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博士論文審査要旨

論文題目:現代中国における基層社会の構造変動と村民自治 ―東北四ヶ村の村民自治機能を中心とする実証研究―
著者:張 文明 (ZHANG, Wen Ming)
論文審査委員:三谷 孝、坂元ひろ子、加藤哲郎、糟谷憲一

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一、論文の構成
 本論文は、「改革・開放」政策の重要な一環として1980年代以降に中国農村に導入された「村民自治」の改革が、どのように実施されたのか、また村落社会にいかなる反応を引き起こしたのかという問題について、著者が東北吉林省桃南市の4箇村で行った現地調査の成果に基づいて、明らかにするとともにその意義を考察した実証的論文であり、400字詰原稿用紙にして約970枚からなっている。
 その構成は以下のとおりである。

序 章 
 第一節 問題の提起
 第二節 先行研究
 第三節 研究視角
第四節 論文の構成
第一章 中国村落権力構造の変遷と東北地域の村落権力構造
 第一節 中国村落権力構造の変遷
 第二節 東北地域における村落権力構造の特質と村落管理体制
 第三節 小結
第二章 村落自治の展開と吉林省の村民自治
 第一節 村落自治制度の実施背景
 第二節 村民自治の実施過程
第三節 村民自治の内容
第四節 吉林省における村民自治の展開
第五節 小結
第三章 集権・地域集約型村落における村民自治機能の考察-段頭村を例として
 第一節 村の概観
 第二節 選挙
第三節 村政の運営
第四節 小結
第四章 集権・政治エリート中心型村落における村民自治機能の考察-宏図村を例として
第一節 村の概観
 第二節 選挙
第三節 村政の運営
第四節 小結
第五章 分権・社会エリート中心型村落における村民自治機能の考察-増勝村を例として
第一節 村の概観
 第二節 選挙
第三節 村政の運営
第四節 小結
第六章 分権・地域分化型村落における村民自治機能の考察-育林村を例として
第一節 村の概観
 第二節 選挙
第三節 村政の運営
第四節 小結
終章 村民自治実施の実態と基層社会の構造変動
第一節 村民自治制度実施の実態
 第二節 村民自治実施に影響する諸要素
第三節 基層社会の構造変動-中央と地方関係の永遠なテーマ
添付資料1,中華人民共和国村民委員会組織法
添付資料2,村民自治に関するアンケート
資料・参考文献

