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博士論文要旨

論文題目:解釈レベルが楽観的な予測に及ぼす影響
著者:樋口 収 (HIGUCHI, Osamu)
博士号取得年月日:2011年7月29日

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 本論文の目的は,なぜ人は楽観的な予測をしてしまうのか,どのようにすれば,そうした楽観的な予測は低減できるのかについて,解釈レベル理論にもとづき,予測時の解釈レベルという観点から実証的検討を行うことである。
 著名な社会心理学者であるDaniel Gilbertは,動物と人間の違いについて,「唯一,人間という動物だけが未来について考える」と述べている。実際,私たちは1ヶ月後の自分や1年後の自分を思い描き,予測することができる。しかしながら,そうした予測は正確なものではない。加えて,予測する将来は,まだ起きていないことなので,ポジティブにもネガティブにも想像できるにも関わらず,ポジティブに歪んでいることが多い。こうした楽観的な予測は,過去に似たような経験があり,そのとき失敗しているにも関わらず,それを考慮しないために生じると考えられている。例えば,参加者に,レポート課題についていつごろ終わるのかを予測させると,実際よりも早く終わると予測しやすい。また,こうした予測は,レポートを予定どおりに終わらせることができなかった過去経験を思い出させても変わらない。すなわち,予測をする際,過去経験を思い出そうとせず,また思い出させたとしてもそれを考慮しようとしない。このような,将来の事について実際以上に楽観的に予測することは,これまで多くの研究で報告されている。こうした楽観的な予測は,起こり得る障害(リスク)を軽視することにつながるので,賢明な予防策をとらなくなるという意味で,楽観的な予測を問題視する立場がある。いいかえると,将来について考えたとき,ネガティブな将来は考えにくいため,目先の問題を問題と思わず,その解決を先延ばししてしまうことが考えられる。
 では,なぜ,似たような経験がある場合であっても,起こり得る障害を考慮せずに,楽観的な予測をしてしまうのだろうか。この問題を考えることは,楽観的な予測を低減させ,障害に対してきちんとした対処をすることにもつながるため,重要である。この点について,これまでの有力な説明の1つは,将来を予測する際の目標が情報処理にバイアスをかけるというものである。簡単にいえば,人は,自分がもつ目標に合った情報を検索しやすく,目標に不一致な情報を検索しにくいということである。例えば,外向的あるいは内向的な方が社会に出て成功するという(偽の)研究を実験参加者にみせた後,自分の行動を思い出させると,参加者は成功すると伝えられた方の行動(e.g., 外向的な行動)を思い出し,もう一方の行動(e.g., 内向的な行動)を思い出しにくい。この研究は,過去の想起に目標が及ぼす影響を扱ったものであるが,これと同様の情報処理が将来を予測する際にも働くと考えられている。そのため,例えば,将来自分が博論を書けているかどうか考えるときには,博論を書き上げるという達成目標に沿って情報処理を行うために,その目標に合致しない博論の障害は検索されにくく,また仮に検索されたとしても,予測をする際に利用されないと考えられている。こうして,将来に関する予測は,予測時の目標に沿ったものになる。そして,将来について考えるとき,ポジティブな目標はもつとしても,ネガティブな目標をもつとは考えにくいため,将来については楽観的に予測をすることが多く,ポジティブな目標をもっている場合の,楽観的な予測の低減方略はこれまでほとんど報告されていない。
 しかし,さきほども述べたように,こうした楽観的な予測は,起こり得る障害に対する対処をさまたげるため,楽観的な予測をどのように低減させるかは重要な問題である。そこで本論文では,上記のプロセスとは異なる,楽観的な予測の生起プロセスを提案することで,楽観的な予測の低減方略について検討する。具体的には,近年,急速に発展している解釈レベル理論にもとづき検討する。
