~分析枠組み
2.Johnstoneのインプロの方法論を用いた教育実践における参加者の変化
3.Csikszentmihalyiの創造性のシステムモデル再考
4.創造の志向性について
5.協働の創造について
5.本論文の意義

2. 本論文の概要
 序章で著者は、関連する先行研究を批判的に検討しながら、実証的分析の基礎となる理論的、概念的分析を実施した。そこではまず、創造性についての先行研究を多面的に検討し、創造性を捉える仮の枠組みを提示した。近年の研究では、特別の才能が生み出す「大文字の創造性」概念と、私たちの自己実現を内容とする「小文字の創造性」概念が提唱され、統合が試みられてきた。著者は、統合の試みの1つである Csikszentmihalyi の「創造性システムモデル」を紹介し、本論文での作業の出発点に置いたのである。このモデルでは、「個人」、文化的な「領域」(domain)、社会的な「場」(field)が関わり合い交差するところで創造の過程を観察できると考える。個人は領域にアクセスし、既存のパターンを参照する。そして、そこから変種をつくることによって領域に変化が起きる。この変化を創造性と捉えるのである。加えて、創造性の育成・教育についての研究を整理し、先行研究の4つの問題点を指摘した。それは、①創造性を高めることのみに注目し、創造性の理解を深めることには注意していないこと、②個人の創造性のみ扱っていて、協働の創造性についてあまり触れていないこと、③高い創造性を持つ人に研究対象が偏り、一般の人々の創造性を捉えにくいこと、④教育を知識伝達と位置づけ、創造性の教育の場における参加者の変化を見落としていること、である。そして、本論文ではこれらの不足を補うことも目指した。
 序章では次に、インプロ、演劇教育の先行研究を整理した。インプロに関する批判的・客観的な先行研究は乏しく、学校あるいは企業内教育の中での創造性の育成といった「演劇を越える」側面を評価できていないなど、不十分な水準であることを指摘した。演劇教育研究では、実践の成果をまとめたものが多く、参加者の変化の複雑性を捉えきれなかったり、協働の創造性については触れられていないことが指摘された。そして、「教育実践」概念について検討し、「計画→実行→観察→省察」の循環と定義した。以上の理論的、概念的検討を踏まえて、著者は第1章から第3章で具体的に検討する対象と方法を定めた。
 第1章では、Johnstone の著書の内容分析と本人への半構造化インタビュー調査を通じて、一方で彼のインプロの方法論について創造性概念を中心に分析し、他方で彼のライフヒストリーを検討し、両者を重ね合わせる作業を実施した。著者は、Johnstone の方法論は、本来できていた自発的(spontaneous)な想像や行動を再びできるようにするためのものだと論じている。私たちは成長の過程で「社会的なこころ」を身につけるが、それは他者の評価への恐怖や、変化への恐怖をもたらし、この自発性を抑制するという。その結果、私たちは身体を固め、こころをネガティブにし、アイデアの自己検閲をする。こういった問題を解決するために Johnstone は、インプロの教育実践活動の中で、「普通にやる・頑張らない、独創的にならない・当たり前のことをする、賢くならない、勝とうとしない、自分を責めない、想像の責任を取らない」といった方法を用いた。著者はこのインプロの方法論を、第2章、第3章で検討する参加者の変化をみる枠組みとして設定した。
 第2章では、Johnstone の方法論を基にしたインプロのショー活動と教育活動を実施しているインプロ団体である、Bay Area Theatresports(BATS)を取り上げた。参与観察、インタビュー調査、質問紙調査を用いて、BATSが劇場、学校、企業で行っている教育活動を検討し、参加者の変化を記述、分析した。ここでも、参加者の創造性を中心に検討が行われた。まず、BATSの創立期メンバーの1人にインタビューを行い、メンバーたちがどのように Jonstone の方法論を受容し、実践活動を展開していったかがを記述した。彼女たちもまた、社会生活の中で閉じこめられている想像力、創造性を、インプロの活動を通じて解き放つ具体的な方法をさまざまに試行していた。次に、この団体の劇場での教育活動であるサマースクールを取り上げ、日本からの2名の参加者の学びを中心に、参与観察を実施した。ここでは、日本からの参加者が言葉の問題を他者との協働を通じて克服し、未知なる領域へ飛び込む勇気を学ぶ様子を生き生きと描いている。また、他の参加者には質問紙調査も実施し、サマースクールを通じて参加者が、インプロそのものだけではなく、他者との協働の技法、自信、創造性などを身につけたと感じていることを明らかにした。