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博士論文審査要旨

論文題目:エジプトの言語ナショナリズムと国語認識 ―言語多変種併用と国民国家形成問題、日本の言文一致運動との比較において―
著者:サーレ・アーデル・アミン (Saleh Adel Amin Mahmoud)
論文審査委員:加藤 哲郎、糟谷 啓介、深澤 英隆

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 サーレ・アーデル・アミン氏(Saleh Adel Amin Mahmoud、以下著者と記す)の学位請求論文「エジプトの言語ナショナリズムと国語認識 ― 言語多変種併用と国民国家形成問題、日本の言文一致運動との対比において ― 」は、エジプトの近代化=国民国家形成過程における言語と民衆意識の問題を、社会言語学の方法により日本語で記述した、開拓的労作である。


1 本論文の構成

 本論文は、以下のように構成されている。

はじめに
序論 エジプトナショナリズムの前夜
第一部 言語ナショナリズムの前夜 ― 19世紀末におけるエジプトの民衆語認識
 第1章 エジプト型の「言文一致」運動 ― アラビア語内の言語戦争をめぐって
 1・1 欧米研究者のアミーヤの文法書
 1・2 正則アラビア語への不満とそのクーデター ― フスハー廃止・アミーヤ採用論
 第2章 エジプト型の「言文一致」の初体験
      ― ナショナリズムの本質とアミーヤ使用の意義
 2・1 印刷物にみられるアミーヤの使用
 2・2 ウスターズ紙における言文一致の承認へ ― 人民が要求した言語とは何か
 2・3 ウスターズ紙にみられる「言文一致体」の本質

第二部 エジプト化イデオロギーと言語ナショナリズム
 第1章 アラビア語のエジプト化論
 1・1 ルトフィーの「中間言語」概念
 1・2 タイムールの文学の「エジプト化」と民族語論
 1・3 ムーサの言語と文学の革新
 1・4 アブデル・ハークの民族語概念 ― 脱アラブ論
 第2章 言語ナショナリズムによる言語及び文学への影響
 2・1 言語ナショナリズムによる言語への影響
      ― アラビア語改革とアミーヤ推進運動の展開
 2・2 言語ナショナリズムによる文学への影響
      ― 近代エジプト民衆文学とは何か?
 第3章 エジプトと日本における「国語認識
      ― 言文一致運動及び言語スタンダードをめぐって
 3・1 日本とエジプトにおける言語ナショナリズムの前夜
 3・2 両国における「中間言語」という思想
      ― 日本における「言文一致体」の再検討
 3・3 言語スタンダードと国民国家形成問題
 
第三部  ダイグロシア現象の再検討
      ― ダイグロシア、スペクトロ・グロシア、言語内の多変種併用状況
 はじめに アラビア語における言語・方言の意味
 第1章 ダイグロシア現象の考察
      ― アラビア語内の「二分割法」理論の観点より
 1・1 ダイグロシア概念の根拠
 1・2 ダイグロシア概念の伝統的な定義過程
 1・3 ファーガソンによるダイグロシア論の発展
 1・4 文学作品にみられる「ダイグロシア」状況の実例
 1・5 ダイグロシア論の問題点
 1・6 ファーガソンの「二分割法」理論の支配要因
 第2章 アラビア語におけるスペクトロ・グロシア論
      ― バダウィの「言語段階」モデル
 2・1 言語の「二分割法」と社会言語学 ― ダイグロシア論の展開
 2・2 エジプトにおける現代アラビア語の分類
 2・3 バダウィにおけるアミーナの源
 2・4 バカラーにおけるスペクトロ・グロシア概念
 第3章 近代文学にみられる言語内の「多元変種併用」状況
 3・1 アミーヤにおける語彙の研究の意義
 3・2 文学作品における文体の多様性
 3・3 アル・ハキームの文学作品にみられる「多元変種併用」
      ― 『魂の回帰』における言語分析
 3・4 アル・ハキームの言語変種選択と「民衆語」― 第三言語の実現化
 3・5 文学言語内の「不安定」性の解消方法の提起
 結び 言語社会における「言語ベクトル」概念
      ― 社会にみられる言語への「ベクトル」とは何か?

