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博士論文要旨

論文題目:ある「ココア共和国」の近代 ――コートディヴォワールにおける統治的結社と統合的革命――
著者:佐藤 章 (SATO, Akira)
博士号取得年月日:2009年3月23日

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 本研究は、西アフリカのコートディヴォワール共和国において、1990年代以降顕在化してきた、民族や出身国に基づく差別的排除的実践とそれと不可分に結び付いた政治の不安定化を、特有の社会経済的条件のもとで国家形成を行わねばならなかったポスト植民地国家に内在する、絶えざる再編のダイナミズムの表れとして再構成しようとするものである。
 アフリカ諸国の中でも比較的まれな輸出志向型農業が確立されたコートディヴォワールでは、主力産品であるココアの生産がフランスによる植民地支配下の1920年代から本格化し、その後に急速な発展を遂げた。同国は1978年以来、世界最大のココア生産国となり、現在では世界での総生産量の約3分の1を産出する「ココア大国」である。ココア生産は、国土南半部の熱帯森林の大規模な開墾、国内外からの大量の労働者の流入、莫大な輸出収入とこれを財源とする積極的な開発政策を通して、コートディヴォワールという国家における開発、分業のあり方、人口分布、国家財政などを大きく規定してきた。この意味で、ココアに代表される換金作物部門の動向は、植民地化以来のコートディヴォワール史を大きく規定する「長期的持続」である。
 この第1の長期的持続は、コートディヴォワールの政治史の面に関わるもう一つの長期的持続と深く関係している。換金作物部門の発展を契機にもたらされた、全土的な人口の多元化(外国人の流入)と換金作物生産地域における地元民/移住民関係の成立は、国家の一体性の確保という課題をとりわけ喫緊かつ重要なものとした。すなわち、換金作物部門の動向が惹き起こしてきた人口状況のもとで、政治的安定と国家の一体性を維持することが、国家運営にとっての永続的な課題となったのである。そして、本研究で焦点をあてようとする1990年代以降の不安定化も、この永続的な課題と深く結び付いて出来してきているものにほかならない。
 これら2つの長期的持続を踏まえ、本研究が焦点を当てるのは、国家運営を担った政治的結社――ここでは「統治的結社」と概念化する――である。国家運営上の意思決定を行う団体である統治的結社は、国家を実質的に体現する存在として、主権下にある人びとを統治するが、同時に、その地位にあることの正統性を、これらの人びとからの承認に依存している。ここでは、抽象的な存在である国家が、統治的結社を通して統治対象である人びとと関係を切り結び、他方、人びとも、統治的結社を通して国家の存在を認知し、その統治下に入るという関係が成立している。すなわち統治的結社は、このような相互規定的な関係において、国家の一体性と人口の多元性の間の潜在的な緊張を調停する位置に立つことになる。したがって、統治的結社の姿を歴史的に追うことで、コートディヴォワールが長期的持続の中で経験してきた内在的な再編のダイナミズムを浮かび上がらせることが可能となるはずである。本研究は、このような狙いのもとに、統治的結社を叙述概念とする「結社史」の構想のもとに、コートディヴォワール政治史の再構成を図る試みである。
 以上で述べた政治にとっての永続的課題は、C・ギアツが1963年に発表した論文で提起した「統合的革命」の概念と的確に合致するものである。ギアツは、独立後の近代化過程の中で、さまざまな異なる本源的集団を一つの主権国家のもとにまとめておくことが、アジア、アフリカの新興独立国にとって最も重要な課題になると指摘し、これを「統合的革命」と命名した。この議論のポイントは、民族、エスニシティ、宗教、コミュニティといった言葉で語られる、いわゆる本源的な属性に関連する対立や紛争は、独立直後の課題であるばかりでなく、社会経済的条件やさまざまな状況のもとで常に再活性化される可能性があるという点である。
つまり、ポスト植民地諸国にとって、政治的に独立した近代国家としての歩みが常なる未完の統合的革命を生きる過程そのものにほかならないことを、この概念は指し示している。
 統合的革命の概念を経由することによって、本研究での試みは、コートディヴォワール一国に特化した政治史研究という意義だけでなく、ポスト植民地国家における近代とは何だったかという、より包括的な問題意識に照らした意義を持つ可能性が開ける。また、もとより、コートディヴォワールにおける植民地化以来の1世紀あまりにわたる経験とは、大本のところで、資本主義の拡大、植民地化、近代国家の成立といった近代世界そのものを形作る核心的な構成要素と不可分である。その意味において、本研究はコートディヴォワールという一国家が生きた近代そのものに関する研究でもある。
 本研究は、問題意識と理論的意義を述べた序論、時代順に具体的な論考を行う7つの章、議論の総括と展望を行う結論からなる。7つの章での具体的な内容は以下の通りとなる。まず、第1章では、コートディヴォワールの独立以来30年にわたって一党制を敷いたコートディヴォワール民主党(PDCI)の創設母体であるアフリカ人農業組合(SAA)に焦点をあてる。時期的には、アフリカ人による政治運動が本格的に始まった第2次大戦直後にあたる1940年代後半が対象となる。植民地統治下で構築された社会・経済構造と第2次大戦後の国際的な政治的再編を踏まえながら、SAAを母体とするPDCIが主導的政党へと向かうプロセスを考察する。そこではとくに、従来のコートディヴォワール研究において根強く指摘されてきた「プランター史観」――コーヒー・ココア生産農民を階級的母体とする運動によってコートディヴォワールが独立を実現したというもの――へ批判を加える。
