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博士論文審査要旨

論文題目:暴動の文化史―18世紀ロンドンの論争、風刺、ジャーナリズムから―
著者:萩田 翔太郎 (HAGITA, Shotaro)
論文審査委員:森村敏己、 秋山晋吾、 井川ちとせ、 坂下 史

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1 本論文の概要
 本論文は18世紀ロンドンにおける暴動を当時の報道はどのように描写し、解釈し、意味づけたかを分析することを通じて、暴動を報じること、暴動を「事件」として描くこと自体が様々な社会問題を摘出するための主体的な作業であったことを示し、それにより、歴史家によって事件を「伝える」媒体として分析されがちであった史料を、「事件」を創出した知的活動の産物として再解釈しようとする意欲的な研究である。

2 本論文の成果と問題点
 本論文の成果として強調すべきは以下の点である。
 第一に、当時の報道が暴動という行為の何に注目し、どのような説明を試みているかを分析することで、ある出来事が当時の人々によっていかに「事件」として認識され、どういった意味を与えられたのかを18世紀の社会的・政治的文脈を背景に詳細に分析したことである。それにより、後の歴史研究による解釈を相対化し、対象とする「暴動」について異なる理解の可能性を示した。歴史史料も主体的に構築されたものであり、確定することが常に可能な「事実」を客観的に伝えるものでないことは言うまでもないが、本論文はこうした観点を徹底し、当時の報道がしばしば現在とは異なる枠組みに沿った説明を行っていることを明らかにすることで、これまでの歴史研究が採用しなかった解釈、重視してこなかった要素を浮かび上がらせている。第2章のテーマである「キャリコ裂き」における戦争との関わりや党派対立、第4章で注目される「雇われた暴徒」への言及はそうした事例である。逆に、当時の報道ではほとんど意識されなかったにもかかわらず、後の研究が創出した説明あるいは読み込もうとした意味も指摘される。たとえば、第3章が論じる水兵による娼館襲撃という事件を、民衆の慣習的権利への侵害に対抗する暴力、代執行と見る解釈は18世紀当時には存在しなかったし、そもそも水兵が暴力を振るった論理に当時の報道は関心がなかったとされる。
 第二に、暴動を報じる同時代の言説それ自体が民衆の行動を分析し、解釈することを通じて社会を描き、社会が抱える問題を明らかにしようとする行為であって、その意味で当時の報道そのものが民衆を通じて社会を理解しようとする「下からの社会史」の実践であり、その後の歴史研究にとっての先行研究でもあるという立場を取ることで、本書は従来から取り上げられてきた史料について新たな読み方を提示することに成功している。成果の第一点で指摘した既存の歴史研究の相対化は、新しい史料の発掘による新「事実」の発見によるものではなく、あくまでそれが書かれた時代の文脈の中で史料を読み直すことによって行われており、この点で既知の史料であっても豊かな可能性を含むことを示したと言える。
 一方、本論文には以下のような問題点も残されている。
 著者は歴史家の解釈が誤りで、当時の報道が「事件」の正しい解釈だとしているわけではない。言い換えれば、アクセス可能な真正な「事実」に後の歴史家と同時代の報道のどちらがより近づいているかという問題設定ははじめからなく、あくまで事実を伝える史料とされてきた言説自体が事件の主体的解釈であることを示すことに本書の主眼がある。それは後の歴史研究による解釈を相対化するには有効な方法だが、あらゆる解釈を相対化することで、歴史的事実に関する相対主義や不可知論に至るのではないかという疑念も否定しきれない。こうした疑念が生じる要因のひとつは、当時の文脈に沿った史料の新たな読みが、その後の歴史解釈の単なる相対化を超え、どのような積極的意義を有しているかについて著者が十分な説明を行っていないことにあると思われる。書き手による表象行為と表象される出来事との関係や、報道によって行われた解釈と意味付けが現実の行動に及ぼす作用などについて、もう少し踏み込んだ理論的考察を序論で行っておくべきだったのではないか。
 ただし、こうした問題点は著書も十分に自覚しており、本書の学術的価値を損なうものではないと考える。

最終試験の結果の要旨

2020年2月12日

 2020年1月17日、学位請求論文提出者萩田翔太郎氏の論文についての最終試験を行なった。本試験において、審査委員が、提出論文「暴動の文化史−18世紀ロンドンの論争、風刺、ジャーナリズムから−」に関する疑問点について逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、萩田翔太郎氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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