二、論文の概要
 序章では、まず問題の提起と先行研究の整理がなされ、ついで本論の分析方法について説明されている。
 1978年末以来の中国の「改革・開放」政策は、農村部の経済改革から開始されたが、次第に政治・社会面での改革へと波及して、現在村長(村民委員会主任)の民選を中心とする「村民自治」(以下括弧を省略する)の改革が内外の注視の下に展開されている。この改革を、中国民主化の進展と見るべきか否か等の諸問題をめぐってさまざまな議論が交わされている。著者は従来の研究史を、政策論的アプローチ・構造論的アプローチ・制度論的アプローチに分類して整理する。そして、これらの村民自治研究は、その政策意図の解釈・村民自治制度と中国社会の現実との適合性とその将来性・市場経済の導入との関連・近代中国における地方自治制度の変遷等の問題を検討しているが、村民自治の実施過程において自治機能(民主的選挙・民主的政策決定・民主的管理・民主的監督)のもたらす効果や村民自治制度が導入される際の影響に関する社会学的実証研究は必ずしも行われてこなかったとする。そして、本論文の課題を、村民自治諸機能の発揮状況と村民自治実施に影響を及ぼす諸要素についての実証的な検討にあるとして、その方法(構造・機能アプローチ)について説明する。それはすなわち、国家が推進してきた村民自治制度が村へ「進入する」際に、各村に存在する構造的要素がどのように反応するかという「過程」に焦点に当て、村民自治制度と各構造要素との「相互作用と関係」及びその結果を分析することとされる。
 そして、本論文ではこのような分析方法に依拠して、以下の3段階について検討が進められる。第一に、村落社会を一つのシステムと見なした上で、村民自治制度が村に「進入する」際に、まず反応を示す政治支配構造及び社会構造が検討の対象とされる。第二に、この二つの構造を構成する諸項目を整理した上で、関係項目の具体的パターン(類型)について、まず、政治支配構造の構成項目である支配と被支配的要素の中間に介在する村権力組織の性格が説明される。村組織の性格は、その構成因子である共産党支部(党支部)と村民委員会の影響力の大きさによって規定される。たとえば、党支部の影響力が強い場合には、村組織は「行政志向的性格」が強く、逆に、村民委員会の影響力が強い場合には、「自治志向的性格」が強いと見ることができるとされる。次に、社会構造の構成項目を検討する際には、ゆるやかな家庭連携を中心とする「地縁構造的要素」と、村落エリート(精英)を中心とする「人治構造的要素」という視角を導入し、両要素のあり方の相違によってもたらされる村民の共通的帰属意識の変動傾向が、村民自治制度の実施に及ぼす影響について説明される。たとえば、前者の村民(家庭)は、地縁的な関係の深い「組」(家族集団や仲間集団も含む)に依存する合議的な傾向が強いと見られる。一方、後者の村落は、分散的家庭によって構成されているにもかかわらず、明確な権威的人物(エリート)の存在によって、村民の帰属意識が同一化される独裁的傾向が強いとされる。第三に、上記の両要素の「相互作用」との関連で対象とする4村落を、①集権・地域集約型、②集権・政治エリート中心型、③分権・社会エリート中心型、④分権・地域分化型、の4種類に類型化して、それぞれの具体的な実情に即して、村の概況・選挙・村政の運営の三つの角度から村民自治機能の実態を解明するものとされる。
 第一章では、本論文全体の前提にあたる部分として、近代以降の中国における地方自治制度の歴史的変遷と東北地域の村落権力構造の特質について、概況が整理されている。すなわち、まず前半では、近代中国とくに民国時期における各種の農村自治の試みとその展開過程が整理され、さらにその後の中国共産党の農村社会の管理メカニズムについて、「浸透期」(1949年~1954年)・「強化期」(1955年~1977年)・「再編期」(1949年~1998年)という3段階に区分して概観している。また後半では、東北地域(とくに吉林省)において清末以降の時期にどのように村落が形成されたのか、また村落管理システムがどのように変遷してきたのか、そして村落はどのような構造的特徴をもっているのかが整理されている。