終わりに 言語状況の不安定性の危機と国民国家形成の問題
      ― 言語内の多元変種併用と言語共同体概念の見直し
 1 21世紀に向けて「言語共同体」イデオロギーの見直し
      ― 日本語改革から考える
 2 「文化多元構造」の要因
 3 国家の矛盾と「文化多元構造」
 4 「言語内の多元変種併用」状況と解決方法の選択肢
参考文献
フスハーとアミーヤの区別基準
地図・年表


2 本論文の概要

 著者は本論文の課題を、「1880年代初期に始まるアラビア語内の『言語戦争』という形をとった、約1世紀(1880-1980年代)の本格的な議論を通じて、エジプトの国語の問題認識を追究する。とりわけ、現在の社会的な言語活動を担っている『言語』とは、正則アラビア語たるフスハーなのか? アミーヤなのか? それとも他の言語要素なのか? というこれらの問いに対する答えを見出し、現代エジプトの『国語認識』を明らかにするのが、本論文の主な目標である」と要約している。著者は「はじめに」冒頭を「21世紀を迎えようとしている我々エジプト人は、自らのアイデンティティを想定する明白な絆を未だ発見できずにいる」と書き出し、その理由を「危機的な言語状況」すなわち正則アラビア語フスハー(古典語)と話し言葉のアミーヤ(平俗語)が隔絶した「言語内の多元変種併用」現象に求めている。「言語内の多元変種併用」とは著者の造語であるが、たとえば学校教育ではアラビア語文法でフスハーを学びながら、日常生活はまったく言語構造も表記法も異なるアミーヤによっている状況をさす。本論文は、そのような現象の歴史的根拠を探り、社会言語学的意味を考察しながら、それをエジプトの近代化・国民国家形成と関連させて論じたものである。

 序論では、オスマントルコ帝国治下の封建制のもとでまだネイション意識を持たなかったイスラム「宗教共同体」の時代から、1798年のナポレオン遠征で西洋文明と接触し、1805年のムハンメド・アリらによる革命と近代国家建設の試みに伴い「言語共同体イデオロギー」が普及したことが述べられる。

 第一部は「言語ナショナリズムの前夜」である1880年代のアミーヤ推進運動、そこに著者が日本との共通性を見出した言文一致運動を扱う。ただし日本との比較はあくまで副次的なものであると断っている。「言語共同体」が問題になる過程でアミーヤをフスハーに置き換える試みもあったが、官僚・知識人の言語である正則アラビア語フスハーの固定性・複雑性から、啓蒙思想家たちは、むしろアミーヤを中心に「エジプト化」を図ろうとした。その前提になったのは、ヨーロッパ人研究者によるアミーヤの文法書編纂であった。1848年のタンターウィーや1812年作成(1886年刊行)とされるミハイロ・アッサバーの教科書がその先駆であるが、イギリス植民地統治下の1880年代以降、シュピッタ、ファレルス、ウィルモアのようなオリエンタリストたちがアミーヤの文法書・辞書を編み、図書館長シュピッタは、フスハーはラテン語のような死語となりアミーヤによって西洋的な「世俗化」がはかられると論じた。ここからエジプトの啓蒙家のなかでも、言語的統合が問題になる。宗主国イギリスによる「外国語=英語採用論」のほか、「フスハー廃止・アミーヤ採用論」が出てくる。文学者シュミールらにより担われた外国語採用運動は、イギリスの言語的侵略政策にそうもので、1889年の閣議決定で学校教育に英語が採用され留学先がイギリスとされたため、正則アラビア語であるフスハーの影響力後退につながった。しかし著者が注目するのは後者、アミーヤ推進運動である。1890年代にイギリス人技師ウィルコックスはエジプト近代化のために民衆言語であるアミーヤによる教育が必要だと説き、アラビア語純粋主義者の反発を招いた。著名なエジプト人啓蒙家ナディームらは外国語採用運動に反対し、アラビア文化を守るために運動した。基本的にはフスハーで書かれた『ウスターズ』紙のなかに、アミーヤの記事・論説が掲載されるようになった。ムーサはイスラム教徒でありながら「飛行機時代・宇宙時代」の言語としてアミーヤを採用すべきと説いた。これらを背景に、1880年代にはいくつかのアミーヤの雑誌・新聞が刊行され、当初はフスハー支持であったナディームも、アミーヤを書き言葉として用いることを認め言文一致運動が始まった。ナディーム自身が望んだのは簡略化されたフスハーの口語化であったが、19世紀末から20世紀初頭には、口語から書き言葉になったアミーヤ体の使用が不可避の流れになりフスハーと併存するようになった。ファーガソンらのいうダイグロシア状況であるが、著者は日本の「言文一致」運動とも共通点が多いという。