 解釈レベル理論とは,心理的距離感と解釈のレベルに関する包括的な理論である。この理論では,判断対象といまここにいる(here and now)自分との心理的距離感が近いほど具体的な解釈を,心理的距離感が遠いほど抽象的な解釈をすると想定されている。心理的距離感とは,例えば,いつのことを考えているのかといった時間的距離感や,どこでのことを考えているのかといった空間的な距離感などを指す。そして,例えば,近くで犬を見かけたとき(i.e., 空間的距離感)には“ビーグルだ”と具体的に表現する一方で,遠くに犬を見かけたときには“犬だ”と抽象的に表現したりするように,判断対象までの心理的距離感に応じて,対象に対する解釈のレベルが異なるとこの理論では想定している。なお,ここでいう解釈レベルとは,記憶表象の階層構造に対応している。簡単にいうと,私たちがもつ知識や情報(e.g.,“ビーグル”,“犬”)は,私たちの記憶の中で,階層構造を形成して,貯蔵されており,抽象的な情報(e.g.,“犬”)はより上位に,具体的な情報(e.g.,“ビーグル”)はより下位にあると考えられている。そして,“ビーグル”と具体的に解釈しているときには,“垂れた耳”や“スヌーピーのモデル”といった具体的な情報に注意が向けられる一方で,“犬”と抽象的に解釈しているときには,そのような情報は無視されると想定されている。すなわち,心理的距離感が遠いときには,抽象的な情報に注意が向けられやすい一方で,具体的な情報は無視されやすいと考えられている。
 本論文は,このような心理的距離感と解釈レベルの関係から,将来に関する楽観的な予測の生起プロセスについて説明を試みたものである。行為同定理論によれば,私たちがもつ目標もまた記憶上で階層構造を形成している。具体的には,上位には目標(e.g.,“学業での達成目標”)が,下位にはその目標を達成するための手段となる行為(e.g.,“講義を真面目に聴く”“図書館で勉強する”)が表象として形成されている。このような目標の階層構造モデルから考えると,目標達成の障害(e.g.,“講義をサボる”“図書館が閉館中である”)といった情報は,表象構造の中でも下位に位置づけられている具体的な情報と関連していることが多い。そして,そのように考えると,心理的距離感が遠く,抽象的な解釈をしているときには,障害などの具体的な情報が無視され,目標という抽象的な情報が着目されるために,楽観的な予測が生じると考えられる。いいかえれば,心理的距離感が近く,具体的な解釈をするときには,障害などの具体的な情報が着目されるため,楽観的な予測が低減すると考えられる。なお,これまでの予測に関する研究が,遠い将来のことについて予測をさせていたと考えれば,本研究の予測と楽観的な予測の頑健性に矛盾は生じないと考えられる。

 以上の議論から,本論文は,以下の2つの問題について検討することを目的とし,それぞれの目的について4つの実験を実施した。
目的1 心理的距離感が異なるとき,解釈レベルが異なり,そのため判断の際に着目する情報の抽象度が異なることを示す。具体的には,心理的距離感が近いときには,具体的な解釈をしやすく,判断の際に抽象的な情報よりも具体的な情報に着目しやすくなる一方で,心理的距離感が遠いときには,抽象的な解釈をしやすく,具体的な情報よりも抽象的な情報に着目しやすくなることを示す。
目的2 目的2では,目的1の,解釈レベルと着目する情報の関係に関する知見を前提に,解釈レベルが楽観的な予測に及ぼす影響を検討する。具体的には,心理的距離感が遠く,抽象的な解釈をするときに楽観的な予測が生じやすい一方で,心理的距離感が近く,具体的な解釈をするときには楽観的な予測は生じにくいことを示す。

 本論文の第1の目的は,心理的距離感と着目する情報の抽象度の関係について検討することであった。そのために,実験1~4では,説得研究の文脈で実験を行った。説得研究では,説得メッセージを提示し,どのようなときに説得メッセージの方向に参加者の態度が変化するかを検討している。これまでの研究から,説得メッセージへの着目は,態度変化の必要条件であることが示されている。このことから,本研究では,具体的あるいは抽象的な説得メッセージを参加者に提示し,心理的距離感が態度変化に及ぼす影響を検討した。
 実験1,実験2では,禁煙を促す具体的なメッセージを喫煙者である参加者に提示し,時間的距離感が態度変化に及ぼす影響を検討した。実験1では,喫煙により発病する惧れのある病気を提示し,それらの発症時期で時間的距離感を操作した。その結果,喫煙をすると早くに発病する惧れのある病気(e.g., 息切れ)を提示した方が,将来発病する惧れのある病気(e.g., 肺がん)よりも,喫煙は体に悪いという方向に態度変化していた。直感的には,重い病気を記述した方が効果的に思えるが,そのような結果は得られなかった。ただし,この結果は,恐怖アピールとよばれる現象から説明可能であった。すなわち,提示した説得メッセージによって,強い恐怖が喚起された場合には,かえって当該メッセージを受容しないという現象である。そのような研究では,写真などを提示することで恐怖を喚起しているが,本研究ではそのようなことはしていない。しかしながら,肺がんなどの重い病気を提示したことが恐怖喚起につながった可能性は否定できない。そこで,実験2では,提示する病気は変えず,発病する時期のみで時間的距離感を操作することにした。