 第二章では、主に村民自治制度の実施背景・実施過程および具体的な内容について詳細に説明されている。まず、その経済的背景と社会的背景に分けて分析が進められる。上から主導する形での変革・統制が行われてきた従来の農村管理体制とは異なり、今日の村民自治制度は、農村市場経済体制の導入と社会行政管理機能の弱体化という客観的状況の変化によって実施せざるを得ない問題として浮上してきたという背景がある。次に、村民自治の実施過程を自発的発生段階(1980年~1987年)・モデル地域の試験段階(1987年~1998年)・全面的展開段階(1998年~現在まで)の3段階に分けて、その発生の経緯が検討される。第三に、法令に規定されている「民主的選挙・民主的政策決定・民主的管理・民主的監督」という村民自治の規定を詳細に検討し、本論文で検討の対象とした各村がこれらの諸制度をどれほど忠実に執行しているかという検証基準を設定した。その上で、吉林省と桃南市における全般的な村民自治の実施状況を検討した。具体的には「海選」という選挙方式が吉林省で発生した経緯が整理されるとともに、桃南市の自然条件・社会経済的特徴などの概況が説明され、同市における村民自治の展開の実情が紹介されている。
 第三章から第六章までは、類型化した4つの村落について、各村における村民自治制度の実施の具体的特徴と実施状況がそれぞれについて詳しく紹介されるとともに、村民自治機能の実態について検討されている。
 第三章では、「集権・地域集約型村落」・段頭村(2001年の総戸数350戸人口1264人)における村民自治機能の状況についての考察を通じて、党支部を中心とする集権的村組織の村民自治制度の実施に及ぼす影響が検討される。この類型の村の基本的な諸特徴は以下の通りである。①党支部は絶対的な指導権と政策決定の際の最終的決定権を有している、②村民委員会主任は党支部の副書記を兼務することが村の「規約」によって定められている。すなわち、村民委員会主任は自動的に党支部の指導下に置かれ、両組織が一体化されることになる。③絶対的な指導権を有するのは党支部書記個人ではなく党支部組織であり、政策決定が行われる際には党支部の集団協議によって決定される。④村民委員会選挙はある程度「操作」されているにもかかわらず、その実施手順は比較的規範に沿ったものであって、村民は党支部の絶対的指導権を認めると同時に村民委員会選挙の「効果」も評価している。⑤このような選挙に示された村民の地縁的帰属意識は集約的傾向が強く、村落の社会構造に対してもより安定的に作用する。
 第四章では、「集権・政治エリート中心型村落」・宏図村(2001年の総戸数296戸人口1269人)における村民自治機能の状況についての考察を通じて、村で絶対的な権力と権威をもつ党支部書記の村民自治の展開に果たす具体的な役割が検討される。このような村の基本的な諸特徴は以下の4点にまとめることができる。①村の絶対的な指導権は政治エリートである党支部書記が有しており、党支部書記が村のあらゆる決定や行動に対して最終的な決定権を持っている。②村民委員会の選挙は党支部書記の「幹部養成理念」(後継者育成)によって進められ、選挙における「枠」の設定から人の選択までその「理念」が貫徹されている。③書記によって推進されている人民公社式の「隊為基礎」(各組を基礎とした独立管理体制)という管理体制の下では、財務・公共事業などの具体的な事務の直接の管理主体は村(組織)ではなく各組であり、事実上従来の「三級所有、隊為基礎」という一元化管理システムすなわち党支部の集権的一元化指導体制が維持されている。このため村民委員会にはとりあげるべき具体的な業務はなく、ただの形式的な空虚な存在にすぎないことになる。④書記による村の公正・透明・厳格な管理は村民から評価されており、その権威はそのために一層強化されている。⑤選挙が書記の影響力と管理下で行われた結果、村民の選好志向に地縁的要素などの多元的な帰属意識が表れることなく、書記の強い個人意志によって同一化される傾向が強く、村の社会構造は比較的安定した状態である。
 第五章では、「分権・社会エリート中心型村落」・増勝村(2001年の総戸数329戸人口1062人)における村民自治機能の状況についての考察を通じて、社会エリートである村民委員会主任が主導する分権型村の村民自治制度の実施情況が検討されている。村の基本的な諸特徴は以下の通りである。①社会エリートである村民委員会主任が、長年にわたって主任のポストを務めた実績によってその個人的な影響力は大きく、現書記の政治権力を上回る実権を有している。主任は村の幹部を務めると同時に、村の「族老」的な存在でもあり、村社会において強い社会的影響力を持つ人物である。