研究・教育活動

サイトトップへ戻る

博士論文一覧

博士論文要旨

論文題目:日教組婦人部産休代替法・育児休業法制定運動の考察―戦後日本における「男女平等の実現」をめぐって―
著者:跡部 千慧 (ATOBE, Chisato)
博士号取得年月日:2016年3月18日

→審査要旨へ

0. 章立て
序章 問題関心と本研究の課題
 0-1. 問題関心
 0-2. 本研究の構成
第1章 先行研究の到達点と課題
 1-1. 女性教員職を研究する意義
 1-2. 戦後の女性教員研究
 1-3. 産休代替法制定に関する研究
 1-4. 「女性教員等の育児休業法」に関する研究
 1-5. 小括:本研究の課題
第2章 考察する対象と分析視角
 2-1. 本研究の方法論
 2-2. 使用するデータ
第3章 日教組婦人部の運動と基本方針
 3-1. 結成時から1970年代にいたる日教組婦人部運動
 3-2. 戦後の女性教員の動態と運動
第4章 「母性保護」を戦略的なタームとした産休代替法制定運動
 4-1. 先行研究における産休代替法の評価
 4-2. 分析方法と対象
 4-3. 「命を守る」闘いとしての産休代替教員要求:構想から運動方針化段階
 4-4. 産休代替教員法制化に向けた母親との連帯運動
 4-5.産休代替教員の処遇をめぐる運動展開
 4-6. 小括
第5章 「労働権」を戦略的なタームとした育児休業法制定運動
 5-1. 先行研究における論点
 5-2. 分析方法と対象
 5-3. 育児休業制度の構想から運動方針化段階
 5-4. 育児休業制度の提案から法成立へ
 5-5. 小括
終章 結論と残された課題
 6-1. 女性労働史を捉える視座
 6-2. 女性教員の1960年代・70年代
 6-3. 今後の課題

1.問題設定
本研究は、教員職において、女性労働者の結婚・出産後の継続就労が可能になった過程を、労働運動に着目しながら明らかにしようとするものである。女性教員は、小学校で1969(昭和44)年度に女性教員率が5割を超えて以来、結婚・出産後も就労継続する労働者として着目されてきた。日本教職員組合(以下 日教組)婦人部(現 女性部)は、女性の労働権確立を目指して運動し、その成果として1960年代から1970年代にかけて産前産後休暇(以下 産休)の保障や育児休業が制度化された。高学歴女性が「主婦化」の担い手となった時代の渦中において、女性教員は、こうした制度を利用しながら、その多くが結婚・出産後も継続就労してきたという点において、注目すべき女性労働者群である。この意味において、日教組婦人部の産休保障および育児休業の制度化という運動の達成は重要であり、先行研究もこれを高く評価している。
一方、近年になって、女性管理職の出現が乏しいという教員職内部のジェンダー間職務分離の問題が指摘されている。しかしながら教員職は、他の職業に先駆けて高学歴女性の結婚・出産後の継続就労を切り開いてきたという点において、解明に値する研究対象であるといえる。とりわけ、日教組婦人部は結成時から、女性教員の継続就労を要求してきた重要なアクターであるにもかかわらず、その運動過程は管見の限り明らかにされていない。そのため本研究は、原資料を用いて、教員職において女性が妊娠・出産後も就労継続できる環境が整備された過程を解き明かしていく。この過程を解明するために、第二次世界大戦後、日教組婦人部が取り組んできた産休代替法制定運動、および育児休業法制定運動を分析対象とする。これらの運動を高学歴女性労働者の継続就労の道を開いた足跡として位置づけ直すことが、本研究の大きな課題である。

