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博士論文要旨

論文題目:教育をめぐる学校・家庭・学校外における関係性の組みかえ-ドイツにおける終日学校政策の展開と実践に着目して-
著者:布川 あゆみ (FUKAWA, Ayumi)
博士号取得年月日:2016年3月18日

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序章
本論文は、ドイツにおける終日学校政策の展開と実践に着目しながら、教育をめぐって学校、家庭、学校外における関係性がどのように組みかわるのかを論証したものである。ドイツは従来、教育をめぐって学校、家庭、学校外(青少年援助)の三者がそれぞれ独自の領域をもち、役割や責任を分担してきたことで知られる。この三者関係のもとでは学校による教育的関与が限定され、学校は知識の伝達のみを行う「教授学校」として位置づいてきた。子どもの「人格」を形成することや生活全体にかかわるような幅広い教育は、あくまでも家庭を中心としながら、学校外に委ねるという分担関係を前提としてきた。この三者関係が維持されてきた背景には、ヨーロッパの中でも例外的な午前中(遅くとも13時頃)で授業の終わる半日学校制度がある。明確な線引きを前提とした三者の伝統的な関係は「戦後の反省」や東西ドイツ分断、ドイツ民主共和国(DDR)との差異化など、ドイツ特有の歴史的要因が深くかかわりながら築かれてきた独特な関係である。 
しかしながら、今日、教育をめぐる学校・家庭・学校外の関係性には揺らぎが生じている。OECDによるPISA2000年調査において「惨憺たる」結果に衝撃を受け、ドイツではいわゆる「PISAショック」が起きた。この「PISAショック」を契機に、ドイツでは教育的関与を限定的にしたこれまでの学校の役割は批判にさらされた。学校による教育的関与を拡大させることが教育上のみならず政治的にも議論され始め、2003年より学校を終日にする終日学校政策の展開が本格化する。しかし、学校が終日になるということは、ヨーロッパの中でもドイツ独自に発展してきた三者関係のありように変容をもたらすことを意味する。終日学校の導入は学校、家庭、学校外の関係性を組みかえ、教育という枠組みを捉え直す契機となる。それはすなわち三者の関係性を前提に構築されてきたドイツの伝統的な教育枠組みに性格変容が起きていることを示唆する。したがって三者の関係性が揺らいでいるという切り口から終日学校を論じていくことは、今までのドイツ教育学で想定されてきたものを書き換えていく作業につながる。
以上の問題意識から、本論文においては先行研究を乗りこえるために次の3点をオリジナリティとして位置づけた。第一に、今日における終日学校に関する議論において三者の関係性の揺らぎを見ていくこと。第二に、学校に関与するそれぞれのアクターにとって揺らぎがどうあらわれているのか、アクター間の揺らぎのずれについて掘り下げること。第三に、三者関係を担うアクターとして位置づけられている「家庭」が、今日において本当にアクターとして成立しているのかという問いを立て、検討すること。これらの点を踏まえながら、本論文では教育をめぐって学校、家庭、学校外の関係性がどのように組みかえられようとしているのか、学校に関与するアクターのゆらぎに着目しながら論じることを課題として設定した。関係性の組みかえによって教育という枠組みがどのように問い直されるのかを示すことによって、ドイツが経験している教育と社会の大きな変化を読み解く作業の一端へつなげていく。この作業を行うことによって、これまで三者の独立した関係性のもと描かれてきたドイツの伝統的な教育論とは異なる教育の枠組みを提示する。
この課題に迫るにあたって、本論文ではブレーメン州に位置する2つの異なるタイプの「全員参加義務づけ型」終日学校に着目し、関係性の揺らぎの内実を捉えた。
以下では、第1章から第3章によって構成される「第Ⅰ部教育と社会の変容」についてとりあげ、今日において終日学校政策が展開されるに至った大きな文脈を整理した成果について述べる。

第一章 学校と家庭との関係を変化させている社会的要因
第一章では、今日において終日学校が「必要とされる(必要に迫られた)」ドイツ社会の姿を多角的に論じた。終日学校の普及率からは「家庭と仕事の両立支援」が終日学校政策を後押しする中心的な要因として位置づくが、しかし「家庭と仕事の両立支援」は終日学校の議論全体を貫徹させるわけではない。「家庭と仕事の両立支援」、「少子化対策」、「学力向上策」、「移民の統合政策」、「貧困対策」という流れの中で、これまで国家による介入が限定的あるいはタブー視されてきた家庭の領域に、国家が介入を強める土壌がつくられてきたことを論じた。一つ1つの要因に対する強い危機感が、それぞれの文脈で論じられている。したがって、1つの社会的要因によって学校と家庭との関係が変化しているというよりも、社会の安定や存続を脅かすと考えられたいくつもの要因が関連しあうことによって、家庭の役割を補うために学校の守備範囲を広げる必要性が議論されたのである。