②村の行政権力の配分から見ると、この村は党支部と村民委員会の権限が分けられており、村民委員会は党支部の政治権限以外のあらゆる行政業務についての最終的な決定権を有しており、その最終的な決定権は主任が持っている。すなわちこの村では主任を中心とする独裁的指導体制が形成されている。③主任は村の選挙活動を管理し、「自作自演」の選挙を行った。選挙中に主任は選挙の管理者という立場を利用して、選挙手順の「手抜き」などの方法で自分に有利な「選挙」を遂行した。④この村の村民自治は、その実行の過程から選挙後の政策決定まで、基本的に主任のコントロール下での密室的操作により行われているため、選挙などに示されるべき村民の共通的帰属意識や民主的参加など志向は完全に抑えられている。この村は行政的分権体制を有するにもかかわらず、独裁的傾向の主任の存在によって村社会の多元的性格が抑止され、エリート独裁に従う同一化傾向が強まっている。従って村民はこれに不満を持っており、村の社会構造は比較的不安定な状態にある。
 第六章では、「分権・地域分化型村落」・育林村(2001年の総戸数118戸人口451人)における村民自治機能り状況の考察を通じて、村民委員会が主導する分権型村の村民自治機能が検討されている。村の基本的諸特徴は以下のようにまとめられる。①党支部はその影響力が比較的弱いために党の業務のみを管理し、村民委員会が管理する業務決定などにほとんど参加しないという、完全な「党政分離」体制が存在している。②それは、党支部を中心とする集団的管理体制ではなく、村民委員会を中心とする分権的管理体制であるが、村民委員会主任は、第五章の村のような社会エリート的性格を持たず、個人としての影響力も第三章の村の主任のように強くないため、村民委員会を中心とする集団的管理体制が形成されている。③第一組出身の村民委員会の幹部は、選挙中さまざまな方法を使って自己の勢力範囲を確保し、他組の人間の村権力体系への進入を阻止している。こうして、村民の不満が蓄積されていることに伴なって、選挙をめぐる村の地域分化(組ごとの)現象が加速されている。④このような分化に伴い、この村には第三章の村と異なる様相の地縁的帰属意識があらわれている。それは、主任を中心とする「関係集団」が行う地域(組)に基づいた「関係作り」によって、第一組のメンバーを団結させ、第二組を無視するという地縁的帰属傾向を人為的に強めることであったが、そのために、このような村の社会構造はより不安定な状態に置かれることになる。
 終章では、以上の考察の結果に基づいて二つの結論が提示されている。
 第一に、村民自治の現状から見ると、国家によって規定された村民自治制度の諸機能は必ずしも十分に発揮されていない。まず、村民自治機能の基本である村民委員会選挙は規定された通りには行われず、選挙管理委員の決定・候補者数と具体的候補者の決定・投票の方法など実質的に制限された「枠内」で行われているために、村民の意志は十分に選挙に反映されてはいない。結局のところ選挙は形骸化の方向に向かって進んでいるといっても過言ではない。次に、選挙後に実現されるべき「民主的政策決定・民主的管理・民主的監督」という村民の民主的政治参加はことごとく無視されており、村民自治における「民主的選挙」の実施以外の他の諸機能はまったく果されていないのである。
 第二に、村民自治制度の実施に影響を及ぼす各種の諸要素の中で、最も重要な要素は政治的支配と被支配的要素の中心に位置する村権力組織の存在である。村の権力組織は、国家と社会(村民)の結節点としての地位を利用し、自集団の利益を追求するために村民自治制度の実施に実質的には抵抗している。4つの村における村民自治実施の状況に見られるように、制度の執行者である村組織は、村民自治を現実に推進する過程において必ずしも制度を規定通りに執行せず、常に自集団の利益に優先的に配慮して、しかも実現可能なあらゆる方法で制度を「操作」するのである。こうして、制度を選択的に執行したり形骸化させたりすることによって、自己の地位を確保している。この意味で、村民自治を代表とする基層政権建設の活動は、村組織にとって、村組織自身の部分的統制権の拡張と再建の絶好の機会でもあるとさえいえる。このような状況では国家の政策目的である村落統制の強化が実現できないだけでなく、国家と村組織との競合的関係を形成する事態さえ生じさせることになったのである。このような状況にある限り国家が村民自治制度の実施を通じて村民に「権限」を与え、「基層政権」である村組織を監督するという目的を実現することは困難であろう。

