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博士論文要旨

論文題目:ニューディール期アメリカ国家像の再構成--ニューディール・リベラル派内の対抗と労働リベラル派の構想--
著者:中島 醸 (NAKAJIMA, Joh)
博士号取得年月日:2004年7月23日

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本論文の目的は、ニューディール期に追求された国家体制のあり様を検討し、その特徴を抽出することである。改革的立法がもっとも集中した1935年から37年までの第二期ニューディールに着目する。論文は、フランクリン・D・ローズヴェルト政権の社会労働政策に大きな影響力を有していたリベラル派を「労働リベラル派」と「ビジネス界リベラル派」とに区分し、リベラル派内部の政治構想の異同を分析することで、労働リベラル派の政治構想が戦後西欧で安定的に成立した福祉国家的な要素を有していたことを明らかにした。経済復興に関する議論と、35年成立の全国労働関係法(the National Labor Relations Act:ワグナー法)・社会保障法(the Social Security Act)、1937年合衆国住宅法(the United States Housing Act of 1937:37年住宅法)という三つの改革立法にかかわる立法過程の議論とを考察の素材として用いた。
 1980年代以降の先進諸国における新自由主義的改革は、各国でその内容と進展の程度を大きく異にしており、その背景には「抵抗勢力」の力量や特質に差異が存在していることが指摘されている。ゆえにこの現状を理解するために、それぞれの戦後体制のあり様そのものを検討することが求められる。アメリカの戦後体制は、西欧や日本とも異なる独特な様相を持っていた。政治過程においては、労働者政党が政権をとった西欧とも、自民党が戦後ほぼ一貫して政権を担ってきた日本と異なっていた。社会保障制度の脆弱性や労働運動の特徴(特に政治との関係)も独特であった。アメリカには、西欧とも日本とも異なる独特の戦後体制が成立していたと考えることができるのである。こうした戦後アメリカ体制の構造的特徴と形成過程を理解することが、本論文の第一の問題関心である。
 歴史的に見て、戦後政治体制に通ずる要素が現れたのは、国家機能が社会・経済への恒常的な介入を始めた第一次世界大戦前後の時期であった。アメリカにおいてこの現代国家が成立したのが、ニューディール期であった。したがって、現代アメリカの独特の様相を解き明かすためには、ニューディール期とそれ以降の展開を研究することが必要である。現代国家としてのアメリカの始点となったニューディール体制の歴史的位置づけを再考することが論文の第二の問題意識である。
 ニューディールに関する研究はきわめて膨大である。特に、80年代以降には「解体対象としてのニューディール」に関する研究が多く行われてきた。そうした研究の中で、ニューディール期に実現した国家体制は、現代アメリカの基礎を成しているという理解がほぼ共通のものとなっている。しかし、その歴史的国際的位置づけは意外にも明瞭であるとは言えない。
 「コーポリット・リベラリズム」論と、ニュー・レイバー史学やゼータ・スコッチポル、ディヴィッド・プロトケらの間で議論されたニューディール改革の主導勢力に関する現在の研究の到達では、アメリカ的独自性を持ったリベラル派が指導的役割を果たしたことが明らかにされた。リヒテン・リヒテンシュタインやアラン・ウルフなどの研究からは、ニューディール期と第二次世界大戦後とで、労働運動の産業行動・政治要求の質、政治の質が大きく転換していたことが指摘される。また紀平英作はワグナー法と社会保障法を取り上げ、ニューディール期に、労働組合保護を通じた労働者階級統合と国家機能の多様化との二つ政治要素を持った国家機能が成立したと指摘する。
 しかし、ニューディール期の国家体制を理解するうえでは大きな疑問が残る。労働運動がその性格を変容させた戦後体制との比較や、西欧福祉国家との異同を念頭に置きつつ、ニューディール期国家構想の特徴を描き出すことは不十分であった。特に、ニューディール期のリベラル派が労働運動にニューディール政治秩序の基盤として期待した役割の具体的内容についてのリベラル派内の対抗が描ききれていないのである。こうした先行研究の到達と問題の背景には、労使関係安定化のための連邦政府の介入、全国的な社会保障制度の創設、需要創出に貢献するための積極財政支出政策の採用といったニューディール期に連関をもって追求された国家体制の特徴がうまく把握されていないことがあげられる。そして、その構想はリベラル派内でも一致はしていなかったのである。