第3に、学校での教育活動として小学校でのショーと高校でのクラスを参与観察し、児童・生徒の変化を分析した。ここでも、協働の創造性を学ぶ様子を描いている。さらに、企業での教育活動として、CGアニメーション製作会社の Pixar でのクラスを描写し、企業にとってのインプロ教育の意義を考察した。著者は、インプロを取り入れることで、高い芸術性を持った人々が互いに刺激しあいながら創造していく能力を得ること、創造性についての認識を深めてもらうことを企業が求めていると分析している。以上を通じて、インプロの教育活動への参加者たちが、インプロによってつくり出されるポジティブさ、楽しさに支えられ、他者との協働の方法を身につけると著者は論じた。そして、他者の評価への恐怖、未来・変化への恐怖、失敗への恐怖を克服し、頑張らず普通でいられるように、当たり前のことをしてそのままの自分でいられるように変化したと述べている。
 第3章は、Keith Johnstone から直接学んだインプロの手法を、著者が大正大学で非常勤講師として担当している授業に適用して、創造性の育成という視点からの有効性について実践的検証を試みた部分である。著者自らが授業者として、90分の授業を半期10回実施し、その過程をフィールドノーツを作成して詳細に記録した。加えて、毎回、授業終了後に協働実践者(インプロ活動家である授業アシスタント、卒論研究実施中の4年生)とで行う「振り返りミーティング」、協働実践者の観察ノート、受講学生の毎授業後の感想文と最終レポートなどを駆使して、実践過程を丁寧に対象化し、そこでの受講学生たちの様子と半期全体を通しての変化を、学生一人ひとりに即して克明にとらえる作業を行った。
 その分析の結果、「創造性の発揮」という点に関わる学生たちの変化として、次の7点を抽出した。①頑張らないことの意味を学び、頑張らないようになったこと、②そのままの自分でいることができるようになったこと、③自分で自分自身のアイディアや行動を検閲していることを知り、それに対処する方法を学んだこと、④負けること・失敗することへの抵抗が無くなったこと、⑤恥ずかしさがなくなったこと、⑥楽しさを経験したこと、⑦他者との関係を構築できるようになったこと、の7点である。著者は、「これらの変化はすべて、自分の想像の中で厳しい他者を想定し、それに縛られていた状態から脱却して、他者と楽に関わり合えるようになり、自らの表現や行動においてより spontaneous になることと関連して」いるととらえ、学生たちが授業を通して創造性がより発揮しやすい方向へと変化したことを説得的に説明している。
 終章で著者は、分析枠組みであった Johnstone の方法論を再度整理した後に、インプロを用いた教育実践活動の参加者の変化はどのようなものであったか、前の2つの章を通して次の7点にまとめた。参加者は、①他者の評価を恐れなくなった。②未来・変化を恐れなくなった。③ネガティブな状態を越えて、ポジティブで楽しい状態になった。④失敗すること、負けることを恐れなくなった。⑤頑張らずに普通にできるようになった。⑥独創的にならず、当たり前のことをし、そのままの自分でいられるようになった。⑦他者との協働の創造ができるようになった。
 次に著者は、出発点の枠組みであった Csikszentmihlyi の創造性のシステムモデルを再検討した。まず、領域と個人の関係については、創造をするためには参加者個人が領域に接触し、文化的知識を学ぶことが必要であるので、個人に継続的に領域に接触してもらうことが大切である。Johnstone が行った学びの場づくりは、参加者が楽しく、リラックスできるものであったが、これは領域との接触という創造における最も基本的な営みを可能とするものだったと考察された。第二に、場と個人の関係について検討した。著者の分析では、多くの人々は自分で創造的でないと思い、自分から創造しなくなる。この問題を捉えるために著者独自の三段階の創造モデルが提示される。第一段階では個人の中で想像が起こる、第二段階ではその想像を表現・行動に移す、そして第三段階では他者が反応するというモデルである。ここでは、想像が自分にとって新しいと個人が認めれば小文字の創造性となり、表現・行動が社会にとって新しいと場が認めれば大文字の創造性となる。多くの人々はこの第一段階、第二段階それぞれで、内面化された場において自主的な検閲を無意識的、意識的に実施してしまい、創造的になれない。けれども、Johnstone の方法論を用いた実践では、安全な場所で spontaneous なアイデアを表現・行動可能であり、そこで得られた他者からのフィードバックを基により正確な内面の場を構築するだろう。このようにして、第三段階まで到達できると論じるのである。そして最後に、創造の方向性と、協働の創造について論じ、論文をまとめている。