第二章 州間の多様性と格差問題
第一章で行ったドイツ全体における議論の整理を踏まえ、第二章では州レベルの議論に目を配った。ドイツは計16の州から構成される連邦国家であり、学校教育行政ならびに教育政策に関して各州が独自の権限をもち、個別法を定めて政策を展開させる「文化高権(Kulturhoheit)」と呼ばれる仕組みをもっている。それゆえに、ドイツの場合は教育をめぐる州ごとの違いはとりわけ大きくみられる。本章では、州間にみられる多様性と格差問題という枠組みのもと、教育をめぐる各州の政策展開について整理を行った。なかでも学力をめぐる階層間格差が大きいことが明らかとなっているバイエルンとベルリン、ブレーメンの3州を詳細にとりあげ、格差問題に対する州ごとの姿勢やアプローチの違いを明らかにした。3州の比較を通じて、本論文の調査対象地であるブレーメンの厳しい社会経済的状況、最低限の学力レベルに達していない子ども(15歳児)が全体の40%をしめるという教育の危機的状況から、児童・生徒に参加を委ねる「参加自由型」ではなく、該当校に在籍する児童・生徒全員に参加を義務づける「全員参加義務づけ型」終日学校政策の展開に狙いを定めたことを明らかにした。

第三章 ブレーメンにおける終日学校政策とその展開
第三章ではブレーメンにおいて「全員参加義務づけ型」終日学校を導入することに対して、どのようなねらいや期待が政策立案サイド(教育行政の側)で見いだされているのか、詳細に検討を行った。ブレーメンにおける終日学校政策の展開を見る上では、「教育の機会均等」をめぐって歴史的に議論が積み重ねられてきた地であること、また戦後より今日に至るまで、革新政党であるSPD(社会民主党)が第一党の座を維持し続けている唯一の州であるという、同州がもつ独特な政治的基盤が深くかかわっていることを論じた。歴史的に終日学校を推進する勢力が育ってきたのがブレーメンであった。さらに移民家庭の増加や貧困の深刻化といったブレーメン特有の社会状況ゆえに、教育をめぐる従来の分担関係を前提とすることができない家庭が増加しており、学校の守備範囲を広げるものとして終日学校を位置づけている点に、独自性が見られた。
以上第Ⅰ部では、終日学校をめぐる政策動向や議論について整理を行った。続く「第Ⅱ部学校の守備範囲が広がる終日学校」では、タイプの異なる2つの学校において、関係性の組みかえがどのように立ちあらわれているのか、その内実を校長や教職員へのインタビュー、参与観察、また学校が公開している文書資料などと突き合わせながら論じた。本論文では研究手法として比較の方法を採用した。2つの異なるタイプの学校を比較し、地域的特性やエスニシティ、親の教育への関心の度合いなどを考慮することによって、学校、家庭、学校外の関係性の組みかえにおいてみられる各アクターの揺らぎの多層性や複雑性を描くことを目的とした。本論文においては、経済的に豊かで家庭教育に独自性を強くもってきたネイティヴの家庭が多く集まる学校(ブルンネン校)と大半の親が失業し、困難を抱える移民の家庭が多く集まる学校(ハイドン校)との比較を行った。

第四章 家庭の役割を縮小させる学校-ブルンネン校の場合
ブルンネン校においては家庭教育に独自性を強くもってきた家庭が多く集まっているがゆえに、「全員参加義務づけ型」の終日学校は生活という概念が学校に取りこまれ、階層を反映した親の文化がますます学校に持ち込まれることになっていた。その結果、学校と家庭との境界があいまいとなり、陸続きになっていた。それは学校、家庭、学校外という従来の三領域の境界を曖昧にさせ、学校が子どもの教育の、そして生活の拠点として、家庭に付与されてきた「習慣化」や「練習」、「世話」や「養育」の役割を広く引き取る(実際的には「世話」や「養育」の役割は青少年援助に委ねる)という、大きな変化をもたらすことを意味していた。

第五章 教育以外の社会問題も引きとる学校―ハイドン校の場合
一方、経済的に困窮し、親自身がうつ病やアルコール依存症などの困難を抱える家庭が多く集まるハイドン校では、終日化を契機に学校が家庭の役割を積極的に引き受けていた。学校は子どもに価値や規範、生活習慣を伝える場と機会を意識的に設け、これらを実践する場として終日学校を位置づけている。他方で学校による家庭への直接的介入は検討されているものの、積極的ではない。そこには、福祉という学校外の領域が学校の中に入ってくるからである。学校は新たに配置された福祉の専門家である家族援助者を通じて、学校の役割として福祉の領域を取り込みつつある。ただし福祉の領域の担い手としてはあくまでも家族援助者を想定しており、教師がその役割を担うことは想定されていない。教師の役割が無限定に広がるわけではないことが明らかとなった。

第六章 再定義される「学校」
第六章ではブルンネン校とハイドン校の実践の比較を行い、それぞれの学校の特徴を相対化した。どちらの学校においても「全員参加義務づけ型」終日学校の導入を契機に、学校に生活空間を作り出す、すなわち学校を生活の場として再編していくことが進められていた。この点において、終日学校政策の目的は実践に取り込まれていることが確認された。しかしながら、両校ともに家庭の置かれている状況が大きく異なるために、その実践の意味合いはまったく異なる形で引き取られていたことを指摘した。
総じて、ブルンネン校とハイドン校の実践の比較から見えてくることは、終日学校のありようは家庭のあり方によって、まったく異なるものになるということである。家庭が従来の分担関係を維持できる状況にあるのかどうかによって、「全員参加義務づけ型」終日学校の実践は大きく規定されている。