 第1章では、リベラル派の政治構想に関する本論での分析の前提として、ニューディール期リベラル派の登場の歴史的経緯や対抗関係など見取り図を描いた。
 世紀転換期以降のアメリカ産業構造の変化と社会改革論の対抗の中で、レッセ・フェール主義から「社会的自由主義」へとその思想傾向を大きく転換させたリベラル派は、民主党の支持構造の転換とともに、民主党内部での影響力を増大させた。その代表的な政治家としてニューヨーク選出の連邦上院議員のロバート・F・ワグナーをあげることができる。本論文では、こうしたリベラル派が、労働運動との緊密な関係を持ちつつ、労働政策や社会改革政策など包括的経済・社会改革を構想し、実際に活動していたことから、その政策志向を重視し、労働リベラル派と呼ぶ。論文で労働リベラル派の分析の中心にこのワグナーを取上げたが、それは、彼が労働リベラル派のなかでも包括的な国家構想を明確に提示し、かつ立法活動も多岐にわたっており、その重要なものは実際に成立しているという理由からであった。また同時に、ビジネス界においても、大恐慌と深刻な失業問題に直面し、穏健な使用者たちの中に、労使関係の安定化の道筋の模索、連邦政府の関与への期待においてビジネス界主流の考えとは異なる潮流(ビジネス界リベラル派)が現れてきたことを指摘し、当時のリベラル派内の対抗関係をまとめた。
 また本論での分析において着目すべき点として、現代国家の戦間期と第二次世界大戦後とでその性質が異なることから、リベラル派内の対抗関係を社会改革の立法に見られる政治構想から読み解く際に、社会改革と経済発展との連接(国家介入の質)、改革や体制の基盤となる担い手という二つの点をあげた。
 第2章では、ニューディール第二期の改革立法を制定するに当たり、ワグナーら労働リベラル派とビジネス界リベラル派が産業構造の変化と復興の方策に対していかなる認識・問題意識を有していたかを分析し、彼らがリベラル派とくくられる共通認識について論じた。
 当時のリベラル派は、保守派との対抗の中で、アメリカ経済の基盤が変化することで繁栄の方向も変化し、その下での真の自由を実現する手立ても変化しているという認識で一致していた。ここにリベラル派としての共通の基盤が存在していた。しかし、労働リベラル派とビジネス界リベラル派とでは、復興を実現する具体的展望に関して、立場が異なっていたのである。労働リベラル派の代表的政治家のワグナーは、国民生活水準の改善を伴った復興を、労働者への団結権・団体交渉権を保障した上での労使関係の安定化と、失業保険といった社会保障政策、財政支出を伴った公共事業の三つの政策を、同時に追求することで実現しようとしたのであった。対して、ビジネス界リベラル派の議論は、真の復興の方策として購買力付与に関して、産業規制と国民への経済的保障といった一般的な方向性は触れるものの、具体的な政策展望についてはあまり明瞭には語ることができなかった。
 ワグナーが構想していた富の分配平等化の第一の方策は、労働者への使用者との対等な交渉力の付与、対等な交渉力を持つ労使による団体交渉の実現のための、国家(立法)による企業の労働者側への妥協の「強制」であった。第3章では、ワグナー法の立法過程におけるリベラル派と保守派、リベラル派内の対抗関係を、全国産業復興法(NIRA)体制の評価、ワグナー法の具体的条項・規定に関する論点(不当労働行為規定、使用者による組合への干渉・「会社組合」の禁止、労働者への経済的圧力のみの規制、団体交渉労働者代表選出選挙における多数決原理、全国労働関係委員会NLRBの権限拡大)、ワグナー法全体の評価にかかわる論点(法の労使関係への介入の評価、憲法上の連邦権限の拡大)に焦点を当てて分析した。
 労働政策に対するリベラル派の見解は、労働リベラル派とビジネス界リベラル派、ひいてはビジネス界リベラル派内部でも、完全に一致したものではなかった。団結権・団体交渉権という労働に特有の権利を付与することを認めることでは、リベラル派は共通していた。しかし、労働者の独自の権利を保障する際の具体的な方策に関しては、階級立法的な立法を認めるか否か、行政権限の労使関係分野への介入を認めるか否かでは、意見が割れていた。それがワグナー法を支持するかどうかを分ける対立点であった。労働リベラル派とビジネス界リベラル派内のワグナー法支持派は、ワグナー法が、労使関係という「私的」領域へ労働者が有利な形で政府が干渉する権限を認め、使用者の行動を一方的に規制することに賛成したが、ビジネス界リベラル派の中でもワグナー法反対論者はビジネス界保守派とともに反対したのである。