 実験2では,上記のように,喫煙により発病する惧れのある病気を提示し,それらの発症時期で時間的距離感を操作した。ただし,提示する病気は統一したものを用意した。その結果,実験1と同様,喫煙により早くに発病する惧れがあると記述したときの方が将来的に発病すると記述したときよりも,喫煙は体に悪いという方向に態度変化していた。この結果は,実験1の結果が恐怖アピールによるものではないことを示唆している。このように,いずれの実験においても,時間的距離感が近いときの方が参加者の態度は,説得メッセージの方向に変化していた。
 ただし,これらの研究には,2つの問題があった。1つは,提示したメッセージが本当に具体的なメッセージといえるかどうかであり,もう1つは,他の心理的距離感によっても本当に同様の結果が得られるかどうかである。そこで,実験3,実験4では,具体的あるいは抽象的な説得メッセージを提示し,空間的距離感が態度変化に及ぼす影響を検討することにした。説得メッセージの内容は,バイオ燃料を作るための(架空の)環境破壊に関するものであった。そして,具体的なメッセージでは“アフリカゾウが絶滅の危機に瀕している”などのメッセージが,抽象的なメッセージでは“動物が絶滅の危機に瀕している”などのメッセージが提示された。また,空間的距離感は,この環境破壊が起きている場所を提示することで,測定あるいは操作した。
 実験3では,空間的距離感を測定して行った。具体的には,上記の環境破壊が起きている国を地図で提示し,その国までの空間的距離感に回答を求めた。その結果,空間的距離感が近い場合には,抽象的な説得メッセージよりも具体的な説得メッセージを提示したときの方が説得メッセージの方向に態度変化していた。他方,空間的距離感が遠い場合には,具体的な説得メッセージよりも抽象的な説得メッセージを提示したときの方が説得メッセージの方向に態度変化していた。これらの結果は,本研究の仮説を支持するものであった。
 実験4では,空間的距離感を操作した実験を行った。具体的には,環境破壊が起きている国を示す地図で,日本からの距離が異なる地図を2種類用意し,いずれかを提示した。その結果,実験3と同様に,空間的距離感が近い場合には,抽象的な説得メッセージよりも具体的な説得メッセージを提示したときの方が説得メッセージの方向に態度変化していた。他方,空間的距離感が遠い場合には,具体的な説得メッセージよりも抽象的な説得メッセージを提示したときの方が説得メッセージの方向に態度変化していた。
 これらの結果は,本研究の仮説を支持するものであった。すなわち,心理的距離感(e.g., 時間的距離感や空間的距離感)が近い場合には,抽象的な情報を無視して,具体的な情報に着目しやすい一方で,心理的距離感が遠い場合には,具体的な情報を無視して,抽象的な情報に着目しやすかった。このことは,判断対象に対する心理的距離感に応じて,解釈レベルが異なることを示唆している。この結果を前提として,本論文の目的の2つめである,解釈レベルが楽観的な予測に及ぼす影響について検討した。
 本論文の第2の目的は,心理的距離感によって,解釈レベルが異なり,結果として,心理的距離感が遠いときに目標の影響がみられやすく,楽観的な予測が生じやすいということを検討することであった。実験では,心理的距離感(時間的距離感)や達成目標を測定あるいは操作して,それらが楽観的な予測に及ぼす影響について検討した。具体的には,テスト勉強やレポート作成の文脈を用いて,テスト勉強の際に(レポート作成の際に),どのくらい時間をかけるつもりなのかを尋ねた。
 実験5では,テストまでの時間的距離感や達成目標を測定し,それらがテスト勉強の時間予測に及ぼす影響について検討した。その結果,時間的距離感が遠いときに,達成目標の高い参加者の方が低い参加者よりもテスト勉強を多く行うと予測していた。この結果は,時間的距離感が遠いときに,抽象的な解釈をしやすく,そのため目標に沿った楽観的な予測が生じやすいという本研究の仮説を支持するものであった。ただし,この結果は,実際の遂行と比較をしていないため,厳密な意味では,楽観的な予測とはいえなかった。そこで,実験6では,実際の遂行時間にも回答を求めることにした。
