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博士論文要旨

論文題目:ベトナムにおける農村の市場経済化と合作社―農産物の生産・流通における個人的ネットワークの役割 ―
著者:設楽 澄子 (SHITARA, Sumiko)
博士号取得年月日:2012年11月30日

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○本論文の目的と方法
 本論文は、ドイモイ下ベトナムにおける合作社の実態を、市場経済への適応能力という観点から解明することを目的とする。このために、収益性の高い高付加価値農業である安全野菜栽培に取り組んできた、ハノイ近郊の2つの農村(ヴァンノイ社およびヴァンドゥック社)を、2003年の10月~12月、2008年の10月~12月、2010年の10月~12月の3回にわたって調査した。その際、本研究は、組織としての合作社ではなく、合作社を構成する社員の活動に着目し、市場経済に適合的な合作社は、組織を超えた個人的ネットワークの活用によって機能していることを明らかにしようとした。

○各章の概要
第1章 先行研究の整理と本論の課題
 ベトナムの合作社は、かつては社会主義的集団農業の執行機関であったが、80年代に集団農業が崩壊してからは、おもに農業生産サービスを行うようになり、96年の合作社法によって、市場経済下の協同組合へと、法的位置づけが根本的に転換した。集団農業生産時代に設立された合作社は解散もしくは合作社法に従って転換した上で存続しているが、旧来とは違った新しい合作社も誕生している。本論では、合作社法制定以前から存続している合作社を旧型合作社、合作社法制定以降に新しく設立された合作社を新型合作社と呼んで区別する。
旧型合作社に対しては、伝統村落と一体化した自治組織として、経済的機能のみならず、共同体の社会福祉機能も担っているとする肯定的評価と、市場経済への適応能力の欠如を指摘した否定的評価がある。一方、新型合作社に対しては、農民と市場の需要に合致し効率的な運営がなされているという肯定的評価と、事業が単一で農民の多様なニーズに応えられていないことや、裕福な農民による組織の支配を問題視する否定的評価がある。これらの先行研究は、コミュニティとのつながりや社会機能、市場適応能力などさまざまな観点から合作社を論じているが、個々の社員の活動や彼らの社会関係(合作社と社員との関係、あるいは社員や非社員との関係)にはほとんど関心を向けてこなかった。そこで、本論文では、合作社における個々の農民の経済活動に焦点をあて、彼らがどのように販路を開拓・維持し、また取引費用の削減に努力しているか、その実態を明らかにすることを通じて、合作社の市場適応能力という問題に答えようとする。

第2章 安全野菜プロジェクトの概要とその展開
安全野菜プロジェクトは、ドイモイ以降の野菜生産高の増加にともなう野菜の中毒事件を背景に始まった。政府は、土壌や水質、野菜の残留農薬の検査を実施し、一定の条件を満たした生産者に対し、認証を交付することにした。ハノイの安全野菜生産者組織の75%が合作社であるが、多くの生産者に共通する課題は販路の確保であり、認証を入手しても、安全野菜として販売するための独自の販路を確保するのは容易でない。そのなかで、積極的に販路を開拓して注目されるのがヴァンノイ社の新型合作社であり、逆に販路の確保に苦労しているのがヴァンドゥック社をはじめとする旧型合作社である。この違いが生じた理由を明らかにするために、まず二つの合作社におけるプロジェクトの展開を跡付ける。
ヴァンノイ社の安全野菜プロジェクトは、旧来の合作社生産隊長や党書記といった履歴を持つ村幹部を中心として進められた。その際、住民の利害の一致、周囲の支え、さらに県や社、社外部機関の支援といった諸条件に恵まれ、幹部がリーダーシップを発揮できた。とりわけ、新型合作社の設立には、国の後押しがあった。新型合作社が設立されたことによって、農民は外部の団体と契約を結べるようになり、安全野菜の市場販売が可能になった。一方で、旧型合作社は徐々に機能を縮小し、代わりに行政である社の機能が強化されてきた。
ヴァンドゥック社でもヴァンノイ社と同様の開発が進められたが、旧型合作社が一貫して農業部門を統括しており、ヴァンノイ社のような新型合作社は設立されなかった。旧型合作社は、外部からの開発の窓口であり、同時に安全野菜生産者組織でもある。だが、旧型合作社は生産物の市場販売には積極的にかかわってこなかった。そうしたなか、行政主導で企業を招いて契約栽培を開始したが、販路確保に失敗し、取引費用が増大し、プロジェクトは低迷している。

