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博士論文要旨

論文題目:日本における精神病床入院の研究―3類型の制度形成と財政的変遷―
著者:後藤 基行 (GOTO, Motoyuki)
博士号取得年月日:2015年11月30日

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序章
本論文の目的は、先行研究が抱えている精神医療政策史についての認識の諸問題を乗り越え、日本の精神病床入院がいかなる構造性を持って生じてきたのかというメカニズムについての、より実証的な歴史的視座を提示しようとするものである。
本論文は、特に1950年代から70年代の日本における精神病床入院メカニズムの検証を射程に、同意入院の主体たる家族というファクターを考慮しつつ論じるが、そのためには同時代以前の分析が不可欠となっている。というのも、この時期における精神病床入院メカニズムそのものは、複線的な財政的経路の成立という意味で、戦後ではなく戦前に制度的な起源をもっているからである。よって、論文の構成は、まず戦前期における精神病床入院が、戦後にも構造的な影響を与えたことを実証するための考察を行うことになるが、そのために次に述べる精神病床入院の3類型化が必要となる。
本論文では、入院医療費の3つの経路からの精神病床入院をそれぞれ「行政収容型」(精神衛生法-措置入院)、「救貧・公的扶助型」(生活保護-同意入院)、「私費・社会保険型」(社会保険・私費-同意入院)として整理する。その上で、この3類型をそれぞれ社会防衛的入院、治療的入院、生活保障的入院として大きくは解釈可能であることを示す。留意すべき点として、精神病床は、これら社会防衛・治療・生活保障という3種の性格いずれか一つだけを体現するというよりも、どの要素が強く反映されるかというグラデーションの濃度の違いとなっていることがある。
以上より、本論文における方法として、精神病床入院を3類型として把握することで、日本における精神病床入院メカニズムを複線的に考察する。かつ戦前・戦後を貫通する長期的なパースペクティブを獲得することで、これまでのような公安主義や隔離収容という理解に傾斜してきた先行研究の解釈を乗り越え、「救貧・公的扶助型」の入院体制と、その入院の急増に深く関与した家族の姿を中心とした、日本の精神医療の歴史像の構築を目指す。

第1章
本章では、「行政収容型」の原型として整理可能である精神病者監護法第6条での公的監置は、知事・市区町村長・警察の3者のみで実行可能な、日本で最初の全国法規としての精神障害者に対する社会防衛的な強制収容体系であり、戦後の措置入院に継承されていったことが明らかとなった。これにより、精神病者監護法について、先行研究が強調してきた私宅監置に偏った歴史観は修整されるべきだと考えられた。また、少なくとも川崎市の場合は、監護義務者の収入が全国勤労者の平均月収の3分の2程度以下ならば公費監置の一般的対象となる資産状況とみなされていた。その他、精神病者監護法は、家族の監護義務を法文化したにもかかわらず、川崎市文書では、家族が患者の身柄引き受けを拒絶し、患者のケアに対し嫌悪感を表明することがしばしばあった。

第2章
本章では、戦前期における「私費・社会保険型」の精神病床入院の特徴として、社会保険入院は量的にごくわずかだったと考えられたのに対し、精神病院へ自費入院を行う中産階層は当時から既にある一定規模で形成されていたことが明らかになった。また、当時の一次統計及び鈴木 [鈴木, 2014]の研究から、自費入院は公費収容に比べて在院期間が短く、治療的な意味合いの濃いものであったことが判明した。このような性格を持った、「私費・社会保険型」入院は、戦後の皆保険化によって拡大し、措置入院や公的扶助入院による公費投入の対象とならなかった精神病床入院を財源的に支えた。

第3章
本章では、「救貧・公的扶助型」の原型である救護法の収容救護についての運用実態を中心に考察した。まず、生活保護法の前身である救護法によって、戦前期から精神障害者の病院収容が行われていたが、この事実はこれまで先行研究では言及されること自体が稀であったが、本章では一次資料に基づいてその実態を検証した。同法による収容救護に際しては、親族らによる救護申請後の公費収容が一般的であったが、このプロシージャは戦後における精神衛生法での同意入院と、生活保護法の医療扶助の組合せによる精神病床入院と同じ構造を持っていた。このことより、救護法によって生活保障的機能を持つ病院収容が初めて制度化され、「救貧・公的扶助型」の精神病床入院の原型が構築されたことが明らかとなった。
また、病床が安価もしくは無料で供給されれば、それに反応する、救護法対象の様な極貧ではないが中産層に届かない貧困世帯・家族の存在が川崎市文書の中には発見された。これは、経済的に豊かとはいえない階層の人々の中にも、入院への需要が形成されていたことの証左であり、戦後への爆発的な精神病床入院への伏線となっていったと考えられた。

第4章
本章では、戦前期の精神病床供給システムについて論じた。その結果、戦前期日本における病床供給システムとして、特に1930年代頃から地方自治体が精神障害者を私立病院に公費で委託収容するケースが一般化していったことが明らかになった。これは、道府県が自前で公立精神病院を設置した場合、長期にわたる赤字経営が前提となっており、当時の府県が持っていた衛生関連予算からすると現実可能性が低いものであったことが判明した。