 さらに労働リベラル派は、不熟練労働者たちを主力とした産別労働運動が軸となった労使関係と経済復興の実現を展望していたが、これはビジネス界リベラル派ワグナー法支持者とも立場を異にする点であった。ビジネス界リベラル派内ワグナー法支持派は、労働組合主義のみに労使関係を収斂させるということには反対し、従業員代表制も含めて多様性を保障するよう求めていた。対してワグナーは、産別、州レベル、全国レベルでの労働者の組織化が実現して初めて労働者階級が全国的課題や政治課題などに対する十分な交渉力を持つことができると述べ、労働組合の広範な組織化が行われる必要性を強調していた。
 この違いは、単に労働政策・労働立法の役割を労使間関係の紛争の解決という観点から考えていたか、それとも産業復興やその下での安定的な国家運営の実現という観点で考えていたかの違いであると思われる。そういった意味では、ワグナー法がニューディール期の改革の中で果たすべき役割として期待されたことは、単なる労使関係の安定化だけでなく、労働者の団結権・団体交渉権の保障による経済的同権化を実現するという福祉国家の柱の一つとなることであった。
 第4章では、ワグナーが購買力の平等的分配の第二の方策として掲げていた、社会保障制度の制定、具体的には1935年の社会保障法制定過程における議論を検討し、ニューディール第二期の改革構想や産業復興などとの関連で、ワグナーら労働リベラル派が、社会保障制度をどのように位置づけていたかを考察した。具体的には、貧困・失業問題に対する評価、連邦が関与した全国的制度としての確立、経済復興への道筋、労働政策との連関という四つの論点を扱った。
 リベラル派は、購買力の広範な分配、富の平等的再分配が産業復興に必要不可欠であるとの認識については基本的に一致しており、一致して貧困からの脱却は個人の資質の問題ではなく国家の責務であり、そのための全国的制度の創設を支持していた。
 しかし、労働リベラル派とビジネス界リベラル派とでは、失業保険の制度に求める効果が異なっていた。ビジネス界リベラル派は、多少、温度差があったものの社会保障法には全体として支持していた。その際に、彼らほぼ全員が要求した主たる点は、企業が失業保険を導入することのインセンティヴを高めることであり、その観点から好況企業が非効率分野の失業者の負担まで担うことを強制されないシステムを力説したのである。それに対して、ワグナーは、失業保険導入のために企業にインセンティヴを与えることの必要性は認めていたものの、同時に失業保険そのものの購買力の分配の実現の手段としての位置づけ、所得の再分配効果をより重視していた。その際、所得再分配の実効性を保証する役割を、広範囲に組織化されることで十分な要求実現能力を有する労働組合の産業行動に求めたのである。
 このように両者の発想には、富の再分配機能について大きな違いがあった。これは、社会保障制度を、購買力の平等的分配に依拠した産業復興への道筋で、どのような役割を果たすものとして位置づけていたかの違いを反映していた。
 第5章では、復興の遅れている分野における新規投資先を開拓し、国民の購買力を平等的に向上させるという二重の目的をもつ公共事業政策の中でも、中核として位置づけられた公共住宅政策に関する論争を、37年住宅法の立法過程における議論を素材に検討した。
 労働リベラル派は、低所得者、低賃金労働者の住環境の改善と、住宅産業の奢侈品産業から基幹産業への質的転換を伴った産業復興の実現という二重の目的を重視し、その二つの目的を実現することを公共住宅政策の役割として期待していた。ワグナーが37年住宅法に求めた役割は、民間企業における生産が急激に発展するのに対して国民の購買力が追いつかず、住宅産業が奢侈品産業として活動していた1920年代的なアメリカ経済の状況を転換させることであった。その転換は民間企業の行動原理だけでは実現不可能であるため、連邦政府が関与し、その道筋を作るということが想定された。
 それに対して、合衆国商業会議所(CCUS)などのビジネス界リベラル派は、低所得者層への住宅供給が復興に与える有意義な影響は認めていた。しかし、復興に必要な購買力向上の方策に関して、直接的に連邦政府が財政支出を伴う方向には批判的であり、連邦政府が財政支出を行って公共住宅建設に乗り出すことには反対であった。彼らは民間産業の中所得者向け住宅建設を活発化させる政策に取りかかることで、結果的に国民の雇用の拡大・購買力の向上につなげる、という構想を持っていたのである。