第3章 新型合作社の社会関係と安全野菜の生産・流通構造
――ヴァンノイ社における新型合作社「成功」要因の検証
ヴァンノイの新型合作社組織化のきっかけを作ったのは政府機関などで、その点で「上からの開発」であるが、農民も国の働きかけを所得向上のよい機会と受け止め、積極的に生産や販売に加わったため、組織の持続および効果的な事業の展開が可能になっている。ヴァンノイ社では小規模な合作社(社員数は平均13名)が多く設立され、合作社(および有限責任会社)の半数が、社でもっとも住民数の少ない村であるダム村に集中している。そこでダム村のヴァンノイ合作社を事例に、合作社主任のリーダーシップと社員の社会関係を検討したところ、次のようなことが判明した。
1)合作社は小集団ではあるが、その内部は主任の父方親族、母方親族、非親族などいくつかのサブグループに分けることができる。社員間は兄弟やイトコといった関係で部分的に結ばれているが、合作社への帰属意識はあまり見られない。2)社員の合作社加入のきっかけは、主任の誘いであったが、取引先を紹介してもらうことやネットハウス設置の際の援助といったメリットも、加入の動機付けとなった。3)だが、合作社数が増加して競争が激化すると、加入の目的は認証取得に限定された。4)加入の是非や取引先の紹介の決定権は主任にあり、主任はリスクならびに競争回避のため、社員数を制限した。5)加入を認められなかった新規参入者や主任と対立した社員は、自ら合作社を設立したり、他の合作社に移動したりして、小規模合作社の乱立状況が生み出された。
ヴァンノイの新型合作社はいずれも出資金を集めておらず、合作社としての財政基盤を持っていなかった。それゆえ、先行研究において新型合作社の一般的特徴とされてきた「出資金を含む合作社の財産の帰属と所有関係の明確性、出資金に応じた利益の分配」は、ここではあてはまらない。さらに執行部は、栽培計画、小売店の管理、投入財などにおいて実質的な活動を何も行っておらず、生産、仕入れから販売まで、個々の社員の自由に委ねられ、社員はそれぞれ独立採算で商売をしている。それゆえ、ヴァンノイ社の新型合作社は、これまで指摘されてきたような「リーダーが強い指導力を発揮して統率する集団」ではない。
むしろ合作社(もしくは有限責任会社)の機能は、個々の社員に安全野菜の認証を与えることに限定されている。それによって、社員は、合作社の「看板」を背負いながらも、組織に縛られることなく、自由に活動している。そして、商売の開始、認証の獲得、取引先の開拓、商売の拡大といった重要な場面で、彼らが活用しているのは個人的ネットワークであり、同じ村で農業を営む親類や友人たちとの協同することで、生産と流通を効率的に統合し、取引費用を大幅に低減にさせている。つまり、地縁・血縁のネットワークが、市場経済での競争で生き(勝ち)残るためのバックボーンとしてうまく機能しているのである。

第4章 旧型合作社の組織・制度と村落の個人的ネットワーク
――ヴァンドゥック社における安全野菜契約栽培
ヴァンドゥック社の農業サービス合作社は、2010年7月に企業との契約栽培に着手した。この栽培契約は、ベトナム南部で安全野菜の栽培と販売実績のある会社をパートナーとして、行政主導で開始された。しかし、この契約栽培は、需要を上回る過剰生産と、連絡コストの増大や情報伝達の煩雑化、土地利用効率の悪化など取引費用の高騰を招き、合作社は私営商人よりも取引費用が高いという主張を裏付ける結果となった。これらの理由によって、農民の多くは契約栽培に対する参加意欲を持てず、ヴァンドゥック社が目指している高付加価値野菜の生産流通基地としての地位は達成されていない。
 それではなぜヴァンドゥック社の旧型合作社は、安全野菜販売に「失敗」したのだろうか。この問いに答えるためには、合作社が現在置かれている困難な状況を考える必要がある。すなわち、合作社は、一方で、国家の下部組織のごとく、党や社の意向を強く受け、また行政の業務の一部を担いながら、他方で、農民の自主的組織として財政的に自立することを求められている。だが、先に見たように、農民の参加意識は希薄で、社員が積極的に事業を行うこともなく、さまざまなプロジェクトが、上から降ってくるのを待ち受けている状態である。さらに合作社は、安全野菜の認証を入手しながら、販売先を見つけられなかったため、自ら使用する機会がなかったし、使用権を社員の私営商人に与えることもなかった。
旧型合作社が行政と一体化していること、幹部や社員の意識が集団農業時代と変わらないこと、市場動向を把握できる幹部がいないこと、などの問題点は先行研究でも指摘されているが、こうした組織上の欠陥を補っているのが、地域における個人的ネットワークである。ヴァンドゥック社において、販売先の確保や灌漑用水の利用といった農民の切実な要求に応えてきたのは、合作社ではなく、農民自身のネットワークであった。生産物は、自ら市場で売らない場合は、隣近所に住む私営商人に販売してきたし、水利に関しては、畑が隣り合う者農民同士で資金を出し合って管井戸を掘削し、電線を延長することによって、個人による灌漑を可能にした。このことは、村落内部の人的資本とネットワークが、合作社なしに十分機能しうることを示している。したがって、ヴァンドゥック社の安全野菜販売も、認証を社員に使わせてそのネットワークを活用すれば、ヴァンノイ社のように成功する可能性を十分持っている。
しかし、現在の合作社の状況において幹部たちは、認証の使用権を社員に与えることは、自己の存在意義の否定につながりかねないと考えているようである。新型合作社の設立などは論外である。その結果、社員の主体的な参加意欲が削がれ、合作社は、安全野菜流通の発展要因ではなく、阻害要因となっている。これは、ヴァンノイの新型合作社が、社員に合作社の「名義」を与えて自由に商売させているのとは対照的である。

