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博士論文要旨

論文題目:韓国における労働力移動の展開とベトナム戦争―民間企業の軍事参加と人の移動を中心にー
著者:洪 志瑗 (HONG, Jiwon)
博士号取得年月日:2006年3月28日

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1. 提出論文の問題設定

本論では、ベトナム戦争への韓国軍の参戦を契機とした、韓国人労働者のベトナムへの労働力移動を中心に考察する。その中で、戦時中労働者として海外に出かけたプロセスと、労働者たちが戦地で果たした役割や労働環境などを明らかにする。それらを通して、戦時及び戦時体制における人の移動と戦後の移動とがいかに連続したものとして把握できるのか、また、戦時における民間人の戦争参与という側面を如何に評価するのかを考察する。
韓国人労働者のベトナムへの移動は、米軍を中心とする連合軍のベトナム戦争遂行を後方支援する、アメリカ企業や韓国企業で働くことをその目的としていた。本論は、1945年の米軍による韓国駐屯からベトナム戦争遂行に至るまでのアメリカの対アジア戦略が、韓国における労働力移動に与えた影響を考察する。それを通して、移民と戦争の関係、つまり戦争及び戦時体制と人の移動とが、どのような関係にあるのかを考察する。
本論は、ベトナム戦争期における韓国のベトナムへの「企業進出」を、韓国国内においてすでに経験されていた米軍に対する軍納の延長として捉える。朝鮮戦争を前後とする朝鮮半島の南半分が、アメリカのアジア戦略の中で反共基地化する中で、韓国の用役・建設軍納企業は、駐韓米軍に対して各種サービスを提供していった。韓国企業の進出に伴った労働力移動は、その後の中東への労働力移動の展開に決定的に重要であった。本論はこうした一連の過程に注目し考察するものである。
さらに、海外への労働力送出を説明するにあたって、送出される労働力が国内においてどのように形成・析出されたのかを考察する。産油国への移動と北米など先進諸国への定住型移民の増加は、農村流出者の首都ソウルや輸出加工区への移動時期に起こった。すなわち、国境を越える移動は、農村から都市への大規模な国内移動と並行して起っていたのであり、そうしたなかでの韓国国内の人の移動による労働力の形成という側面を取り上げる。
先行研究として本論は、マッセーのアジア移民に関する議論、アメリカの軍事政策や外交と移民との研究領域、「強いられた移動研究」や難民研究への批判、そして韓国における韓国軍の参戦を巡る研究などをその立脚点とする。
今までの移民研究が対象としてきた時期は、戦争のない、いわゆる平和な時期であった。移民研究において、戦争は異常状態として捉えられてきた。しかし、本研究ではむしろ、戦争が移民の流れをつくりだす役割を果たしている点を明らかにし、こういった現象が近代において一般的に行なわれてきたことを検証する。そして、戦争中の移動は国家政策に従ったものではあるが、民間の積極的参加による大規模の移動を通して行なわれ、従来の強制移民だけでは捉えきれないことを明らかにするところに、その研究意義がある。
本論は、アメリカにおけるアジア移民の増加が、ベトナム戦争の結果であったという、マッセーの指摘を手がかりに、それを韓国の移民に適用してみようとする試みである。それとともに、小井戸のいうアメリカのプレゼンスによる移民の増大に関して、韓国における米軍駐屯とベトナム戦争を契機とする人の移動に焦点をあわせるものである。
 研究方法として本論は、文献・資料研究を通した実証的アプローチを導入している。本論を論証していくために最も重要な1次資料となるのは、1994年から2005年までの間に韓国の外交通商部が公開してきた外交文書と韓国の政府記録保存所に保管されているベトナム関連文書である。