 第二部においては、著者の言う「エジプト化イデオロギー」と「言語ナショナリズム」の諸側面が、三つの章に分けて論じられる。 

 まず第1章においては、第一次大戦後のいわゆる「1919年革命」によって発生した「エジプト化イデオロギー」を背景とする「中間言語論」が詳しく論じられる。「エジプト化イデオロギー」とは、著者によれば「エジプトの地理的国境線の内側にエジプト人の特徴的な性格および生活様式」を構想し、エジプトの固有性を体現する芸術や文学を確立せんとする考え方であるが、著者はこうした理念が「言語」そのものにも及んだと考える。すなわちこの時期に至るまで、アラビア語世界には「国語」の概念は存在しなかったが、一連の革新的言語思想家たちが輩出し、アラビア語を「エジプト化」する形でエジプト人固有の「国語」を創出しようと試みたというのである。本論ではこの動向が、「言語ナショナリズム」と名づけられる。第1節以下、各節では、それらの革新的思想家、すなわち啓蒙的言語エジプト化論者ルトフィー、文学のエジプト化を提唱したタイムールおよびムーサ、脱アラブと民族語の理念を唱えたハークなどの諸説が詳しく検討される。そこでの論証を通じて、彼らの思想が、古典語フスハーと平俗語アミーヤを媒介する言語=国語の創出を訴えるものであり、「中間言語」論と特徴づけうるものであることが指摘される。

 第2章においては、こうした言語の「エジプト化」が具体的にどのような言語改革および文学活動を生み出すに至ったかが詳述される。第1節では、言語改革の諸相が扱われる。従来、フスハー学者たちはアラビア語の文法規則の改正やアミーヤの推進を、アラビア語に対する冒とくとすら考えていたが、エジプト化イデオロギーを背景とする言語思想家たちはこれに抗して、伝統的文法の簡略化を訴えた。結局彼らの圧力のもとに、エジプト政府も改革委員会を設置し、従来保守的であったエジプトのカイロ・アラビア語アカデミーともども、統語、音韻論、形態論、雄弁術などの簡略化を検討するに至ったのである。続く第2節では、こうした言語改革の動向と並行しつつ生成した、近代エジプト民衆文学の諸問題が扱われる。7世紀のイスラム化以来19世紀に至るまで、フスハーを用いた文学作品が「公式文学」として尊重される一方で、平俗語のアミーヤを用いた文学は軽視され続けてきた。しかし上述のエジプト化イデオロギーおよび言語改革の潮流と結びつく形で、今世紀において民衆文学の勃興が見られるに至った。著者はまずアラビア文学史の文脈においてこの近代民衆文学の生成をあとづけた後、民衆文学をめぐる様々な論争を紹介・検討し、その上でタイムールやヘイカルの作品を具体例として、エジプト近代民衆文学のモチーフと言語学的特徴を詳しく分析する。そしてその結果、「公式文学」が遊牧民社会以来のアラブ的遺産とイスラム文化を主たるモチーフとしているのに対し、民衆文学が近代生活やナショナリズムなどの主題を積極的に扱ったこと、また言語学的にも民衆文学は中間言語論に対応する革新性を備えていたことが明らかにされる。

