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博士論文審査要旨

論文題目:移動する職人・労働者と社会変動-産業リストラクチャリング下の日米建設労働者をめぐる比較社会学的分析
著者:惠羅 さとみ (ERA, Satomi)
論文審査委員:小井土彰宏、町村敬志、木本喜美子

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1.本論文の概要
 本論文は、1970 年代以降の労働過程論における技能に関する論争を通した理論的展開を踏まえ、その成果を建設産業の労働過程における技能の変動分析に応用し、アメリカ合衆国と日本という対照的な性格を持つ 2 つのナショナルな文脈で産業再編成=リストラクチャリングの技能への影響を多次元的に分析したものである。本研究は、日米両国の複数地点で長期間にわたる労働組織と労働現場へのフィールドワークの成果を基礎として、両国における産業再編過程の技能の再生産に対する影響の差異と共通点を焦点に置いて、労働組合をはじめとする労働運動の変貌、移民・外国人労働の包摂の中での実相を描き出し、社会的、生活的基盤を支えるこの産業が現在抱えている困難なジレンマの構造を提示した。
 本論文は 3 部構成をなす。第 I 部では、本論文の基礎的な問題設定と分析枠組みが提示される。序章においては、日米の建設産業の構造特性の比較が行われ、第 1 章では、労働過程論を再検討し、先行研究の整理により、技能 skill の概念を、技術、自律性の三つの側面からとらえるとともに、より広範に労働過程を把握するための経済、政治、イデオロギーの三次元から分析する多次元的な分析フレームワークが提示される。
 第 II 部、第 2~4 章では、現代アメリカ合衆国の建設産業の変貌を、規制緩和を契機として閉鎖的なクラフト労働からオープンな労働市場への歴史的変遷を追った上で、マイノリティ、特に新規移民が 1980 年代以降にいかに包摂されていくかに焦点を当てて検討しいく。この中で、特に第 3 章では拡大する日雇い労働者に注目し、非正規を含む移民労働者を包摂しながら、彼らの権利を擁護し公正な労働条件を確保する戦略としてのワーカ ー・センターと呼ばれる拠点がいかに生み出され、それが機能しているかを分析してい る。第 4 章では、労働組合運動の変貌を社会運動ユニオニズムと呼ばれる新しい運動の潮流を分析したうえでその中に建設労働組織の動きを位置づけ、他方で伝統的なクラフト労働を代表する大工ユニオン UBC における移民労働者を包摂する様々な実践や戦略を検討し、新旧の労働組合を貫いている変貌する建設労働の現場と拡大し続ける新移民労働者への対応における課題を考察した。
 第 III 部、第 5~7 章では、日本の建設労働の変貌過程を、まずアメリカ合衆国と対照的に近代化・都市化の時代に職人的労働市場から不安定的労働市場への移行ととらえ、そこで編成されていったゼネコンを頂点とした重層的下請けが、1990 年代以降転換期を迎え、新たなアクターの登場と一人親方に代表される個人化の流れの中で、技能の再生産が困難をきたしている実情を描いていく。このようなインフォーマルな技能形成のメカニズムの崩壊過程を受けて、後継者養成の新しい技能育成の制度化が図られ、外国人の技能実習生も単なる労働者であることを超え、このような技能形成メカニズムの中に組み込まれつつ拡大をしていることが描き出される。そして、最後に、日本の建設労働組合運動が、90 年代以降の産業再編成の結果としての末端での労働条件の悪化の中で革新を迫られ、現場技能者の組織化と労働市場の統制を目指す運動へと転換しつつあり、新たな方向を模索する複雑な構図を描き出している。