三、成果と問題点
 現代中国における村落の行政責任者である村長の選挙は、近年まで党支部によって推薦された1名の候補者についての村民による事実上の信任投票として行われてきた。また、村民大会での挙手によって唯一の候補者が村長に「選出」される場合も多くみられた。こうした党の指導の枠内における選挙方式を一変させたのは、1986年に吉林省の一村落において、政党による推薦ではなく有権者が村長候補者と村民委員会メンバーを自由に選出する「海選」方式が実施されたことであった。そして、それがマスコミの宣伝と吉林省政府の推奨を得たことによって全省に普及し、1997年の第4回の村民委員会選挙においては同省内の7736村中6498の村(84%)で「海選」方式が採用されるに至った。こうしたことから、中国農村における村民自治は現在まさにその草創期にあって、村の幹部も有力者も一般村民もこの新たな事態にどう対応すべきか直接問われる状況に置かれているといえるだろう。現在巨大な規模で進行中の問題であるだけにその研究を進めるためには、現地調査を行って村民自治が実施される現場の村落においてさまざまな立場の人々の意見を聴取するとともに関連文書資料を収集して、まずその実態を明らかにすることが必要となろう。
 本論文において利用されている主要な資料は、2000年6月・2001年6月・2002年7月~10月の期間に著者が吉林省桃南市の農村で実施した現地調査の成果である。著者は7か村の予備調査の結果から選択した4か村において、戸別アンケート調査(681戸)と村民・村幹部からの聴き取り調査(96人)を実施し、実際に選挙の投票・開票の場を直接観察して選挙の実態についての情報を得た。また、省・県・郷の関係機関幹部への聴き取り調査(17人)を行うとともに、中国政府の村民自治に関する法律や文献、当該地域の省・市・県政府の選挙関係諸資料・会議記録・档案や地方志など、多量の文献資料を閲覧・収集している。著者のこうした労を厭わない努力によって、村落の現場で選挙がどのように実施され、村民がそれにどう関わったのか、また選出された村長の村政運営をどう見ているのか等の問題について具体的な状況が明らかにされている。
 本論文の主要な成果として次の4点をあげることができる。
 第一に、村民自治についての中国政府民政部・吉林省政府・桃南市政府の法令・規則・実施細則等各種文書の検討によって、村民自治の制度的枠組みが明らかにされている。また、著者は、村民自治が「一元化国家がその統制を強化するために、既存体制の下に行う一種の基層安定策であり、必ずしも地方分権型の民主化や政治変革と繋がらない」ものであり、基層幹部の腐敗行為を監督する権限を村民に与えて、その不満を和らげることによって、基層社会に対する統制の安定を図ろうとするものであると指摘しているが、本論文での検討によってその観測が実証的根拠に基づくものであることが理解できる。
 第二に、村長・村民委員会とその上位機関の郷政府との関係が具体的に明らかにされている。著者の調査によれば、現在吉林省政府によって「村財郷管」(村の財務を郷政府が管理する)の改革が進行中であり、本論文でとりあげられている4か村の内2か村は、すでにこの体制に移行しているためにその村の党書記は「(自分には)金を集める権利しかない」とこぼしているという。他の2か村ではこの改革に抵抗して依然として村の財政権を郷政府に委譲せずに確保しているとのことであるが、このような重大な政策変更が村ごとの事情によって跛行的に実施されていること自体が、現在の基層社会の実情を反映した事態といえるだろう。こうした展開から見ても、現在の村民自治が村の自治権の増大を図るために導入されたというような単純な目的のものではないことが明白となる。
 第三に、各村における選挙実施の実情が極めて詳細が明らかにされている。それぞれの村で、選挙管理委員会の選挙・村民代表の選挙・候補者の選出・投票箱の管理・投票と開票の仕方等実際に選挙がどのように行われているのかが詳しく紹介されているが、具体的な実施にあたって、選挙宣伝から投票までに1か月の期間を要するものからわずか1週間で万事終了するものまでさまざまなヴァリエーションがあって、それは村の指導者(党書記あるいは現村長)の裁量次第であることが指摘されている。選挙を公正に遂行するための選挙管理委員・候補者数・投票方法までもが彼らによって決定されているという具体的状況が明らかにされたことは、現地調査によって得られた貴重な成果といえる。
 第四に、対象とする村を4つの類型の村落に分類してそれぞれの村政運営の特徴を分析したことによる成果である。ここで明らかにされているそれぞれの類型の村における村長・書記の村政運営の実情とそれに対する村民の反応は、現在の村民自治が村々に引き起こしている事態が村民の民主主義的権利の拡大につながるようなものではないことを如実に示している。 
 しかし、村民自治は現在全中国的規模で進展しつつある問題であり、具体的な実情とその問題点を明らかにした著者の努力は評価できるものの、今後に残された問題も少なくない。
 まず第一に、著者が採用した分析方法である「構造・機能アプローチ」を、現代の中国東北地区農村に展開している村民自治問題に適用することの当否という問題である。周知のようにこのアプローチは発展したアメリカ社会を想定して考案された分析方法であるが、それを機械的に中国東北の農村社会の問題に適用している感を免れない。また、そのことによって著者の意図した効果があがっているようにも思えない。この地域の農村は、山海関以南の中国本土に比較して村落形成からの日も浅く、しかも、共産党政権の下で共産党支部とその大衆組織(その多くは現在形骸化している)の他には中間的な社会団体が存在していない素朴な村落社会が点在している状況にあったということを念頭に置いて、著者の調査した現実を踏まえた上でこの分析方法の適用に際してもより周到な配慮が払われるべきであったのではないか。
 第二に、本論文の主題は1980年代以降の村民自治にあるが、それに先行する時期の村政機構・地方自治問題についての検討が十分にはなされていないことである。第一章において、民国時期・人民共和国時期の制度的な変遷の概況は説明されているものの、村落社会との関係等地域社会の側の問題はとりあげられていない。マーク・セルデン氏らの業績等の先行研究も十分参照した上でより具体的な論及が必要であったろう。
 第三に、本論文は東北吉林省での村民自治の実施過程について詳細に明らかにしているが、東北の農村は中国本土の農村と比較すれば歴史的蓄積も浅く、宗族等の伝統的勢力も弱体であり、この地域の例をもって中国全体の村民自治を代表させることには無理がある。今後の課題として、特徴の相違した地域、とくに村民自治のモデル地区である東南の沿海地域との比較研究が必要となるだろう。
 しかし、これらの問題点の多くは著者も自覚するところであり、その研究能力や着実に研究成果を積み重ねてきた従来の実績からみても、将来これらの点についてもより説得的な研究成果を達成しうる可能性は大きく、今後の研究の進展に期待したい。
 以上、審査委員会は、本論文が当該分野の研究に寄与するに十分な成果をあげたものと判断し、本論文が一橋大学博士(社会学)の学位を授与するに値するものと認定する。

最終試験の結果の要旨

2004年11月17日

2004年10月27日、学位論文提出者張文明氏の論文についての最終試験を行った。試験においては、審査員が、提出論文「現代中国における基層社会の構造変動と村民自治-東北四ヶ村の村民自治機能を中心とする実証研究-」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、張氏はいずれも十分な説明を与えた。
よって審査委員会は張文明氏が一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるものに必要な研究業績および学力を有することを認定した。

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