 第3章では、前二章で検討されたエジプトにおける国語認識とそれに基づく言語・文学実践が、日本の明治期以来の言文一致運動と比較される。19世紀後半に西洋との接触の中で国語認識が芽生えたこと、文語と口語との二重言語状況のなかで、両者を折衷する「中間言語」が構想されたこと、またそうした言語思想が文学などの言語実践を通じて推進されたことなどは、近代におけるエジプトと日本の言語状況の著しい類似点である。さらに外国人による俗語の文法書や辞書の作成と啓蒙家の主導による言文一致運動の開始期、前世紀末前後から第二次大戦に至るナショナリズムと中間言語の勃興期、そして第二次大戦後、という三段階の歴史的エポックにも、両者の並行性が見られる。しかし、日本においては中間言語思想に基づく言文一致が達成されたにもかかわらず、エジプトにおいては中間言語はなお公認されていない。この事実を重要視する著者は、両国の言文一致運動をエポックごとに詳細に比較検討し、両国の文語および口語の言語的性格の相違と同時に、広範な中間階層の形成の有無という社会的要因や、とりわけ近代的国民国家形成の意志と言語形成との結びつきの有無という政治的要因が、今日における両国の言語状況の相違を作り出したことを明るみに出す。

 第三部は、社会言語学において最も重要な概念のひとつである「ダイグロシア」の理論的な再検討にあてられる。「ダイグロシア」とは、社会言語学者ファーガソンが提唱した概念であり、ひとつの言語共同体の内部で、日常会話で用いられる諸変種の上に、高度に規範化され公的な書きことばのみに用いられる「超変種」が存在している状態を指す。前者は「低位変種(L変種)」、後者は「高位変種(H変種)」と呼ばれ、スイスにおけるスイス・ドイツ語と標準ドイツ語、ハイチにおけるハイチ・クレオール語と標準フランス語、ギリシアにおける民衆語(ディモティキ)と古典語(カタレヴサ)、アラビア語圏における平俗語と古典語との関係がそれにあたるとされる。これに対して著者は、エジプトの言語状況を綿密に分析することで「ダイグロシア」概念の批判を試みる。

 第1章は「ダイグロシア」概念の学説史的な検討にあてられる。まず著者はファーガソン以前に「ダイグロシア」現象に注目した学者として、ドイツ語学者クロンバッハとフランスの言語学者W・マルセの所説を検討する。ファーガソンは、とりわけマルセの定義を参考としながら、「ダイグロシア」という用語を英語のなかに導入した。著者によれば、ファーガソンは、アラブ社会における言語と文化の二層性という危機的な現象に目を向けさせることには貢献したが、その分析自体は今日見直されるべきであるという。ここで著者はファーガソンが「言語学的にナセル革命を正当化しようとしたのではないか」という注目すべき指摘をおこなう。ファーガソンはアラブ世界を統合する共通語の存在を強調しており、この観点がナセル革命が掲げた「アラブ・ナショナリズム」と呼応するのではないかというのである。

 著者によれば、ファーガソンの分析が不十分なのは、H変種とL変種との間にいかなる中間領域も認められないとされる点であり、第2章においては、その点からエジプトの言語学者バダウィとバカラーの説が検討される。バダウィは、「H変種/L変種」という「二分割法」ではエジプトの言語状況を説明できないとして、「遺産的フスハー」「近代フスハー」「教養人のアミーヤ」「識字者のアミーヤ」「非識字者のアミーヤ」という5つの「言語段階」を設定した。バカラーはこの説をさらに発展させ、アラビア語の言語状況は純粋な正則アラビア語とアラビア口語の純粋タイプを両極においた「スペクトロ・グロシア」を形成していると述べた。著者はバカラーの説に同意しつつも、新たに「言語内の多元変種併用」という概念を提唱する。