2.本論文の成果と問題点
 第 1 に、本研究の意義の一つは、ブレイヴァーマン H. Braverman 以来の労働過程論において展開した「熟練の解体」deskilling 論争を踏まえ、さらに 80 年代に展開した生産におけるフレキシビリティ flexibility 論争を受けて、労働過程の現代的な変容を多次元的に分析する枠組みを構築し、これを建設産業において徹底して応用した点にある。生産と労働過程のフレキシビリティ論争は、主に製造業を中心に行われたが、本論文は、これを建設業という元来大型構造物の単品受注生産を基本とする産業に応用し、この産業の変貌を単なるマクロの変動分析や労働条件をめぐる記述的な研究に終わらせることなく、構造的にとらえる視点を打ち出すことで、労働社会学の理論研究とその視野の拡大に大きな貢献をした。
 第 2 に、建設労働が 20 世紀初頭により特権的な労働者層としてマイノリティを排除して確立した合衆国と、逆に近代に入りそれが重層的下請け制度によって多くの流動的労働者層を組み込むことになった日本という対照的なナショナルな文脈で、労働過程の変容を実証的にかつ多角的に比較分析した点がある。これまで、建設産業に関して両者の差異は認識されていたものの、両者の現代的状況を実証的に体系的に比較したものはこれまでなかった。この比較を通して、両極にも思える 2 つの国において、新自由主義的な規制緩和と再編成の中で、アメリカにおいてはオープンショップ制による特権の切り崩しにより組合主導の制度化した技能形成が揺らぎ、日本においては自律的な現場技能者たちによるインフォーマルな技能形成がもはや成り立たなくなることで、両者ともに技能再生産の危機をはじめとする、諸点で接近していることを示した価値は大きい。
 第 3 に、このような分析を行うために、アメリカにおいてはロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ボストン、セントルイス、そしてマイアミ等といった多様な需要構造と移民労働者の構成をもつ諸地域でのフィールドワークを実施した。他方、日本においてはこの産業の実情を知るために建設労働組合の内部で長期に実務を担当し参与観察を行うとともに、「野丁場」といわれる公共工事を含む大規模建設現場、住宅建設を主体とする「町場」の両面でその労働過程、訓練、組織化の活動を繰り返し観察してきた。この結果、移民労働者を含めた労働者、自律化した技能者である小規模事業者、組合活動家、移民支援 NGO 活動家等の、多様なアクターの労働の現状に関する生々しい声を拾い上げ、産業の変貌過程の中での就労と生活への影響を活写している。また、単に二か国の多地点での調査に基づくというのみならず、きわめてジェンダー化した男性優位の職場である建設業において、女性研究者が果敢にこれらの調査に取り組み、このような内側からの声を引き出し、分析を成し遂げた意義は大きいと考える。
 第 4 に、このような実証分析により、例えば、日本の住宅市場におけるパワービルダーと呼ばれる新たなビジネスモデルを持つ企業が、資材の工業的加工や作業機械の拡大によって如何に熟練を解体しながら同時に自律的技能者たちを利用し、彼らをジレンマに追い込んでいるかといった、熟練の再生産における危機の構造に関わる発見を数多く提示している。
 第 5 に、国際社会学的な観点から見るならば、流動的な移民労働者を包摂する新たな社会的メカニズムの分析への貢献も大きい。例えば、これまで日本では体系的に分析されてこなかった各地に形成されたワーカー・センターと呼ばれる日雇い労働者の職紹介機関に着眼し、流動的な労働者の権利を守るその機能を詳細に検討したことを挙げることができるだろう。これに加えて、労働組合が移民労働者をしだいに包摂しながら変容して、ビジネス・ユニオニズムを超えて社会運動型ユニオニズムとよばれるコミュニティを基盤とし多様な移民たちの課題の解決を目指す新たな組合運動の活動実践の詳細な分析を行うなど、建設業を舞台に移民と労働市場、労働運動の関係を多角的に描き出すことに成功している。
 最後に、現在日本の建設産業は、かつての土建国家といわれた公共投資依存型から、新自由主義的な諸政策を受けてのリストラクチャリングを経て、再び震災復興、「国土強靭化」政策、2020 年東京五輪などの特需を受けて、多くの建設技能実習生を受け入れるなど、一時的に活況を呈している。本論文は、このような表層的な業界の「回復」の下に、100 万人といわれる団塊世代の労働者の退出といった高齢化要因と、技能を伝承するメカニズムの解体傾向により、長期的に産業としての危機が潜んでいることに警鐘を鳴らしている。理論的実証的な営為に基づくこの分野における長期的な意義を持つ研究であると同時に、現代日本の課題に直結する社会的な意義をも兼ね備えた研究であると評価できる。

 本論文は、このような多くの点で、労働社会学・国際社会学等に貢献する成果を上げたと考えられるが、以下のような限界や問題点を有している。
 第 1 に、日米二国間比較の中で、現代における移動する建設労働者の包摂を検討しているが、アメリカ側における多様な労働現場やその組織化、権利擁護の具体的な戦略の詳細な 分析に比して、日本側の技能実習生の組み込みの分析は最新の動向ではあるとはいえ、未だ 厚みにかける。これは、日米における移民労働力の規模や比重の差によるところが大きいが、改善の余地がある。本論文研究の最終段階で、日本の建設業者によるベトナムにおける技能 者養成機関に関する 3 回にわたるフィールドワークを行ったことで、日本における越境的な技能形成の仕組みを分析し補完したが、今後この取り組みでの研究のさらなる進展を望みたい。
 第 2 に、フィールドに深く内在しての調査に基づく詳細な実証分析は、その長大な記述ゆえに、その後の理論的な総括部分は相対的にやや簡略という傾向がある。また、各部分間の連関が、その事例の具体分析の中でも要所において論じられたならば、より論旨が明快となったと考えられる。この点は改善の余地がある。
 第 3 に、長期にわたる調査の中で、理論的な再検討も繰り返した結果と思われるが、理論的検討を経て整備された分析枠組みが、実証の結果の論点を先取する傾向があり、この峻別は、今後の出版において改善するべき課題と考える。

 以上、主な問題点を記したが、これらについては口述試験の質疑応答において、筆者自身の見解が説明され、今後の課題としても認識が得られた。近い将来の研究においてこれらが克服されていくものと十分に期待できる。また、これらの課題にもかかわらず、本論文が達成した成果を損なうものではない。

最終試験の結果の要旨

2018年2月14日

 2018 年 1 月 24 日、学位請求論文提出者、恵羅さとみ氏の論文について最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文「移動する職人・労働者と社会変動 ―産業リストラクチャリング下の日米建設労働者をめぐる比較社会学的分析」 に関する疑問点について説明を求めたのに対し、恵羅さとみ氏はいずれも充分な説明を与えた。
よって、審査委員一同は、恵羅さとみ氏が一橋大学学位規則第 5 条第 1 項の規定により、一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定する。

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