2.本研究の位置づけ
本研究では、これまでの研究上の知見を洗い出すために、女性労働史研究、女性教員  研究と、本研究が対象とする産休代替制定運動、育児休業法制定運動に関する研究を検討した。近年の戦後女性労働史をジェンダー視点から再構成する潮流においては、1960年代を「主婦化と女性の雇用労働化のせめぎあい」、やがて1970年代、1980年代に「主婦化」への誘因が強化され、制度化というかたちで明確な姿を現すようになったと整理される。本研究が着目する女性教員職は、短大・四大卒という高学歴層であり、1960年代に「主婦化」の担い手となった高・短大卒の民間企業高学歴ホワイトカラーとしての女性事務職とは異なる就労継続の道をたどってきた。その基盤となった制度を要求した産休代替法制定運動および育児休業法制定運動は、いずれも同法の成立過程そのものは研究されてこなかったものの、女性運動史研究において、戦後日本の女性労働者の権利を切り拓いた代表的な事例として、言及されてきた。
本研究は、日教組婦人部のこの運動を明らかにすることを課題とする。その際、2000年代以降の女性教員研究と同様に、今日に連なる問題をとらえる視点をもって、女性教員の実態を解明していく。すなわち、1970年代までの時期に展開された運動が、いかなる結果をもたらして現代社会に行き着いたかに着目することとする。本研究は、河上婦志子(2014年、『二十世紀の女性教師』)の研究に学び、言説展開だけではなく、女性教員の実態もとらえながら、特定の時代像をとらえていく手法を取りながらも、次の点をさらなる課題として設定する。それは、当時の女性解放理論の到達点との関係において、運動が掲げた  「母性保護」と「女性の労働権」という戦略的なタームの内実を捉えることである。なお、   本研究では、日教組婦人部が運動戦略として前面に押し出して用いた言説を、戦略的な  タームと置く。

3.本研究における分析視点
本研究が対象とする運動において、戦略的なタームに据えられた「母性保護」と「女性の労働権」は、対立的に捉えられることが少なくなく、歴史的にも論争を呼ぶようなイシューであり続けた。それらは絶えず、「母性保護」と「女性の労働権」を二項対立的に捉え、どちらをとるべきかという議論を重ねてきたものであるといえる。けれども、本研究の対象となる運動を見据えた場合、「母性保護」と「女性の労働権」を対立的に捉えて、この運動がどちらだったのかを論じることに意味があるとは思えない。
本研究では、産休代替法制定運動および育児休業法制定運動を考察する際に、日教組婦人部という運動体と、当時の男女平等の実現に関する複数の言説との関係に着目する。  すなわち、日教組婦人部が、これらの運動において、社会主義理論に根差した女性解放論や権利論・人権論のアプローチといったその時々に参照した複数の言説との関係において、どのように戦略的なタームを選び、いかなる層の支持を得ながら運動を進めてきたのかを分析していくものとする。本研究の主たる視角は、時代の制約を抱える中で、運動体がそれぞれの運動段階において、いかなる経緯を経て運動方針選択をしたかを捉えようとするものである。

4.論文の構成と各章の概要
序章「問題関心と本研究の課題」では、本研究の初発の問題関心について述べ、これを問うことの意義について論じた。
第1章「先行研究の到達点と課題」では、前述のように、先行研究を検討した後に、2000年代以降の女性教員研究と同様に、今日に連なる問題をとらえる視点をもって、女性教員の実態を解明するという本研究の課題を据えた。
第2章「考察する対象と分析視角」では、前述のように、本研究の対象である運動を、運動に影響を与えた言説や他の運動体の動向と運動体との関係を捉える視角をもって分析することを提示した。
第3章「日教組婦人部の運動と基本方針」では、本研究の対象となる運動を、より広い視野から位置づけ、4章以降で多面的な時代状況の把握を可能にするための分析をすすめた。
第4章「『母性保護』を戦略的なタームとした産休代替法制定運動」で明らかにしたのは、次の点である。産休代替教員法制化運動は、その出発点では、当時の女性解放論の影響を受けつつも、今日的な意味での「ジェンダー間格差」の問題に着目し、プラクティカルな視点から運動を推進することによって、雇用形態や階層を越えた連帯という運動の方向を拓いてきた。産休代替法制定運動において、出産を控えた女性教員の母性保護と労働権の確立を主張する際には、「母親である女性教員こそが教育に適している」という戦前から続く女性教員蔑視ともいえる実態への対抗言説が用いられた。しかしながら、このように母性や母性保護を強調する主張は、1970年代になって女性の労働権確立とは矛盾するものとして指摘され始めるのである。この変遷によって、日教組婦人部は、新たな戦略を見出し、「労働権」という戦略的なタームを用いて、運動を展開することとなった。
第5章「『労働権』を戦略的なタームとした育児休業法制定運動」では、日教組婦人部は、全電通の運動およびマルクス主義女性解放論を参照してはいるが、プラクティカルな視点をもって、組織内の育児休業制度に対する意見を整理しながら独自に制度を構想し、「女性の労働権」という視点に立って、男女平等の必要性を提起したことが明らかになった。  ところが、法制定時には、与党・自民党によって異なる方向のイデオロギーを挿入された。自民党は、日教組の労働権の確立という主張とは異なり、自民党は、近代家族規範に   基づく視点によって、育児休業制度を捉えていたと考えられる。
 終章「結論と残された課題」では、これまでの議論の成果を概括するとともに、本研究の結論と今後の課題を次のように明示する。