 第3章においては、その概念にもとづき、エジプト近代文学における言語使用が分析される。アラビア語の文法学者や辞書編纂者はアミーヤをフスハーの堕落した形態としか見なしていなかったが、20世紀前半の「エジプト化イデオロギー」を支持した文学者のなかからアミーヤを公然と用いようとする者が現われた。エジプトにおける「民衆語認識」のありかたは、近代民衆文学において最も明瞭に現われるという視点から、著者はエジプト近代文学を代表する作家アル・ハキームに注目する。アル・ハキームは大作『魂の回帰』(1933)において「アミーヤによる典型的な民衆語」を採り入れた。しかし、『オリエントからの小鳥』(1938)においては、ヨーロッパの象徴的思考を描くという理由からフスハーを用いた。その後、短編小説「笛ふき」においてはアミーヤであるカイロ方言を採用したが、この作品の後アル・ハキームは、アミーヤは文学言語にふさわしくないと判断し、戯曲『死の歌』をフスハーのみによって書いた。こうした紆余曲折の後、戯曲『取り引き』(1956)と十年後の戯曲『ジレンマ』(1966)で新たな展開が訪れる。この二作でアル・ハキームは、フスハー専用でもアミーヤ専用でもなく、両者の中間に存在するものとしての「第三言語」に注目し、それこそエジプト近代文学にとって真の「文学言語」の姿であると主張した。著者によれば「第三言語」は、文学言語の一形式にとどまらず、エジプト社会に言語的統合をもたらすことのできる言語であるとされる。

 第三部の結びにおいて著者は、「スペクトロ・グロシア」概念はたしかに有効ではあるが、「言語内に見られる『多変種』に対する社会的メカニズム」について「納得のいく説がなされていない」と批判する。そこで、「社会的な『力』によって、言語に方向性(vector)が与えられる」という現象を「言語ベクトル」と名付け、新たな概念として提唱する。著者によれば、「言語ベクトル」が諸変種を統合する役割を果たさないとき、「不安定な」言語状況が現われる。その典型が現在のエジプトの言語状況であるという。

 「終わりに」で著者は、エジプトを含むすべてのアラブ社会が「ダイグロシア」ないし「スペクトロ・グロシア」状況にあり、日本のような中間言語による言文一致に成功した例はないという。このことが「標準語=言語スタンダード」の欠如による文化的アイデンティティの危機=「文化多元構造」を招いている。そして国家レベルでも文化政策の矛盾・対立をもたらし、現在では「1 正則アラビア語そのものの復活」「2 各々のアラブの国々が固有のアミーヤに『言文一致』を行う言語改革」「3 マスメディアや教育の関係でアラブ世界にある程度まで好まれているエジプトの『口語』を、アラビア語圏の標準語化する」「4 正則アラビア語とそれぞれのアミーヤの接点として見出された『中間言語』を承認して国語化する」「5 東洋的な『言語内の多元変種併用』現象をもつアラビア語社会を脱して、外国語を採用する」という5つの選択肢に直面しているという。著者はそのいずれを採るべきとは述べていないが、いずれの場合でも、民衆の意志と希望を尊重して自由な討論をふまえ民主的投票で決するべきである、と結んでいる。


3 本論文の評価

 本論文は、エジプトにおける民衆言語の歴史的発展について、わが国で初めて日本語で書かれた本格的学術論文である。またそれにとどまらず、アラビア語世界においてもパイオニア的意味を持つ社会言語学的実証研究である。その歴史的分析は、日本におけるアラブ世界理解にとっても、アラブ世界における社会言語学の発展にとっても、重要な貢献となっている。これが、本論文の第一の意義である。