第5章 まとめと展望
 最終章では、調査結果の総括をしながら、合作社ならびに農村開発に関する政策的インプリケーションを提示する。
まず、ヴァンノイ社の新型合作社での調査から明らかになったことは、個々の社員が、合作社から得た「認証」をもって自由に活動することで、販路開拓や取引費用の低減に成功していることである。その際、社員が活用しているのが、個人的ネットワークで、それは、父方親族、母方親族、自分の親族、夫や妻の親族、同年代、同級生など個人によってまちまちである。いずれにせよ、小規模で「看板」機能に限定されたヴァンノイ社の新型合作社は、こうした人間関係を自由に活用することを可能にしている。
小規模合作社や個々の社員の単独経営、多種類小規模生産は、市場原理から見れば、非効率的に見え、こうした「萌芽的」かつ「零細」生産流通体制を「克服」すべき対象と捉えている研究者もいる。だが、まさに「萌芽的」かつ「零細」であるがゆえに、社員も非社員も、組織を超えて協力関係を築き、効率的な経済活動を展開している。だとすると、国家主導で現在進めているような、組織の大規模化による生産と流通の統合は、こうした個人的ネットワークや相互扶助関係を抑制する方向に働き、むしろ発展を阻害する可能性が高いと考えられる。
その典型例が、ヴァンドゥック社が外部の企業を誘致して行った契約栽培で、結果的に、需要を上回る過剰生産と、連絡コストの増大や情報伝達の煩雑化、土地利用効率の悪化などにより取引費用の高騰を招いて、農民の参加意欲を削いでしまった。十分な販路が確保されていないため、ヴァンドゥック社で生産された大半の野菜は村内の私営商人により、普通の野菜として流通されている。にもかかわらず合作社は、自己の存在意義を示すために、社員である私営商人を排除し、かえって安全野菜発展の阻害要因となっている。
ヴァンドゥック社の事例は、合作社に対する農村金融制度の創設などの支援策は、生産物の販路問題の解決にならないどころか、制度的矛盾を強化する可能性を示している。多くの私営商人は、国の金融機関から資金を借りなくても、地縁・血縁を頼って資金と人材を集め、商売をしている。合作社ではなく、農民や商人の個々の活動こそが、地域の生産と流通を支えており、むしろこうした活動にこそ支援が向けられるべきである。

○本研究の独自性と意義
1)「自律的な村落」「強固な共同体」というステレオタイプなイメージで語られるベトナム農村の人間関係に着目し、組織形成および経済活動において個人的ネットワークが果たす役割を解明した。
2)これにより、新型合作社の成功要因を、主任のリーダーシップよりも、個人的ネットワークにもとづく社員の主体的活動に見て、合作社はこうした活動に「看板」を提供しているにすぎないことを明らかにした。
3)そして旧型合作社の停滞要因を、幹部の無能力や経営環境ではなく、トップダウン式の意思決定によって農民が「受身化」し、また私営商人の排除によって農村内部の個人的ネットワークが十分に活用されていないことに見いだした。
4)さらに、こうした現状分析にもとづいて合作社の将来を展望し、紅河デルタ地帯の農村開発に関する政策的インプリケーションを示した。

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