5.本研究における知見
その第一は、本研究がとる分析視角である。本研究は、2000年代以降の女性教員研究によってもたらされた今日に連なる問題をとらえる視点をもちながら、同時代の政党間の力関係、他の運動団体、女性解放運動をリードする理論も視野に入れて、運動体が方針を据えた過程を再構成してきた。こうした分析から明らかになってきたのは、戦後日本の社会秩序に対する運動体の応答のありようである。日教組婦人部の運動は、その出発的においては、当時の主流な言説を参考にしつつも、女性教員の実態に即して、全国的な調査に基づいたプラクティカルな視点から、運動方針を設定していった。その運動方針は、ときには組合員以外の女性労働者をも運動にとりこみ、階層や雇用形態を超えた連帯を築き上げてきた。このように本研究では、それぞれの局面での各アクターの動向や言説の影響力、これらの力関係の中で、運動体がいかなる選択を迫られてきたのかに肉薄することができた。これこそが、本研究がとる視角によって、歴史的な運動を分析する意義である。
第二は、戦後の女性労働史研究に対する知見である。冒頭で述べたように、近年の戦後女性労働史をジェンダー視点から再構成する潮流においては、1960年代を「主婦化と女性の雇用労働化のせめぎあい」、やがて1970年代、1980年代に「主婦化」への誘因が強化され、制度化というかたちで明確な姿を現すようになったと整理される。教員職にとっても1960年代は「女性の雇用労働化」の時代であったといえよう。その時代の到来の前に、女性労働者の妊娠・出産後の就労継続実現の基盤となる産休代替教員制度の要求運動が展開され、実現してきた。この運動過程において日教組婦人部は、1950年代には、「母と女教師の会」というかたちで、1960年代には「非正規」雇用である産休代替教員の低処遇条件を問題視し、広範な諸階層を巻き込んでいった。教育界では、女性労働の実態に先駆けて、1960年代に「女子特性論」が台頭し、1970年代以降の「主婦化」の基盤をなした「家庭」重視とそのための女子への配慮という言説が強固なかたちでつくりだされていた。こうした動きとはまったく異なる方向を、学校教育の担い手である女性教員たちの労働運動は、今日的な「ジェンダー間格差の解消」という視点に立ちながら、目指していくことになる。日本において「主婦化」への誘因が強化された1970年代以降も、女性教員は「女性の労働権」を主張して、運動を展開してきた。

一方、1970年代当時の「主婦化」の誘因の影響も看過できない。「女性教員等の育児休業法」は、その実現までに法案提出から8年の歳月を経ることとなった。最終的に、与党・自民党がこの法案に合意したのは、育児休業制度が内包した「乳幼児期の親子のスキンシップを保障する」という近代家族の<母性イデオロギー>の視点からだった。この育児休業制度が、全職種を対象とし、多くの企業に波及するには、1991年まで待たなければならない。本研究で明らかにし得た女性教員の継続就労の実態は、高学歴女性の継続就労の道が閉ざされ、「主婦化」の誘因が強まる同時代において、ジャーナリストや研究者から、出産後の継続就労は、女性労働者の働き方の選択肢を増やす可能性を持っているものとしてではなく、厳しい状況であるという視線を向けられ続けたとみることもできるのである。
こうした本研究の知見を踏まえて、次に着目すべきは、1980年代以降の女性教員の実態と、労働運動の展開である。女性教員がめざした教育実践と管理職登用との関係の解明、すなわち、女性教員は継続就労の基盤を獲得した後に何をめざしたか、という歴史的事例を追及する必要が出てくるだろう。これによって、単に教育界が男性中心主義的であり、女性教員が排除され続けた結果、一部の男性教員のみが管理職に登用され続けたという理解では捉えきれない実態を掘り下げることにもつながる。高学歴でありながら女性の継続就労を達成してきた教員職の実態にさらに深く迫っていくことが次の課題となる。

このページの一番上へ