 第二に、本論文は、正則アラビア語フスハーと民衆語アミーヤの言語的対立を、エジプトにおける近代化・国民国家形成と関連させ、文学作品やフォークロアの世界に素材を求め、日本の言文一致運動とも対比しながら論ずることによって、論理を明快にし、分析にふくらみを持たせている。標準言語の形成を言語共同体・言語ナショナリズムの問題として論じることにより、20世紀に独立したいわゆる発展途上国の近代化が共通して直面する文化的アイデンティティの問題に迫っている。

 第三に、本論文は、社会言語学において最も重要な概念のひとつである「ダイグロシア」を、その基盤となったエジプトの言語状況にもとづいて理論的に見直す作業をおこなった。また、エジプトにおける言語スタンダードの確立と「近代文学」の創出とを関係づけて論じた部分は、社会言語学と文学研究との興味深い接点として評価できる。

 とはいえ本論文にも、問題点・疑問点がないわけではない。

 その第一は、著者が日本で学ぶエジプト人留学生であることと大きく関わるが、近代化=国民国家形成過程における標準語=国語形成が自明のものと前提され、国民国家の理念そのものが問われている現代的問題状況が、必ずしも視野に入れられていないことである。エジプトの「文化的多元構造」と「多元変種併用」が「危機」と認識されて批判され、日本の言文一致運動・標準語成立はアジアにおける国民形成の典型的成功例とされているが、このことは、著者が「言語共同体イデオロギー」の見直しを主張しながらも、著者自身がある種の「言語共同体イデオロギー」にとらわれているのではないかという疑問を抱かせる。「中間言語」形成過程における国家政策の役割、抑圧される少数言語の問題等に、さらに目配りすることが期待される。

 第二に、エジプトにおけるフスハーとアミーヤの対立・併存はアラブ世界全体に多かれ少なかれ共通するものとされているが、エジプト以外のアラブ地域についての記述は少なく、著者の主たる視座は、西欧や日本との比較におかれている。このことが、アラビア語と「アラブ民族」を結びつける「アラブ・ナショナリズム」を強く批判しながらエジプトや日本における「国語」形成には積極的評価を与える、著者のある種の規範的立場の説得力を弱めている。

 第三に、19世紀以降のアミーヤ文法書の再評価・再発掘などに創見がみられるものの、ファーガソン以後の「ダイグロシア」概念をめぐる国際的研究成果は必ずしも十分に消化されていない。そのため「多元変種併用」「言語ベクトル」のような新しい概念を問題提起しているものの、十分に成功したとは言いがたい。また構文・表現、文献整理などでやや疑問のある箇所が散見される。叙述の重複を含め、日本語としてさらに整理し洗練すれば、より説得力を増すであろう。

 もっともこれらは、著者自身が十分自覚し、今後の課題としているものであり、エジプトで生まれ育った著者が日本語で書き上げた本論文の積極的な学術的意義を考えれば、これまでの蓄積のうえに、今後の研究において期待されるものである。

 以上の審査結果から、審査委員一同は、本論文を学位請求論文にふさわしい学術的水準をもつものとみなし、口述試験の成績をも考慮して、サーレ・アーデル・アミン氏に一橋大学博士(社会学)の学位を授与することが適当であると結論する。

最終試験の結果の要旨

1997年10月8日

 1997年9月18日、学位請求論文提出者サーレ・アーデル・アミン(Saleh Adel Amin Mahmoud)氏の試験および学力認定を行った。

 試験において、提出論文「エジプトの言語ナショナリズムと国語認識 ― 言語多変種併用と国民国家形成問題、日本の言文一致運動との対比において ― 」にもとづき、審査委員が疑問点につき逐一説明を求めたのに対し、サーレ・アーデル・アミン氏は、いずれにも適切な説明を行った。
 専攻学術について、審査委員一同は、サーレ・アーデル・アミン氏が学位を授与されるのに必要な学力を有するものと認定した。

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