終章 
本論文では、タイプの異なる学校をみてきたことによって、終日化は学校外の中に存在する領域の変容(福祉の登場)、そして領域間の変容(福祉と青少年援助)を伴いながら起きており、それはこれまでの三者の個別化やすみわけ、機能分担を突き崩すプロセスであることが教員や親、子ども、教育協働者といったアクターに着目してきたことでみえてきた。しかし、その崩し方は一様に進んでいるわけではないことが、2校を比較したことによって明らかになったといえる。崩し方は家庭のあり方によって規定されているからである。したがって本論文の問いとしての三者間の関係性は、終日化によって一義的に決まるわけではないことが強調される。この点を踏まえ、本論文では先行研究を乗り越える知見として以下の3点をあげる。
第一に、「学力向上」、「学力格差是正」を出発点とした「全員参加義務づけ型」終日学校であっても、授業を通じた「陶冶」への取り組みを強化する方向には働いていない、ということである。むしろ「全員参加義務づけ型」終日学校は家庭の領域とされてきた生活の要素や訓育、学校外領域を構成する福祉や青少年援助の役割を広く学校の役割として引き取り、これらのアクターと連携・調整を行うことを求めている。したがって「学力向上」、「学力格差是正」で始まった「全員参加義務づけ型」終日学校は、学校のタイプをこえて学校を家庭的にすることを進める。そして学校を生活の場として位置づけ直す過程において、従来学校、家庭、学校外の三者に付与されてきた役割分担はあいまいになるのであった。ただし、その突き崩し方は学校ごとに異なりを見せる点に、留意する必要がある。
第二に、終日学校に関与するアクター間における関係性の揺らぎは、家庭の状況に応じてさまざまにたちあらわれる、ということである。家庭が伝統的な役割分担を担えるアクターであるかどうかによって、揺らぎのあらわれ方は変わってくるといえる。共通しているのは、役割分担のなされ方がこれまでとは違うという点である。
「全員参加義務づけ型」終日学校は教師単独では成り立たないもの、すなわち授業を中心に「教授」「伝達」「指導」の役割のみを行うだけでは成立しないものとして捉えられている。家庭の状況によって、社会教育を中心とする外部組織や福祉領域との連携・調整が進められ、教師の性格を組みかえるものとして「全員参加義務づけ型」終日学校が位置づいていた。また家庭教育に独自性を強くもってきた家庭ほど、従来の明確に分担されてきた関係性はゆらぎ、三者に分担されてきた役割はあいまいとなる。一方で、家庭がアクターとして十分に成立していない場合には、関係性が見直されることはなく、ゆらぎとして立ちあらわれることはない。そして学校外にとっての揺らぎをまとめれば、家庭の状況に応じて社会教育ではなく、福祉の領域が位置づくように、学校外の領域の間に変容を生じさせながら、学校外領域は学校の中に入り込んでいくプロセスとして立ちあらわれている。
第三に、アクターとしての家庭が機能していないことが、教育の問題に還元することのできない社会の問題として位置づいていたことである。従来想定されてきた明確な分担関係が成立していないことは社会問題として立ちあらわれていた。それゆえに家庭が上手く機能していないケースに対して、家庭のかわりとして学校が機能することが求められたといえる。一方、ブルンネン校のように家庭教育に独自性を強くもってきた家庭が多く集まる学校においても、「弱い家庭」の存在に課題意識がもたれていた。今まで単一家族像を前提に役割分担がなされてきたが、「全員参加義務づけ型」終日学校の導入を進めた終日学校政策は、その維持が困難であることをあらわにしたといえる。
これらの点を踏まえ、本論文ではこれまで三者の独立した関係性のもと描かれてきたドイツの伝統的な教育論とは異なる教育の枠組みを提示した。それはすなわち「全員参加義務づけ型」終日学校とは学校と家庭、学校外との間の結び目をあいまいにさせていること、そして学校においてさまざまな専門領域を横断しながら形成していくものとして、教育という枠組みが位置づけ直されていることである。それまでの線引き、すなわち領域ごとにきっかりと役割を分けることの意味あいが薄れていることを明らかにした。そして最後に、三者間の関係性が組みかえられず、教育という枠組みがとらえ返されなければ、格差是正につながるよりも格差拡大の可能性があることを指摘した。なぜならば実際には家庭が上手くいっていない場合だけではなく、家庭が上手くいっている場合をも取り込むものとして、終日化が位置づいているからである。学校、家庭、学校外において独立、対等な関係から、学校に多くの役割と責任が集中する「全員参加義務づけ型」ゆえに、学校の対応いかんによっては格差を拡大させるものとして終日化が働く可能性があることを示唆した。

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