2. 本文の構成

第1章では、韓国国内における移動が、高度成長とともにどのように変化し、労働者プールが形成されてきたかのを考察する。農村から都市への膨大な人口移動は、農村経済への商品経済の浸透と密接な関係があり、それは換金作物の栽培や都市への交通の利便性などからもたらされるものであった。そうように自分の地域共同体を離れることとなった人たちは、自給自足の経済から賃労働者化される。そこには失業者やインフォーマルセクターに属している人が含まれており、それは巨大な労働力プールとして形成される。地域共同体との乖離そして、賃労働者としての立場は、外部の条件が整ったとき、海外への移動をより容易なものにする。以前より少ない家族構成の中で、決定そのものがより簡単になっただけでなく、より高い賃金は労働者として生きてゆく状況の中で大きな魅力となるからである。さらに、離農によって形成された過剰人口が、政府の「意図せざる結果」であり、積極的にその送出を進める場合、それはより容易となる。
 第2章では、韓国の送出国としての側面を、農業移民やドイツへの炭鉱夫、看護士としての移動、そしてアメリカ、中東への移動から考察し、韓国政府と人々の海外移民への対処をみてみる。労働力送り出しは失業率の改善と外貨獲得の手段とみなされ、国の積極的な奨励とバックアップによって進められた。労働力進出の基盤となったベトナム戦争への韓国兵と労働者の派遣、西ドイツ政府との協定に基づく労働力の送り出し、中東への出稼ぎなどに、韓国政府は積極的に関与していた。送り出しの背景には送り出しを推奨している政府の働きかけが常にあったのである。それは「意図せざる結果」としての過剰人口と失業問題の解決を目指すものであった。
第3章では、韓国国内における米軍への軍納提供とKSCに関して考察する。軍納工事は技術や経験の習得のみならず、さらには、韓国企業と建設や輸送分野に携わる米軍関係者たちとの間の人的なつながりを確立した。技術の蓄積と米軍関係者との密接な関係は、ベトナムへの韓国企業の進出を促す重要な要因であった。朝鮮戦争への国連軍としての米軍の参戦は、韓国労務団(KSC)という民間人団体を創設させた。KSCは朝鮮戦争に参戦している米軍の後方支援をするために、強制動員され、朝鮮戦争が終結した後にも存続した。KSCは、韓国政府が労働者を募集し、米軍に提供した。本論では、韓国政府が労働者を募集し、米軍側がその労働者を雇用するシステムが、韓国国内において存在していることに注目して考察する。
第4章では労働者たちが建設軍納企業のベトナムへの進出に伴い、送出される経緯を考察する。韓国企業のベトナム進出の目的が、新しい市場開拓というよりも、アメリカとその同盟国としての韓国の戦争遂行に対する、軍需提供であったことを明らかにする。アメリカの会社の下請けとしての建設企業、そして米軍と直接契約を結び多くの収益を出した用役企業を、本論では扱う。現代建設、三煥企業、韓進商社、京南企業、そして物品軍納としての三星物産を取り上げる。
ベトナムにおいて建設工事は、アメリカの大手企業のジョイント・ベンチャー会社であったRMK-BRJがベトナム市場を独占していた。韓国の企業はアメリカの大手企業の下請けとして参加する程度に過ぎなかった。しかし、韓国建設企業にとって、ベトナムでの工事経験は大変貴重な経験となった。建設企業のベトナム進出は、用役軍納企業に比べその収益は少なかったものの、中東進出への契機をつくったという点で大変重要な意味をもった。企業の進出と労働者の送出が同時に行われるプロジェクト型労働力移動は、決定的なものであった。
第5章では軍納提供による外貨収入が多かった、用役軍納分野を取り上げる。その中でも港湾荷役と陸上輸送部分は、韓進商社と大韓通運京南企業の2社が、用役部門の80%以上の収入を上げた。                                                     
港湾荷役・陸上輸送は、米軍の要求するあらゆる軍需品を基地や戦線まで運ぶ大変危険な任務であった。そうした部門は、米軍当局と直接契約を締結しており、動員される労働力は運搬と運転が可能な単純な労働力であった。用役軍納企業のベトナム進出は、ベトナム戦争の後方支援をその目的としていた。軍需物資の輸送や港湾荷役部門がそうしたサービスの大部分を占めており、韓進商社のような韓国の新興財閥が登場する契機にもなった。
第6章では、アメリカの会社へ雇用される労働者たちの送出に関して論じている。雇用主としてのアメリカの会社、労働者たちの労働状況などが明らからにされる。労働力の移動が民間戦闘要員としての役割を果たすための移動であったことを明らかにする。民間人と民間企業の移動・進出においても、その目的が、軍需物資の提供、軍への用役提供であったことに見られるように、それらもより広い意味での軍事参加であり、戦争支援であったことを明らかにしていく。
第7章では、後方支援を行う民間人労働者と攻撃に晒される民間人の、加害者あるいは被害者としての側面について論じ、また彼らが、政府にとっては管理の対象であったことが中心的に論じられる。