 第2章は、独立直前にあたる1950年代におけるPDCIの組織化戦略を、植民地当局とほかの政党との関係も考慮に入れつつ再構成する。植民地期の選挙結果の詳細な分析を通して、「プランター史観」批判をさらに精密に展開することが狙いの一つである。さらに、この時期のPDCIの一党化が本質的にエリート・レベルでの統合と旧宗主国からの政治的支持に依拠したものである点を確認し、政治的独立がナショナリズム・イデオロギーに関する議論を抜きにしたまま達成されたことを明らかにする。
 第3章は、1960年の独立から1993年の死去に至るまでの33年間にわたって存続した、F・ウフエ=ボワニ(以下ウフエ)初代大統領の支配体制に焦点をあてる。その統治を安定的に支えた諸条件について具体的に分析を加えるとともに、この時期にPDCIが果たしていた統治的結社としての位置付けと役割を考察する。さらに、「統合的革命」の課題に関するウフエの見解と対応についても分析を行い、そこに「ナショナリスト」としての性格が認められることを示す。
 第4章は1990年の民主化から1999年12月の軍事クーデタ直前までの時期を扱う。この時期は民主化とウフエ死去というコートディヴォワール政治史上の大きな転換が起こり、その局面転換の中で、その後の政治情勢を強く規定し、社会的にも影響を波及させていくことになる「イヴォワール人性」の問題が浮上した時期である。この章では、この時期に生じた複数政党制への移行、PDCI内部での権力闘争、ウフエの死去と後継のH・K・ベディエ体制の発足、ベディエ体制下の与野党対立と「イヴォワール人性」問題の登場などについて包括的に記述するほか、一党優位体制を築いたPDCIに対する支持の構造と野党の性格について分析を加える。
 第5章は、軍事クーデタから民政移管までの時期に焦点をあて、ウフエ後継の座をめぐって権力闘争を行ってきたベディエとA・D・ワタラ元首相の2人に加えて、R・ゲイ軍事政権首班とL・バボFPI党首という2人が新たに台頭することで、多極的な対立構図が構築されるに至った経過を扱う。民主化とポスト・ウフエによって規定される1990年代の第1の局面転換を引き継ぎつつ、政治対立における新たな局面が到来したのがこの時期であったわけだが、この章では、第4章での分析と合わせて、民主化後のコートディヴォワールの政党制が「少数者のゲーム」とも言うべき性格を顕著に見せたことを示す。またこの章では、ウフエ期の支配体制を支えた条件の一つであった軍事的秩序が弛緩、崩壊する過程をやや時代を遡って示すことで、軍事クーデタがコートディヴォワールにおける中期的な変化の産物であるという点についても論ずる。
 第6章では、独立以来長らく、アフリカにおける政治的安定の代名詞と称賛されてきたこの国の政治がなぜ1990年代半ば以降、不安定化の一途をたどったのかという大局的な問題意識を念頭に置きながら、2002年9月に勃発した内戦での和平プロセスにおけるバボ大統領の姿勢に焦点をあてて分析を行う。1990年代以降の政治状況とこの内戦が密接な関係を有するとの前提に立ち、政治史上の既存の条件の連続性を考慮に入れながら、和平プロセス下においてFPIという統治的結社がどのような性格を持つに至り、政党制が全体としていかなる構造を取ったかを解明する。とくに、和平プロセスの進展ぶりが、軍事政権期の局面転換の産物として出現した多極的な対立構図に強く支配されたことが明らかにされる。
 第7章は、第1~6章での主導的政党に関する具体的論考を踏まえ、コートディヴォワール植民地においてアフリカ人の政治活動が開始された1940年代から今日に至る70年近くの時期を包括的に捉え、結社史の観点からコートディヴォワール国家を俯瞰することに取り組む。「国家-中間集団-個人」という問題枠組みに依拠し、統治的結社によるイデオロギーの構築という現象に着目して、1990年代以降の差別的排除的実践が持つ歴史的位相と特質を解明する。この章での考察は、具体的な記述に主眼を置いて進められる本研究を、今日のアフリカ政治研究における最大の焦点とも言えるアフリカ国家の問題と、本研究の中心的な問題関心である「近代再考」という課題に向けて送り届けることを狙いとしている。
 基本的には地域研究の手法に立つアフリカ政治研究である本研究が、その直接の宛名とする研究領域はもとより、それを超えて、今日の同時代世界を取り扱う研究の全体に向けていかなるメッセージを発信できたかが結論での焦点となる。これに応えるため結論では3点にわたって本研究の意義について論述する。第1に、本研究が直接に念頭に置くところのアフリカ政治研究という領域における本研究の意義である。これは、アフリカ政治の実証的な再構成という課題に照らして、コートディヴォワールという個別国を対象とする研究にいかなる知見を追加することができたかの確認である。第2に、コートディヴォワールにおける「近代」とは何だったかという、序論で掲げた根本的な問いに対する回答である。ここでは、本研究全体の考察を踏まえながら、コートディヴォワールが生きてきた時代の特徴を俯瞰的に総括し、かつ、立ち現れつつある新しい時代の特徴について展望を示す。最後に、本研究は、対象地域を捨象して考えれば地域研究と性格付けられるものであり、また、さらに広い視点から捉えれば社会科学の研究であるが、地域研究ないし社会科学という学問領域に照らして、本研究での試みをどのように意義付けできるのかが結論で論じる第3点目である。

以上

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