3. 本論文の成果と問題点
本論文は、Keith Johnstoneのインプロの考え方と方法を、「創造性育成の可能性」という視点から検討し、多彩な方法を駆使して実証的、実践的検討を行い、的確な分析・整理をしてまとめたものである。その成果と意義は、少なくとも次の3点に要約できる。
まず、インプロ(即興演劇)研究としての意義を指摘できる。これまで研究蓄積の浅い分野に積極的に取り組み、開拓的な研究作業を実施した。そこでは、研究対象である Keith Johnstone 本人や、その方法に基づいて活動する団体に直接接触することによって、これまで知られなかった多くの知見を獲得している。本研究は、今後のインプロ研究あるいはJohnstone 研究のオリジナルの1つとしても位置づけられるだろう。
次に、創造性研究へも多くの貢献を行った。これまでの創造性研究をわかりやすくレビューし、個人に焦点を当てた創造性研究の限界を的確に指摘した。その限界を越えるものとして、Csikszentmihlyi の創造性のシステムモデルを取り上げた点も、高く評価できる。しかも著者は、実証的な検討を経た上で、著者独自の三段階の創造性モデルを提唱した。このモデルは、誰にでも創造性はあるとする「小文字の創造性」の立場からの研究では、今後参照する必要のある重要な出発点になると考えられる。
そして、創造性教育研究への貢献は大きいだろう。これまでの創造性教育研究は、創造性を高める方法、要因に焦点を当ててきた。そのため、創造性概念の理解、協働の創造性、創造を阻害する要因、そして多様な関係を構築する教育の意味といった問題が見落とされがちであった。この研究では、Johnstone のインプロの方法論から創造性を捉えることで、個人において創造性を阻害している要因を見いだし、それを除去する方法を分析し、実際にspontaneity を取り戻す過程を実践的に検討した。また、創造性の教育が行われている場を参与観察などの質的方法でミクロに分析することで、教育の現場の多様な関係性の中で、参加者の変化を子細に分析するとともに、協働の創造の実際を詳しく描くことができた。これらの作業を通じて、著者自身も創造性概念の理解を深めたという。
本論文は、設定した研究テーマに基づいて、的確な研究作業を積み重ねたものである。各々の作業課題では、問題に即して適切な方法を選択し、用いている。方法論への意識も高く、個別の方法の問題や限界も理解して、方法を組み合わせて使用することの意義も論じている。論文は読みやすく、精緻な議論を簡潔な記述によって組み立て、論文全体を有機的に結びつけるように構成している。このように、大変質の高い論文であると思われる。
しかし、残された問題もなしとは言えない。課題設定においては、「創造性の育成」をなぜ実践的なレベルで追求することが必要なのか、説明が不十分だったと思われる。第1章では、Johnstone のライフヒストリーを描く際に、事実そのものに注目するのではなく、本人の語りを通して表出される内容に注目することが強調された。この視点は評価されるが、本論文での描写においてどのように活かされたのかは必ずしもはっきりしなかった。第2章では、インプロの教育活動における学生の変化を見事に描写していたが、その描写は個人に焦点化されていて、関係性の変化や領域への言及が少なかった。創造性を個人に帰属せず、個人、領域、場の相互作用を考える著者の立場からすると不十分だったのではないだろうか。3章での実践的活動の試みとその分析作業はかなり成功していたと考えられるが、創造性育成の可能性は、まだ十分に検証されたとは言えないだろう。もっと実践を蓄積しないと、学生たちの変化について結論は言えないと考えられる。
こうした問題点は著者も自覚するところであり、本論文の学問的成果を減ずるものではない。その研究能力や着実な研究姿勢から鑑みて、今後の研究の発展の中で克服されていく課題であると期待できる。
以上のように審査委員一同は、本論文が当該分野の研究に大きく寄与するものと認め、高尾隆氏に対し、一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると判断した。

最終試験の結果の要旨

2004年11月17日

2004年10月27日、学位請求論文提出者高尾隆氏についての最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文『Keith Johnstone のインプロは創造性を育てるのか』について、逐一疑問点について説明を求めたのに対し、高尾氏はいずれも十分な説明を与えた。
 以上により、審査委員一同は高尾隆氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるのに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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