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博士論文審査要旨

論文題目:悲しみを伴った感動が強まるとき―有限の顕現化と社会的価値の見出しが及ぼす影響―
著者:加藤 樹里 (KATO, Juri)
論文審査委員:村田光二、稲葉哲郎、安川一、樋口匡貴

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1. 本論文の概要

 本論文は、「感動」と名づけられた感情状態の規定因を、社会心理学の立場から実験法を用いて解明しようとするものである。日本の先行研究によると感動には、「喜びを随伴した感動」、「悲しみを随伴した感動」、「驚きを随伴した感動」の3つの類型があるという。このうち、「悲しみを随伴した感動」が本論文で焦点を当てるものと説明される。これは死や別れを含む物語を読み味わうときに感じるもので、最終的にポジティブ感情に至る中にネガティブ感情が含まれるという性質を持つという。この感動の大きさを左右する要因として、まず、死や別れに伴う有限の顕現化(自己が有限の存在であることを再認識すること)があると著者は論じる。他方で、感動は対象から何らかの普遍的な価値を見出すときに感じるもので、その価値を見出す程度の大きさが感動の大きさを規定すると論じる。特に、悲しみを随伴した感動の物語では他者との死や別れが描かれることが多く、友情や愛情などの社会的価値を見出すことがもう1つの規定因になるという。したがって、著者が検証しようとする主要な仮説は、「有限の顕現化と社会的価値の見出しが悲しみを随伴した感動を強めるだろう」である。加えて、「見出した価値を体現する事象に対して、ポジティブな態度変化が生じるだろう」と、感動することの帰結に関する仮説も提出している。これらの仮説を、実験参加者に物語形式の映像や文書を提示し、それが引き起こした感動の程度を測定し、各条件間で比較して検討した。その結果、おおむね仮説を支持する結果を得た。その上で、研究の意義と限界について幅広く考察したものが本論文である。

2. 本論文の成果と問題点

 本論文の第一の成果は、実証的な感動研究の先駆的業績の1つと考えられることである。「感動」には対応する英語の名詞表現が無いことから、海外では近年までほとんど研究が行われず、国内でも事例研究や調査研究を除くと先行研究がほとんど存在しない。これに対して本論文では、「有限の顕現化と価値の見出しが感動を強める」という理論仮説を示した上で、実験参加者に物語形式の映像や文書を提示し、それが引き起こした「感動」の程度を測定して条件間で比較し、仮説を実証した。直接の先行研究のない、オリジナルな研究業績といってよく、多くの感動研究を推進する礎になると考えられるだろう。
 第二に、上記の一部であるが、社会的価値の見出しの要因を操作する新しい方法を考案して実験を行い、仮説を支持する証拠を得た点である。著者自身の以前の研究では、社会的価値志向性の高低という個人差変数を用いて実験を行っていたが、これでは因果関係を示す証拠としては不充分であった。そこで、お金のプライミングによって孤独感を生み出し、それがかえって他者との関係の重視につながり、社会的価値を見出しやすくするという手続きを考案した。研究4の実験結果は、確かにお金プライミング条件で社会的価値の重視が高まり、それが感動を強めているという媒介効果を実証した。これは、国際的にも重要な知見だろう。
第三に、実験方法、特に「有限の顕現化」の操作手続きに工夫がみられ、著者が独自に開発した方法を含めて多彩な手続きを用いていることである。その1つが計算課題を使って、有限を顕現化する手続きである。これは、実験群では著名人物の生年と没年を示し、その差を計算してもらって生存年数を解答させるものである。他方の統制群では、同じ数字を用いて単なる計算問題をさせている。どちらでも問題を多数解くことによって、前者では人間に寿命(という有限性)があると気づかせることに成功している。他にも乱文構成課題を用いて有限をプライミングする手続きや、物語から別れ描写を取り除く改変版を統制群に示して比較する手続きなどを利用している。いずれの方法でも結果が再現されており、妥当性の高い研究となっている。
第四に、自己の有限性と価値の無限性(永遠性)との対比という枠組みで、他類型の感動も議論した点である。著者の議論によれば、「喜びを随伴した感動」は、好結果に至る途上に困難が多いほど強く感じることが多いが、それは困難さが有限性を顕現化し、達成という価値を見出すからだと論じている。また、「驚きを随伴した感動」は芸術作品や自然の圧倒的な造形美に接したときに生じるもので、対象が示す美や神などの永遠の価値と比べて、自己の矮小さが感じられるから生じると論じている。後者は、感性的感動とも呼べるし、「畏敬(awe)」感情として海外で研究されているものとも密接に関係する。本研究の理論的枠組みを用いた実証研究を、他類型の感動や類似感情の研究に適用していく可能性を示しているだろう。
そして、本研究は、感動の応用研究を開拓する第一歩ともなっている点も成果として指摘したい。テレビ・コマーシャルの中には、短時間の映像であるにも拘わらず、私たちに感動を呼び覚ますものがある。こういったコマーシャル映像が、提供する会社や商品のイメージをアップすることはが経験的に知られてきたと考えられるが、本研究はその実証的証拠を提出している。証拠としてはまだ不充分な点があるが、今後につながる成果だろう。
 以上のような成果が認められるものの、本論文にはいくつかの問題点も指摘できる。
まず、本論文で取り上げた2つの規定因の因果的役割に曖昧さが残る。本研究で操作した有限の顕現化と社会的価値の見出しが、参加者の感動を強めたことを実験結果が示している。しかし、そもそも「感動的な」物語の中にどちらの要素も備わっていたから感動したと言えるだろう。このとき2つの要因は感動の「原因」と言えるのかどうか、場合によっては「構成要素」であって、それを量的に増加させたことに伴って感動の程度が増えた、と考えられるかもしれない。
 次に、上記で第二の成果として記述したお金プライミングによる孤独感が、どうして対比的に他者との関係を動機づけるのか、必ずしも明確でない。プライミング効果の研究では、対比効果が生じることもしばしばあるが、同化効果が認められることの方が多い。孤独感が生まれることによって、社会的価値を志向しなくなることの方が生じやすいのではないだろうか。この点については、いつ対比効果が生じるのか、もっと明確な議論が必要だと考えられる。
 最後に、感動の測定方法がやや素朴で、「感動した」といった複数の用語に本人がその程度を回答したものを合算平均して用いている。この方法のみだと、「感動」の研究なのか、「感動の素朴概念」の研究なのか、区別が不明である。今後は、生理的指標をとるなど、自己報告に頼らない感動の測定方法を工夫することが望まれる。
 もちろん、以上の問題点は本論文の成果と水準の高さを損なうものではなく、著者自身も充分に自覚しており、将来の研究において補われ克服されていくと期待されるものである。

最終試験の結果の要旨

2017年2月8日

2016 年 12月28日、学位請求論文提出者・加藤樹里氏の論文について最終試験を行った。本試験において、審査委員が、提出論文「悲しみを伴った感動が強まるとき―有限の顕現化と社会的価値の見出しが及ぼす影響―」に関する疑問点ついて逐一説明を求めたのに対し、氏はいずれも充分な説明を与えた。
よって、審査委員一同は、加藤樹里氏が一橋大学学位規則第5条第1項の規定により一橋大学博士(社会学)の学位を授与されるに必要な研究業績および学力を有するものと認定した。

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