3. 結論と補論について 

1) 結論について

結論、第5章では、現代アジア移民の最大の受け入れ先であった中東へ、韓国がプロジェクト型労働力移民を展開するようになった背景には、それ以前のベトナムへの進出が重要な意味を持つ。さらに遡ると、駐韓米軍の駐屯とそれにより派生した軍納工事とのかかわりが、不可欠であった。中東進出が本格的になる前の東南アジア、グアムなどの太平洋地域への進出にも、米軍駐屯や軍納工事を媒介としたアメリカとのつながりが重要であったのだ。
中東への労働力送り出は、韓国の経済や社会に大きな影響を与えた。主に建設労働者の送り出しであったため、国内労働市場における建設労働力の不足を引き起こした。建設分野における労働力不足は賃金を引き上げる要因となり、それは労働市場全体の賃金上昇の引き金となった。また、海外にいる労働者からの送金は韓国の国際収支を改善すると同時に、経済成長を刺激する要因ともなった。海外への送出は、海外からの送金が家計を維持するための戦略として組み込また。そして外貨獲得のため、建設労働者の送り出しを国家政策として維持するには、その家族への管理・統制は不可欠であった。また、中東建設プロジェクトは、単に男性のみが海外で労働統制される過程として行われたのではなく、男性と女性がそれぞれ異なった形で動員された過程として理解しなければならない。
韓国軍の派兵とそれに伴う民間企業の進出、そしてそれにつづく韓国企業および外国企業に雇用される労働力の進出は、その後の中東進出への送出に決定的な役割を果たした。用役、建設部門における韓国民間企業の進出は、そうした民間企業で就業する技術者や技能工及び単純労働者の移動を引き起こし、そこでつくられた送出のシステムはその後中断されることなく、作動したのである。送出システムは政府機関、企業、そして個人と、あらゆるレベルで継承された。
第2に、本研究では、移民の流れを作り出す上で、戦争の果たした決定的な役割を明らかにした。そして戦争が終わることでその移動が終わるのではなく、戦時中の移動がその後の平常時の移民につながっていく過程を考察し、そのなかで送出システムが形成されたことを検証した。戦争は、移動する人々にとって決して異常な状態ではなかった。労働者達は戦場への移動であったがゆえに生命の危機に晒されはしたものの、それは平時の移動と変らなかったのである。
第3は、戦時期における軍人の派遣だけでなく、企業や労働者といった民間人の自発的な参与がもつ意味を検討する。労働者たちは米軍への各種のサービスを提供し、また建設工事に参加した。戦争の後方支援は、米軍へのサービス提供がその目的であり、韓国人労働者はそうした仕事を担当したのである。労働者を取り巻く労働環境は決してよいものではなく、賃金や労働条件の改善などをめぐってストライキが起こり続けた。ストライキを起こした労働者は、強制送還の対象となっており、民間人であるにも関わらず、韓国軍憲兵による取締りを受けた。韓国政府にとって、労働者は外貨を稼ぐ愛国産業戦士あると同時に、管理の対象であり、労働者としての権利は必要に応じて守られるものでしかなかった。
一方、米軍へのサービスを提供する韓国人は、北ベトナム当局や民族解放戦線からすれば敵であった。戦線のない戦争と言われたベトナムにおいて、多くの韓国人民間人がテロ、拉致、攻撃などで亡くなった。労働者たちは戦争への協力者であり、同時に韓国政府からは管理の対象であり、戦地における被害者でもあったのだ。
こうした労働者たちの主体性を認め、彼らの行為が戦争遂行の一環であったと認識するならば、労働者たちの責任という問題をも考えなければならない。その移動に強制性が認められず、労働者としての権利を主張する個人としての主体性が発現していたとするならば、彼らの戦争遂行という行為に関する責任を追及する可能性もまた、そこから開けてくるであろう。

2) 補論について

補論は、本論を踏まえた上で、ベトナム戦争が持つ現在性に注目して議論を展開する。第1に、韓国においてベトナムへ派兵するために行った憲法改正が、現在のイラク派兵への法的根拠になっていることを明らかにする。第2に1999年から2001年までベトナムに駐在した韓国人外交官の回想録を通して、ベトナム派兵をめぐる問題が、韓国にとって如何に現在的意味をもつものであるかを提示する。
第3には、ベトナム参戦の現在性を確認した上で、その現在性をいかに受け止めるべきかを、ベトナム作家バオ・ニンの『戦争の悲しみ』から読み解く。それらを通して、ベトナム問題の現在性とどう向き合い、そして戦争における経験を異にする人々との連帯は、どうすれば可能であるのかを考えてみたい。
バオ・ニンは、自己防衛的な領域において戦争を語っているのではないことで他の自己防衛的戦争批判とは異なっている。戦争そのものが人間をいかに傷付けたか、そしてそれを経験した者は、もはや以前の生活に戻ることなど決してできはしないのだ、という現実について語っている。そこにはそれこそ、勝者も敗者もなく襲いかかる戦争の悲しみがあるだけだ。
参戦軍人への補償の問題と戦争そのものの多様な側面が明らかになることとは相反するものではない。むしろ「反共戦士」というレッテルが、参戦軍人の精神や思いを抑え込む役割を果たした部分はないかどうか見直す必要がある。
勝者と敗者が自己防衛的な語りから離れ、悲しみを共感しあうことで新たな連帯の可能性が開けてくるのではないだろうか。悲しみの連帯には、苦痛を被っている人たちの悲しみをもたらした原因に、自分が連累してはいないかという考慮が伴わなければならない。

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