第5章
本章では、戦後の精神病床入院に関連する制度構造を医療費財源、入院形態別に考察した。その結果、戦後において、財政的に3つの経路(精神衛生法、生活保護法、私費・社会保険)からの精神病床入院が行われるようになったのは、戦前期の制度が継承された経路依存性を持っていたことが明らかになった。また、その3類型中、「救貧・公的扶助型」の生活保護での入院が、1950年代から70年代の間において量的に最多となっており、かつそれが精神衛生法の同意入院とセットになって行われていたことが実証された。在院期間としては、医療費区分別では精神衛生法→生活保護→社会保険の順に長期化していた。この救貧・公的扶助型の入院は、私費・社会保険型に比べて在院期間が有意に長かったという点、行政収容型に比べて量的規模が大きかったという点で、戦後の急激な精神病床増が起きた時代における最も中核的な入院形態であった。

第6章
本章では、特に、「救貧・公的扶助型」の精神病床入院が、戦後の精神病床増に果たしたインパクトについて論じた。まず、1960年代における措置入院の拡大運用(経済措置)は、生活保護法での医療扶助入院から精神障害者の切離しを厚生省(社会局)が企図したことが背景にあったが、最終的に生活保護での入院の増加を止められなかった。これは経路依存性に拘束されていたと共に、実態調査で明らかになったような、当時の日本社会における精神障害者世帯の経済的困窮状況の非常な広がりが背景に存在した。また、1950年代から1970年代の期間中においては、行政収容型の入院は3類型中で最も小さい病床供給能力しか持っておらず、戦後の精神病床入院増を支えていたのは社会防衛的な機能ではなかった、と結論付けられる。
神奈川県の保護申請綴は同意―医療扶助入院のセットの具体的事例であり、近隣住民からの苦情を受けたり、家族に暴力を振るう無職の30代の患者について、貧困世帯の家族が主導して保護(入院)してくれるよう行政に求めていたケースが多かった。こうした貧困世帯の入院需要に対し、精神衛生法は同意入院、生活保護法は公費給付として利用されることで、家族に対する生活保障的な側面が観察できた。また、こうした同意―医療扶助入院の入院プロセスは、「国家による治安対策」といった観点から説明することは不可能なものであった。
 
 終章
本論文では、戦後の1950年代から70年代という、最も急激な精神病床入院増があった時期における精神病床入院メカニズムを分析するため、社会防衛的機能を中心とする「行政収容型」、治療的な「私費・社会保険型」、生活保障的な「救貧・公的扶助型」に分類した3類型から考察した。この3類型からの制度体系と財政構造が、現在にまで続く30万を超える精神病床ストックの構築に決定的な役割を果たしたことが明らかになったが、この3類型は戦前期にそれぞれ原型となる法制度が存在し、戦後におけるこの3類型の継承は経路依存的なものと考えられた。
そして、戦後における「行政収容型」の入院は、3類型中で最も小さい病床供給能力しか持っておらず、戦後の精神病床入院増を支えていたのは、先行研究が強調してきたような社会防衛的な機能ではなかった。1950年代から70年代という急激な精神病床増に最大のインパクトを持っていたのは、救護法によって生成された「救貧・公的扶助型」の入院であり、これは精神衛生法の同意入院という入院形態と、それに対する医療費支払としての生活保護法の組合せ(同意―医療扶助入院)によって構成されていたことが明らかになった。このことが指し示している結論は、戦後の高水準の精神病床ストックの成立とは、貧困層に偏在していた精神障害者世帯の家族というケアラーによる入院需要を、公的扶助としての生活保護(医療扶助入院)が広くカバーしてきたことによって最も牽引されたものである、ということである。

最後に、戦後の精神病床入院の展開を考察するにあたり、本論文で重視した同意入院(医療保護入院)に関して、先行研究は主に患者の人権侵害という観点から論じてきたが、そのこととは別に、改めてここには家族の意思こそが重要な精神病床入院の駆動因だったことが読み取られなくてはならない。この同意入院(現行法では医療保護入院)そのものは、生活保護だけでなく、各種社会保険での支払いの両輪で行われていたのであり、戦後の精神病床入院の中心となった入院形態であった。そして本論中においてみてきたように、戦後の精神病床入院に関わる各種の制度や改革が、入院を望む主体としての家族の意向を増幅する形となっていたことに着目すべきである。
例えば、最も端的には生活保護費の増大であり、あるいは世帯分離規定の緩和であり、あるいは同意入院に際する簡素な手続きであり、その他にも「経済措置」の導入、保険のカバレッジの増大などである。いずれも、患者の病院への入院の拡大を図ると同時に、家族の経済的負担やケアにかかる負担の軽減という目標や効果が織り込まれている。すなわち、戦後の精神病床入院メカニズムを根本において駆動させていたのは、社会保険入院を含めて、同意入院(医療保護入院)を主導してきた家族なのであり、戦後の精神医療政策もこの家族に働きかけるものを一つの軸としてきたのである。
しかし、では何故、家族は同意入院という仕組みでもって精神病床入院を主導できたのか。ここにおいて、この問いは反転しながら、あくまでも障害者の入院の決定主体として家族を位置づける日本社会とは何か、という問いを定立させることになる。また、この反転した問いは、なぜ日本社会は医療扶助入院の約5割を占めてまで精神障害者を持った家族の負担を救済し病床供給という形で対応しようとしたのか、あるいは精神障害者のみならず高齢者やその他の障害者のケアの決定権を家族が強く保持しているのはなぜか、ということにも敷衍されていかねばならない。だが、本論ではこの問いに対する回答は用意されていない。しかしながら、本論文を通じて日本の精神病床入院の歴史的なメカニズムを考察することで、精神障害者のケアにとって当事者と家族の関係こそが、今後の精神医療福祉領域でのコミュニティーケアの問題を考えるにあたっての枢要な論点であることが理解されるに至ったと考える。この点については、執筆者の今後の課題としたい。

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