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博士論文審査要旨

論文題目:フランスの保育サービスと女性の就業―家族政策と親・ケア労働者の相互行為の視座から―
著者:牧 陽子 (MAKI, Yoko)
論文審査委員:田中拓道、伊藤るり、白瀨由美香、舩橋惠子

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1. 本論文の概要

 フランスは、手厚い子育て支援により、女性の高い就業率と高出生率を両立させている国として知られている。3歳児以上に対しては幼稚園が整備される一方、3歳未満の乳幼児に対しては、保育所による集団保育以外に、家庭において子どもを預かる(保育ママ)、あるいは親の家庭で子どもをケアする(ヌリス)という保育のあり方が普及している。本論文は、こうしたフランス独自の保育のあり方が、どのようにして女性の高い就業率と結びついているのかを、二つの観点から解明しようとした労作である。第一は、家族政策の観点である。本論文では、家族政策の歴史的な変遷をたどることで、フランスが保育所の整備ではなく、家庭での保育サービスの拡充へと向かった経緯を明らかにしている。第二は、当事者の相互行為の観点である。本論文では、家庭での保育サービスを利用する親、および保育ママ、ヌリスの計38名にインタビュー調査を行い、相互の交渉においてどのように保育の報酬、サービスのあり方が決定されているのか、実際にどう保育が行われているのかを描き出している。この二つの観点を組み合わせることで、フランス型の保育が女性間の階層格差、ジェンダー間の格差、エスニシティ―間の格差を再生産するという側面を持ちつつも、全体として女性の就業を可能にしている、と結論づけられる。

2. 本論文の成果と問題点

 本論文の成果は以下の三点にまとめられる。
 第一は、フランス型の乳幼児保育の実態を、政策と政策を利用する当事者の双方の観点から、立体的に明らかにした点である。従来の研究では、行政文書やマクロな統計データを用いた比較、あるいはケア労働者への個別のインタビュー調査のどちらかが行われるにとどまり、両者を結びつけた考察は乏しかった。本論文では、徹底した資料調査とパリ、シャルトルに住む計38名へのインタビュー調査を組み合わせることで、ケアの利用者および労働者が、制度や政策をどのように主体的に活用し、自らの望むケアや報酬を手にしているのかを解明した。その結果、フランス型保育のいくつかの特徴が浮き彫りとなった。すなわち、ケア利用者、労働者の多くが保育所での集団保育を望んでいるにもかかわらず、実際には家庭での保育サービスが発達してきたこと、高額所得者ほど質の保障の伴わないヌリスを利用していること、などである。
 第二の成果は、上記のインタビュー調査によって、保育ケアの利用者、労働者の一人一人のライフコースが詳細に明らかにされた点である。利用者である親の多くは保育所での集団保育を望みながらも、その数の制約や時間的な制約によって、保育ママ、ヌリスなどを柔軟に活用し、就業を継続している。低学歴層が多い保育ママ、移民労働者が大部分を占めるヌリスは、それぞれ自らも家庭を持ち、子育てを行いながらこれらの労働に従事し、一部は高い報酬を手にしたり、資格を取得して身分的上昇を遂げたりしている。こうした実態は既存の研究ではほとんど触れられてこなかった点であり、本論文の重要な貢献と言える。
 第三の成果は、移民ケア労働者の陰影に満ちた実態を明らかにした点である。従来の研究では、公的な資格認定のないヌリスに従事する移民は、劣悪な労働を強いられ、搾取に遭いやすいとされ、いわば「ポスト植民地主義」的な文脈の中で把握されてきた。本論文では、特に保育需要の多いパリにおいて、ヌリスが利用者である親に対する強い交渉力を持ち、相対的に高い報酬を手にしていること、最低賃金制や労働協約によって一定の保護を受けていることを明らかにした。その一方で、高所得の親(女性)はヌリスを柔軟な労働力として選別・活用しており、女性およびエスニシティ―間の階層関係が再生産されているという側面もある。このように当事者間の交渉に保育を委ねるというフランス型の解決は、必ずしも安定的とは言い難い需要・供給のバランスによって支えられており、様々な矛盾を内包していることが明らかにされた。
 以上のように、本論文は全体として優れた成果を挙げているものの、いくつかの問題点も指摘できる。
 第一は、質的調査の方法について改善の余地が認められることである。本論文では計38名へのインタビュー調査が行われているが、対象者がいかなる基準によって選別されたのか、そこにいかなるバイアスが含まれているのかについて、十分な説明がなされているとは言い難い。確かに協力者を探し出すことは容易ではなく、様々な工夫を積み重ねた跡も見られるものの、調査の限界、サンプリングの偏りについてさらに説明を加えることで、本研究の信頼性は高まったのではないかと考えられる。
 第二は、家族政策だけでなく、雇用政策との関連についてさらに検討する余地が残されていることである。家庭での保育サービスの拡充は、女性に就労の場を提供するという雇用政策の一環として行われた側面がある。また雇用契約の観点から見ると、保育ママとヌリスの労働は性質も位置づけも大きく異なっている。これらの点を考慮に入れることで、フランス型保育の特徴、その長所と問題点をさらに浮き彫りにすることができたのではないかと思われる。
 ただし、以上の問題点は本論文の学位論文としての水準を損なうものではなく、著者自身も十分に自覚している。近い将来の研究においてこれらが克服されていくものと十分に期待できる。

最終試験の結果の要旨

2017年5月15日

 2017年5月12日、学位請求論文提出者、牧陽子氏の論文について最終試験を行った。本試験において、審査委員が提出論文「フランスの保育サービスと女性の就業」に関する疑問点について説明を求めたのに対し、牧氏はいずれも充分な説明を与えた。
 よって、審査委員一同は、牧陽子氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により、一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定する。

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