 こうしたCCUSとワグナーとの争点の意味は、購買力を平等的に付与しつつ経済復興を進める際に、どの程度、連邦政府が資金的にも法的にも行政的にも関与するか、というテーマをめぐるものであった。
 終章では、「ニューディール期の社会労働改革を先導したリベラル派」の共通点と差異をまとめつつ、特に労働リベラル派の国家構想が、その社会労働改革の内容と実現のための支持基盤(担い手となるべき層)の点で、第二次世界大戦後に西欧で発展する福祉国家に通ずる要素を持っていたことを考察した。
 ビジネス界リベラル派と労働リベラル派の間では、産業復興に広範な購買力の分配が不可欠であることは共通認識となっていたが、具体的な実現の方策、つまり国家の公的介入をどこまで認め、どのような意味を持たせるのかについては、見解が大きく異なっていた。
 購買力を平等的に分配することを実際に実現するためには、現実の経済の中で不利な立場に置かれている特定の階級・階層の利益を保護し「優遇」する政策を、「中立」であるべき法律(しかも連邦法)でもって、規定しなければならないが、ビジネス界リベラル派の中にはそうした立法に反対する層が存在していた。それが、ワグナー法という階級的に偏った内容をもつ法律に対する態度の違いや、社会保障法の役割やその産業復興との連関に対する考えの違い、さらには財政支出、公共住宅政策に対する評価の違いに現れていたのであった。この違いは、個別の改革への評価の違いというものではなく、目指すべき体制の全体像が異なっていることを表したものといえよう。特に、改革と復興を両立させることに対する発想の違いが根本にあった。これが、個別の課題での立場の違いに反映したものであった。
 また、ビジネス界リベラル派の中でももっともリベラルで、労働リベラル派に近い立場にあった20世紀基金のメンバーは、こうした改革や政策に対する姿勢は、労働リベラル派と同じであったが、改革された体制を安定的に推移させるための政治的経済的担い手を誰に求めるかといった点では、労働リベラル派、特にワグナーの発想(産別レベル、全国レベルに組織化され、全国的課題・政治課題への関心と影響力を有する労働運動)、とは異なっていたのである。
 そして、実際の改革立法の中身や第二期ニューディール期の改革、社会労働政策の全体像を考えると、内容面での主導権は、労働リベラル派が握っていたことがわかる。同時に、ある程度の制限は受けつつも、労働リベラル派が構想した骨格が基本的には実現しており、政治過程においても、労働リベラル派の位置がきわめて大きかった。
 労働リベラル派の政治構想の特徴は、以下の四点にまとめることができる。第一は、包括的な社会改革を、国民への厚い購買力付与という形で新たな大量生産大量消費という段階での安定的経済成長と両立させることを目指した点、第二は、労働政策、社会保障政策、公共事業政策などを連関させた包括的な国家介入による社会改革構想であった点、第三は、この包括的な社会改革構想の安定化させる基盤に労働者組織(の発展)を考えていたこと、第四は、第二期ニューディールにおける改革構想を体制概念として、ファシズムと共産主義とは異なる新たなリベラリズムの体制として捉えていたことであった。
 労働リベラル派が主導したニューディール期の改革には、1910年代イギリスにおいてリベラル派が主導して行われた一連の社会改革(大衆社会の第一段階)と、30年代から第二次世界大戦を通じて発展した福祉国家(豊かな社会段階の大衆社会)との両方の特徴が見られる。改革の担い手に関しても、リベラル派が主導したものであったが、そのリベラル派の中でも、改革、政策の主たる担い手・基盤を労働者階級(の組織化)に託そうとした構想を持った労働リベラル派が主導権を握っていた。
 後発であるがゆえに、労働運動の高揚のインパクトを受けながら、労働リベラル派の比重が大きくなる中で、リベラル派が全体としては主導権を握って改革を進めたのが、ニューディールであった。社会改革の開始が遅れたがゆえに、福祉国家的要素の萌芽が見られた。リベラリズムが主導したといっても、そのリベラリズムの中でも中核的位置を占めていたのが、1910年代前後の西欧社会改革の経験とその後の政治過程・労働運動の展開を踏まえた労働リベラル派であり、その構想においても、第二次世界大戦後に西欧で展開された福祉国家へとつながる要素が窺われた。これが本論文のニューディール期アメリカ国家像の理解である。

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