 実験6では,テストまでの時間的距離感を測定し,達成目標を操作することで,それらがテスト勉強の時間予測に及ぼす影響について検討した。その結果,実験5と同様に,時間的距離感が遠いときに,達成目標が高まっていた参加者の方がそうではない参加者よりもテスト勉強を多く行うと予測をしていた。さらに,勉強の予測時間と実際の遂行時間の差分をとってみたところ,やはり同様のパターンを示しており,そのような予測が楽観的なものであることが示された(時間的距離感が遠く,達成目標が高まっていたときに,テスト勉強時間を過大に見積もっていた)。
 実験7では,レポート提出までの時間的距離感(i.e, 締め切り)を操作し,達成目標を測定することで,それらがレポート作成の時間予測に及ぼす影響について検討した。その結果,実験5,実験6と同様,時間的距離感が遠いときに,達成目標の高い参加者の方が低い参加者よりもレポートに多くの時間をかけると,楽観的な予測をしていた。これら実験5~7の結果は,本研究における仮説を支持する結果であった。本研究では,時間的距離感が遠い場合には,抽象的な解釈をしやすく,そのため抽象的な情報である目標に沿った予測をしやすいと想定していた。ただし,実験5~7で,時間的距離感が遠い場合に抽象的な解釈をしていたという証拠は得られていない。そこで,実験8では,時間的距離感を扱うのではなく,解釈レベル自体を操作して,実験5~7と同様の結果が得られるかを検討した。
 実験8では,解釈レベルを操作し,達成目標を測定することで,それらがテスト勉強の時間予測に及ぼす影響について検討した。その結果,抽象的な解釈をしたときに,達成目標の高い参加者の方が低い参加者よりもテスト勉強を多く行うと予測をしていた。この結果は,実験5~7で得られた結果と同様のパターンを示しており,時間的距離感によって,解釈レベルが異なっていたことを示唆するものであった。

 以上8つの実験研究から,本論文の目的となっていた,解釈レベルと楽観的な予測の関係について考察を行った。すなわち,本論文では(1)心理的距離感が近いときには具体的な解釈をしやすく,そのため,判断をする際には具体的な情報に着目しやすい一方で,心理的距離感が遠いときには抽象的な解釈をしやすく,そのため,判断をする際には抽象的な情報に着目しやすい(2)心理的距離感が遠いときには抽象的な情報に着目しやすいため,目標に沿った楽観的な予測を行いやすい一方で,心理的距離感が近いときには具体的な情報に着目しやすいため,障害などを考慮して楽観的な予測を行いにくい,という仮説について実験結果を踏まえて議論を行った。具体的には,まず,実験結果について簡潔にまとめた。次に,それらの実験研究の意義を,2つの目的ごとに議論した。すなわち,まず第1に,解釈レベルと判断の際に着目する情報の抽象度の関係について議論した。第2に,解釈レベルと楽観的な予測の関係について議論した。そして,最後に,本研究の知見からの示唆や限界,今後の展望について広く議論をした。
 その中でも,本研究で得られた重要な知見は,予測時の解釈レベルという観点から,これまで頑健な現象とされてきた楽観的な予測について,その生起プロセスと低減方略を示したことである。人間の情報処理は,判断対象との心理的距離感(e.g., 時間的距離感,空間的距離感)に応じて異なり,そのため同じ判断対象(e.g., テスト)であっても判断結果は異なり得る。予測の文脈でいえば,判断対象との時間的距離感が異なると,判断対象について予測する際に用いる情報も異なり,結果として予測も異なる。そして,本研究の知見からいえば,時間的距離感が遠い判断対象について予測するときには,抽象的な処理を行いやすく,目標に着目されやすくなる一方で,目標達成の障害は無視しやすくなる。そのため,楽観的な予測が生じやすくなる。このような,将来に関する楽観的な予測について,予測時の解釈レベルという観点からの検討は,これまでされてこなかった。しかし,本研究の知見から考えると,予測する事象までの物理的な時間が一定であっても(e.g., テスト1ヶ月前),時間的距離感が異なったり(実験6),あるいは解釈レベルが異なるだけで(実験8),予測は異なる。すなわち,時間的距離感が遠く,抽象的な解釈をするときには楽観的な予測が生じやすい。また,こうした楽観的な予測は,起こり得る障害に対する対処を促さないため,こうした楽観的な予測を低減することは,非常に重要な課題であると考えられてきたが,これまで楽観的な予測の低減方略はほとんど示されていない。しかしながら,本研究の知見をみると,時間的距離感が近く,具体的な解釈をしているときには,楽観的な予測は低減する可能性があることが示された。

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